かような過去を通り、今がある。
不思議だ、人生とは実に不思議に満ちている。どれか1つ欠けても今の私はいないだろう。後にきた1stインパクトで死んでいたとしても、当然参列することは出来ない。その可能性もあった。会社をドロップアウトした後も色々あった。既にフリーで7年たつが、フリーでやってるのも、書に携わることになったのも、色々なことが重なり結果的にこうなったに過ぎない。自分の意思では絶対にありえない選択だった。
会社をドロップアウトしていなかったら、ここまでゲームをすることも有り得なかった。PSOも、動かない身体で時間を持て余していた私が、軽い気持ちで「やらん?w」って言ったことからだし、振っておきながらそれほどやる気もなかった。「そうねー」ぐらいの反応だったら、そのままスルーするつもりだった。それが、予想外に「おー!やろう、やろう」という、反応があったので、こうなった。
そもそも、参列させて頂く二人とも仕事中には直接的な関わりはなく、特に交流らしい交流もなかった。不思議だねー。そして驚いたのは人は必ず避けられない ものがあるということだ。R社時代、「何者なんですか?w」って言われることが多かった。部内のあらゆる業務に関係していたので、あらゆる会議に私はい た。本来私は不器用な人間なので、あれやこれややりたくない。今でもそうだ。深まらない世界は嫌だ。あれこれやると何も深まらずに時間だけが過ぎる。それ は耐え難い悩みなのだ。S社へ行く時営業を選んだ理由もそれだ。営業なら他に携わる可能性がない。しかし気づいてみると、マーケティング、ソフトウェア企 画、イベント全般、営業補佐教育、情報システム部東京担当、倉庫整理からパワープレイヤーまで、あらゆる仕事に携わった。直属の上司は当然として、直接関 係ない上司複数人から、支社長から、あらゆる方面から仕事がきた。「俺の部下なんだ、俺の仕事以外するな!」と怒られたものだ。皆、誤解しているが、好き でやっているわけでない。「断ればいい」と皆言うが、相当断っていた。断ってアレだw それに立場上断るにも限界がある。怒られた時も、「断りましたが、 立場上断るにも限界があります」と言うと「わかった、じゃー俺が全て断る。お前は俺の仕事だけをしろ!」そう言われたのだ。それが数日して、「すま ん・・・あの件だがやってくれ」そう言われてしまった。そうとうな位置にいた部長が断れない仕事を、俺が断れるわけがないw 私の1面の仕事しか知らない 人は、「なんでそんなに忙しそうなんですか?」と言われたが、「そう」じゃなくて「忙しいのだw」 それこそ会ったこともない社員から「パソコンが調子悪 いので見てくれませんか」と言われたこともあった。「え?なんで私?」というと、「え、ドーラさんですよね。システム部に連絡したらそう言われましたけ ど・・」「おーいw」みたいなことも度々あり出向いた。気づけばR社と同じことになっていた。
この傾向は、フリーになった今でも変わらなかい。フリーとは自由であるはずだ。「どこが?w」 みたいな状態である。本を作り、原稿をかき、書 展を手配し、折衝し、デザインし、自らも作品を書く。仕事でもエディターをし、進捗管理をし、基本方針を決めたり、なぜか各社の間に入り話をまとめたりと結局同じことになっている。深まらない。フリーで深まらないで大丈夫なのか俺?w と思わないでもないが、今更無理だろう。相変わらずだ。これが俺の人生そのものの自然な歩みなのかもしれない。俺に限らず皆そうなのだろう。本人に出来ることは、それを受け入れることだけだ。受け入れることから全てが始まる。ミシュランで数少ない五ツ星の称号を得た、銀座○郎寿司の○郎さんも言っていた。「私は寿司嫌いなんですよ」「じゃあなんで寿司やに?」「そうするしかなかったからだよ。選ぶなんておこがましいことは出来ない」 与えられたことを素直に受け、それに全力をもってあたる。人生はそれに尽きるのかもしれん。それに対して抗っても無駄なエネルギーだし、歪めることにしかならないのだろう。これが他力で生きるということなのかもしれない。それが最も自然な形であると。これら何か一つでも欠けたら参列することはなかったと思うと、感慨深いものがあるねー。
不思議だ、人生とは実に不思議に満ちている。どれか1つ欠けても今の私はいないだろう。後にきた1stインパクトで死んでいたとしても、当然参列することは出来ない。その可能性もあった。会社をドロップアウトした後も色々あった。既にフリーで7年たつが、フリーでやってるのも、書に携わることになったのも、色々なことが重なり結果的にこうなったに過ぎない。自分の意思では絶対にありえない選択だった。
会社をドロップアウトしていなかったら、ここまでゲームをすることも有り得なかった。PSOも、動かない身体で時間を持て余していた私が、軽い気持ちで「やらん?w」って言ったことからだし、振っておきながらそれほどやる気もなかった。「そうねー」ぐらいの反応だったら、そのままスルーするつもりだった。それが、予想外に「おー!やろう、やろう」という、反応があったので、こうなった。
そもそも、参列させて頂く二人とも仕事中には直接的な関わりはなく、特に交流らしい交流もなかった。不思議だねー。そして驚いたのは人は必ず避けられない ものがあるということだ。R社時代、「何者なんですか?w」って言われることが多かった。部内のあらゆる業務に関係していたので、あらゆる会議に私はい た。本来私は不器用な人間なので、あれやこれややりたくない。今でもそうだ。深まらない世界は嫌だ。あれこれやると何も深まらずに時間だけが過ぎる。それ は耐え難い悩みなのだ。S社へ行く時営業を選んだ理由もそれだ。営業なら他に携わる可能性がない。しかし気づいてみると、マーケティング、ソフトウェア企 画、イベント全般、営業補佐教育、情報システム部東京担当、倉庫整理からパワープレイヤーまで、あらゆる仕事に携わった。直属の上司は当然として、直接関 係ない上司複数人から、支社長から、あらゆる方面から仕事がきた。「俺の部下なんだ、俺の仕事以外するな!」と怒られたものだ。皆、誤解しているが、好き でやっているわけでない。「断ればいい」と皆言うが、相当断っていた。断ってアレだw それに立場上断るにも限界がある。怒られた時も、「断りましたが、 立場上断るにも限界があります」と言うと「わかった、じゃー俺が全て断る。お前は俺の仕事だけをしろ!」そう言われたのだ。それが数日して、「すま ん・・・あの件だがやってくれ」そう言われてしまった。そうとうな位置にいた部長が断れない仕事を、俺が断れるわけがないw 私の1面の仕事しか知らない 人は、「なんでそんなに忙しそうなんですか?」と言われたが、「そう」じゃなくて「忙しいのだw」 それこそ会ったこともない社員から「パソコンが調子悪 いので見てくれませんか」と言われたこともあった。「え?なんで私?」というと、「え、ドーラさんですよね。システム部に連絡したらそう言われましたけ ど・・」「おーいw」みたいなことも度々あり出向いた。気づけばR社と同じことになっていた。
この傾向は、フリーになった今でも変わらなかい。フリーとは自由であるはずだ。「どこが?w」 みたいな状態である。本を作り、原稿をかき、書 展を手配し、折衝し、デザインし、自らも作品を書く。仕事でもエディターをし、進捗管理をし、基本方針を決めたり、なぜか各社の間に入り話をまとめたりと結局同じことになっている。深まらない。フリーで深まらないで大丈夫なのか俺?w と思わないでもないが、今更無理だろう。相変わらずだ。これが俺の人生そのものの自然な歩みなのかもしれない。俺に限らず皆そうなのだろう。本人に出来ることは、それを受け入れることだけだ。受け入れることから全てが始まる。ミシュランで数少ない五ツ星の称号を得た、銀座○郎寿司の○郎さんも言っていた。「私は寿司嫌いなんですよ」「じゃあなんで寿司やに?」「そうするしかなかったからだよ。選ぶなんておこがましいことは出来ない」 与えられたことを素直に受け、それに全力をもってあたる。人生はそれに尽きるのかもしれん。それに対して抗っても無駄なエネルギーだし、歪めることにしかならないのだろう。これが他力で生きるということなのかもしれない。それが最も自然な形であると。これら何か一つでも欠けたら参列することはなかったと思うと、感慨深いものがあるねー。
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