忍者ブログ
ネット人生まっしぐら、アナログとデジタルの狭間にいきるドーラの雑記帳です。
02 / 03 Mon 12:56 ×
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

11 / 05 Wed 12:59 #ドーラ ×
20081105_1.jpg先日親戚がベ○ナムに1週間ほど行っておりました。甥っ子の友人がベト○ムの方で友達だったですが、親の仕事の都合で帰国していたのです。「遊びにいくから!」と約束を交わし3年越し。
んで月曜ビデオ鑑賞会をすることになり行ってましたが、その時に甥っ子が「これ、プレンゼト!」と照れくさそうにくれたのがザク2です。オジサン泣きそうでしたわ。私の心に爽やかな一陣の風が通り過ぎました。愛だねぇ・・・。まー勿論スポンサーはお父さんなんやろうけど、でも、誰かのために何かをしたいというその純粋な動機に感動がこみ上げます。
なんでザク2なのか、それは以前から次にプラモ作るなら「ズゴック>ザク2>ジム」だな。と、兼ねてから喋っていたのです。帰国後すぐ家に遊びに来た時も、喋ってました。予見はしていたんですけどね。まさか!と思いましたよ。予見したのは、帰国後すぐ遊びに来た後、やけに何度も聞くんです。

甥「オジサンはプラモデル何が欲しいの?」
私「ズゴックだねぇ」
甥「次は?」
私「ザクだな!」
甥「その次は?」
私「ジムだね。ジムシリーズなんて揃えたら面白そうだな」
甥「一番欲しいのは?」
私「俄然ズゴックだね!」(話が戻ってる)
甥「その次は?」
私「やっぱりザクだねー。当時はシンプル過ぎて好きじゃなかったけど今見るといいよ」
甥「ジムしかなかったら?」
私「勿論ジムもいいよ。まー断トツでズゴック、ザクだけど、ジムもいいねぇ」
甥「オジサンって誕生日いつだっけ?」
私「○月○日だね」
甥「わかった。ありがとう」

この会話で、「ん?まさかねぇ」と思いその3日後でした。まさかとは思ったけど驚いたねぇ。しかも演出が凝っている。わざわざ、「ニッパが壊れているんだぁ、オジサンに上げたニッパ貸してくれないかなぁ」と言って、わざわざ壊れたニッパを見せて、とりにいかせる。この時に「変だなぁ、彼らしくない」と思ったものの、まぁエエわと思い取りに行くと「いつも遊んでくれてありがとう!」となったのです。ニッパを取りに戻らせたのは、凄い欲しがっていたから、すぐに作りたいだろうと思ってのことのようです。

「もー。。。泣くぞ!www」 

この発言からも、改めて子供っていうのは、やりたいこと、したいこと、したい思いってのは即行動に移す!!ってのが判って一層感動しました。大人みたいに後でやろうとか、貯めてどーのとかいう左脳的つながりはないんですよ。即!即なんです!!その純粋な動機と発想に内心泣き崩れそうでしたが、大人はけして子供の前では泣いてはいけないというのが私のテーマとしてあるので、背一杯の感謝の気持ちを何度も何度も言いました。いやー・・・本当に感動すると言葉って出ないもんだねぇ、「ありがとう、ありがとう」しかほとんど出なかった。


拍手[0回]


そしてこの日は同じぐらい驚いたことが!遊○王を甥が久しぶりにやりたいというので、調子も大分いいのでやることに。まー大人vs子供で は普通大人が負けることはないです。カードゲームっちゅうのは完全に左脳の世界なので。なのに今まで1度も勝ったことがない。まーズルするんですな。私は ポリシーからズルは絶対に指摘しません。ズルを指摘しだすと、本当にズル賢い大人になるからです。ただ、姿勢と思いは伝えないと相手には伝わりません。 よっぽど酷い時に1度だけ、「ズルしたな!」ではなく、「ゲームってのは勝ち負けを楽しむもんじゃない。勝っても負けても楽しむもんなんだ」ということを 大真顔で伝えたことがありました。その後もズルは続きましたがシンラプリして、「あーまた負けたぁー」とか言ってました。子供にとって「勝つ」っていうことの意味は非情に大きいことは重々わかっているので指摘はしません。しかし、勝ちだけに囚われるようになったり、ズルをしてでも勝てばいいという大人にだけはなってほしくありません。でないと、人としてもっと大切なものを失ってしまい、取り返しがつかないことになってしまうからです。大人になれば、あんなに勝てる筈がない、というのが心から理解できるようになるので、それを待とうと思いました。子供をずる賢くさせるのは大人たちであり、子供を嘘つきにするのは大人たちなので、ズルや嘘は気づいていても一切追求しません。子供たちも辛いんです。「ズルをするのは」「嘘をつくのは」そこに追い討ちをかけると、基軸がズレて「もっと上手にズルをしよう」もっと上手に「嘘をつこう」となっていきます。それは心の平静を保とうとする正常な反応なんですね。すると、いつの間にか心の基軸がブレてしまい、そのブレたことにも本人は気づかない。そして、当然他人や社会ってのは沈黙して見守っているので、相応な道しかない。

それが、以前通りに光の防御デッキで遊んでいると「降参!」と初めて言ったのですよ。一瞬我が耳を疑いましたが、「やったー勝ったー!」とだけ言いました。彼は気づいてませんが、初めての勝利でした。まー次は負けたけどね。次も普通に勝った試合でしたが、ズルは見逃しました。「うわー負けたー!あと1手判断を間違ったなぁ」とだけ言ってそれで終了。これは嬉しかったねぇ。負けを認めるというのは勝つことよりも難しいことです。でも、勝つことよりも負けることを認められる精神性の方が計るにその人を成長させ、大きくさせ、徳が集まるんです。負けを知ることは己を知ることです。己を知らなければ何も始まりません。それこそ、己を知り、その上で相手を知れば百選危うからずなんですねぇ。まさかそんな日がこんなにも早く訪れるとは思いませんでした。いやー驚きと感動でビビビっときましたが、これまたいつも通り平然としてみせた私です。とにかく大人は動揺しちゃいけません。伝えていいのは、喜びと感謝の気持ちだけです。どんなに苦しくても、泣きそうでもそれを素直にだすべきじゃないでしょう。大切なのは耐えている姿を見せること。越える姿をみせること。子供は大人が思っているより動物的感覚で大人より正確に事態を心で把握してます。「いつもと違う、悲しそうだ」とかいうのはわかるんです。それを耐えているという姿勢を見せることが大切なんだと思う。でないと、子供は不安になるし、壁にぶつかったときにいとも容易く感情的になり精神も不安定になる。感受性に長けてはいても心術は大人のほうが遥かに上です。それは過去に乗り越えてきたからであります。子供の頃のショックというのは、大人が受けるよりも何十倍も大きいのでショックは与えない方がいい。まぁ、そんな風な思いをのせ甥とは接しています。この日、結局ビデオはチラチラ程度で、甥っ子の遊んでました。オジサンと遊べる機会は早々ないので、甥っ子としては1分1秒も無駄にしたくないと言わんばかりに次々と遊びましたねぇ。まぁ、ビデオはチラ見程度でも充分旅の雰囲気は伝わったからエエんだけどね。一緒に旅をした気分になりましたよ。

この日は生涯で一番幸福な時を過せたかもしれません。にしても、この子は客観的に見てかなりの芸術家、もしくは表現者になりうる素養があるなぁ。今年の作品をみても、背筋がビリっときました。大人では書けない書です。同世代の子でももう書けない子が圧倒的に多いでしょう。美的含有量の高い書で、このままいってここに技術力が加わった日にはとんでもない表現者になるなぁと我が甥ながら目が覚める思いでした。元々感受性が強く、相当頭がきれるので心の基軸さえブレなければ大輪の花を咲かせること請け合いでしょう。いち書に携わるものとして物凄い刺激を受け、焦りました。美的含有量では明らかに私の作品の負けです。参りました。ヤヴァイw いやーしかし嬉しいねぇ。子供の思いってのは純粋な愛だねぇ・・・。しみじみ勉強させてもらってるなぁ俺。
PR
NAME
TITLE
MAIL
URL
VOICE
EMOJI / FONT COLOR
Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字
PASS
 
"ドーラ" WROTE ALL ARTICLES.
PRODUCED BY SHINOBI.JP @ SAMURAI FACTORY INC.