今死んだら後悔しそうだなぁと思うことは誰しもある。私はないほだと思う。いずれも、しゃーねーなーという心境だった。死が目前にせまると驚くほど何も出来ないことを思い知ったので、開き直ってしまった。師匠の奥さんのように色々含み持った上で根性が座っているというわけではない。彼女は凄い人だった。あそこまで達観はできない。そんな私でも悔いとしてあるのはやはり親友にあっておけば良かったという点だろうか。私は小学、中学、大学と細々ながら交流のある友人がいる。皆いい連中だ。色々な世界の人らとそれこそかなり会ったが、心根のいい人間というのはそうそうはいない。普段は年賀状でのつながりだ。
特に中学時代の友人はもう20年は会っていない。あーヤツに会っておけば良かったと頭を過ぎったことが何度かあった。ただでさえ出無精なのに、微妙な位置に住んでいるので余計に会いにいきづらい。遠ければ旅行気分でいける。旅行気分ほどの距離でもない。微妙だ。さりとて用事がある場所でもない。数年前より彼の年賀状から奥さんの姿が消えた。それがとても気がかりだった。彼は婿殿だった。姓が変わっている。娘さんもすっかり大きくなった。奥さんの姿は消えたが彼の笑顔は昔のままだ。やはり会える時に会っておかないと。生きているうちに会っておかないと、そういう思いが日に日に増す。
もう少し元気になったらとココ8年ずっと思ってきたが未だに会えず。死というのは、別れというのは本当に突然で容赦ないので、やはり会えるうちに会っておくべきだろう。しかし、ないご縁を無理にこさえるのは不幸のもとだ。ご縁というのは不思議なものだ。ご縁がない人とはとんと会えないのに、ご縁がある人とはすっと会える。まぁ、今しばらく身体の様子をみよう。まずは自分からだな。
特に中学時代の友人はもう20年は会っていない。あーヤツに会っておけば良かったと頭を過ぎったことが何度かあった。ただでさえ出無精なのに、微妙な位置に住んでいるので余計に会いにいきづらい。遠ければ旅行気分でいける。旅行気分ほどの距離でもない。微妙だ。さりとて用事がある場所でもない。数年前より彼の年賀状から奥さんの姿が消えた。それがとても気がかりだった。彼は婿殿だった。姓が変わっている。娘さんもすっかり大きくなった。奥さんの姿は消えたが彼の笑顔は昔のままだ。やはり会える時に会っておかないと。生きているうちに会っておかないと、そういう思いが日に日に増す。
もう少し元気になったらとココ8年ずっと思ってきたが未だに会えず。死というのは、別れというのは本当に突然で容赦ないので、やはり会えるうちに会っておくべきだろう。しかし、ないご縁を無理にこさえるのは不幸のもとだ。ご縁というのは不思議なものだ。ご縁がない人とはとんと会えないのに、ご縁がある人とはすっと会える。まぁ、今しばらく身体の様子をみよう。まずは自分からだな。
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