私にとって死はけして遠い現実ではない。
正直、今死んでも特に後悔はない。
何せ、焦ったところで出来ることなんてたかだか知れているのだ。
無理なものは無理。出来ることは自然と仕上がる。
死を考えるということは、生きることを考えることである。
死をリアルに感じている人は、常に時限タイマーを感じている。
タイマーは容赦なく動く。しかも何時にセットされているか霞んでよく見えない。
それゆえに、やたら墓を考えることが多くなった。
残念ながら今墓を手配するだけの余力はない。矛盾しているようだが、それこそ死んでしまうw
私は長男ではないので先祖の墓には入れない。自分で用意するしか方法がない。
究極的は言い訳として、生命保険で買っといて。(^-^;
しかし、これもいささか迷惑な話だと思い出した。
師匠の奥さんが亡くなられたとき、「立つ鳥、後を濁さず」ということを本当に考えさせれた。
亡くなって動転し心底をショックを受けている人に対し、他人というのは容赦がない。
「そう、亡くなったの。特にあの人と親しいわけじゃなかったんだけどね」
とか、言われる。「コイツ、頭おかしいんじゃねーか!?」とマジで目が点になるようなことを、いい大人が容赦なく浴びせかけるのだ。良識のある教育を受けた人間の言葉じゃない。残された人は二重にも三重にも傷つけられることを知った。避けられないのは仕方がないが、かなりの部分で避けられるものもある。
1.誰に連絡したほうがいいか
2.荷物はどうするか
3.墓はどうするか
4.葬式費用はどうするか
これらは正直、生きている間に用意できる。1を整理していれば、電話をかけるほうも苦労しないだろうし、私みたいに傷つけられることもない。1.は本当に困った。大変だった。8時間、朝から夕方まで電話かけっぱなしだった。挙句にあの仕打ちだ。信じられない。その後に問題になるのは2、3だ。あの一件からなるべく物は買わないようにしてきた。むしろ生きている間になるべく処分しようと心に決め、今でも少しづつ処分している。とにかく私は荷物がやたら多いので、確実に迷惑をかける。そして究極は3だ。4は生命保険で払ってくれればいいと思っている。墓・・・実際に普通は相当揉めるらしい。墓は生きている人のためのものだ。生きている間にケリをつけなければ。先ほど書いたように長男でなければ先祖の墓には入れない。それが常識だ。墓を用意するしかない。しかし墓は高い。とても高い。値段だけではない。場所だ。今よくあるビルの中にある墓、皆考えていないがあれはいずれなくなる。つまり実質借家みたいなもんだ。散骨という方法もあるが、私の人生流れでいくとあまりに突飛だ。なにせ私は海が嫌いだ。泳げない。太陽にさらすこともできない。散骨・・・超イヤwwww まー自分は死んでいるのだから関係ないが、あまりにも突飛すぎる。突飛なことはしないほうがいい。墓は本当に思い浮かばない。墓の大きな悩みの一つは、金銭、場所以外の問題もある。今の坊主は生臭ばかりで心から嫌なのだ。何事もプロが好きだ。プロにお願いしたい。坊主ならなお更だ。今の書家にプロが1000人に1人もいないように、坊主も同じだと思う。(俺もその1人だw) 素人の坊主にテープでお経を唱えられようもんなら、成仏できないw 今ならメモリオーディオか?w それなら散骨のほうがまだマシだし・・しかし海は嫌だ。国外ってのも落ち着かない。死ぬなら、埋まるなら日本がいい。んー・・・今のところ解決の見通しがたっていない。これらが全て処理できないと落ち着いて死ぬこともできやしない。困ったものだ。更に現代ならではの問題もでてきた。
IDの問題だ。小説の題材にもしたが、IDは本人がいなくなっても残ってしまう。これが元で残された家族に大迷惑がかかる可能性は実際に少なくない。無料、有料で100近いIDをもっている。生きている間は本人が常に整理管理できるが、それを他人に言うのは生きている間は危険だ。家族は知るはずもないので確実に迷惑になる。この世にないのに、ブログや権利だけは残っている。いっけんメルヘンだが、実際とんでもない話だ。アメリカではビジネスが成立しているぐらいだ。しかし、今から死のうってのに100個近いIDを削除していくのは大変だ。死は突然やってくる。間に合わないかもしれない。ただ、これは若干対処法がある。真剣にヤバイとなったら、先に手をうち全て削除する。しかし、万が一生還したらまたID取得せんと・・・と思うと気が思い。多分、一旦削除したらよほどじゃないかぎり復活させないだろう。面倒だ。この悩みもつきない。IDも整理する必要があるようだ。
死は凄い。超弩級の衝撃だ。今でも信じられない。本当に時間しか消化されないもの、それが死だ。しかも死は、逝く側より残された側に大きな負担として双肩にかかってくる。私も実際死を何度か意識した時、死はとても身近で、恐れはなかった。いや、恐れはあった。それこそ死神が地の底から寝食してくる。圧倒的な恐怖。ただ、絶対的に死が真に迫ると当人は何もできない。選択肢は「諦める」しかないのだ。圧倒的な選択肢である。ギャーギャー騒ぐのは諦めきれない人だけ。泣こうがわめこうが「受け入れる」しかない。私は2,3ヶ月格闘して諦めた。その時、生まれて初めてリアルに死を考えた。過去はどうでもよくなる。あらゆる問題が些細になる。最後に残された後悔、それはやはり家族に対しての感謝を伝えられなかったという思いだけが悔いとして残ると実感した。家族ほどありがたい存在ない。だから天涯孤独の人の孤独さとは想像絶するものだろう。「このままでは死ねない・・」そう思った。だから皆さんも家族を大切にしてもらいたい。家族を大切にできない人は伴侶や子供も当然大切にはできないだろう。ましてや友人や他人に対して真に接することなんて出来るはずがない。それはつまり自分を大切にしてないのと同じことだ。
とりあえず、荷物は少しづつ減らしながら、死への準備を粛々とすすめたいと思う。自分の死はかくして受け入れられるが、やはり人の死は受け入れがたいものがある。出来ればいの一番に死にたいと思うが、やはり親の死だけは最低限受け入れざる追えないだろう。老いた親に子の死の辛らつを味あわせるのはあまりにも酷すぎる。これは子供の最低限の責務だ。今から考えただけでも気が重い。あーやだやだ。しかし宇宙の法則でいえば順番はこうなる。あーやだやだ。親ほどの存在はこの世にない。親の死以外は受けたくないものだ。私が結婚したら嫁さんにお願いしたいことはただ一つだ。「俺が先に逝くから、すまないが後はヨロシク」これにつきる。人は生まれそして死ぬ。だから子供は尊いのだ。そして、どんなに悲しい思いも、楽しい思いも、全ては時とともに流れ、一変の濁りもなく消え去っていくだろう。
正直、今死んでも特に後悔はない。
何せ、焦ったところで出来ることなんてたかだか知れているのだ。
無理なものは無理。出来ることは自然と仕上がる。
死を考えるということは、生きることを考えることである。
死をリアルに感じている人は、常に時限タイマーを感じている。
タイマーは容赦なく動く。しかも何時にセットされているか霞んでよく見えない。
それゆえに、やたら墓を考えることが多くなった。
残念ながら今墓を手配するだけの余力はない。矛盾しているようだが、それこそ死んでしまうw
私は長男ではないので先祖の墓には入れない。自分で用意するしか方法がない。
究極的は言い訳として、生命保険で買っといて。(^-^;
しかし、これもいささか迷惑な話だと思い出した。
師匠の奥さんが亡くなられたとき、「立つ鳥、後を濁さず」ということを本当に考えさせれた。
亡くなって動転し心底をショックを受けている人に対し、他人というのは容赦がない。
「そう、亡くなったの。特にあの人と親しいわけじゃなかったんだけどね」
とか、言われる。「コイツ、頭おかしいんじゃねーか!?」とマジで目が点になるようなことを、いい大人が容赦なく浴びせかけるのだ。良識のある教育を受けた人間の言葉じゃない。残された人は二重にも三重にも傷つけられることを知った。避けられないのは仕方がないが、かなりの部分で避けられるものもある。
1.誰に連絡したほうがいいか
2.荷物はどうするか
3.墓はどうするか
4.葬式費用はどうするか
これらは正直、生きている間に用意できる。1を整理していれば、電話をかけるほうも苦労しないだろうし、私みたいに傷つけられることもない。1.は本当に困った。大変だった。8時間、朝から夕方まで電話かけっぱなしだった。挙句にあの仕打ちだ。信じられない。その後に問題になるのは2、3だ。あの一件からなるべく物は買わないようにしてきた。むしろ生きている間になるべく処分しようと心に決め、今でも少しづつ処分している。とにかく私は荷物がやたら多いので、確実に迷惑をかける。そして究極は3だ。4は生命保険で払ってくれればいいと思っている。墓・・・実際に普通は相当揉めるらしい。墓は生きている人のためのものだ。生きている間にケリをつけなければ。先ほど書いたように長男でなければ先祖の墓には入れない。それが常識だ。墓を用意するしかない。しかし墓は高い。とても高い。値段だけではない。場所だ。今よくあるビルの中にある墓、皆考えていないがあれはいずれなくなる。つまり実質借家みたいなもんだ。散骨という方法もあるが、私の人生流れでいくとあまりに突飛だ。なにせ私は海が嫌いだ。泳げない。太陽にさらすこともできない。散骨・・・超イヤwwww まー自分は死んでいるのだから関係ないが、あまりにも突飛すぎる。突飛なことはしないほうがいい。墓は本当に思い浮かばない。墓の大きな悩みの一つは、金銭、場所以外の問題もある。今の坊主は生臭ばかりで心から嫌なのだ。何事もプロが好きだ。プロにお願いしたい。坊主ならなお更だ。今の書家にプロが1000人に1人もいないように、坊主も同じだと思う。(俺もその1人だw) 素人の坊主にテープでお経を唱えられようもんなら、成仏できないw 今ならメモリオーディオか?w それなら散骨のほうがまだマシだし・・しかし海は嫌だ。国外ってのも落ち着かない。死ぬなら、埋まるなら日本がいい。んー・・・今のところ解決の見通しがたっていない。これらが全て処理できないと落ち着いて死ぬこともできやしない。困ったものだ。更に現代ならではの問題もでてきた。
IDの問題だ。小説の題材にもしたが、IDは本人がいなくなっても残ってしまう。これが元で残された家族に大迷惑がかかる可能性は実際に少なくない。無料、有料で100近いIDをもっている。生きている間は本人が常に整理管理できるが、それを他人に言うのは生きている間は危険だ。家族は知るはずもないので確実に迷惑になる。この世にないのに、ブログや権利だけは残っている。いっけんメルヘンだが、実際とんでもない話だ。アメリカではビジネスが成立しているぐらいだ。しかし、今から死のうってのに100個近いIDを削除していくのは大変だ。死は突然やってくる。間に合わないかもしれない。ただ、これは若干対処法がある。真剣にヤバイとなったら、先に手をうち全て削除する。しかし、万が一生還したらまたID取得せんと・・・と思うと気が思い。多分、一旦削除したらよほどじゃないかぎり復活させないだろう。面倒だ。この悩みもつきない。IDも整理する必要があるようだ。
死は凄い。超弩級の衝撃だ。今でも信じられない。本当に時間しか消化されないもの、それが死だ。しかも死は、逝く側より残された側に大きな負担として双肩にかかってくる。私も実際死を何度か意識した時、死はとても身近で、恐れはなかった。いや、恐れはあった。それこそ死神が地の底から寝食してくる。圧倒的な恐怖。ただ、絶対的に死が真に迫ると当人は何もできない。選択肢は「諦める」しかないのだ。圧倒的な選択肢である。ギャーギャー騒ぐのは諦めきれない人だけ。泣こうがわめこうが「受け入れる」しかない。私は2,3ヶ月格闘して諦めた。その時、生まれて初めてリアルに死を考えた。過去はどうでもよくなる。あらゆる問題が些細になる。最後に残された後悔、それはやはり家族に対しての感謝を伝えられなかったという思いだけが悔いとして残ると実感した。家族ほどありがたい存在ない。だから天涯孤独の人の孤独さとは想像絶するものだろう。「このままでは死ねない・・」そう思った。だから皆さんも家族を大切にしてもらいたい。家族を大切にできない人は伴侶や子供も当然大切にはできないだろう。ましてや友人や他人に対して真に接することなんて出来るはずがない。それはつまり自分を大切にしてないのと同じことだ。
とりあえず、荷物は少しづつ減らしながら、死への準備を粛々とすすめたいと思う。自分の死はかくして受け入れられるが、やはり人の死は受け入れがたいものがある。出来ればいの一番に死にたいと思うが、やはり親の死だけは最低限受け入れざる追えないだろう。老いた親に子の死の辛らつを味あわせるのはあまりにも酷すぎる。これは子供の最低限の責務だ。今から考えただけでも気が重い。あーやだやだ。しかし宇宙の法則でいえば順番はこうなる。あーやだやだ。親ほどの存在はこの世にない。親の死以外は受けたくないものだ。私が結婚したら嫁さんにお願いしたいことはただ一つだ。「俺が先に逝くから、すまないが後はヨロシク」これにつきる。人は生まれそして死ぬ。だから子供は尊いのだ。そして、どんなに悲しい思いも、楽しい思いも、全ては時とともに流れ、一変の濁りもなく消え去っていくだろう。
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