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ネット人生まっしぐら、アナログとデジタルの狭間にいきるドーラの雑記帳です。
02 / 03 Mon 14:02 ×
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07 / 20 Mon 15:05 #ドーラ ×
現代の大人の軟弱さには憤りすら感じる。
いや、うちらの親の世代にすらそうだ。
ここまで社会をダメにしたのは自分達でありながらまるで他人のフリだ。
子供がちょっと右往左往すればギャーギャーと大騒ぎ。
芯の通った大人と言える人はジーちゃんやバーちゃんにまで遡らないといない有様だ。
恥を知れといいたい。
言葉の呑み、世界を広く見通した上で考え行動できる大人なんてここ40年おらんちゃうか?

私の理想とする大人はハリーポッターのダンブルドア校長だ。
もーハーマイオニーとかポッターとかなぞ校長の魅力に比べたら屁みたいなものだ。
横道にそれると、あの物語は人物の魅力配分が実に素晴らしい。
秘密の部屋まではクソ映画だなーと思っていたが、アズカバンから飛躍的に面白くなった。

ダンブルドアのシーンばかり繰り替えしみちゃう。
全体をみながらもポッターのためを思い、黙して語らず、それでいて「わしのせいじゃ・・」と全てを引き取る潔さ。高潔さ。それでい愚痴らないし悲観もしない。折れることも無く、泣き叫ぶことも無く、困ることもなく、次々と変転する事態に対して実に柔軟に対応する。

「わしが素直に連行されるとおもうたか?」
と言って、サクっと不死鳥とともに消え去るシーンなんて最高にカッコよすぎる。
その時に、ニヤっとしたなら若造だが、ニヤリともせず当然のごとく颯爽と消え去る。
カッコイイイイイイイイイイイイ!!
ダンブルドアに抱かれてーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!
いかんいかんw それじゃ単なる変態だ。
あれぞ大人、あれぞ理想である。
あの映画には大人の完成形が色々出演する珍しい映画だ。
あのパー子も一つの悪い完成形だ。実際にいるんだよアノ手の大人・・・ガッペムカツクw
セブルスの一つの形だし、マクゴナガル先生もそう。皆大人だなーと思える人たちである。
シリウスのダンブルドアほどは大観しきれていない感じも大人である。
不死鳥の騎士団でのダンブルドアは理想中の理想である。
あれぞ大人の愛である。
大人はあれが理想だ。
ああいう大人に見守れた子供は幸せである。

今の世の中が歪んでいるのは取りも直さず我々の親世代の責任だ。
しかしそれも我々の時代になりつつある。今度は我々が世界を築く番だ。
ダンブルドア校長は空想の住人だが、私の爺ちゃんがああいう凛々しいジーちゃんだった。
今思い出しても胸が熱くなる。
ああいう人になれれば世界は間違いなく良くなる。
不遜の親どものツケ払わされる形となるがそれもまた生命の連鎖のなか仕方がないだろう。
ああダンブルドアみたいな大人に今一度会いたい。

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