ここ数日悪夢ばかりみている。
まるで過去の思い出が走馬灯のようによみがえり、昔一緒だった人達がオールスターの番組がごとく次々と登場する。普段は知人が出る夢は一切みないのだが、きまって高熱が出たり死線をさまよった時だけ登場する。
おかしい。死線さまよってもいないし、高熱が出たわけでもないのに。
あーそうか!
養老さんの「死の壁」を読み終わった。このせいだw
死について、私は物心ついたとほぼ同時に考えていた。小学3年生ぐらいからだ。本格的に考えたのは小学5年生頃だ。なぜ自分が生きているのか、気づいたら生きているのに、何故死なないといけないのか、そもそも生きているとはなんなのか、死ぬのがわかっているのに何故生きないといけないのか。そんなことを、友達と遊んだりガールフレンドといちゃついている以外は考えていた。毎日そればかり頭をグルグル回っていた。親をみて突然涙が出たこともあり、兄弟に不気味がられたw 親をみて涙が出たのはすぐにわかった。年齢上、先に逝くのは親であるからだ。しかし、同時にそれは恐ろしいことであった。「これはイカン!先に死なないと大変だ」と思い、2階から飛び降りようと思ったことも多々ある。高所恐怖症なので、2階から下をみただけで背筋がゾッとして止めた。TVのドラマで首吊りのシーンをみて、「首をつれば人は死ぬのか」と思い、首をつってみようと思ったことも何度もある。吊る場所がなかったw 仕方ないので、わっかにして自分で吊ってみる。
ゲホゲホゲホ。咳が出た。
「なんだ!苦しいじゃないか」
やけに狼狽した。そして、「こんな死にかたで逝くなんて頭がおかしいんじゃないか?」と去った人達の精神性を疑った。自分が一般的にみて奇妙な行動(奇矯)をしていることは自覚していた。なので当然親兄弟や学校の先生には秘密にしていた。子供心に「言っても理解できまい」と顔を見た瞬間に断念した。恐らく私みたいな大人が傍にいればすぐに話したかっただろう。あんまり深刻にとらえられるのは嫌だったし(深刻な問題だが)、さりとてバカ扱いされるのはもっと心外だった。周囲をみて瞬間的に、この大人たちには理解できないだろうと思い口を閉ざした。しかし、どうにも我慢できずにジャブをかましてみたこともあったが、ジャブだけで大人は目の色を変えたのが見て取れた。「あー・・・この程度でショックを受けるのか。到底核心にはいけんな」と生意気にも思ったものだ。
死を意識したのは小学3年生の時だった。飼い犬が死んだことである疑問がわいた。物心つくかつかないかぐらいの程度なのでその時はほとんどショックはなかった。いつの間にか死んでいた。埋めに行くと泣きながらいう母に「なんで?」ってなぐらいだった。すぐ会えるぐらい感覚だったが、その犬は二度と姿を現すことがなかった。当然なのだが、それは当時の私には理解できなかった。その犬子供だけが残された。次なる転換期を迎えたのはその子供の犬が亡くなった時。私は第一発見者となり、幸か不幸か死に触れてしまった。しばらくは何をしても頭の片隅から彼の死がついてまわった。そこから本格的に考え出した。
この本は今まで問い続けた「死とはなんぞや、生とはなんぞや」ということに対して的確に手ごたえをもって応えていた。恐らく、今まで深く考え、何より感じたことがない人はピンとこないだろう。だからこの本は「バカの壁」ほどベストセラーにはならなかったのだ。この本を感じ取れない人はある意味で幸せな人だ。心が軽くなった。私が至った結論に限りなく近く、それでいて的確かつ明快だった。私は犬の死後以来、人の死が頭から離れられない。母方のバーちゃんが亡くなった時、ジーちゃんが亡くなった時、今でもはっきりと覚えている。何より師匠の奥さんの死は衝撃だった。生から死への境にいたためだ。中学時代の彼女の母親が亡くなった知らせを聞いただけでゾっとした。若くて可愛らしい母親だったとぼんやり記憶している。相当若いのに。友人の父君が亡くなられた時もショックだった。父君は私が最後にたずねたおり 「君は書家なんだってねー!若いの偉いね。なんか書いてよ」とヒヨッコの私にせがみ置物のヒョウタンに書いてくれと、筆と墨を用意してくれた。ド緊張のなか、たまたま練習していた草書1字を書いて手渡した。父君は「おお!ありがとう、何て書いてあるんだい」と嬉しそうに受け取り言った。第三者の死というのは「もう2度と会うことも会話する(心を通わせる)こともない」ということを意味していると私は結論づけている。それはとても寂しいものだ。2度通うことのない思い。
あの世にいけばまた会えるだろうか?と考えることもあったが今の結論はない。死んだことがないからだ。所謂臨死体験というのも私は正直信じていない。脳はいくらでも幻想をみせてくれる。世界でもっとも優れた脳科学者の発表は実に得心がいった。大まかに言うと、「何を見たかにを見たと人は言うが、それはその通り見たんです。ただし、それは本人の脳が見たのであって、実際にいた、あったとは違う。脳は無いものを作り出すことは得意なんです」ということ。私はいたく納得した。しかし、だからといってないとは断言できない。なぜなら誰も死んだことがないから。死んだ人は二度と戻ってこない。戻ってきたのは死んだとは言わない。元々生きているのだ。臨死ではなく瀕死の脳が生み出した像であるというのが正しいだろう。
この本で書かれているように、一人称の死、つまり自分の死は考えても仕方がないのだ。突然やってくるし、やってきたら最後、もう関係ないからだ。私が恐ろしいのは第三者の死である。私が生きている以上、それは受け止めなくていけない。受け止められないということは心神喪失ということである。なんと恐ろしい。自分の死で困るのは、せいぜいなんの価値もないガラクタが多いので、ガラクタを整理するの大変だろうなーと思うことと、「え!あの子はこんな性癖があったの」と弁解の余地なく決め付けられることぐらいだろうw いやいや、私は至ってノーマルであるw 他人の性癖というのは得てして異質に見えるものだ。過去から現代までにそれなりに色々物色してみたキャリアがあるので1つだけ拡大視すると「こんなに守備範囲が広いの!」と言われかねない。死んだら弁解の余地がないので一方的に言われるだろう。怖い怖いw 私はつくづくノーマルだ。嫌になるほどノーマルである。嘗ての同僚には、彼女にナニに水飴を突っ込んだの、ビール瓶がどーの、しょーもないことをしている連中は五万といる。若気の至りだろう。今そのことを言ったら赤面するだろう。俺なんかそんな発想すらもない。かように性癖とは他人からみたら一見すると妙に見えるものだ。資本論を書いたマルクスだったけかなー、彼なんか確かかなりの露出狂で逮捕されたことがある。「戦場のピアニスト」の監督だっけか、最近話題になっていたが昔強姦の罪で逮捕されたことがあるしね。犯罪は別にしても、結構みんな色々やっているものだ。
私の大学時代の友人には、「俺がもし死んだら押入れの置くにあるダンボールは全部焼いて欲しい!もしくは趣味があうなら引き取って!一生のお願いだから!!と合鍵のありかまで教えてくれた。「絶対に親や他人には見られないで!」と言われたが、現実問題そんなことしたら俺は軽犯罪者だw 当時の俺ならやらなかっただろう。「無理無理無理無理!」って言ったが懇願されて困ったものだ。結婚する時に送りつけてきた女子もいる。「箱を開けないで捨てて!」ときたが「自分で捨てればエエやん」と言う私に「万に一つも他人に見られたくない」という。「きたら開けるよ?w」と言う私に「ドラちゃんなら、開けないでと言ったら絶対に開けない人だから信じてる」といわれてしまい先手を打たれた。「万が一開けても、開けたって言わなかったら信じるから」と言われ困ったものだ。他人事なら笑い話にすむが、実際自分が死んだ時になるべく生者の人たちには迷惑をかけたくない。まー、最終的には関係ないがw 理想としては「立つ鳥後を濁さず」が理想だ。
養老さんのこの言葉がいい。
「焦って死ぬことはない。何せ致死率は100%なのだから」
どんなに金があろうが、なかろうが、文句があろうが、なかろうが、頑張ろうが、ぼーっとしていようが、地位や名声があろうが、なかろうが、偉業をなしとげようがしまいが、子供がいようがいまいが頑張ろうが頑張るまいが、遅かれはやかれ100%この世を卒業する時がくる。死んでしまえば皆ホトケさま。
さて、俺はこの世というステージで後何をしようかねぇ。やりたいことはありすぎるのだが時間も資源も限られる。
まるで過去の思い出が走馬灯のようによみがえり、昔一緒だった人達がオールスターの番組がごとく次々と登場する。普段は知人が出る夢は一切みないのだが、きまって高熱が出たり死線をさまよった時だけ登場する。
おかしい。死線さまよってもいないし、高熱が出たわけでもないのに。
あーそうか!
養老さんの「死の壁」を読み終わった。このせいだw
死について、私は物心ついたとほぼ同時に考えていた。小学3年生ぐらいからだ。本格的に考えたのは小学5年生頃だ。なぜ自分が生きているのか、気づいたら生きているのに、何故死なないといけないのか、そもそも生きているとはなんなのか、死ぬのがわかっているのに何故生きないといけないのか。そんなことを、友達と遊んだりガールフレンドといちゃついている以外は考えていた。毎日そればかり頭をグルグル回っていた。親をみて突然涙が出たこともあり、兄弟に不気味がられたw 親をみて涙が出たのはすぐにわかった。年齢上、先に逝くのは親であるからだ。しかし、同時にそれは恐ろしいことであった。「これはイカン!先に死なないと大変だ」と思い、2階から飛び降りようと思ったことも多々ある。高所恐怖症なので、2階から下をみただけで背筋がゾッとして止めた。TVのドラマで首吊りのシーンをみて、「首をつれば人は死ぬのか」と思い、首をつってみようと思ったことも何度もある。吊る場所がなかったw 仕方ないので、わっかにして自分で吊ってみる。
ゲホゲホゲホ。咳が出た。
「なんだ!苦しいじゃないか」
やけに狼狽した。そして、「こんな死にかたで逝くなんて頭がおかしいんじゃないか?」と去った人達の精神性を疑った。自分が一般的にみて奇妙な行動(奇矯)をしていることは自覚していた。なので当然親兄弟や学校の先生には秘密にしていた。子供心に「言っても理解できまい」と顔を見た瞬間に断念した。恐らく私みたいな大人が傍にいればすぐに話したかっただろう。あんまり深刻にとらえられるのは嫌だったし(深刻な問題だが)、さりとてバカ扱いされるのはもっと心外だった。周囲をみて瞬間的に、この大人たちには理解できないだろうと思い口を閉ざした。しかし、どうにも我慢できずにジャブをかましてみたこともあったが、ジャブだけで大人は目の色を変えたのが見て取れた。「あー・・・この程度でショックを受けるのか。到底核心にはいけんな」と生意気にも思ったものだ。
死を意識したのは小学3年生の時だった。飼い犬が死んだことである疑問がわいた。物心つくかつかないかぐらいの程度なのでその時はほとんどショックはなかった。いつの間にか死んでいた。埋めに行くと泣きながらいう母に「なんで?」ってなぐらいだった。すぐ会えるぐらい感覚だったが、その犬は二度と姿を現すことがなかった。当然なのだが、それは当時の私には理解できなかった。その犬子供だけが残された。次なる転換期を迎えたのはその子供の犬が亡くなった時。私は第一発見者となり、幸か不幸か死に触れてしまった。しばらくは何をしても頭の片隅から彼の死がついてまわった。そこから本格的に考え出した。
この本は今まで問い続けた「死とはなんぞや、生とはなんぞや」ということに対して的確に手ごたえをもって応えていた。恐らく、今まで深く考え、何より感じたことがない人はピンとこないだろう。だからこの本は「バカの壁」ほどベストセラーにはならなかったのだ。この本を感じ取れない人はある意味で幸せな人だ。心が軽くなった。私が至った結論に限りなく近く、それでいて的確かつ明快だった。私は犬の死後以来、人の死が頭から離れられない。母方のバーちゃんが亡くなった時、ジーちゃんが亡くなった時、今でもはっきりと覚えている。何より師匠の奥さんの死は衝撃だった。生から死への境にいたためだ。中学時代の彼女の母親が亡くなった知らせを聞いただけでゾっとした。若くて可愛らしい母親だったとぼんやり記憶している。相当若いのに。友人の父君が亡くなられた時もショックだった。父君は私が最後にたずねたおり 「君は書家なんだってねー!若いの偉いね。なんか書いてよ」とヒヨッコの私にせがみ置物のヒョウタンに書いてくれと、筆と墨を用意してくれた。ド緊張のなか、たまたま練習していた草書1字を書いて手渡した。父君は「おお!ありがとう、何て書いてあるんだい」と嬉しそうに受け取り言った。第三者の死というのは「もう2度と会うことも会話する(心を通わせる)こともない」ということを意味していると私は結論づけている。それはとても寂しいものだ。2度通うことのない思い。
あの世にいけばまた会えるだろうか?と考えることもあったが今の結論はない。死んだことがないからだ。所謂臨死体験というのも私は正直信じていない。脳はいくらでも幻想をみせてくれる。世界でもっとも優れた脳科学者の発表は実に得心がいった。大まかに言うと、「何を見たかにを見たと人は言うが、それはその通り見たんです。ただし、それは本人の脳が見たのであって、実際にいた、あったとは違う。脳は無いものを作り出すことは得意なんです」ということ。私はいたく納得した。しかし、だからといってないとは断言できない。なぜなら誰も死んだことがないから。死んだ人は二度と戻ってこない。戻ってきたのは死んだとは言わない。元々生きているのだ。臨死ではなく瀕死の脳が生み出した像であるというのが正しいだろう。
この本で書かれているように、一人称の死、つまり自分の死は考えても仕方がないのだ。突然やってくるし、やってきたら最後、もう関係ないからだ。私が恐ろしいのは第三者の死である。私が生きている以上、それは受け止めなくていけない。受け止められないということは心神喪失ということである。なんと恐ろしい。自分の死で困るのは、せいぜいなんの価値もないガラクタが多いので、ガラクタを整理するの大変だろうなーと思うことと、「え!あの子はこんな性癖があったの」と弁解の余地なく決め付けられることぐらいだろうw いやいや、私は至ってノーマルであるw 他人の性癖というのは得てして異質に見えるものだ。過去から現代までにそれなりに色々物色してみたキャリアがあるので1つだけ拡大視すると「こんなに守備範囲が広いの!」と言われかねない。死んだら弁解の余地がないので一方的に言われるだろう。怖い怖いw 私はつくづくノーマルだ。嫌になるほどノーマルである。嘗ての同僚には、彼女にナニに水飴を突っ込んだの、ビール瓶がどーの、しょーもないことをしている連中は五万といる。若気の至りだろう。今そのことを言ったら赤面するだろう。俺なんかそんな発想すらもない。かように性癖とは他人からみたら一見すると妙に見えるものだ。資本論を書いたマルクスだったけかなー、彼なんか確かかなりの露出狂で逮捕されたことがある。「戦場のピアニスト」の監督だっけか、最近話題になっていたが昔強姦の罪で逮捕されたことがあるしね。犯罪は別にしても、結構みんな色々やっているものだ。
私の大学時代の友人には、「俺がもし死んだら押入れの置くにあるダンボールは全部焼いて欲しい!もしくは趣味があうなら引き取って!一生のお願いだから!!と合鍵のありかまで教えてくれた。「絶対に親や他人には見られないで!」と言われたが、現実問題そんなことしたら俺は軽犯罪者だw 当時の俺ならやらなかっただろう。「無理無理無理無理!」って言ったが懇願されて困ったものだ。結婚する時に送りつけてきた女子もいる。「箱を開けないで捨てて!」ときたが「自分で捨てればエエやん」と言う私に「万に一つも他人に見られたくない」という。「きたら開けるよ?w」と言う私に「ドラちゃんなら、開けないでと言ったら絶対に開けない人だから信じてる」といわれてしまい先手を打たれた。「万が一開けても、開けたって言わなかったら信じるから」と言われ困ったものだ。他人事なら笑い話にすむが、実際自分が死んだ時になるべく生者の人たちには迷惑をかけたくない。まー、最終的には関係ないがw 理想としては「立つ鳥後を濁さず」が理想だ。
養老さんのこの言葉がいい。
「焦って死ぬことはない。何せ致死率は100%なのだから」
どんなに金があろうが、なかろうが、文句があろうが、なかろうが、頑張ろうが、ぼーっとしていようが、地位や名声があろうが、なかろうが、偉業をなしとげようがしまいが、子供がいようがいまいが頑張ろうが頑張るまいが、遅かれはやかれ100%この世を卒業する時がくる。死んでしまえば皆ホトケさま。
さて、俺はこの世というステージで後何をしようかねぇ。やりたいことはありすぎるのだが時間も資源も限られる。
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