私はガキの頃から生きるとはなんぞや、人生とはなんぞやと考えてきた。同時に、死ぬとはなんぞや、そもそも何で死なないといかんのか?とかも考えてきた。最近は妙にすっきりしている。最新の研究で、人類はあと1000年生きられないといわれており、確たる理由もある。1000年どころか100年すら無理という説もある。
根本的な原因は、遺伝子の劣化だ。テープダビングの劣化と同じでコピーし続けた結果もう劣化に耐えられないレベルに来ているという驚愕のレポートを報告していた。それこそ今日、明日にでも子供が自然に生まれない「トゥモローワールド」のような世界が来ないとは言えないそうだ。自然分娩による出産は異常なカーブを描き激減している。ここ数年で鰻上り。最早一つの種が維持できない次元にまで落ちている。日本はその典型らしい。そこまで人間とは疲弊しきった生き物なのだ。自分をみてもやはりそれは思う。なんたる弱い生命体なのだろう。やはり昔から感じていた疑問は正しかったと感じる。弱体化してしまったのだ。
どう転んでもたかが1000年で終わるのか。実際はわからないけど。何せ生命は命を模索する。しかしどうあがいても1万年は無理そうだ。そうなるとどんなに素晴らしい作品を残そうと、どんなに富豪になろうと、それを知る者は誰一人いなくなる。花はただ咲き誇り、生命は今その一瞬を謳歌するのみ。そんな地球もいずれ死滅し跡形もなくなる。ソノ前に太陽が?とも言われる。そうした地球のスパンさえ、銀河レベルでいえば一瞬に過ぎない。そう考えると人類の歴史なんて地球のクシャミ程度のものですらなく、ましてや一人の人生なんてそれどころではない。大金持ちなって「うえーっへっへ」っていっても土台たいたしたことないのだ。同時に道端でひっそりと亡くなろうが同じことである。
今まで私は師匠をこの上なく尊敬すると同時に、御しがたい絶望を感じていた。師匠のこの才能と努力をもってこのゴールがあるなら私は生きている間は到底到達することのない世界だと肌で感じるからだ。これはある一面では絶対なる絶望である。「何くそー!」と思える目のない弟子が羨ましくて仕方がない。作品を見て、歩みをみればどうなるか一目瞭然である。尊敬と同時に絶望を感じた。今後一生涯費やしても1000%その爪先にすら到達しないものを身体で感じてしまった。そっから身体のこともあり私は完全に無気力となってしまったが、今は妙にスッキリしている。
どんな偉大な作品を残そうが、どんな金を残そうが人類はそう遠くないうちに消えてなくなる。そう考えれば、どっちにしろ同じなのだ。無かったことになる。いえるのは、今という瞬間を生きている尊さ、命の尊さ、奇跡を生きた人生が今皆にあるということだけ。ただそれだけ。未来の人になればなるほどどんな人生も大差ない。何せそんなこを覚えている人はいなくなるからだ。人間の記憶はそもそもあいまいだ。たった数千年前のことすら正確には誰もわからない。その程度なのだ。だからこそ今の一秒は貴重であり、同時に何かしなくちゃいけないわけでもない。どんな一秒であれ贅沢な一秒だ。贅沢な一秒をどんな形であれ皆が贅沢に過ごしている。今はそんな気分だ。昨夜は偉く苦しかったが、その苦しさも終わりは来る。それでエエかな。そう思う自分がいる。
根本的な原因は、遺伝子の劣化だ。テープダビングの劣化と同じでコピーし続けた結果もう劣化に耐えられないレベルに来ているという驚愕のレポートを報告していた。それこそ今日、明日にでも子供が自然に生まれない「トゥモローワールド」のような世界が来ないとは言えないそうだ。自然分娩による出産は異常なカーブを描き激減している。ここ数年で鰻上り。最早一つの種が維持できない次元にまで落ちている。日本はその典型らしい。そこまで人間とは疲弊しきった生き物なのだ。自分をみてもやはりそれは思う。なんたる弱い生命体なのだろう。やはり昔から感じていた疑問は正しかったと感じる。弱体化してしまったのだ。
どう転んでもたかが1000年で終わるのか。実際はわからないけど。何せ生命は命を模索する。しかしどうあがいても1万年は無理そうだ。そうなるとどんなに素晴らしい作品を残そうと、どんなに富豪になろうと、それを知る者は誰一人いなくなる。花はただ咲き誇り、生命は今その一瞬を謳歌するのみ。そんな地球もいずれ死滅し跡形もなくなる。ソノ前に太陽が?とも言われる。そうした地球のスパンさえ、銀河レベルでいえば一瞬に過ぎない。そう考えると人類の歴史なんて地球のクシャミ程度のものですらなく、ましてや一人の人生なんてそれどころではない。大金持ちなって「うえーっへっへ」っていっても土台たいたしたことないのだ。同時に道端でひっそりと亡くなろうが同じことである。
今まで私は師匠をこの上なく尊敬すると同時に、御しがたい絶望を感じていた。師匠のこの才能と努力をもってこのゴールがあるなら私は生きている間は到底到達することのない世界だと肌で感じるからだ。これはある一面では絶対なる絶望である。「何くそー!」と思える目のない弟子が羨ましくて仕方がない。作品を見て、歩みをみればどうなるか一目瞭然である。尊敬と同時に絶望を感じた。今後一生涯費やしても1000%その爪先にすら到達しないものを身体で感じてしまった。そっから身体のこともあり私は完全に無気力となってしまったが、今は妙にスッキリしている。
どんな偉大な作品を残そうが、どんな金を残そうが人類はそう遠くないうちに消えてなくなる。そう考えれば、どっちにしろ同じなのだ。無かったことになる。いえるのは、今という瞬間を生きている尊さ、命の尊さ、奇跡を生きた人生が今皆にあるということだけ。ただそれだけ。未来の人になればなるほどどんな人生も大差ない。何せそんなこを覚えている人はいなくなるからだ。人間の記憶はそもそもあいまいだ。たった数千年前のことすら正確には誰もわからない。その程度なのだ。だからこそ今の一秒は貴重であり、同時に何かしなくちゃいけないわけでもない。どんな一秒であれ贅沢な一秒だ。贅沢な一秒をどんな形であれ皆が贅沢に過ごしている。今はそんな気分だ。昨夜は偉く苦しかったが、その苦しさも終わりは来る。それでエエかな。そう思う自分がいる。
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