この時期は毎年感染症に悩まされている。生きながらに腐っていくといえばいいだろうか。1stインパクトを迎えた年から毎年恒例となってしまった。最初の3年は酷いものだった。「悪魔のどくどくモンスター」というB級映画を知っているだろうか。アレだ。生きながらに腐りゆく我が身をどうすることもできず見守る。かなり嫌なものだ。
最初は医者にいったが、「頭おかしいんじゃないの?」っていうような全く関係のない薬を渡され、行くのをやめた。明らかに関係がない。やらずして文句を言っても仕方ないのでいちを最初はちゃんと塗る。当然ながら全く効果はない。そして、わからせてから医者がどういう判断をするか見て、それでも通う、通わないを決める。傲慢さに呆れ止めた。
日本の皮膚科医の不勉強ぶりには驚く。日本で外科医の地位が高い理由の一つは勉強しているからだと思う。親戚に外科医がいるが、外科医は並大抵の大変さじゃない。異常である。故に凡人には勤まらない。個人の才能、資質、環境、それら全てがそろって出来るものだ。彼らが安息を得る時は冗談抜きでシヌ時しかないなーと思った。絶対になりたくない職業だ。勉強しないとついていけないのだそうだ。知識に機材に技術。あらゆることが日々進化し、患者からも試され、要求される。だから、外科医には才能とファイトがないとなれないし、やっていけない。逆にいうとにわか外科医ほど恐ろしいものはない。
それが嫌、もしくは出来なくて専門医になる人も少なくないそうだ。つまり、動機が不純なのだ。少なくても私が知る皮膚科医の範疇では不勉強さも甚だしいと怒り心頭になるケースばかりだった。素人でもわかるような誤った判断を平気でした挙句に、それを指摘すると容易に逆ギレする。逆ギレする=無知なのだ。マジで顔面の形が変わるぐらい殴ってやろうかと思うことも少なくなかった。
だから独学で感染症であることがわかった。ほっておくと指がパンパンに膨れ上がり、膿がかってにわく。案の定、感染症の薬を薬局で買うと急速に直っていく。3年前ぐらいから徐々によくなっていったので、今年は症状が出ないですむかと思ったら、逆に今年は明確に出てしまった。先日の3rdインパクトが原因だろう。やはり期待はもつものではない。期待は裏切られる。期待しなければがっかりもしかなったろうが、変に期待していただけにガッカリした。積み上げた石が、いたずらされて一瞬に崩れ去ったのと同じ心境だ。
右手の薬指がある日突然晴れ上がり膿が出た。こうなると自然の治癒力では治らない。治らないどころか広がってしまう。薬がいるのだ。塗ると激しく反応して、指が油で揚げられているように痛い。指フライが出来そうだ。必ず、右手の薬指、そして左手の中指と出る。ほったらかすと次々に指がおかしくなり仕事にならなくなるばかりか日常生活に支障がでる。かれこそ4日塗っているのでかなりよくなった。昔は3ヶ月塗りっぱなしだった。
実に不思議なのだが、この感染症は3月中旬から6月末までにしか出ない。この時期をすぎると勝手によくなっていく。体とは不思議なものだ。外部のある種の細菌に対してなんたる無抵抗なことか。気管支炎や肺炎が基本的に自然治癒しないのと同じで、アル程度いくと薬がいる。これだけ色々な薬が発明、開発されておきながら、未だにこれらの対処法というのはほぼ進化していないのだ。体も体だ。自らを生まれ変われさせるほど猛烈な強さをもつ免疫も、あっさり敗北する。一切立つうちが出来ない。これも不思議だ。
自然界は不思議に満ちている。人間のわかっていることなんてアリの糞ほどもないのだなぁーと、腫れ上がる憐れな薬指を見ながら思う。あんまり痛い日なん て、包丁を握った時、「いっそこの指ツメるか・・・」と思うこともなくはない。「ブラックレイン」を真似て包丁を指にあてがってみて、3秒ぐらい眺めたこ ともある。んが、恐ろしくてとても出来るわけがないwww そもそも本末転倒だ。アトピーが酷かった頃はそんなものじゃない。肉を脱ぎたくなる。この心境 は経験者じゃないとリアルにわからないだろう。骸骨のキーホルダーみたいになりたくなるのだ。うぁー肉脱ぎてー!!ってなる。できやしないが。
最近妙な事件が多いが、はっきり言って短気は損気だ。なんの得にもならない。結局彼らは自分で自分の首を一生懸命しめているようなものだ。なんたる愚かな 行為であろうか。戦いは自らが諦めた時点で負けだ。誰かが、「あんた負け!」と決めるのではない。他人に負けは決められない。決めつけられようが関係な い。負けは自分が決める。だから、自分が「負けた!」と思ったらそれは負けだ。たとえ、試合や試験に敗れても「よし、手ごたえは掴んだぞ」と心に敗北感が なければ「勝ち」である。最後まで諦めない人間が「勝ち」なのだ。ミスター仙人、九十九乱蔵でも言っている。「何よりも恐ろしいのは諦めないヤツだ。ヤツ は俺を殺すまで諦めないだろう」 私も相応に学校や社会でハラスメントを受けたことがある。他人様と比較したことはないが、相当多いのではないだろうか。 好かれる人が多いほどに妬む人はいる。が、私は一度たりとも負けたことはい。「こんなクソどもに、敗北宣言するくらいなら戦って死ぬ!」 これが自然な心 情だった。中でも超度級だったのは劇団時代だ。あれを思えば今のイジメなんて「は?」っとしか思えない。何せ人間として認められなかった。以前も書いた が、木刀で殴られあざが数ヶ月消えなかったこともあるし、しかもちゃんと証拠が残らないように加減を心得ているので凶悪だった。その存在一切が無駄、呼吸 をするなとまで完全に否定をされ続けた。でも、あれはいい経験になった。人生であれほどの苦境はなかった。それでも「敗北するくらない殺されるまで生きて やる」という覚悟で毎日過ごし、2年もしたら180度逆転していた。「お前が俺の後継者になれ」 とボス耳打ちされた。ゴミ以下から右腕だ。不思議なもの だ。ゴミ以下で逃げ出せば、ゴミ以下のままだ。だから社会人になりバカな噂に耳をかし相当な人数から総スカンくらった時も、平気だった。「この人らは相手 をみず、噂ひとつでこんなにも人間が一変するのか。そんな程度の認識力しかないのかーかわいそうに」と、むしろ同情した。だから相手に憎しみを抱くことも なかった。足りないのは誰しも同じだ。自分も足りないものは一杯ある。相手の足りないのを指より数えてる暇はない。自分で一杯一杯だw
敗北宣言をしたことがない故にどんな状況におかれようと、自分をミジメだとか、憐れだとか思ったことはない。たとえ今後どうなろうとその気持ちは変わらな いだろう。だから他人を嫉妬したこともないし、他人を憐れだ思ったこともない。だから同情ほどの侮辱はないというのだ。故に同情はしない。こんな失礼なこ とはないからだ。他人は他人だ。負けてないわけだから、ミジメなわけがない。浮浪者と膝を突き合わせて話したことがあるが、彼は口では社会や人々に対する 不満こそ言えども、いざ自分のことになると口ごもる。敗者にさらたのではく、敗者になったのだ。負けていない浮浪者の目は輝いている。私はそういう人を尊 敬する。そして必ず脱するだろう。負けていない人間は必ず脱する。
それもこれも1度だけ自分に完全敗北したことがあるからこうなったと言える。自分に敗北した人間がああなるのもうなずける。酷く納得がいく。俺ももし当 時、あと1歩む踏み出したらああなっていた可能性は十二分にある。他人事ではない。M60が1丁あったら、新宿にでて皆殺しにしたいとワケもな思ってい た。つくづく、アメリカ人じゃなくて良かった。銃社会だったら今頃100%人殺しだ。ゾッとする。思いとどまった最大の理由は、やはりココマデ生きてき て、それが最後じゃあまりにミジメすぎると、誇りの残りかすが思いとどめさせたんだと思う。自分にまだ微かな誇りが残っていた。自分に対し、僅かでも誇り があるならあんなことはしない。ああしたことをやらかす人間は自暴自棄だ。つまり自分に誇りがない。微塵もないから出来る。
だから、自分に負けちゃいかんよ。絶対に。他人なんて関係ねー。無意味な比較だ。自分だ自分にストイックになるのだ。勝ち、負けは他人が決められるもの じゃない。自分が最後まで負けなければそれは勝者だ。だから誰しもが勝者になりうる。同時に、それほど真の勝者とは簡単でありながら難しい道のりなのだ。 だから私はたった今死ぬようなことがあっても幸せだ。私は勝者でいられる。自分の人生に勝ちえた。自分に誇りがあれば、他人の誇りも尊重になる。
心は負けていない。んが、体は負けているようだw 今日も薬指は順調に膨張している。攻殻機動隊のような世界になったら、とりあえず真っ先に擬体化したいw いや、それは冗談。擬体化するということは、私にとっては敗北を意味する。素子みたいに、はなっから意思に関係なくナイならしょがない。それは負けじゃない。んが、あるのに充分やれるのに擬体化するということは負けだ。自ら困難に屈した人間は、どんどん妥協していく。自分のためにならん。でも・・・擬体化しちゃうかなーやっぱwwwww 擬体化するなら素子のようなプリンプリンもいいが、バトーのようなマッチョもいいなーw でも、マッチョなら努力すれば不可能じゃないから、やっぱプリンがいいな。・・・なんの話だ。
今日寒いしさ。寒いとダメージがでかいのよね。全く自然ってのはコンチクショーで最高だねーw
最初は医者にいったが、「頭おかしいんじゃないの?」っていうような全く関係のない薬を渡され、行くのをやめた。明らかに関係がない。やらずして文句を言っても仕方ないのでいちを最初はちゃんと塗る。当然ながら全く効果はない。そして、わからせてから医者がどういう判断をするか見て、それでも通う、通わないを決める。傲慢さに呆れ止めた。
日本の皮膚科医の不勉強ぶりには驚く。日本で外科医の地位が高い理由の一つは勉強しているからだと思う。親戚に外科医がいるが、外科医は並大抵の大変さじゃない。異常である。故に凡人には勤まらない。個人の才能、資質、環境、それら全てがそろって出来るものだ。彼らが安息を得る時は冗談抜きでシヌ時しかないなーと思った。絶対になりたくない職業だ。勉強しないとついていけないのだそうだ。知識に機材に技術。あらゆることが日々進化し、患者からも試され、要求される。だから、外科医には才能とファイトがないとなれないし、やっていけない。逆にいうとにわか外科医ほど恐ろしいものはない。
それが嫌、もしくは出来なくて専門医になる人も少なくないそうだ。つまり、動機が不純なのだ。少なくても私が知る皮膚科医の範疇では不勉強さも甚だしいと怒り心頭になるケースばかりだった。素人でもわかるような誤った判断を平気でした挙句に、それを指摘すると容易に逆ギレする。逆ギレする=無知なのだ。マジで顔面の形が変わるぐらい殴ってやろうかと思うことも少なくなかった。
だから独学で感染症であることがわかった。ほっておくと指がパンパンに膨れ上がり、膿がかってにわく。案の定、感染症の薬を薬局で買うと急速に直っていく。3年前ぐらいから徐々によくなっていったので、今年は症状が出ないですむかと思ったら、逆に今年は明確に出てしまった。先日の3rdインパクトが原因だろう。やはり期待はもつものではない。期待は裏切られる。期待しなければがっかりもしかなったろうが、変に期待していただけにガッカリした。積み上げた石が、いたずらされて一瞬に崩れ去ったのと同じ心境だ。
右手の薬指がある日突然晴れ上がり膿が出た。こうなると自然の治癒力では治らない。治らないどころか広がってしまう。薬がいるのだ。塗ると激しく反応して、指が油で揚げられているように痛い。指フライが出来そうだ。必ず、右手の薬指、そして左手の中指と出る。ほったらかすと次々に指がおかしくなり仕事にならなくなるばかりか日常生活に支障がでる。かれこそ4日塗っているのでかなりよくなった。昔は3ヶ月塗りっぱなしだった。
実に不思議なのだが、この感染症は3月中旬から6月末までにしか出ない。この時期をすぎると勝手によくなっていく。体とは不思議なものだ。外部のある種の細菌に対してなんたる無抵抗なことか。気管支炎や肺炎が基本的に自然治癒しないのと同じで、アル程度いくと薬がいる。これだけ色々な薬が発明、開発されておきながら、未だにこれらの対処法というのはほぼ進化していないのだ。体も体だ。自らを生まれ変われさせるほど猛烈な強さをもつ免疫も、あっさり敗北する。一切立つうちが出来ない。これも不思議だ。
自然界は不思議に満ちている。人間のわかっていることなんてアリの糞ほどもないのだなぁーと、腫れ上がる憐れな薬指を見ながら思う。あんまり痛い日なん て、包丁を握った時、「いっそこの指ツメるか・・・」と思うこともなくはない。「ブラックレイン」を真似て包丁を指にあてがってみて、3秒ぐらい眺めたこ ともある。んが、恐ろしくてとても出来るわけがないwww そもそも本末転倒だ。アトピーが酷かった頃はそんなものじゃない。肉を脱ぎたくなる。この心境 は経験者じゃないとリアルにわからないだろう。骸骨のキーホルダーみたいになりたくなるのだ。うぁー肉脱ぎてー!!ってなる。できやしないが。
最近妙な事件が多いが、はっきり言って短気は損気だ。なんの得にもならない。結局彼らは自分で自分の首を一生懸命しめているようなものだ。なんたる愚かな 行為であろうか。戦いは自らが諦めた時点で負けだ。誰かが、「あんた負け!」と決めるのではない。他人に負けは決められない。決めつけられようが関係な い。負けは自分が決める。だから、自分が「負けた!」と思ったらそれは負けだ。たとえ、試合や試験に敗れても「よし、手ごたえは掴んだぞ」と心に敗北感が なければ「勝ち」である。最後まで諦めない人間が「勝ち」なのだ。ミスター仙人、九十九乱蔵でも言っている。「何よりも恐ろしいのは諦めないヤツだ。ヤツ は俺を殺すまで諦めないだろう」 私も相応に学校や社会でハラスメントを受けたことがある。他人様と比較したことはないが、相当多いのではないだろうか。 好かれる人が多いほどに妬む人はいる。が、私は一度たりとも負けたことはい。「こんなクソどもに、敗北宣言するくらいなら戦って死ぬ!」 これが自然な心 情だった。中でも超度級だったのは劇団時代だ。あれを思えば今のイジメなんて「は?」っとしか思えない。何せ人間として認められなかった。以前も書いた が、木刀で殴られあざが数ヶ月消えなかったこともあるし、しかもちゃんと証拠が残らないように加減を心得ているので凶悪だった。その存在一切が無駄、呼吸 をするなとまで完全に否定をされ続けた。でも、あれはいい経験になった。人生であれほどの苦境はなかった。それでも「敗北するくらない殺されるまで生きて やる」という覚悟で毎日過ごし、2年もしたら180度逆転していた。「お前が俺の後継者になれ」 とボス耳打ちされた。ゴミ以下から右腕だ。不思議なもの だ。ゴミ以下で逃げ出せば、ゴミ以下のままだ。だから社会人になりバカな噂に耳をかし相当な人数から総スカンくらった時も、平気だった。「この人らは相手 をみず、噂ひとつでこんなにも人間が一変するのか。そんな程度の認識力しかないのかーかわいそうに」と、むしろ同情した。だから相手に憎しみを抱くことも なかった。足りないのは誰しも同じだ。自分も足りないものは一杯ある。相手の足りないのを指より数えてる暇はない。自分で一杯一杯だw
敗北宣言をしたことがない故にどんな状況におかれようと、自分をミジメだとか、憐れだとか思ったことはない。たとえ今後どうなろうとその気持ちは変わらな いだろう。だから他人を嫉妬したこともないし、他人を憐れだ思ったこともない。だから同情ほどの侮辱はないというのだ。故に同情はしない。こんな失礼なこ とはないからだ。他人は他人だ。負けてないわけだから、ミジメなわけがない。浮浪者と膝を突き合わせて話したことがあるが、彼は口では社会や人々に対する 不満こそ言えども、いざ自分のことになると口ごもる。敗者にさらたのではく、敗者になったのだ。負けていない浮浪者の目は輝いている。私はそういう人を尊 敬する。そして必ず脱するだろう。負けていない人間は必ず脱する。
それもこれも1度だけ自分に完全敗北したことがあるからこうなったと言える。自分に敗北した人間がああなるのもうなずける。酷く納得がいく。俺ももし当 時、あと1歩む踏み出したらああなっていた可能性は十二分にある。他人事ではない。M60が1丁あったら、新宿にでて皆殺しにしたいとワケもな思ってい た。つくづく、アメリカ人じゃなくて良かった。銃社会だったら今頃100%人殺しだ。ゾッとする。思いとどまった最大の理由は、やはりココマデ生きてき て、それが最後じゃあまりにミジメすぎると、誇りの残りかすが思いとどめさせたんだと思う。自分にまだ微かな誇りが残っていた。自分に対し、僅かでも誇り があるならあんなことはしない。ああしたことをやらかす人間は自暴自棄だ。つまり自分に誇りがない。微塵もないから出来る。
だから、自分に負けちゃいかんよ。絶対に。他人なんて関係ねー。無意味な比較だ。自分だ自分にストイックになるのだ。勝ち、負けは他人が決められるもの じゃない。自分が最後まで負けなければそれは勝者だ。だから誰しもが勝者になりうる。同時に、それほど真の勝者とは簡単でありながら難しい道のりなのだ。 だから私はたった今死ぬようなことがあっても幸せだ。私は勝者でいられる。自分の人生に勝ちえた。自分に誇りがあれば、他人の誇りも尊重になる。
心は負けていない。んが、体は負けているようだw 今日も薬指は順調に膨張している。攻殻機動隊のような世界になったら、とりあえず真っ先に擬体化したいw いや、それは冗談。擬体化するということは、私にとっては敗北を意味する。素子みたいに、はなっから意思に関係なくナイならしょがない。それは負けじゃない。んが、あるのに充分やれるのに擬体化するということは負けだ。自ら困難に屈した人間は、どんどん妥協していく。自分のためにならん。でも・・・擬体化しちゃうかなーやっぱwwwww 擬体化するなら素子のようなプリンプリンもいいが、バトーのようなマッチョもいいなーw でも、マッチョなら努力すれば不可能じゃないから、やっぱプリンがいいな。・・・なんの話だ。
今日寒いしさ。寒いとダメージがでかいのよね。全く自然ってのはコンチクショーで最高だねーw
PR
TRACKBACK URL :