レミーボンヤスキの空中とビザげり、スカイハイは本当に美しい。美そのものである。その瞬間はまさに芸術ですらある。もう惚れ惚れしちゃう。あの華麗なスカイハイが見れなくなって久しかったが、先日は久しぶりに飛び出して興奮した。でも、あの幕切れはほんとねぇよなぁ・・・・。レミーもやるせない顔をしていた。
一時代の終わりを感じた。もう観ないと思う。
私は大人しいと言われ続けているが実際はかなり血の気が多い。だから格闘技は大好物なのだ。F1も。どっちも命がけの戦いだ。ただ、本 質的には戦いに向いていない。ナウシカ系だからだ。臨界までは我慢する、スルーするが、腹を決めたらとことん戦う。リミッターは握っているので、リミッ ターすらないキレルのとは根本的には違う。周囲に羽交い絞めにされてもまだ身体が動くようならとことんまで蹴りを浴びせる。今でも相手の脅える顔が脳裏に焼 きついてはなれない。「あーこれが恐怖の顔か」とどこか冷静にみていた。後悔はしていないが、悪いことをしたなぁとは思う。彼はそれ以来怖がって私に近づか なくなった。まぁ、本人が悪いんだから仕方ない。とはいえやり過ぎたのも事実なので反省している。
戦う時は、人生と命をかけて戦う。だか ら人生と命をかけるにふさわしい戦いでなければ戦わない。その時は自分のリミッターを意図的に切る。戦う度に反省するのは、「この戦いが人生をかけるにふ さわしいか?」と振り返るとマズそうでもないからだ。つくづく本当に人生をかけて戦うような内容ってのはないものだ。あちらの世界の用心棒だった友人の話を聞く と、ああいう世界の住人は1つの戦いに人生をかけていないことがわかる。ちょっとした挨拶みたいなものだ。子供がおさないころにやるアレである。だから後悔もしないし、ハードルも高くな い。平気なのだ。ああいう感覚の日常ってのは想像できないけど、やっぱり住んでいる世界が違うんだなぁと思った。素人が適うはずもない。適うはずもないので 恐れもない。
ファイターはそういう意味ではやはりそうした才能があるのだろう。肉体的資質だけではファイターにはなれない。精神的資質が要求される。なぜなら彼らはプロであって、あちらの世界とは違うからだ。レミーに蹴りをいれた彼はファイターではない。あちらの世界の住人なのだ。であればファイターにはなれない。
一時代の終わりを感じた。もう観ないと思う。
私は大人しいと言われ続けているが実際はかなり血の気が多い。だから格闘技は大好物なのだ。F1も。どっちも命がけの戦いだ。ただ、本 質的には戦いに向いていない。ナウシカ系だからだ。臨界までは我慢する、スルーするが、腹を決めたらとことん戦う。リミッターは握っているので、リミッ ターすらないキレルのとは根本的には違う。周囲に羽交い絞めにされてもまだ身体が動くようならとことんまで蹴りを浴びせる。今でも相手の脅える顔が脳裏に焼 きついてはなれない。「あーこれが恐怖の顔か」とどこか冷静にみていた。後悔はしていないが、悪いことをしたなぁとは思う。彼はそれ以来怖がって私に近づか なくなった。まぁ、本人が悪いんだから仕方ない。とはいえやり過ぎたのも事実なので反省している。
戦う時は、人生と命をかけて戦う。だか ら人生と命をかけるにふさわしい戦いでなければ戦わない。その時は自分のリミッターを意図的に切る。戦う度に反省するのは、「この戦いが人生をかけるにふ さわしいか?」と振り返るとマズそうでもないからだ。つくづく本当に人生をかけて戦うような内容ってのはないものだ。あちらの世界の用心棒だった友人の話を聞く と、ああいう世界の住人は1つの戦いに人生をかけていないことがわかる。ちょっとした挨拶みたいなものだ。子供がおさないころにやるアレである。だから後悔もしないし、ハードルも高くな い。平気なのだ。ああいう感覚の日常ってのは想像できないけど、やっぱり住んでいる世界が違うんだなぁと思った。素人が適うはずもない。適うはずもないので 恐れもない。
ファイターはそういう意味ではやはりそうした才能があるのだろう。肉体的資質だけではファイターにはなれない。精神的資質が要求される。なぜなら彼らはプロであって、あちらの世界とは違うからだ。レミーに蹴りをいれた彼はファイターではない。あちらの世界の住人なのだ。であればファイターにはなれない。
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