今日心身ともに夏ばてで横になっている間に甥っ子が暇で遊びにきたようだ。
甥っ子が心配して親に言ったようで、今度は親(兄弟)がきたようだ。
その時に遠くで声が聞こえるなぁーと夢見心地で聞いていて思った。
「子供ってのはほんと愛だぇ・・愛の塊だねぇ・・・」
バテテバテテ、ヘトヘトだけど愛には愛でこたえねば。明日か明後日一緒に遊ぼう。愛は栄養を与えないと枯れてしまう。愛が栄養無しに咲き誇るにも限界があるのだ。
さて、思いってのは行動でしか証明されない。
勿論、性格や入れ物の大きさも影響するので、行動が少ない=愛が少ないわけではない。それが個性とい うやつだ。女性は特にそこを勘違いしがちだ。更にいうならば愛は物で証明されるものではない。心は男も女も愛で栄養をあたえないといずれ枯れてしまう。勿 論自分でも与えることは出来る。植物が光合成するように、言い換えれば人間も光合成できる。枯れるだけならまだいいが毒素をまくこともある。物は致し方な く愛をからさないためのカンフル剤でしかない。これを勘違いする人が多い。物=愛になる。
カンフル剤ってのは副作用があり習慣性が高い。 光合成が思うようにいかず、更に愛を投与されないと、カンフル剤の投与量は次第に多くなる。多くしないと効かないのだ。当然多くなる。驚くことはない。薬 と同じだ。だから、子供や彼女に上げるものがジリジリと時にはズドーンとインフレが起きるのはこういうことである。私はアトピーだからよーくわかる。ある レベルを超えると歯止めがきかなくなる。だから、愛をせっせと注がれると弱いカンフル剤でも効果が出るようになる。つまり、愛をちゃんと注ぎまくっていれ ば物はいらなくなるのだ。屁理屈でないが、女性は大半はこういうだろう。「ないないないwww」 そう言う人がいれば、それは愛を徹底的に注がれた経験が ないか、自らの過去人生を振り返りきれていない、もしくはそれほど幸せだった、のいずれからだろう。
女性が陥りやすい罠がこれだ。「誕生 日におみがやない=愛がない」どころか、「誕生日を忘れた=愛がついえた」とか、「私は覚えている=愛がある」更には、「私がこれだけあるのに、彼はな い」と勝手に種をまき水を与え、すくすくと不信感を育て、最後には自分で収穫する。「私のあげたもの全部返して!!」と言いながら、自分はちゃっかり相手 に貰ったもので価値の高いものを戦利品として貰いうけ、挙句の果てに地球環境を無視して燃やしたり、質屋に下ろしたりする。男は早々そんなこと出来る人は いない。しかもこれはまさに、社会を通して戦争をする男共とまるっきり同じ構図である。結局、種をまき、最後に収穫するのは自分なのだ。
「いや違 う!種を巻いたのは彼だ!!」と皆が声を大にして言うだろう。頭のいい女性は「私にも責任がなかっとはいいません」とくる。つまり「私は思い当たらない」 といいたいのだろうか。別に悪いわけではない。自己防衛に悪いはない。ただ、相手にトドメを刺すほどの自己防衛は最早防衛とは言い難いといいたい。仮にそ うだとしよう。悪くない。ただ、巻いたのは相手にせよ、その種を煮てもやいても食えない化け物にしてしまったのは結局自分なのだ。
どんな 人間も最後は行動に繋がる。行動とは愛である。だから子供は「ねぇねぇお母さんお母さん」と24時間言葉をかける。いってる内容は、大人からしたらどうで もいい内容だ。しかし魂をのせた言葉だ。大人のように反射発声であったり、定型文を脳から引っ張ってきて発声したものでない。何せ子供は反射するほどまだ 繰り返していないし、脳から引っ張るほど引き出しがない。大人は子供と違ってエネルギーが枯渇してくるので、それを最小限にとどめようとする。結果、魂が のってない場合も少なくない。子供のペースでそれこそ120%返していたら「帯に短し」の人生になるだろう。昔は祖父母や親戚やご近所がかけた部分を埋め てくれた。だから、そこは考えたほうがいい。
子供は愛で溢れているので愛を感じている大人へは物凄く優しい。逆に愛を感じない大人には徹 底してドライだ。残酷ですらある。ただし、大きくなるにつれ光合成と内燃機関では間に合わなくなり外部燃料が必要になる。第一得意先は親だ。更に成長する と、第一得意先は取引量が少なくなる。しかしこれは重要である。終始一貫して第一得意先の取引量が断トツであるということは、危険だ。第一得意先がたおれ たら共倒れになる。故に第一得意先は徐々に取引量を減らす。そうすると足りないから第二、第三の得意先を探すようになり、営業の果てに信頼のおける最大の 得意先をみつける。それが恋人であり、その究極が伴侶だ。しかし、その究極の大手得意先もナニがあるかわからないので次なる大手が危機管理上必要なる。そ れが子供だ。だから、その将来の大得意先にナニかあった日には愕然とするのは当然なのだ。
大人なると更に光合成や内燃機関はにぶりがち だ。工夫もしないからなすがままに自給率は低下し、まるで日本の農業のようになってしまう。つまり愛が枯渇しがちになる人が圧倒的大多数をしめるようにな る。頼みの綱は外部取引先だが、同時に外部取引の取引量も減る。こっちにまわしてくれなくなるのだ。するとリスク回避から小さな取引先が無数に増殖しがち だ。しかも往々してそれらの取引量は僅かであるのに、数に誤魔化されて、想定外に無駄が多いことに気づいていない場合がほとんどだ。その結果カンフル中毒 になる。中毒になれるほど収入がなければ枯れ果ててしまう。場合によっては先に書いたように猛毒を発するようになり周囲の花どころか領域を汚染することに なる。私は幸い光合成の見直しと内燃機関徹底的な修理によりなんとかなった。余剰分をよそへ回せるようになった。元々内燃機関の出力は昔から高いほうだったからというのもある。これは個体差だ。自分をウランでも仕方が無い、必要なのは自分の出力を知り、それを把握することだ。ある程度改造も出来るがそれは困難を極めるだろう。ただ、わずかにでも出力を高めたいと思う人は、親に「いつも、ありがとう」という一言から始めたらいい。出力はわずかづつでも上がる。天井はあるが。そして枯渇しそうになった時に予防線をはることが大切だ。タレントの上戸彩なんて見るかに出力が高い。だから皆たよっちゃうのだ。当然常にカラータイマーは点滅しっぱなしになる。んが、往々して恩恵を受けている人は気づかない。彼女は親や兄弟、そしてファン、見知らぬ子供たちから補給していると思う。彼女もかなりカツカツのところ、それでも頑張って出力を上げているんだぁーとつくづく思う。ここ数年で顔つきがかなり変わった。同情さえする。だから、本音でいえば芸能界なんてどうでもいいだろうし、むしろ辞めたいと思っている顔だ。しかしあそこまで影響力が大きく、愛を注げる人がいなくなった場合の周囲への影響はとてつもなく大きいと彼女はわかっているのだ。だから辞められない。心の中でははやくお払い箱になりますよーにーと片隅で思っているだろう。あの若さで・・・年齢性別を越えた尊敬に値する人である。誤解しては困るが、私は彼女の顔は好みではない。好みでいえば、ハチワンダイバーだっけ?先日最終回の将棋のドラマ(見てなかったけど)で出ていたヒロイン役の子がドストライクだ。「え?お前の趣味はどうでもいい」それは失礼した。彼女は可愛い。あ、すいません。
そんなわけで、カンフル剤で埋めるのは時々にしよう。かかったことがない人は体感的にわからないだろうが。中毒になったらひとりでは120%抜けることは出来ない。大きな多大なる時間とコスト、周囲の協力が必要になる。そうなる前にやめたほうがいい。
私は行動に出ない愛は本質的に信用していない。それは男女問わずだ。何より口でどんなに美辞麗句を並べようと愛がのってない言葉は信号でしかないし、信号としてスルーする。勿論最初に書いたようにカラッカラで枯れそうだった人に少々愛を注いだところで、行動に移せるほど愛は早々たまらないし、たまっても地球の地下みたいに沢山たまっていないだろうからすぐ枯れてしまうだろう。何より、行動の前に態度があるはずだ。態度の前に行動はない。それがあったとしたらそれは策略だ。異なる意図があるのだろう。100%裏がある。態度と行動は少し違う。声のニュアンスであったり、目線であったり、笑顔であったり、時には言葉であったり色々だ。言葉は色々のうちの一つでしかない。それは自ずとわかる。それが出来ないからといってそれは悪いわけではない。悪ではない。自分を責めるのはお門違いだ。攻めるということは愛が毒化する行為である。やめたほうがいい。100害あって1利なしだ。自分がそうだと気づき、対策をとる必要があると認識することだ。それが心術である。相手にいきなり求めるのもお門違いだ。まず光合成と内燃機関をどうにかするしかない。全ては自分から始まる。自分の設備に力をいれつつ、ある程度内燃機関が整備できたら最高の取引先をみつけよう。最高の取引先とは愛がある人だ。顔がいい人、スタイルがいい人が愛があるわけでない。それらは美であるといだけだ。美は鑑賞しよう。外部の美とは少し離れたほうがいい。同時にその逆が優れた内燃機関を所有しているとも限らない。愛はさりげない仕草と行動でその量を見極めることが出来るものだ。それがわからないようなら光合成と内燃機関をまず見直したほうがいい。外部取引先に頼りすぎればいずれ取引先もお手上げになってしまう。外部取引先無しには無理であれば、素直にすがろう。素直ってことが大切だ。素直じゃなく、寄りかかりであれば心を律したほうがいい。でないと結局自分が後悔することになる。
なんでこんなことを書いたかというとある出来事があり愛が究極的に枯渇しているなぁと思ったからだ。しかも内燃機関は壊れっぱなしで壊れていることにも気づいてない。光合成も充分ではないようだ。そして見当違いな取引先を探している。私は当事者じゃないのでどうすることも出来ないし、どうする必要もない。愛は有限である。私の愛の内燃機関も余裕があるわけでない。注ぐ人は自ずと優先順位が限られる。それぞれの人生を歩むのみだ。愛が無限にわく人はいないのだから。マザーテレサのように無限とも思えるほど優れた愛の光合成、何より内燃機関をもつ人は極めて稀である。稀であって無限ではない。茫漠たる広さではるだろう。オードリヘップバーンもそうだ。男でいえばマファトマガンジーもそうだ。彼や彼女のようにならなくてもいい、二人とも結果的にそうなったのであって、目指したわけではないはずだ。目指した時点で愛ではなくなる。
しかし、俺も深夜になに書いてるんだw 内燃機関がこの暑さで壊れ気味だからか。まだまだ俺も内燃機関の調整が必要だからってのもあるな。聊か情けないと思ったものだが、情けないと思うなら、思うより早くやればいいわけだな俺。「そうだ、よく言った俺!さすが俺だ!」「まずは寝ろw」「wwwww」
「あーーーーいうぉーー消えないでもぉうぉーーーーん~ん~~~~~~♪」
「寝ろ!!」
ご免なさい。お休みなさない。
甥っ子が心配して親に言ったようで、今度は親(兄弟)がきたようだ。
その時に遠くで声が聞こえるなぁーと夢見心地で聞いていて思った。
「子供ってのはほんと愛だぇ・・愛の塊だねぇ・・・」
バテテバテテ、ヘトヘトだけど愛には愛でこたえねば。明日か明後日一緒に遊ぼう。愛は栄養を与えないと枯れてしまう。愛が栄養無しに咲き誇るにも限界があるのだ。
さて、思いってのは行動でしか証明されない。
勿論、性格や入れ物の大きさも影響するので、行動が少ない=愛が少ないわけではない。それが個性とい うやつだ。女性は特にそこを勘違いしがちだ。更にいうならば愛は物で証明されるものではない。心は男も女も愛で栄養をあたえないといずれ枯れてしまう。勿 論自分でも与えることは出来る。植物が光合成するように、言い換えれば人間も光合成できる。枯れるだけならまだいいが毒素をまくこともある。物は致し方な く愛をからさないためのカンフル剤でしかない。これを勘違いする人が多い。物=愛になる。
カンフル剤ってのは副作用があり習慣性が高い。 光合成が思うようにいかず、更に愛を投与されないと、カンフル剤の投与量は次第に多くなる。多くしないと効かないのだ。当然多くなる。驚くことはない。薬 と同じだ。だから、子供や彼女に上げるものがジリジリと時にはズドーンとインフレが起きるのはこういうことである。私はアトピーだからよーくわかる。ある レベルを超えると歯止めがきかなくなる。だから、愛をせっせと注がれると弱いカンフル剤でも効果が出るようになる。つまり、愛をちゃんと注ぎまくっていれ ば物はいらなくなるのだ。屁理屈でないが、女性は大半はこういうだろう。「ないないないwww」 そう言う人がいれば、それは愛を徹底的に注がれた経験が ないか、自らの過去人生を振り返りきれていない、もしくはそれほど幸せだった、のいずれからだろう。
女性が陥りやすい罠がこれだ。「誕生 日におみがやない=愛がない」どころか、「誕生日を忘れた=愛がついえた」とか、「私は覚えている=愛がある」更には、「私がこれだけあるのに、彼はな い」と勝手に種をまき水を与え、すくすくと不信感を育て、最後には自分で収穫する。「私のあげたもの全部返して!!」と言いながら、自分はちゃっかり相手 に貰ったもので価値の高いものを戦利品として貰いうけ、挙句の果てに地球環境を無視して燃やしたり、質屋に下ろしたりする。男は早々そんなこと出来る人は いない。しかもこれはまさに、社会を通して戦争をする男共とまるっきり同じ構図である。結局、種をまき、最後に収穫するのは自分なのだ。
「いや違 う!種を巻いたのは彼だ!!」と皆が声を大にして言うだろう。頭のいい女性は「私にも責任がなかっとはいいません」とくる。つまり「私は思い当たらない」 といいたいのだろうか。別に悪いわけではない。自己防衛に悪いはない。ただ、相手にトドメを刺すほどの自己防衛は最早防衛とは言い難いといいたい。仮にそ うだとしよう。悪くない。ただ、巻いたのは相手にせよ、その種を煮てもやいても食えない化け物にしてしまったのは結局自分なのだ。
どんな 人間も最後は行動に繋がる。行動とは愛である。だから子供は「ねぇねぇお母さんお母さん」と24時間言葉をかける。いってる内容は、大人からしたらどうで もいい内容だ。しかし魂をのせた言葉だ。大人のように反射発声であったり、定型文を脳から引っ張ってきて発声したものでない。何せ子供は反射するほどまだ 繰り返していないし、脳から引っ張るほど引き出しがない。大人は子供と違ってエネルギーが枯渇してくるので、それを最小限にとどめようとする。結果、魂が のってない場合も少なくない。子供のペースでそれこそ120%返していたら「帯に短し」の人生になるだろう。昔は祖父母や親戚やご近所がかけた部分を埋め てくれた。だから、そこは考えたほうがいい。
子供は愛で溢れているので愛を感じている大人へは物凄く優しい。逆に愛を感じない大人には徹 底してドライだ。残酷ですらある。ただし、大きくなるにつれ光合成と内燃機関では間に合わなくなり外部燃料が必要になる。第一得意先は親だ。更に成長する と、第一得意先は取引量が少なくなる。しかしこれは重要である。終始一貫して第一得意先の取引量が断トツであるということは、危険だ。第一得意先がたおれ たら共倒れになる。故に第一得意先は徐々に取引量を減らす。そうすると足りないから第二、第三の得意先を探すようになり、営業の果てに信頼のおける最大の 得意先をみつける。それが恋人であり、その究極が伴侶だ。しかし、その究極の大手得意先もナニがあるかわからないので次なる大手が危機管理上必要なる。そ れが子供だ。だから、その将来の大得意先にナニかあった日には愕然とするのは当然なのだ。
大人なると更に光合成や内燃機関はにぶりがち だ。工夫もしないからなすがままに自給率は低下し、まるで日本の農業のようになってしまう。つまり愛が枯渇しがちになる人が圧倒的大多数をしめるようにな る。頼みの綱は外部取引先だが、同時に外部取引の取引量も減る。こっちにまわしてくれなくなるのだ。するとリスク回避から小さな取引先が無数に増殖しがち だ。しかも往々してそれらの取引量は僅かであるのに、数に誤魔化されて、想定外に無駄が多いことに気づいていない場合がほとんどだ。その結果カンフル中毒 になる。中毒になれるほど収入がなければ枯れ果ててしまう。場合によっては先に書いたように猛毒を発するようになり周囲の花どころか領域を汚染することに なる。私は幸い光合成の見直しと内燃機関徹底的な修理によりなんとかなった。余剰分をよそへ回せるようになった。元々内燃機関の出力は昔から高いほうだったからというのもある。これは個体差だ。自分をウランでも仕方が無い、必要なのは自分の出力を知り、それを把握することだ。ある程度改造も出来るがそれは困難を極めるだろう。ただ、わずかにでも出力を高めたいと思う人は、親に「いつも、ありがとう」という一言から始めたらいい。出力はわずかづつでも上がる。天井はあるが。そして枯渇しそうになった時に予防線をはることが大切だ。タレントの上戸彩なんて見るかに出力が高い。だから皆たよっちゃうのだ。当然常にカラータイマーは点滅しっぱなしになる。んが、往々して恩恵を受けている人は気づかない。彼女は親や兄弟、そしてファン、見知らぬ子供たちから補給していると思う。彼女もかなりカツカツのところ、それでも頑張って出力を上げているんだぁーとつくづく思う。ここ数年で顔つきがかなり変わった。同情さえする。だから、本音でいえば芸能界なんてどうでもいいだろうし、むしろ辞めたいと思っている顔だ。しかしあそこまで影響力が大きく、愛を注げる人がいなくなった場合の周囲への影響はとてつもなく大きいと彼女はわかっているのだ。だから辞められない。心の中でははやくお払い箱になりますよーにーと片隅で思っているだろう。あの若さで・・・年齢性別を越えた尊敬に値する人である。誤解しては困るが、私は彼女の顔は好みではない。好みでいえば、ハチワンダイバーだっけ?先日最終回の将棋のドラマ(見てなかったけど)で出ていたヒロイン役の子がドストライクだ。「え?お前の趣味はどうでもいい」それは失礼した。彼女は可愛い。あ、すいません。
そんなわけで、カンフル剤で埋めるのは時々にしよう。かかったことがない人は体感的にわからないだろうが。中毒になったらひとりでは120%抜けることは出来ない。大きな多大なる時間とコスト、周囲の協力が必要になる。そうなる前にやめたほうがいい。
私は行動に出ない愛は本質的に信用していない。それは男女問わずだ。何より口でどんなに美辞麗句を並べようと愛がのってない言葉は信号でしかないし、信号としてスルーする。勿論最初に書いたようにカラッカラで枯れそうだった人に少々愛を注いだところで、行動に移せるほど愛は早々たまらないし、たまっても地球の地下みたいに沢山たまっていないだろうからすぐ枯れてしまうだろう。何より、行動の前に態度があるはずだ。態度の前に行動はない。それがあったとしたらそれは策略だ。異なる意図があるのだろう。100%裏がある。態度と行動は少し違う。声のニュアンスであったり、目線であったり、笑顔であったり、時には言葉であったり色々だ。言葉は色々のうちの一つでしかない。それは自ずとわかる。それが出来ないからといってそれは悪いわけではない。悪ではない。自分を責めるのはお門違いだ。攻めるということは愛が毒化する行為である。やめたほうがいい。100害あって1利なしだ。自分がそうだと気づき、対策をとる必要があると認識することだ。それが心術である。相手にいきなり求めるのもお門違いだ。まず光合成と内燃機関をどうにかするしかない。全ては自分から始まる。自分の設備に力をいれつつ、ある程度内燃機関が整備できたら最高の取引先をみつけよう。最高の取引先とは愛がある人だ。顔がいい人、スタイルがいい人が愛があるわけでない。それらは美であるといだけだ。美は鑑賞しよう。外部の美とは少し離れたほうがいい。同時にその逆が優れた内燃機関を所有しているとも限らない。愛はさりげない仕草と行動でその量を見極めることが出来るものだ。それがわからないようなら光合成と内燃機関をまず見直したほうがいい。外部取引先に頼りすぎればいずれ取引先もお手上げになってしまう。外部取引先無しには無理であれば、素直にすがろう。素直ってことが大切だ。素直じゃなく、寄りかかりであれば心を律したほうがいい。でないと結局自分が後悔することになる。
なんでこんなことを書いたかというとある出来事があり愛が究極的に枯渇しているなぁと思ったからだ。しかも内燃機関は壊れっぱなしで壊れていることにも気づいてない。光合成も充分ではないようだ。そして見当違いな取引先を探している。私は当事者じゃないのでどうすることも出来ないし、どうする必要もない。愛は有限である。私の愛の内燃機関も余裕があるわけでない。注ぐ人は自ずと優先順位が限られる。それぞれの人生を歩むのみだ。愛が無限にわく人はいないのだから。マザーテレサのように無限とも思えるほど優れた愛の光合成、何より内燃機関をもつ人は極めて稀である。稀であって無限ではない。茫漠たる広さではるだろう。オードリヘップバーンもそうだ。男でいえばマファトマガンジーもそうだ。彼や彼女のようにならなくてもいい、二人とも結果的にそうなったのであって、目指したわけではないはずだ。目指した時点で愛ではなくなる。
しかし、俺も深夜になに書いてるんだw 内燃機関がこの暑さで壊れ気味だからか。まだまだ俺も内燃機関の調整が必要だからってのもあるな。聊か情けないと思ったものだが、情けないと思うなら、思うより早くやればいいわけだな俺。「そうだ、よく言った俺!さすが俺だ!」「まずは寝ろw」「wwwww」
「あーーーーいうぉーー消えないでもぉうぉーーーーん~ん~~~~~~♪」
「寝ろ!!」
ご免なさい。お休みなさない。
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