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ネット人生まっしぐら、アナログとデジタルの狭間にいきるドーラの雑記帳です。
02 / 03 Mon 13:14 ×
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06 / 28 Sat 02:56 #ドーラ ×
今年の秋、2件の結婚式に参列する。このように連なるのはもう最後だろう。しみじみと出席しようと思う。泣いちゃうかもしれないw 後に続くような知り合いはもういない。そのせいか、寝ると最近妙に過去を思い出す。人にはそれぞれ人生の転機がある。気づいていようが、いまいが。それはやってくる。私にもいくつかのターニングポイントがあった。思えば結構あったような気がする。その中でも、S社に入る前のが一番大きいかもしれない。複合的にそれらはやってきた。

仕事で私は3つの大きな選択を迫られていた。
1.会社の金でアメリカに渡り、3年程度アメリカの会社で最新のネットワーク技術を学ぶ。
2.出版社に入る。
3.残留し、あるプロジェクトの責任者になる。
4.辞めて、職を探す。

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もっとも頭を悩ませたのは1.だ。1.を選んでいたら、今私は日本にはいないだろう。大金持ちになっていた可能性も十二分にある。なにせ当時はインターネッ トという言葉を知っている人は20人に1人いるかいないかだった。その中で私は部署のホームページ担当に強制就任させられていた。そして、「これは凄いことなるぞ!」と、この 道へ行けば先駆者の一員になる可能性を充分に気づいていた。当時、これからは「インターネットの時代になる!」 と熱く語っても、ついてこれる人は万に一人もいなかった。私は横着者なので、3年もすんでいれ ば十中八九戻るのが面倒になり、そのまま結婚し、永住した可能性も高い。日本いても近いのに1年に1回しか実家に帰らない横着者だ。引越しが嫌いなのだ。当 時、師匠から「アメリカにいっても書は続けるんだよ!手本送るから」 そう言われていた。ただ、この選択にはある危険もあった。何せ具合が悪かったので、急激な環境変化、食変化による心身ストレスで死んでいたかもしれない。その可能性も少なくないだろう。

次に2、当時の女友達から出版社に誘われていた。これも非常に魅力的な誘いだった。彼女は痛烈に私にアタックした。「絶対に向いている!わかるもん。うちの会社にきて!」 そういわれた。「社長みたいなこというね」 といなす私に、「大丈夫、説得出来るから。一生にいい本作ろう!一緒に働こう!よし、決まった!」と、勝手に決め付けられた。その最中、たまさか同業者が同じさてんに入ってきたのだが、「あれ、同業者?」と聞く彼女の友人であり別の出版社の子に、「そう、同業者」 と私は紹介された。実際、心揺らいでいた。昔からライティングと編集には興味があり、向いているのでは?とずっと感じていたのだ。それをかなり決定づけたのは、ある雑誌にに軽い気持ちで執筆のアルバイトに申し込んだら、最終面接まで行った。「君、ライターの経験者?この文章かなり時間かかったんじゃないの?」といわれた。その時はてっきり適当に書いたのを見抜かれたと思い、「すいません、時間がないので10分ぐらいで書いてしまいました・・・」と言ったところ、「え!?嘘でしょ。君、たいしたもんだね~」 と言われたことがある。出版社に入っていたら、彼女と結婚していた可能性は高い。

3.これは一番ない線だった。じゃなければ辞めようなんて思わないw しかし、変わったばかりの当時の上司は、私を強制的にリーダーに祭り上げ、各部門の責任者が集う会議で「担当のドーラです」と公言した。私は驚いた、何せ1ヵ月後に退職することはとうの昔に告げていた。「来月、退職することはご存知かと思いますが?」 「だからなんだ!お前が責任者だ!」と返された。しかも、やめる2週間前にWindowsW××rdEx×× に出展していたぐらいのアリさま。むちゃくちゃにもホドがある。当時の私はS社時代同様むちゃくちゃだった。S社の時、自らのおかれた境遇があまりに酷似していて苦笑いしたぐらいだ。R社時代、私はテレホンアポインターグループ5人の責任者であり、開発の補佐調整役であり、ソフトウェア企画開発担当であり、ホームページ製作担当であり、ニ○ティ○ーブ企画運営担当であり、イベント責任者であり、部門内製品のマニュアル・パッケージ設計デザインをしており、通信新規事業の営業、開発、デザイン担当責任者であり、とどめに新プロジェクトテーマリーダーに祭り上げられていた。驚いたことに、自身の監督・演出でパッケージ販促用のビデオ製作までしたことがある。むちゃくちゃだ。「部下いないと私は死んでしまう!」と、何度も上司と折衝したが、結局私に直属の部下がつくことはなかった。特に天下のN社とある新規事業を担当させられた時、マジでチビリそうになった。なにせ天下のN社だ。会社もデカけりゃ態度もでかい。相手は、何人も取締役が挨拶に来る。この新プロジェクトの気合の入れようとアピールした。実際相当金を積んでいた。にもかかわらず、こっちはペッペーの俺しか出てこないwwww 「あんたの会社は、このプロジェクトに対してやる気あんのかゴルアァァァ!」と、取締役からパワハラを何度かくらった。本来ではれば最低3~5人はいるプロジェクトなのだが、実際俺しかいなかったwwww ただでさえオーバーフローもいいところだった俺は「絶対に無理です!」と何度も掛け合ったのに言うことを聞かない。挙句の果てに窓際族からは「ドーラはいつも暇そうでいいねー」と嫌味を言われるし。全てのことに相当頭きていた私は、大芝居をうった。「最悪でも首だろ。かまうもんか!」そう思っていた。ただ、このオサーンに舐められっぱなしってのも納得がいかなかった。数時間の俺のオンステージ後、内心俺は「あー・・・俺、終わったよママン。でも、これで開放されるよ・・・明日からぐっすり眠れそうだと・・・」 そう思った。んが!運命とは不思議なもの。 「わはははは、ドーラちゃん。あんた大したもんだ。度胸がある。気に入った。全面的に任せるよ」 ありえない私の提案に相手がのった。あのプロジェクトは地獄だった。パッケージ関連やCDラベルのデザインからソフトの画面設計、そして素材のデザインから営業から報道から全てを一人でやった。やるほうもどうかしているが、任せるほうもどうかしている。しかもそれをしながら、前述の仕事全てをこなさなければいけなかった。話がそれるが、私はストレスが溜まると女たらしになるようだ。当時あちこちから 「ドーラちゃんがクドイておきながら誘わないから、○○子ちゃん辞めちゃったよ会社ぁ」と、取引先の社長から苦言を言われたこともあった。最初は酒の上の冗談かと思っていた、どうやら冗談でもなかったようだ。思えば、当時誘いっぱなしジャーマンをあちこちでやっていた。それが原因で、かなり仲が良く本命だった子は決定的に相手にされなくなって切ない思いをしたことがある。

長くなったが、4.これはもっとも自然な流れだ。退社の最大の理由はS社をやめたときと同じで体力の限界だ。S社の時は限界を2周り以上越えていた。R社の時は、限界を越える前に辞めるべきだ、そう判断した。私は基本的に全ての仕事を終えてからじゃないと会社は辞めない。3回とも全て終えて辞めた。今思えば、あの時点で既に限界は越えていたなぁ。だもんだから、正直辞めてもすぐに始める気はさらさらなかった。んが、これもまた運命の不思議だ。次の前にアルバイトで食いつなぐかと軽い気持ちでアルバイト情報誌をパラパラみていると、ソレはあった。S社だw 私はS社のソフトはまだプログラマーだった頃に、会社帰りによく遊んで貴重なストレス発散の元だった。学生時代もある戦場のアレをやり夢中だった。それを思い出し、「あー、どうせやるなら好きな世界でやるってのもいいなー」 そう思い、極めて軽い気持ちで応募したのだ。受かるとは思っていなかった。何せいくらも休む時間がないし、しかもこの業界に入るには相当抵抗があった。実際・・・断るつもりだった。何せ1、2の誘いの方が比較にならないほど魅力的だった。しかし、これもある人の存在が運命を決定づける。私が始めてこの会社を訪問した時、試験会場が地下にあることがわからず、右往左往し、受付みると誰もいない。さて、どうしたものか・・・、面倒だからこのまま帰るか。と大真面目に思っていると、ある女性が出てきた。「いかがされましたか?」と声をかけてきた。事情を話すと地下だという。

コレだよ!!彼女のこの対応は私の方向を決定づけた。彼女は言葉づかい、対応、全てが完璧だった。非常にしっかりしており、落ち着いていて、知性があり、品があり、オーラがあった。大企業にありがちな受付でゴザーイって感じのスレた感じもない。見事の一言につきた。「こんな小さい企業なのに・・この受付の質の高さはなんだ・・・ひょっとするとこの会社・・・侮れんぞ!!」 ワロスwwwwww 大手会社の社長や取締役やら部長から聞いたさまざまな話のなかで嘘のような本当の話が数多くある。その中の一つ、「受付がなっていない会社は中身もなっていない。逆も真なり」 である。事実そうである。まともな受付を探す方が大変だ。某N社は「さすが!」とうなる受付だった。プロ中のプロといえる。しかし、たまたまということもある。その時もそう思った。しかし二人目の受付も水準をクリアするだけの対応だったので私は確信した。「偶然じゃない!1目の受付の見事さも、社員教育が行き届いている証だ!つまり、この会社には余裕がある!」 ワロスwww 後にその二人とも部下になったが、単なる個人的育ちの良さと資質の良さからくるものだったと知り、誰にも言えず一人で苦笑いしたwwwwwwwww

結婚についての転換期もいくつかあったが、その中でも今でも忘れられないケースがある。当時私には珍しく好きな人がいた。かなりマジだった。マジにならない私がマジだった。しかし、私のあるポリシーが邪魔をしてどうしても告白にはいたらずにいた。しかも相手にはいるのだ。言うだけ無駄だ。しかし言わないでタダ諦めるのもしゃくだ。そんな時に、超度級の美人を師匠から紹介された。後悔することが滅多にない私でも、今でもあれは惜しいことをしたと時々思いだす。写真がないので余計に妄想をかきたてる。目が眩みそうな美人というものに、後にも先にもその人しか会ったことがない。美人すぎて眩しいのだ。正視できない。オーラにあてられ灰になってしまいそうだった。息がつまるほどの美人だ。タレントなんてまるで目じゃない。時々街で目にするが平気でスルーできる。あの子は凄かった。正視できないのに、目が吸い寄せられるのだ。「な、な、ななななな、なんじゃコリャーーー!」ってな感じ。あれほど美人だと男は声をかけられないだろう。無理だ。死んでしまう。そんな美人が何故か野獣に興味があったようだ。「理由だけでも聞けばよかったw」 しかし、私は二股をかけない。同時天秤にもかけない。振られた直後にハイ、次ぃーって感じで行くこともない。相手に失礼だと思ってしまう。今思えば、んなことどうでもいいw でも、相手のことが完全に消化してからでないと次にはいけない。ハドウホウと同じで、エネルギーがたまるまでが長いのだ。だから、相手がいるのがわかっていても美人がきたし、馬も合うからコノ人!ってわけにはいかんのだ。今思えば、つくづく不器用で損をしたと思うwwwww
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