相変わらずオジサンっ子で、何かあれば私を呼びに来てくれる。先日も秋祭りに発作が起きないかビビリながら1日動向した。夜は結構苦しくなってコーヒーすら喉を通らなくなってきたので、退席した。誕生会では手書きのカードを手渡ししてくれた。カードを入れる機械(ダンボール製)を玄関に用意する周到さ。(私だけの為に)大人になると大概こういうのを軽んじてカードを忘れたりカードを機械に入れることをしない人が多い。もしくはオーバーに驚いてみせたりするが逆効果だ。これらは子供にとってはとても大切なのことだ。私も覚えがある。ないがしろにしているか否かは態度ですぐわかる。言葉には出さないが、蔑ろにされた時は非常に切ないものだ。だから私はしない。甥にもらった手書きのカード類は全てとっておいてある。そして目立つところに貼ってある。そうすることで、甥は自分が大切にされていることを実感し、愛を感じるものだからとても大切だ。実際大切なものだと感じる。死ぬ時は一緒にお棺にいれて燃やしてもらいたい。愛に優る宝物はないからだ。手書きのカードはまさに純粋なる愛の具現化だ。何せ私は一度も自分からクレといったことはない。全て彼がすすんでくれたものだ。逆に祖父母が「私のはまだかーい」って言う始末。子供は素直だから、気が乗らなければ自ら進んであげようとしない。愛なのである。
私は彼に物や金をわざわざ用意して上げない。逆に、既にあるもので「これいいなぁ、欲しいなぁ」と言われれば、余程のモノでない限り「はいよ」と上げてしまう。モノを上げた段階からギブ&テイクが生まれ、愛ではなくなる。余程の愛が根底にない限り、年月とともに風化されてしまうだろう。まぁ、親だけは例外だ。親は育てる責任があるので金銭や物のやりとりは必要になる。ただ、周囲はものや金を上げるべきではない。だから誕生会でも1度も上げたことはないが、甥っ子はそれにつてい疑問を投げかけたことは一度もない。逆に、先日のお祭りみたいに、「オジサンもクジ引いたら?」と言われ、本心では「いらねw」と思っていても「じゃあ、代わりに引いてよ」と言って引いてもらう。その時、俺の回でいいのが当たったのだが、甥っ子は自分から「これ頂戴よぉ!」とは言わない。「オジサンこれー、良かったねぇ」と素直に渡してくれた。愛だねぇ~。ここで即、「上げるよ」とは敢えて言わない。受け取る。即効で渡しては「いらねw」と同一なので、いらないものを上げることになってしまう。祭りも終わりになり帰る時に、「これとソレ(ハズレのやつ)、交換しよう」「いいよ、だってそれオジサンのだよ」「そうだけど、引いてくれたから当たったんだし。楽しかったからお礼だよ」「・・・ありがとう」と嬉しそうに受け取った。自宅に帰り、息が苦しくなってきたのでそれとなく「夜も遅いから帰るよ」と言う私に彼は「これ大事にするよ!」と嬉しそうに声をかけた。愛だねぇ。
彼にとって私は、友であり、弟子であり、遊び相手であり、近い大人であり、と色々なニュアンスを感じる。カードゲームに関しては弟子だw 遊戯王 シリーズの3種類、ポケモンなるゲームのルールを随分教わった。彼は私に対しては素直で献身的だ。私は煩く言わないし、90%以上彼の言うことをなんであ れ受け入れ、肯定しているからかもしれない。間違いは素直に認め誤るし、アレコレ上から目線では言わない。その分彼は私に対して献身的に勤めてくれる。愛 だねぇ~、これが愛だよ、とココロから思う。大人は、愛と打算を勘違いしている。彼に打算はない。彼が打算を働かせる時は勝負の時だけだ。大人になればわ かると思ってるので、ズルされてもシランプリして、「うわー!やられたなー完敗だ」と喜んでみせる。世の中で大切なのは、他人との局地的な勝ち負けではな いということを間接的に教えたいと思っている。口で言ってもわからないからね。他人との争いなんぞ、自分との戦いに比べたらハナクソである。しかも1回の 勝ち負けなんぞ人生においてさしたる重要性はない。ただし自分との戦いに負けるというのは人生を揺るがす一大事なのだ。ズルを指摘すれば、相手に悪さをし たと認定することになる。事実悪さをしたのだが、それは心の小さな傷になる。そして「なんでバレたんだ。今度はもっとうまくやろう」と狡猾になる。それは 自らの欲のために狡猾になる我利我利な人間を容易に創造することになる。ズルをしている心の弱さを充分に彼は感じているとわかっているので突っ込まない。 中にはそれすらわからない甥もいる。そういう子にはトコトン白日の下に曝させる。全てお見通しだということをわからせた方が身のためだ。世の中ズルほど損 することはない。まぁ、そのうち生きていればイタイほど味わうだろう。中には「俺のズルは誰にも見破られてねぇ!完璧だ!」と思っているトンチキも一杯い るが。大人にも一杯いる。違うのだ。あ4らしくて関わりたくなくて無視されているだけである。それをわかっていない。見ている人ほどあえて言わない。言っ ても無駄だからだ。他人は見えているものだ。
そんな甥っ子の様子が最近変わった。外で友達がいる時に会うと余所余所しいのだ。成長であ る。なるほどそういう年齢だなーと思った。大概の大人はそれを勘違いして余計に関わろうとするがそれは逆効果だ。照れから怒りに変わってしまう。自分があ の年齢の頃は、正直外で身内に合うのは照れくさくなかった。むしろ誇らしかったが、当時を思い出しても大概の子はあの年齢になると照れくさがった。「照れ くさいんだな」と思い、手を振ってすれ違うだけにした。外で会うと友人らは色々聞いてくるだろう「お前んとこのオジサン、なんでこんな時間に散歩している の」「どんな仕事してるの」「なんで」「なんで」と煩いものだ。照れ>煩い>怒りの3段活用に発展する。だから一切追求しないが、後で「照れくさい」と自 分で吐露していた。「いいんだよそれで」と笑顔で応えた。照れくさいものは照れくさい。理屈じゃない。勿論理由はあるし、講釈たれることは出来るが、右脳 の反応で左脳では解決することは不可能だ。照れくさいんだから照れくさい。それでいいのだ。右脳に対して素直に育って欲しい。左脳人間になって欲しくな い。
成長したんだねぇ。とニンマリする。2人でいる時は友人のことをあれこれ言ってくれる。彼の友人がどこにいるかどういう子は4、5人 は把握している。記憶力の弱い私でも仕事以上に頭に叩き込んでいる。仕事以上に大切なことだからだ。一人は東南アジアにおり、今度遊びに行くというておっ た。この年齢になるとボチボチ息子がうずき出す頃だ。早い子はとっくにうずいているだろう。女性は大概侮蔑の目を向けるが、ぶっちゃけ生理と同じと思って くれたらいい。避けようが無い問題なのだ。女性にとって月のものが避けられないように、男性にとってソレは避けられない。だから時がくれば積極的に教えて あげようと思う。本来は親の役目だし、実際昔は親がちゃんと教えていた。私はその点苦労した。誰も教えてくれないが現象だけは日に日に大事になるからだ。 自分から相談なんてするはずもない。特に男性の場合血が出るわけでもないので、その緊急性が女性とは違い、親に言い出すタイミングがないのだ。とても大切 なことだし一生を左右する大問題なのに、大人は照れて何も語らない。大きな間違いだ。大切なことさえ教えてあげればクドクド言う必要はない。管理してはい けないのだ。不安を取り除き、道を指し示すだけでいい。そうすれば自らの足で歩む。去年ぐらいから俺の上戸彩カレンダーを見る目線が微妙に変化しているの に気づいていた。特に急速に今は変化している。成長だ。実に喜ばしいねぇ。なかなか会う機会がなくタイミングを逸している中学の甥にも聞いておきたい。 「親父から聞いたか?」って確認しておかないと。中学ならまさにこれから鰻登り。実際知らないと精神的にも処理にも色々男も苦労するんですよ。男性の生理 も大変なんだから。ほんとマジで。それでも俺は精力がないほうだからまだ良かった。精力がある人なんてそれはそれは大変らしい。気が変になりそうになるそ うな。でも、変な女にだけは捕まらないで欲しいものだ。一生を誤るからねぇ。勿論逆もそうだけど。
今年のカレンダーは綾瀬なんとかっての にしようかなぁ。彼女の表情・・・凄くいい!!ウォーキングのルートにある理髪店にポスターが張ってあるんですよ。でも人間力ではやっぱり上戸彩に適うタ レントはいないねぇ。顔はけして好みじゃないんだけどね。ごひいきのウタダちゃん最近もっさりオーラ消えたし。精神的に不安定なのが顔でわかる。色々大変 なんだろうねぇ。その点、上戸彩はあの若さであの人間力は尊敬に値するなぁ。
大きな仕事が出来る星をもっていると思うのでタレント業に振り回されることなく、その大いなる愛で世界を満たして欲しいものですねぇ。それこそ嘗てのオードリーのように。
2本買おうか。
ん、何の話だったっけ?
まぁ、いいか。
私は彼に物や金をわざわざ用意して上げない。逆に、既にあるもので「これいいなぁ、欲しいなぁ」と言われれば、余程のモノでない限り「はいよ」と上げてしまう。モノを上げた段階からギブ&テイクが生まれ、愛ではなくなる。余程の愛が根底にない限り、年月とともに風化されてしまうだろう。まぁ、親だけは例外だ。親は育てる責任があるので金銭や物のやりとりは必要になる。ただ、周囲はものや金を上げるべきではない。だから誕生会でも1度も上げたことはないが、甥っ子はそれにつてい疑問を投げかけたことは一度もない。逆に、先日のお祭りみたいに、「オジサンもクジ引いたら?」と言われ、本心では「いらねw」と思っていても「じゃあ、代わりに引いてよ」と言って引いてもらう。その時、俺の回でいいのが当たったのだが、甥っ子は自分から「これ頂戴よぉ!」とは言わない。「オジサンこれー、良かったねぇ」と素直に渡してくれた。愛だねぇ~。ここで即、「上げるよ」とは敢えて言わない。受け取る。即効で渡しては「いらねw」と同一なので、いらないものを上げることになってしまう。祭りも終わりになり帰る時に、「これとソレ(ハズレのやつ)、交換しよう」「いいよ、だってそれオジサンのだよ」「そうだけど、引いてくれたから当たったんだし。楽しかったからお礼だよ」「・・・ありがとう」と嬉しそうに受け取った。自宅に帰り、息が苦しくなってきたのでそれとなく「夜も遅いから帰るよ」と言う私に彼は「これ大事にするよ!」と嬉しそうに声をかけた。愛だねぇ。
彼にとって私は、友であり、弟子であり、遊び相手であり、近い大人であり、と色々なニュアンスを感じる。カードゲームに関しては弟子だw 遊戯王 シリーズの3種類、ポケモンなるゲームのルールを随分教わった。彼は私に対しては素直で献身的だ。私は煩く言わないし、90%以上彼の言うことをなんであ れ受け入れ、肯定しているからかもしれない。間違いは素直に認め誤るし、アレコレ上から目線では言わない。その分彼は私に対して献身的に勤めてくれる。愛 だねぇ~、これが愛だよ、とココロから思う。大人は、愛と打算を勘違いしている。彼に打算はない。彼が打算を働かせる時は勝負の時だけだ。大人になればわ かると思ってるので、ズルされてもシランプリして、「うわー!やられたなー完敗だ」と喜んでみせる。世の中で大切なのは、他人との局地的な勝ち負けではな いということを間接的に教えたいと思っている。口で言ってもわからないからね。他人との争いなんぞ、自分との戦いに比べたらハナクソである。しかも1回の 勝ち負けなんぞ人生においてさしたる重要性はない。ただし自分との戦いに負けるというのは人生を揺るがす一大事なのだ。ズルを指摘すれば、相手に悪さをし たと認定することになる。事実悪さをしたのだが、それは心の小さな傷になる。そして「なんでバレたんだ。今度はもっとうまくやろう」と狡猾になる。それは 自らの欲のために狡猾になる我利我利な人間を容易に創造することになる。ズルをしている心の弱さを充分に彼は感じているとわかっているので突っ込まない。 中にはそれすらわからない甥もいる。そういう子にはトコトン白日の下に曝させる。全てお見通しだということをわからせた方が身のためだ。世の中ズルほど損 することはない。まぁ、そのうち生きていればイタイほど味わうだろう。中には「俺のズルは誰にも見破られてねぇ!完璧だ!」と思っているトンチキも一杯い るが。大人にも一杯いる。違うのだ。あ4らしくて関わりたくなくて無視されているだけである。それをわかっていない。見ている人ほどあえて言わない。言っ ても無駄だからだ。他人は見えているものだ。
そんな甥っ子の様子が最近変わった。外で友達がいる時に会うと余所余所しいのだ。成長であ る。なるほどそういう年齢だなーと思った。大概の大人はそれを勘違いして余計に関わろうとするがそれは逆効果だ。照れから怒りに変わってしまう。自分があ の年齢の頃は、正直外で身内に合うのは照れくさくなかった。むしろ誇らしかったが、当時を思い出しても大概の子はあの年齢になると照れくさがった。「照れ くさいんだな」と思い、手を振ってすれ違うだけにした。外で会うと友人らは色々聞いてくるだろう「お前んとこのオジサン、なんでこんな時間に散歩している の」「どんな仕事してるの」「なんで」「なんで」と煩いものだ。照れ>煩い>怒りの3段活用に発展する。だから一切追求しないが、後で「照れくさい」と自 分で吐露していた。「いいんだよそれで」と笑顔で応えた。照れくさいものは照れくさい。理屈じゃない。勿論理由はあるし、講釈たれることは出来るが、右脳 の反応で左脳では解決することは不可能だ。照れくさいんだから照れくさい。それでいいのだ。右脳に対して素直に育って欲しい。左脳人間になって欲しくな い。
成長したんだねぇ。とニンマリする。2人でいる時は友人のことをあれこれ言ってくれる。彼の友人がどこにいるかどういう子は4、5人 は把握している。記憶力の弱い私でも仕事以上に頭に叩き込んでいる。仕事以上に大切なことだからだ。一人は東南アジアにおり、今度遊びに行くというておっ た。この年齢になるとボチボチ息子がうずき出す頃だ。早い子はとっくにうずいているだろう。女性は大概侮蔑の目を向けるが、ぶっちゃけ生理と同じと思って くれたらいい。避けようが無い問題なのだ。女性にとって月のものが避けられないように、男性にとってソレは避けられない。だから時がくれば積極的に教えて あげようと思う。本来は親の役目だし、実際昔は親がちゃんと教えていた。私はその点苦労した。誰も教えてくれないが現象だけは日に日に大事になるからだ。 自分から相談なんてするはずもない。特に男性の場合血が出るわけでもないので、その緊急性が女性とは違い、親に言い出すタイミングがないのだ。とても大切 なことだし一生を左右する大問題なのに、大人は照れて何も語らない。大きな間違いだ。大切なことさえ教えてあげればクドクド言う必要はない。管理してはい けないのだ。不安を取り除き、道を指し示すだけでいい。そうすれば自らの足で歩む。去年ぐらいから俺の上戸彩カレンダーを見る目線が微妙に変化しているの に気づいていた。特に急速に今は変化している。成長だ。実に喜ばしいねぇ。なかなか会う機会がなくタイミングを逸している中学の甥にも聞いておきたい。 「親父から聞いたか?」って確認しておかないと。中学ならまさにこれから鰻登り。実際知らないと精神的にも処理にも色々男も苦労するんですよ。男性の生理 も大変なんだから。ほんとマジで。それでも俺は精力がないほうだからまだ良かった。精力がある人なんてそれはそれは大変らしい。気が変になりそうになるそ うな。でも、変な女にだけは捕まらないで欲しいものだ。一生を誤るからねぇ。勿論逆もそうだけど。
今年のカレンダーは綾瀬なんとかっての にしようかなぁ。彼女の表情・・・凄くいい!!ウォーキングのルートにある理髪店にポスターが張ってあるんですよ。でも人間力ではやっぱり上戸彩に適うタ レントはいないねぇ。顔はけして好みじゃないんだけどね。ごひいきのウタダちゃん最近もっさりオーラ消えたし。精神的に不安定なのが顔でわかる。色々大変 なんだろうねぇ。その点、上戸彩はあの若さであの人間力は尊敬に値するなぁ。
大きな仕事が出来る星をもっていると思うのでタレント業に振り回されることなく、その大いなる愛で世界を満たして欲しいものですねぇ。それこそ嘗てのオードリーのように。
2本買おうか。
ん、何の話だったっけ?
まぁ、いいか。
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