先日いささか動揺し、同時にガッカリする事があった。身体はゆっくりながらも順調に回復し、声も9割がた普通に出るようになった。打ち合わせ時にも全く問題ないし、特に気をつける必要もなかった。もう98%がた苦しさも感じない。ここまで来るのに2ヶ月かかった。ここまで来ればもう精神的に動揺することはないと思っていたが、心の傷というのはそういえないもののようだ。驚いた。心の傷というのは全く意識を越えた別のところに存在している。ニュースで見る精神的ケアうんぬんを全く未経験なだけに、どこか軽く受け止めていたが見方が180度これで変わった。まぁ、なんともしたくない経験をしたものだ。しかし、既にことは済んでいるので仕方がない。これを糧にするしかない。一度刷り込まれた恐怖は何の因果関係がなくても、まるで何物かにスイッチを握られたように動作するという経験をしてしまった。
展示会の打ち合わせに出かけたのだが、隣に十中八九不安神経症の人が座っている。彼の動きが典型的な動きを繰り返す。最初は別に気にしていなかった。人は人それぞれの戦いをしているものだ。俺には俺の戦いがある。彼を隣で感じながら、「疲れたなぁ」と思っているとアレが突然きそうになる。アレが来る精神的感触はもう覚えてしまった。何せ50時間以上同居した。すると瞬時に動揺が走る。意識は「え?なんで?どこにその理由が?」と探るが、自分に見当たらなかった。彼の動作が彼の精神性を反映し、その精神性とはまさにアレなのだ。触発されアノ時に恐怖が電撃のように身体を駆け抜ける。死よりも恐ろしい体験だ。意識は当然理由がないため、勝手に理由なきパニックを起こしそうになる。右脳系の仕業だ。「うへー・・マジかよ」と左脳は思ったが、この2ヶ月の経験から心術で、かろうじて平静さを取り戻すことが出来た。
ショックだったのは、深い傷というのは直接的因果関係がなくても勝手にスイッチが入ってしまうということだ。意識を超えているのでどうにもならない。右脳を再教育するしかないのだ。これは慢性的身体の病とまるで同じ反応をするということを知った。身体の慢性疾患が全く同じである。簡単に言うとどれも免疫機構による過剰防衛反応なのだ。肉体をコントロールしている無意識下のこの動きも過剰防衛反応なのだ。意識をしなくても生きているのは無意識が肉体をコントロールしているからだ。
「あー・・・身体って心もやっぱり肉体と同じなんだなぁ・・」
と感じてしまった。攻殻のシロウさんがそう言っている。心も機械で再現できるというのはまさに彼の弁だ。最初は「シロウさん好きだけどあ4か!」と思ったが体感してしまった。肉体反応そのものは確かに機械でもできそうだ。パソコンがウィルスによって悪さをするように右脳や脳幹による無意識下の肉体反応もまた傷によって正常な行動が出来ない。理屈としてはわかるが、実際に自分が経験することになろうとは思わなかった。済んでしまったこととはいえ、したくもない経験をしてしまったものだ。ただ、してない人と違ってしたためにこの感覚を小説に書くことが出来そうだなぁ。実際これは課題だった、PSO外伝のCOOLZとDOORAというアンドロイドを最終的にどう消化するか、それは実際ツメの部分が課題としてあった。最終的な扱いが消化しきれずに課題としてずっとあった。ただ書くには早そうだ。傷というのはスイッチなので、書こうとすることスイッチが入ってしまう。これは凄い。意識とは無関係である。下手に入れると傷は一層深まるので危険だ。ん・・・まるで体の傷ととことん同じだな。
皆さんは考えたことがあるだろうか。なぜ性欲がおきるのか?そもそも男性は裸やその行為をみると何故興奮するのか。それはまるでスイッチだ。私は中学生の頃からずっと考えている。昆虫の交尾に興奮するだろうか?魚の生殖行動に興奮するか?まー特殊な嗜好の人はするだろうが、私はしない。多くの人はしないのだろう。でなければとっくの昔にTVで放送されるはずがない。その他哺乳動物の生殖行為は人間のソレに近いからTVでも滅多に放送されない。想像力が豊かな人はその映像でもスイッチが入っちゃうからだと思う。でも普通これらの映像は感動すら受ける。「へー!すごいなぁ」 じゃあ、なぜ人間同士の生殖行為には感動を感じないのだろう。性欲をそそるのか・・・。これは深層意識、肉体を制御している左脳分野とは異なる右脳、以下その他の原始脳類でそう刻み込まれているからだと思う。そうして種を絶やさないようにしている。女性が男性に比べホイホイ興奮しないのは肉体的制限から同じように刻まれているからだ。種の保存ということを考えると、農業と同じで種はとにかくまかないとどうにもならない。一杯まく。すると何割かは必ず失敗する。だからまく。男はまく役割なので、とにかく興奮するようになっている。自分という個の保存、種の保存のために全く左脳の意識や理屈を超えて作動するようになっている。
今回の体験で気づいたのは、心の傷もこれと同列かもしれないということだ。理屈じゃないのだ。あーメンドクセー自分をまた抱えたなぁ・・・と思うが時は巻き戻らないので仕方がない。立ち向かうのみだ。確かにあの死の恐怖は絶対的だった。それが48時間以上続き、時には連続、時には断続的に10日近く痛烈に続いた。心の問題は慢性疾患と同じく根本的な解決策が無いとは言わないが、極めて難しくデリケートだ。複数の慢性疾患と長年お付き合いした経験からいうと、この方法で治るという道は皆無だ。心の慢性疾患も同じなのだろう。あらゆる方法を検討し、自ら向き合い、長い間に自分なりの方法論を確立するしか道はない。体の慢性疾患はそれで乗り越えてきた。私は親にすら頼らなかった。実際は頼れなかったといっていい。何せ話しにならないのだ。言葉が通じないと言っていい。当時はよく衝突したものだ。話し合うほどに問題はこじれ症状もこじれたので、ある日この問題と一人でガップリヨツになるしかないと決意し、それから一切口をつぐむことにした。何せ唯一の味方と思っていた医者ですら裏切り者であるこに気づかされたからだ。まー時を経て実際はそうではないと思うに至ったからいいが、当時は担当医をジャーマンスープレックスで叩きつけてやりたかった。親も医者もようは当事者ではないのだ。当事者になれるのは自分だけだ。どんなに恨みぶしを言おうか、泣こうが、わめこうが、病は1ミクロンもよくならないという圧倒的現実がそこにあった。むしろ自分以外の人は害になる行為、発言を繰り返す。親や医者ですらそうだ。それゆえの決別だ。家族も今では「すっかり治ったねぇ」と喜んでくれる。「そうだね」と笑顔で返事しているが、実際は違う。治っていない。内心「わかってねーなぁ、治ると、治まっているは似て非なるものなのに・・まぇ喜んでくれているようだからエエけど」ってな感じで慣れたものだ。孤独である。これは同じ疾患を抱えたもの同士でも、同士ではってもイコールではない。友人にもいるが、彼は彼で、彼の戦い方で今も戦いを続けている。私もそうだ。私の方法は成功し、彼の方法は・・・だが、「こうしたらいいよ!俺はコレでここまで治ったよ」なんて口が裂けても言えない。皆誤解しているが、「言わないほうが誠意ってことは往々にしてある」彼は彼で孤独に戦っている、そこへ来て他人が偉そうに講釈をたれるなんてことは彼の戦いに水を差すようなものだ。彼の戦いが明るい未来を築くことを祈るのみである。同情ほど残酷なことはない。同情ほど上から見ていることはない。同情ほど相手を卑しめることはない。ジミーちゃんじゃないが、「お前が頑張れよ」と返したくなる。皆頑張ってるんだ。それぞれの能力で、それぞれの知識で、それぞれの覚悟で。同情はそれに水を差す。聞かれた時に素直に応えればいい。だからやっぱ素直が一番なんだねぇ。左脳は最低限動いていればいいのだ。
慢性疾患との闘いは基本的に死ぬまで終わらない。気を抜いたら最後バッサリやられる。逆に気を抜きっぱなしの方がいい。緊張に人間は長く耐えられるように出来てはいない。だから中庸でいる。自分だけの戦いであると認識した時に勇気というか、力のようなものが湧いてくる。自分にした結果は即自分にだけ返る。誰のせいにも出来ない。俺イズフリーだ。自由とはかくも過酷なものかと一人ストイックになったものだ。その思いすら一人だ。孤独である。成果がでようが、悪化しようが全て自分に返ってくる。それが正しい選択であった。今回もその経験が活きそうだ。もういい加減自分と戦うのには疲れていたが、やはり生きている間、生かされている間は戦うしかないようだ。いずれ寿命は来るだろう。それは自分が決めるべきではない。生きるとは孤独なものである。この苦しみは誰もわからない。そして判らないほうがいい。体の苦しみも、心の苦しみもその人にしかわからない。キャパや能力は個々によって異なるので他人とは一切比較できない。師匠からしたら、この程度の苦しみは屁みたいなものだろう。何せ独自で糖尿病を奇跡の完治まで持ち越し、医者を絶句させた。奥さんの死を乗り越え糧とした。だからといって師匠は師匠だ。俺は俺だ。孫悟空とスタープラチナどっちが強いかなんてステージが違うので比較できない。勝つほうが勝つんだろうとしか言えない。しかもソイツも2度目は負けるかもしれない。世の中は常に流動的である。なるほど、心の傷も体の傷と同じなんだなぁ、とつくづく痛感した。私の後輩で心の傷と孤独に戦っている人がいる。彼のあの時の言葉が鮮烈に思い出される。
「誰もわかりませんよ!」
彼は一言だけそういった。「見ている人は見ているよ。言わないだけで、見ていない人ほど口には出すけど、見ている人は黙ってみている」 そう応えたが彼には届かなかった。あの時の彼にいうべきでなかった。今となっては後悔している。その言葉は乗り越えた人が言う言葉だ。彼は傷つき果てようとする自分を辛うじて支えている状態だったと思う。「誰にもわからない」・・・スマン、確かにわからなかった。彼に心からのエールを送りたい。やはりそれを一言で言うと、もののけ姫のコピーに到達する。「生きろ!」もしくは「生きよう!」になるだろうなぁ。「生きろ!」はエールだ。「生きよう!」には自分も含まれいる。
昨日も激しく動揺したが乗り越えられた。昨日で得た経験値はExp30ぐらいか、いや100はあったな。久々に大きかった。あれは大きい・・・大きいよママン・・・・。レベルは幾つだろう?心の経験値はレベル100ぐらいいってそうだが、実務の経験値が信じられないぐらい低い。社会ではほとんど役にたたんな。もう少し実務経験値を上げないと。提出した作品も「あー・・ヤレヤレ」と我ながらため息が出る。これじゃまるで、MPばっかり高くて基礎魔法の「ファイヤー」しか覚えていない魔法使いみたいだ。ん?
「その例え、うまい!!!」
そうだ。まさにソレだな。HP10MP10000で使える技能ファイヤーとフリーズ、サンダー、その他デフ類、でもファイヤー以外全部レベル1wwwww んでキャラレベルだけは無駄に上位・・・使えねぇ・・・・・・・・・・・糞キャラだ。ザコにペチって撫でられただけで、
「Oh!」
(死亡しました。このまま待ちますか?近くの村まで転送しますか?Y/N)
って感じで即死やん。やはりここは魔法使いといえ最低3000ぐらいHPを上げて、もっと強化魔法をあげないとな。後全体は欲しい。でないと全く何もできんぞ!村で交渉レベルばっか高くても外に出られん!!
「何の話だ?」
まぁ、そんな感じだ。いい経験にするか、悪い経験にするかは自分次第だが、生きるってつれーなぁーオイ。癒しが欲しいなぁ。俺にとって癒しはなんだ?んー・・・なんだ?w 自分でもわからん。今は機械をいじることかな。新しい電話の機能を完全掌握して「気持ちい!超気持ちいぃぃ」ってところだ。この電話には盛り込む予定であったものの実際機能することがなかった機能があるとわかった。「・・・まぁ、別にどうでもいいかw」 電話だけあって機能掌握にあまり時間がかからなったし。あー・・・マザーついたら即効で組み上げてしまいそうな自分がいる。体がこうなので食べ物は癒しにならなくなってしまったし。そう考えると、人間五体満足であることがどれだけ恵まれたことか・・・あぁ・・・隣の畑は青くみえる・・・・。最近超ド急の貧乏アイドルが話題になっているようだが、彼女の話はすさまじい。ノーパンで過す、花は食べるもの、とかぶっ飛びかたが普通じゃない。しかし、改めて思い知らされたのだが、やっぱり自分を含め現代日本に降りかかった最大の不幸は、左脳をやたらに働かせなければいけない社会構造にあることと思った。彼女は両親がほんと善良で愛がある人なのだろう。彼女はそれほどまでの超ド貧乏でありながらなんら憎悪がない。親に対しても、7人兄弟に対しても。父親はそんだけ子供こさえた上に無職という、左脳で考えるととんだトーヘンボクだ。しかし、彼女はなんら恨んでいない。幸せと堂々と語れる。愛があったのだろう。そこには「生きる」ことそのものの全てが詰まっていたのだろう。それ以上に何が必要なのだろうか。理屈やお勉強はあとからついてくる。まずは行動、右脳だ。直感で瞬時にものごとをとらえ心の法律に従って行動する。そこに愛があれば安定するだろう。どのみにち正しい道なんてものははなっからないわけだしなぁ。
しかし左脳生活をとことんまで強いられた我々は逆に彼女のような生活にいきなりなれないし、発想にもなれない。ここが教育や社会環境の恐ろしいことだ。私の受けた心の傷と同じでもうシナプスが完全かつ強固に接続されているので、よほど長い時間をかけて意識的に改善させない限りそのような考えを定着させるのは難しい。しかし試みる価値は間違いなくあるだろう。何せ人間は動物である。動物として基本的に行動することがまずベースであってこそ安定するのだ。自分の欲のために他人を傷付けること前提としなければ、何をやってもどうにかなるはずだ。後はその人の運だ。運が悪い人は家にずーっとこもっていても隕石が直撃してなくなったりする。何十回事故をおこしてもピンピンしている人はいる。
まぁ、全てはこの世を去るまでの俺劇場なのだろう。主人公を活かすも殺すも俺次第か。
展示会の打ち合わせに出かけたのだが、隣に十中八九不安神経症の人が座っている。彼の動きが典型的な動きを繰り返す。最初は別に気にしていなかった。人は人それぞれの戦いをしているものだ。俺には俺の戦いがある。彼を隣で感じながら、「疲れたなぁ」と思っているとアレが突然きそうになる。アレが来る精神的感触はもう覚えてしまった。何せ50時間以上同居した。すると瞬時に動揺が走る。意識は「え?なんで?どこにその理由が?」と探るが、自分に見当たらなかった。彼の動作が彼の精神性を反映し、その精神性とはまさにアレなのだ。触発されアノ時に恐怖が電撃のように身体を駆け抜ける。死よりも恐ろしい体験だ。意識は当然理由がないため、勝手に理由なきパニックを起こしそうになる。右脳系の仕業だ。「うへー・・マジかよ」と左脳は思ったが、この2ヶ月の経験から心術で、かろうじて平静さを取り戻すことが出来た。
ショックだったのは、深い傷というのは直接的因果関係がなくても勝手にスイッチが入ってしまうということだ。意識を超えているのでどうにもならない。右脳を再教育するしかないのだ。これは慢性的身体の病とまるで同じ反応をするということを知った。身体の慢性疾患が全く同じである。簡単に言うとどれも免疫機構による過剰防衛反応なのだ。肉体をコントロールしている無意識下のこの動きも過剰防衛反応なのだ。意識をしなくても生きているのは無意識が肉体をコントロールしているからだ。
「あー・・・身体って心もやっぱり肉体と同じなんだなぁ・・」
と感じてしまった。攻殻のシロウさんがそう言っている。心も機械で再現できるというのはまさに彼の弁だ。最初は「シロウさん好きだけどあ4か!」と思ったが体感してしまった。肉体反応そのものは確かに機械でもできそうだ。パソコンがウィルスによって悪さをするように右脳や脳幹による無意識下の肉体反応もまた傷によって正常な行動が出来ない。理屈としてはわかるが、実際に自分が経験することになろうとは思わなかった。済んでしまったこととはいえ、したくもない経験をしてしまったものだ。ただ、してない人と違ってしたためにこの感覚を小説に書くことが出来そうだなぁ。実際これは課題だった、PSO外伝のCOOLZとDOORAというアンドロイドを最終的にどう消化するか、それは実際ツメの部分が課題としてあった。最終的な扱いが消化しきれずに課題としてずっとあった。ただ書くには早そうだ。傷というのはスイッチなので、書こうとすることスイッチが入ってしまう。これは凄い。意識とは無関係である。下手に入れると傷は一層深まるので危険だ。ん・・・まるで体の傷ととことん同じだな。
皆さんは考えたことがあるだろうか。なぜ性欲がおきるのか?そもそも男性は裸やその行為をみると何故興奮するのか。それはまるでスイッチだ。私は中学生の頃からずっと考えている。昆虫の交尾に興奮するだろうか?魚の生殖行動に興奮するか?まー特殊な嗜好の人はするだろうが、私はしない。多くの人はしないのだろう。でなければとっくの昔にTVで放送されるはずがない。その他哺乳動物の生殖行為は人間のソレに近いからTVでも滅多に放送されない。想像力が豊かな人はその映像でもスイッチが入っちゃうからだと思う。でも普通これらの映像は感動すら受ける。「へー!すごいなぁ」 じゃあ、なぜ人間同士の生殖行為には感動を感じないのだろう。性欲をそそるのか・・・。これは深層意識、肉体を制御している左脳分野とは異なる右脳、以下その他の原始脳類でそう刻み込まれているからだと思う。そうして種を絶やさないようにしている。女性が男性に比べホイホイ興奮しないのは肉体的制限から同じように刻まれているからだ。種の保存ということを考えると、農業と同じで種はとにかくまかないとどうにもならない。一杯まく。すると何割かは必ず失敗する。だからまく。男はまく役割なので、とにかく興奮するようになっている。自分という個の保存、種の保存のために全く左脳の意識や理屈を超えて作動するようになっている。
今回の体験で気づいたのは、心の傷もこれと同列かもしれないということだ。理屈じゃないのだ。あーメンドクセー自分をまた抱えたなぁ・・・と思うが時は巻き戻らないので仕方がない。立ち向かうのみだ。確かにあの死の恐怖は絶対的だった。それが48時間以上続き、時には連続、時には断続的に10日近く痛烈に続いた。心の問題は慢性疾患と同じく根本的な解決策が無いとは言わないが、極めて難しくデリケートだ。複数の慢性疾患と長年お付き合いした経験からいうと、この方法で治るという道は皆無だ。心の慢性疾患も同じなのだろう。あらゆる方法を検討し、自ら向き合い、長い間に自分なりの方法論を確立するしか道はない。体の慢性疾患はそれで乗り越えてきた。私は親にすら頼らなかった。実際は頼れなかったといっていい。何せ話しにならないのだ。言葉が通じないと言っていい。当時はよく衝突したものだ。話し合うほどに問題はこじれ症状もこじれたので、ある日この問題と一人でガップリヨツになるしかないと決意し、それから一切口をつぐむことにした。何せ唯一の味方と思っていた医者ですら裏切り者であるこに気づかされたからだ。まー時を経て実際はそうではないと思うに至ったからいいが、当時は担当医をジャーマンスープレックスで叩きつけてやりたかった。親も医者もようは当事者ではないのだ。当事者になれるのは自分だけだ。どんなに恨みぶしを言おうか、泣こうが、わめこうが、病は1ミクロンもよくならないという圧倒的現実がそこにあった。むしろ自分以外の人は害になる行為、発言を繰り返す。親や医者ですらそうだ。それゆえの決別だ。家族も今では「すっかり治ったねぇ」と喜んでくれる。「そうだね」と笑顔で返事しているが、実際は違う。治っていない。内心「わかってねーなぁ、治ると、治まっているは似て非なるものなのに・・まぇ喜んでくれているようだからエエけど」ってな感じで慣れたものだ。孤独である。これは同じ疾患を抱えたもの同士でも、同士ではってもイコールではない。友人にもいるが、彼は彼で、彼の戦い方で今も戦いを続けている。私もそうだ。私の方法は成功し、彼の方法は・・・だが、「こうしたらいいよ!俺はコレでここまで治ったよ」なんて口が裂けても言えない。皆誤解しているが、「言わないほうが誠意ってことは往々にしてある」彼は彼で孤独に戦っている、そこへ来て他人が偉そうに講釈をたれるなんてことは彼の戦いに水を差すようなものだ。彼の戦いが明るい未来を築くことを祈るのみである。同情ほど残酷なことはない。同情ほど上から見ていることはない。同情ほど相手を卑しめることはない。ジミーちゃんじゃないが、「お前が頑張れよ」と返したくなる。皆頑張ってるんだ。それぞれの能力で、それぞれの知識で、それぞれの覚悟で。同情はそれに水を差す。聞かれた時に素直に応えればいい。だからやっぱ素直が一番なんだねぇ。左脳は最低限動いていればいいのだ。
慢性疾患との闘いは基本的に死ぬまで終わらない。気を抜いたら最後バッサリやられる。逆に気を抜きっぱなしの方がいい。緊張に人間は長く耐えられるように出来てはいない。だから中庸でいる。自分だけの戦いであると認識した時に勇気というか、力のようなものが湧いてくる。自分にした結果は即自分にだけ返る。誰のせいにも出来ない。俺イズフリーだ。自由とはかくも過酷なものかと一人ストイックになったものだ。その思いすら一人だ。孤独である。成果がでようが、悪化しようが全て自分に返ってくる。それが正しい選択であった。今回もその経験が活きそうだ。もういい加減自分と戦うのには疲れていたが、やはり生きている間、生かされている間は戦うしかないようだ。いずれ寿命は来るだろう。それは自分が決めるべきではない。生きるとは孤独なものである。この苦しみは誰もわからない。そして判らないほうがいい。体の苦しみも、心の苦しみもその人にしかわからない。キャパや能力は個々によって異なるので他人とは一切比較できない。師匠からしたら、この程度の苦しみは屁みたいなものだろう。何せ独自で糖尿病を奇跡の完治まで持ち越し、医者を絶句させた。奥さんの死を乗り越え糧とした。だからといって師匠は師匠だ。俺は俺だ。孫悟空とスタープラチナどっちが強いかなんてステージが違うので比較できない。勝つほうが勝つんだろうとしか言えない。しかもソイツも2度目は負けるかもしれない。世の中は常に流動的である。なるほど、心の傷も体の傷と同じなんだなぁ、とつくづく痛感した。私の後輩で心の傷と孤独に戦っている人がいる。彼のあの時の言葉が鮮烈に思い出される。
「誰もわかりませんよ!」
彼は一言だけそういった。「見ている人は見ているよ。言わないだけで、見ていない人ほど口には出すけど、見ている人は黙ってみている」 そう応えたが彼には届かなかった。あの時の彼にいうべきでなかった。今となっては後悔している。その言葉は乗り越えた人が言う言葉だ。彼は傷つき果てようとする自分を辛うじて支えている状態だったと思う。「誰にもわからない」・・・スマン、確かにわからなかった。彼に心からのエールを送りたい。やはりそれを一言で言うと、もののけ姫のコピーに到達する。「生きろ!」もしくは「生きよう!」になるだろうなぁ。「生きろ!」はエールだ。「生きよう!」には自分も含まれいる。
昨日も激しく動揺したが乗り越えられた。昨日で得た経験値はExp30ぐらいか、いや100はあったな。久々に大きかった。あれは大きい・・・大きいよママン・・・・。レベルは幾つだろう?心の経験値はレベル100ぐらいいってそうだが、実務の経験値が信じられないぐらい低い。社会ではほとんど役にたたんな。もう少し実務経験値を上げないと。提出した作品も「あー・・ヤレヤレ」と我ながらため息が出る。これじゃまるで、MPばっかり高くて基礎魔法の「ファイヤー」しか覚えていない魔法使いみたいだ。ん?
「その例え、うまい!!!」
そうだ。まさにソレだな。HP10MP10000で使える技能ファイヤーとフリーズ、サンダー、その他デフ類、でもファイヤー以外全部レベル1wwwww んでキャラレベルだけは無駄に上位・・・使えねぇ・・・・・・・・・・・糞キャラだ。ザコにペチって撫でられただけで、
「Oh!」
(死亡しました。このまま待ちますか?近くの村まで転送しますか?Y/N)
って感じで即死やん。やはりここは魔法使いといえ最低3000ぐらいHPを上げて、もっと強化魔法をあげないとな。後全体は欲しい。でないと全く何もできんぞ!村で交渉レベルばっか高くても外に出られん!!
「何の話だ?」
まぁ、そんな感じだ。いい経験にするか、悪い経験にするかは自分次第だが、生きるってつれーなぁーオイ。癒しが欲しいなぁ。俺にとって癒しはなんだ?んー・・・なんだ?w 自分でもわからん。今は機械をいじることかな。新しい電話の機能を完全掌握して「気持ちい!超気持ちいぃぃ」ってところだ。この電話には盛り込む予定であったものの実際機能することがなかった機能があるとわかった。「・・・まぁ、別にどうでもいいかw」 電話だけあって機能掌握にあまり時間がかからなったし。あー・・・マザーついたら即効で組み上げてしまいそうな自分がいる。体がこうなので食べ物は癒しにならなくなってしまったし。そう考えると、人間五体満足であることがどれだけ恵まれたことか・・・あぁ・・・隣の畑は青くみえる・・・・。最近超ド急の貧乏アイドルが話題になっているようだが、彼女の話はすさまじい。ノーパンで過す、花は食べるもの、とかぶっ飛びかたが普通じゃない。しかし、改めて思い知らされたのだが、やっぱり自分を含め現代日本に降りかかった最大の不幸は、左脳をやたらに働かせなければいけない社会構造にあることと思った。彼女は両親がほんと善良で愛がある人なのだろう。彼女はそれほどまでの超ド貧乏でありながらなんら憎悪がない。親に対しても、7人兄弟に対しても。父親はそんだけ子供こさえた上に無職という、左脳で考えるととんだトーヘンボクだ。しかし、彼女はなんら恨んでいない。幸せと堂々と語れる。愛があったのだろう。そこには「生きる」ことそのものの全てが詰まっていたのだろう。それ以上に何が必要なのだろうか。理屈やお勉強はあとからついてくる。まずは行動、右脳だ。直感で瞬時にものごとをとらえ心の法律に従って行動する。そこに愛があれば安定するだろう。どのみにち正しい道なんてものははなっからないわけだしなぁ。
しかし左脳生活をとことんまで強いられた我々は逆に彼女のような生活にいきなりなれないし、発想にもなれない。ここが教育や社会環境の恐ろしいことだ。私の受けた心の傷と同じでもうシナプスが完全かつ強固に接続されているので、よほど長い時間をかけて意識的に改善させない限りそのような考えを定着させるのは難しい。しかし試みる価値は間違いなくあるだろう。何せ人間は動物である。動物として基本的に行動することがまずベースであってこそ安定するのだ。自分の欲のために他人を傷付けること前提としなければ、何をやってもどうにかなるはずだ。後はその人の運だ。運が悪い人は家にずーっとこもっていても隕石が直撃してなくなったりする。何十回事故をおこしてもピンピンしている人はいる。
まぁ、全てはこの世を去るまでの俺劇場なのだろう。主人公を活かすも殺すも俺次第か。
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