私は在職時から常々思っていたのですが、ゲームによる問題はアニメの宮崎監督も指摘にしているようにテレビや映画の観すぎと本質的には同じであることを自らの肉体を通し実感するにいたりました。
つまり、やり過ぎなんです。
肉体には思考を司る左脳部位と、肉体を制御する右脳部位以下原始脳に大雑把に分かれると思ってます。こうして書いている私や、明日どうなるとか、何食べるかなーなんて左脳の仕業です。右脳系全く無関係に働いています。肉体反応は本来現実に即した危機などに対して瞬間的に反応するようにできてますが、ゲームやテレビ、映画というのは実際の危機を感じたり、感動したりする対象や事象が現実に起きていません。空想です。しかし、右脳というやつは肉体そのものなので、空想であろうと反応しています。興奮すれば心拍数は上がり、血流は流れ、血圧が上がり、肉体は臨戦態勢を整えます。しかし、現実におきていない。つまり危機を右脳は察知しているにも関わらず、身体はいぜんとしてその危機を回避しようとはしません。ココで大きなギャップ、ズレが生じてきます。これらは自立神経も同じです。これらは寝ることで自然にリセット、調整されているのですが、過ぎると調整ができなくなります。疲れと同じでギャップやズレも徐々に大きくなるのです。
映画はいっても1日ずーーっと観っぱなしってことはありませんが、TV、特にゲームは興奮状態が本来ありえない長時間続くため肉体が臨界を突破し、報道にあるように極めて短期間で過労死することも可能となってしまうのです。「だったら戦争はどうなの?」と思うのでしょうが、経験者の話でもわかったのは、麻痺するんです。異常な状態が正常になり右脳と左脳のハードルがある意味下がることで正常をたもっているわけです。しかもあれはまさに現実なのでそういう調整が自然となされるわけですが、ゲームは左脳と右脳では捉えている現実にあまりに大きな隔たりがあります。そこが現代の弊を生んでいるな、と今になって得心しました。
右脳は肉体そのものなんです。左脳は肉体と乖離してます。ある天才脳神経学者が、「彼らには見えているんです。彼らにはまさに現実なんですよ。ただし!彼の脳が生み出した事象なので、我々には見えない」という1行を読んだのが凄く印象に残っていたのですが、そういうことなんです!映像を認識するのは脳なので、脳が見えていれば本人にとっては見えていることになる。ただ、ソコにはないんです。まさに左脳と右脳の乖離現象ですよ。肉体運動を通しておきていた過去の社会では調整できていたものが、まさかまさに左脳と右脳で見えているもの、感じている現象が全く異なることなんて想像もできない世界なのです。だから、ゲームは1日1時間ってのはあながち間違っていないんですよ。肉体を通さない事象は右脳は理解してませんから。どんどん左脳との乖離現象が深まるんです。特に子供は。TVとゲームの決定的違いは、興奮です。ゲームはとにかくどうあれ興奮させるためにやっているようなもんですから、その点TVはまだましです。ただ、本質的には同じなので、結局んところ長時間ってのがやはり害にしかならないわけなんですね。ゲームはそれが特筆すべき点であるってだけで。あー・・俺が天才だったら、この仮説をもとにネイチャーに論文提出するんだがなぁ。これ、相当いい線いってるよ。ノーベル平和賞いただきだよ!!くぅぅぅ・・・・。だからウィーのアレなんてまだマシ!って思ったら大違いです。人間の感覚器官の大多数は目と耳で90%以上しめてしまいます。つまり、ウィーのアレも結局はまだましって次元なだけで、程度の差こそあれよくはないのです。普通にフィットネスマシンで走れって話です。それか外走れって話です。どのみちアレは3時間とか4時間やらないだろうけどねぇ。とにかく、現実との乖離がまずいんですよ。右脳ってヤツは素直なので、ずーっと刷り込んでると間違うんですよ。それがマズイんです。すると、現実と妄想の区別がつかなくなるんですね。
まぁ、エエっか。せいぜい自分に活かすぐらいだな。長年の謎がこれで解決しました。ずーっと合点いかなかったのよねー。色々な書籍を読んだり、自らの仮説のもと実験したり体験したしても、どーも腑に落ちなかった。これで長年つっかえていたものがとれた気分です。
ただ、道具は使いようで、遊ばなくなって実感したのですが、ゲームはちょいと目先を換えるには非常に効果的です。なので、やはり短時間のプレイにはいいねぇ。でも、基本は肉と肉のお付き合いが脳にとっても、人間にとっても社会にとっても一番なんですよ。
肉と肉のね・・・ハァハァ・・・
肉の・・・ハァハァ
漢字ってエロイなぁ。
これが英語だと、
meet & meet・・・haahaa
略して
M&M・・・haahaa
・・・ハァハァならんなぁ。
口の中が甘くなるぐらいだ。
あ、別に私がそうだった言いたいんわけじゃありません。私は重度の自律神経失調症なんです。半端ないようで、「よく死しなかったねぇ」と2人の医者に言われました。重度の自律神経失調に陥ると、普通に過労死とかしてしまいます。何せ自律神経ってのは生きいくのに欠かせない重大な気管なのに、それが勝手にスイッチが入ったり落ちたりして暴走するので、当然あらゆる部位に異常が起きてくるわけなんですねぇ。もーかれこれ丸10年ぐらいになりますか。自律神経失調症を治す方法は現代医療には皆無です。なので重度といったらもう何もないんですね。だから未だに過労死で次々と亡くなってサラリーマンがおるわけです。最終的には同じ現象で最後を迎えます。最も多いのが心筋梗塞、ついで脳溢血や脳梗塞。これである朝パッタリなわけです。実際当時の私は心臓の動機が激しすぎてアニメみたいに飛び出しているんじゃないかと、何度も自分の胸を見たぐらい凄まじい動悸でした。「あーこりゃー・・マジでイクなぁ」と思い、生きていたら翌年の出社初日に退職願いを出そうと思って、その通りにしたわけです。なぜ、翌年か・・・。会社が大変な時期だったので、逃げるのは嫌なんですね性格的に。やり遂げてからじゃないと。もっとーは前のめりにシスですから。これまた運よく初めて仕事が切れたんですよ。で、これ幸いとばかりに退職。
当時は親兄弟はおろか会社内でも言ってませんでした。これがまた平気そうに見えるんだねー俺w いいんだか悪いんだか。上司に言ったら、「嘘は言わなくてよろしい」と一蹴されてしまいました。いかんせん私は正直なので、んな嘘こきませんw 今思い返してもみても、よく生きてたなー俺、我ながら凄い根性座ってるやん!と感心します。でも、2度といやですw ここ8年でここまで回復したのにまさか夏の終わりによもや底の底にまだ底があるとは思いませんでした。底抜け脱線ゲームです。もうココでオワリにしたいです。まー・・・わかんねーからなーw現実ってヤツはほんと容赦ないから。まー仕方ない。あるがまま、あるがままだな。自律神経の失調も自分なりの調整法を見出すことが出来たので、3年は続けるってところでしょうか。ここでも3ですよ。3年たつと一気にぬけるようです。とはいえ、自律神経ほど曖昧な器官もないのでまー生涯このピッチは忘れないほうが身のためでしょうなぁ。あんなオゾマシイ思いはもうコリゴリです。
倒れている間、ゲームは随分私を癒してくれましたよ。その役目もほぼオワリです。今後は時々カジルぐらいにします。
つまり、やり過ぎなんです。
肉体には思考を司る左脳部位と、肉体を制御する右脳部位以下原始脳に大雑把に分かれると思ってます。こうして書いている私や、明日どうなるとか、何食べるかなーなんて左脳の仕業です。右脳系全く無関係に働いています。肉体反応は本来現実に即した危機などに対して瞬間的に反応するようにできてますが、ゲームやテレビ、映画というのは実際の危機を感じたり、感動したりする対象や事象が現実に起きていません。空想です。しかし、右脳というやつは肉体そのものなので、空想であろうと反応しています。興奮すれば心拍数は上がり、血流は流れ、血圧が上がり、肉体は臨戦態勢を整えます。しかし、現実におきていない。つまり危機を右脳は察知しているにも関わらず、身体はいぜんとしてその危機を回避しようとはしません。ココで大きなギャップ、ズレが生じてきます。これらは自立神経も同じです。これらは寝ることで自然にリセット、調整されているのですが、過ぎると調整ができなくなります。疲れと同じでギャップやズレも徐々に大きくなるのです。
映画はいっても1日ずーーっと観っぱなしってことはありませんが、TV、特にゲームは興奮状態が本来ありえない長時間続くため肉体が臨界を突破し、報道にあるように極めて短期間で過労死することも可能となってしまうのです。「だったら戦争はどうなの?」と思うのでしょうが、経験者の話でもわかったのは、麻痺するんです。異常な状態が正常になり右脳と左脳のハードルがある意味下がることで正常をたもっているわけです。しかもあれはまさに現実なのでそういう調整が自然となされるわけですが、ゲームは左脳と右脳では捉えている現実にあまりに大きな隔たりがあります。そこが現代の弊を生んでいるな、と今になって得心しました。
右脳は肉体そのものなんです。左脳は肉体と乖離してます。ある天才脳神経学者が、「彼らには見えているんです。彼らにはまさに現実なんですよ。ただし!彼の脳が生み出した事象なので、我々には見えない」という1行を読んだのが凄く印象に残っていたのですが、そういうことなんです!映像を認識するのは脳なので、脳が見えていれば本人にとっては見えていることになる。ただ、ソコにはないんです。まさに左脳と右脳の乖離現象ですよ。肉体運動を通しておきていた過去の社会では調整できていたものが、まさかまさに左脳と右脳で見えているもの、感じている現象が全く異なることなんて想像もできない世界なのです。だから、ゲームは1日1時間ってのはあながち間違っていないんですよ。肉体を通さない事象は右脳は理解してませんから。どんどん左脳との乖離現象が深まるんです。特に子供は。TVとゲームの決定的違いは、興奮です。ゲームはとにかくどうあれ興奮させるためにやっているようなもんですから、その点TVはまだましです。ただ、本質的には同じなので、結局んところ長時間ってのがやはり害にしかならないわけなんですね。ゲームはそれが特筆すべき点であるってだけで。あー・・俺が天才だったら、この仮説をもとにネイチャーに論文提出するんだがなぁ。これ、相当いい線いってるよ。ノーベル平和賞いただきだよ!!くぅぅぅ・・・・。だからウィーのアレなんてまだマシ!って思ったら大違いです。人間の感覚器官の大多数は目と耳で90%以上しめてしまいます。つまり、ウィーのアレも結局はまだましって次元なだけで、程度の差こそあれよくはないのです。普通にフィットネスマシンで走れって話です。それか外走れって話です。どのみちアレは3時間とか4時間やらないだろうけどねぇ。とにかく、現実との乖離がまずいんですよ。右脳ってヤツは素直なので、ずーっと刷り込んでると間違うんですよ。それがマズイんです。すると、現実と妄想の区別がつかなくなるんですね。
まぁ、エエっか。せいぜい自分に活かすぐらいだな。長年の謎がこれで解決しました。ずーっと合点いかなかったのよねー。色々な書籍を読んだり、自らの仮説のもと実験したり体験したしても、どーも腑に落ちなかった。これで長年つっかえていたものがとれた気分です。
ただ、道具は使いようで、遊ばなくなって実感したのですが、ゲームはちょいと目先を換えるには非常に効果的です。なので、やはり短時間のプレイにはいいねぇ。でも、基本は肉と肉のお付き合いが脳にとっても、人間にとっても社会にとっても一番なんですよ。
肉と肉のね・・・ハァハァ・・・
肉の・・・ハァハァ
漢字ってエロイなぁ。
これが英語だと、
meet & meet・・・haahaa
略して
M&M・・・haahaa
・・・ハァハァならんなぁ。
口の中が甘くなるぐらいだ。
あ、別に私がそうだった言いたいんわけじゃありません。私は重度の自律神経失調症なんです。半端ないようで、「よく死しなかったねぇ」と2人の医者に言われました。重度の自律神経失調に陥ると、普通に過労死とかしてしまいます。何せ自律神経ってのは生きいくのに欠かせない重大な気管なのに、それが勝手にスイッチが入ったり落ちたりして暴走するので、当然あらゆる部位に異常が起きてくるわけなんですねぇ。もーかれこれ丸10年ぐらいになりますか。自律神経失調症を治す方法は現代医療には皆無です。なので重度といったらもう何もないんですね。だから未だに過労死で次々と亡くなってサラリーマンがおるわけです。最終的には同じ現象で最後を迎えます。最も多いのが心筋梗塞、ついで脳溢血や脳梗塞。これである朝パッタリなわけです。実際当時の私は心臓の動機が激しすぎてアニメみたいに飛び出しているんじゃないかと、何度も自分の胸を見たぐらい凄まじい動悸でした。「あーこりゃー・・マジでイクなぁ」と思い、生きていたら翌年の出社初日に退職願いを出そうと思って、その通りにしたわけです。なぜ、翌年か・・・。会社が大変な時期だったので、逃げるのは嫌なんですね性格的に。やり遂げてからじゃないと。もっとーは前のめりにシスですから。これまた運よく初めて仕事が切れたんですよ。で、これ幸いとばかりに退職。
当時は親兄弟はおろか会社内でも言ってませんでした。これがまた平気そうに見えるんだねー俺w いいんだか悪いんだか。上司に言ったら、「嘘は言わなくてよろしい」と一蹴されてしまいました。いかんせん私は正直なので、んな嘘こきませんw 今思い返してもみても、よく生きてたなー俺、我ながら凄い根性座ってるやん!と感心します。でも、2度といやですw ここ8年でここまで回復したのにまさか夏の終わりによもや底の底にまだ底があるとは思いませんでした。底抜け脱線ゲームです。もうココでオワリにしたいです。まー・・・わかんねーからなーw現実ってヤツはほんと容赦ないから。まー仕方ない。あるがまま、あるがままだな。自律神経の失調も自分なりの調整法を見出すことが出来たので、3年は続けるってところでしょうか。ここでも3ですよ。3年たつと一気にぬけるようです。とはいえ、自律神経ほど曖昧な器官もないのでまー生涯このピッチは忘れないほうが身のためでしょうなぁ。あんなオゾマシイ思いはもうコリゴリです。
倒れている間、ゲームは随分私を癒してくれましたよ。その役目もほぼオワリです。今後は時々カジルぐらいにします。
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