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たまさかチャンネルをひねったら、やっていた。うぅ・・喉が痛い、腹も痛い。
大阪では紅葉をてんぷらにして食べるとは・・・
沖縄に沖縄手帳なんてあるとは・・・
と、驚きをもってみた。その中で、
新潟県でカツ丼といえば、豚カツとご飯だけの醤油カツ丼をさすと出てきた。
う、う、うまそーーーーーーーーーーーーーーーーっす!
カツ丼を見ると思い出すのはS社時代に通ったカツ屋だ。老舗のようでお姑女さんや若奥さんやら家族で経営している。その周辺には似つかわしくない昭和の雰囲気でリラックスできて好きだった。心はリラックスできても実際はそんな余裕ないほど店は大混雑。超人気店なので邪魔したら悪いから食べ終わったらすぐ店を出る。そこで私がよく頼んだのがソースカツ丼。今ブームなん?この店は10年以上前からやってるわーい!甘辛いソースカツ丼・・・懐かしい。あの店なら確実にまだやっているだろう。今度わざわざ食べにいこうかな。ボーナスや給料が出るとヒレカツ定食を頼むのが恒例だったが、給料はAヒレ、ボーナスはSヒレとランクわけしていたw
あー・・あそこのソースカツ丼食べたい。食事の思い出って残るねぇ~。
あぁ・・お腹痛い・・・。
あぁ・・醤油カツ丼うまそうだった・・。
ピンクの稲荷寿司・・すげー興味ある・・・。
大阪では紅葉をてんぷらにして食べるとは・・・
沖縄に沖縄手帳なんてあるとは・・・
と、驚きをもってみた。その中で、
新潟県でカツ丼といえば、豚カツとご飯だけの醤油カツ丼をさすと出てきた。
う、う、うまそーーーーーーーーーーーーーーーーっす!
カツ丼を見ると思い出すのはS社時代に通ったカツ屋だ。老舗のようでお姑女さんや若奥さんやら家族で経営している。その周辺には似つかわしくない昭和の雰囲気でリラックスできて好きだった。心はリラックスできても実際はそんな余裕ないほど店は大混雑。超人気店なので邪魔したら悪いから食べ終わったらすぐ店を出る。そこで私がよく頼んだのがソースカツ丼。今ブームなん?この店は10年以上前からやってるわーい!甘辛いソースカツ丼・・・懐かしい。あの店なら確実にまだやっているだろう。今度わざわざ食べにいこうかな。ボーナスや給料が出るとヒレカツ定食を頼むのが恒例だったが、給料はAヒレ、ボーナスはSヒレとランクわけしていたw
あー・・あそこのソースカツ丼食べたい。食事の思い出って残るねぇ~。
あぁ・・お腹痛い・・・。
あぁ・・醤油カツ丼うまそうだった・・。
ピンクの稲荷寿司・・すげー興味ある・・・。
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昨日買ったw
デアゴスティーニのシリーズで欲しいのは沢山あったが結局買わなかった。
親愛なるスターウォーズですら買わなかった。創刊号をゲットし損ねた時点でテンションダウンした。
まさか初めて買うのがコレとは、わからないもんだ。
こいつのCMを見た時、「あ、欲しい」と何故か思う。とはいえ、欲しいと思いながら買わないこともあったので結局買わないんだろうなーと思いながらいた。昨日の仕事帰りになんとなく本屋にふと目がいく。目線の先にあった。即手に取った。隣にあったゴッホの週刊誌も購入する。これまたタイムリーだ。ここ数ヶ月ずっと俺の中にゴッホがいた。話はそれるが、凄い値段だ。290円に190円。2号以降は相応の値段だが凄い。さすがに53冊も買うにはなれんが、欲しいのがあったら買いたい。「焚き火の焚き火の曲がり角ぉ~♪」とか好きだ。明るい歌なのに何故か笑顔で号泣してしまう。
何故だろう、
どうしてなのか、
俺に何が起きたんだ?
あの日以来童謡や民謡を聴くと涙が出そうになる。聴きたいという欲求が湧き上がっていた。
しみじみとする。
私はずーっと洋楽邦楽チャンポンで最新のヒットチャートと琴線に触れる曲ばかり聴いてた。洋楽のルーツを思うと、日本のルーツのなんてダセーことか、と思っていたのに。そららの曲には心から響くものがないことに気づいてしまった。
ええわぁ・・・
エエよ・・・
酒飲んだら泣いちゃいそうだ・・
飲んだら死んじゃうけど・・
童謡聴きながら死亡ってなんか映画だねぇ。
あったけぇよ・・
あ・・た・・けぇ・・(ガク
エイドリーーーーーーーーン!
日本人なんだぁと実感する。
日本人でよかったと。
思う。
デアゴスティーニのシリーズで欲しいのは沢山あったが結局買わなかった。
親愛なるスターウォーズですら買わなかった。創刊号をゲットし損ねた時点でテンションダウンした。
まさか初めて買うのがコレとは、わからないもんだ。
こいつのCMを見た時、「あ、欲しい」と何故か思う。とはいえ、欲しいと思いながら買わないこともあったので結局買わないんだろうなーと思いながらいた。昨日の仕事帰りになんとなく本屋にふと目がいく。目線の先にあった。即手に取った。隣にあったゴッホの週刊誌も購入する。これまたタイムリーだ。ここ数ヶ月ずっと俺の中にゴッホがいた。話はそれるが、凄い値段だ。290円に190円。2号以降は相応の値段だが凄い。さすがに53冊も買うにはなれんが、欲しいのがあったら買いたい。「焚き火の焚き火の曲がり角ぉ~♪」とか好きだ。明るい歌なのに何故か笑顔で号泣してしまう。
何故だろう、
どうしてなのか、
俺に何が起きたんだ?
あの日以来童謡や民謡を聴くと涙が出そうになる。聴きたいという欲求が湧き上がっていた。
しみじみとする。
私はずーっと洋楽邦楽チャンポンで最新のヒットチャートと琴線に触れる曲ばかり聴いてた。洋楽のルーツを思うと、日本のルーツのなんてダセーことか、と思っていたのに。そららの曲には心から響くものがないことに気づいてしまった。
ええわぁ・・・
エエよ・・・
酒飲んだら泣いちゃいそうだ・・
飲んだら死んじゃうけど・・
童謡聴きながら死亡ってなんか映画だねぇ。
あったけぇよ・・
あ・・た・・けぇ・・(ガク
エイドリーーーーーーーーン!
日本人なんだぁと実感する。
日本人でよかったと。
思う。
ちょっと前だが、甥っ子とガンダムVer2完成記念撮影会を行った。甥っ子には創造的な遊びを出来るだけ感じてもらいたい。
モビルスーツ勢ぞろい
子供はとにかく全部出すw そこがまたいい。
大人はつい片付ける面倒さを考えてしまうが、子供はその辺が凄い。
リアルにぶっこわれているプラモも関係なく全部並べる。
これが並ぶと凄い迫力だ!
圧倒するキュベレイMk2
最初は差ほど乗り気でもなかった甥だったが、私が色々凝ったことをやりだすと
徐々にテンションがあり自らの想像性を発揮しだした。
ゲームで登場したオリジナルガンダムをキュベレイが圧倒するシーン。いい感じだ。
「おじさんとってー!」と甥。
ちょうど1/100と1/144なのでコントラストもついている。
絶体絶命!
最終的には創造性を限りなく発生させいいシーンを作り出した甥、gj!
ゴックに羽交い絞めにされたガンダム、
そこにシャアのゲルググがビーム薙刀を振りかざす!!
まさに絶対絶命!!
この後も甥っ子は周囲に敵MSを配置し囲ませたw
この頃になるとテンション最高潮。
父親のデジカメを借り、自らも解説しながら撮り捲る。
なぜ解説しながらか、
私はこうした遊びをする時には必ずナレーションを入れるので、
それがうつったのだろうw 盛り上がるのだ。
男のロマンで男らがヒートアップするなか、
母親はクールに、
「もう寝る時間よ!」とヤヤキレ気味に発言。
危険を察した私は「えー」と残念がる甥を説得し散会することにw
私「ガンダム終わったな」
甥「アムロなら倒せるよ!」
私「イカスゥ!」
子供とはなんとポジティブなんだろう。
頬擦りしたくなったw
モビルスーツ勢ぞろい
子供はとにかく全部出すw そこがまたいい。
大人はつい片付ける面倒さを考えてしまうが、子供はその辺が凄い。
リアルにぶっこわれているプラモも関係なく全部並べる。
これが並ぶと凄い迫力だ!
圧倒するキュベレイMk2
最初は差ほど乗り気でもなかった甥だったが、私が色々凝ったことをやりだすと
徐々にテンションがあり自らの想像性を発揮しだした。
ゲームで登場したオリジナルガンダムをキュベレイが圧倒するシーン。いい感じだ。
「おじさんとってー!」と甥。
ちょうど1/100と1/144なのでコントラストもついている。
絶体絶命!
最終的には創造性を限りなく発生させいいシーンを作り出した甥、gj!
ゴックに羽交い絞めにされたガンダム、
そこにシャアのゲルググがビーム薙刀を振りかざす!!
まさに絶対絶命!!
この後も甥っ子は周囲に敵MSを配置し囲ませたw
この頃になるとテンション最高潮。
父親のデジカメを借り、自らも解説しながら撮り捲る。
なぜ解説しながらか、
私はこうした遊びをする時には必ずナレーションを入れるので、
それがうつったのだろうw 盛り上がるのだ。
男のロマンで男らがヒートアップするなか、
母親はクールに、
「もう寝る時間よ!」とヤヤキレ気味に発言。
危険を察した私は「えー」と残念がる甥を説得し散会することにw
私「ガンダム終わったな」
甥「アムロなら倒せるよ!」
私「イカスゥ!」
子供とはなんとポジティブなんだろう。
頬擦りしたくなったw
甥がMGVer2のガンダムを作っている。
4200円もするのなぁw すげーよw グレートだぜw
しかし!
その値段も安いんじゃねーのか!?と思わせる精密なパーツ。
プラモもくせに尋常じゃない分厚い箱と持ったときの重量・・・やっぱ日本ってスゲー!!ニッポン最高!!
昨日仕事から夜帰宅すると、わざわざ制作途中の腕なし上半身ガンダムをもってきてくれた。
凄い・・すさまじい精密な造形に感動しきりである。
そこを母親が、
「そんなに凄いんですか?私はそういう世界は全然わかりません」と仰る。
内心、「それは違うだろ」 と思いながら聞いてた。
師匠ともこのテーマは以前より話していた。美とは共通なのか?私はずっと疑問であった、「○○はわかるけど、○○はわからない」という言葉には何か大きな誤解があるような気がしていた。だから「素人のくせに」とか「やったことないのに何がわかる」と言われることがあるが、それはおかしいと。勿論、素人ではわからない技術的な世界はある。それは当然やったことない素人や、少々やったことある程度の素人に毛が生えた人はわからない。書なんて特にそうだ。しかしそれは美とは異なる価値基準である。この点に関しても師匠とは即合点がいった。
美は共通である。と
感性鈍重で美含有量が少ない作品でも、その技術が極まっていれば美が備わる。それは、たとえ書であれ、油絵であれ、フレスコ画であれ、彫刻であれ、陶芸であれ、パッチワーク、刺繍、人形、プラモ、自動車、電車、工作機械・・・なんであれ同じだ。つまり、プラモをみて、その美がわからないのなら何であれ結局わからないのだ。油絵がわかって、書がわからないなんてのは嘘である。大概の大人で勘違いしている人は多いと思う。わからない筈はない。逆に本当にわからない人も早々はいない。単に真面目に見てないのだ。「わからない」という左脳フィルター、決め付け、思い込みで、感性を遮断してしまっている。ようは見てないのだ。こういう大人の行動が子供の感性を殺す。小手先が器用なだけの絵を上手と勘違いしたりして、本当に美的含有量の高い作品を落選させたりする。大人の罪だ。
「わからない」のではなく、
「わらろうとする気がない」「興味が無い」結果として「見ようとしていない」のだ。
目と同じで、感性も見ようとしなければモノは見えてこない。
目は全ての事象を見てはいるが、脳では瞬間的に取捨選択を行ない見たい情報しか頭に残さない。でないとパンクしてしまう。この真髄が修験道や忍者の隠れ身だったりする。実際に姿が消えるのではなく、限りなく存在を消すことで、実質見えないのと同じ状況を作り出す。学生時代に実験したことがあるが、本気でやると案外存在を消すことができたことに私はいささか驚いた。んが!プラスにもならんw 逆の弊害が出てくるのでおすすめしない。その後で苦労した。
本気で見ようとすれば、見えるはずだ。日本人は美的感受性の優れた国民だと思う。見える人が多い。
だから日本人は下々にわたって製品が優れているし、優れていない製品に対して猛烈に厳しいのだ。
海外の製品の出来栄えや、それに対する捉え方の違いをみると歴然だ。他の国民は平気な人が多い。また、文句をいっても相手が受け入れないとか。日本人は言うほうも、受け入れる方も理解しているのだ。そんな国民は早々いないのではないか。日本の携帯が世界的にトップクラスであるのに世界シェアが数パーセントにしか過ぎないのもそのせいである。
あの緻密さ、精巧さ、バランスが、他のHGやMGシリーズと比較して本気わからないとしたらどんだけ感性の目がチンでるんだ?って思える。んなーはずはない。興味をもってないのだ。子供のすること1つ1つに、真剣に興味をもてっていればそれがなんであれ美であるかいないかはわかる。なんであれ美を見ていないと、目は美を見失う。それは恐ろしいことだ。感性の鈍化は、耳、価値観、行動、全てに現れる。もっと親は子供に興味をもつべきだろう。変な話、AVだってそうだ。センスがあるものとないものは歴然としてる。センスのいいAVを観るべきだ。
ナニがセンスがいいか、
ナニが美なのか、
それを左脳で説いてはいけない。探ってはいけない。
探った時点で美ははるか彼方に遠ざかる。
過去の名品が美と思ってみてもいけない。
美とは自分が決めるものだ。
他の者が決めたものを、美と思って見た時点で、それは美ではなくなる。
さっきの見ていないのと同じことだ。
自分が美である。そう思うものを素直に信じればいい。
そして美だなぁと思うものを次々と観ればいい。
するといつの間にか、美には見えなくなる瞬間がある。
「あきがきたのだ」
飽きたということは、その美は自分の中で食い尽くしたのだ。そこに最早美はない。
次の美を探そう。そうしているうちに、美に対する感受性が養われ、全てにわたって自分が磨かれていることをいつしか気づかされる時がくる。師匠はそれが理由で書を教えている。美的含有量の高い作品は、なんであれ食べても食べても飽きが来ない。美を食べつくせないのだ。
美がわからないのを恥じる必要はない。私も師匠が美だねぇ、とわかるものに美には見えないことも多々あるが、「見えない」と正直に言うし、恥じては居ない。それは後でわかってきて恥ずかしくなることもあるし、いつまでたってもわからないこともある。まずは自分からだ。他人の価値観に振り回される必要はない。
それを甥の母親はわかってない。んが、他の親御さんみたいにギャーギャー言わないだけまだ100倍いい親だ。他の親御さんをみていると、無駄とか、所詮はプラモデルでしょ、とかわかりもしないで子供に言い放ったりする。残酷なはなしだ。子供は凄いもんで、自分の母親がわかってない場合、「言っても無駄だ」と即把握して、その件に関しては一切話しかけない。沈黙してしまうのだ。だから子供が話しかけない親というのは大概このパターンで、子供が悪いのでなく、親が聞く気が無いだけである。なのにうちの子は無口だとかわけわからんない勝手な勘違いをしていることがほとんどだ。言葉を使わずに会話をする子も少なくない、その言葉を交わさない会話を理解できなかったりする。理解しようとしていないのだ。それがわからないのだから今の親たちの罪深さたるや甚だしい。忙しくて余裕がなければ、ちゃんと向き合って「ゴメン、今凄く疲れて余裕がないんだ」と言えば子供は大人より我慢する。それがわかんないんだから一大人として「ヤレヤレだなぁ」と思う。
甥と私で美の感覚は異なるが、互いに互いを否定することしたことがない。違うということを理解しているので、美的談義が出来る。「僕はこういうポーズが好きだ」「おーそれいいね。オジサンはこういうのが好きだ」と「それもカッコイイねぇ」と互いの美を認め合い時には共有しあい、互いの美が刺激され磨きがかかったりする。「コレがいい、コレが一番だ」という決めつかはしたことがない。「僕はコレが一番だ」「私はコレが一番だ」という会話になる。そこで違いを認識し、「ほうほう、そうなんだ」と互いに理解が深まる。
美とは個々人の中にあり、
それでいて共通なのだ。
美的含有量が高いものは、なんであれ美しい。
そういう点で、日本は美に溢れている。
しかし一方で町並みのグロテスクさなどを見ると、公共意識は恐ろしく欠如していることがわかる。
世界どこ探しても日本ほど自由気ままにやって、それが許されている国もそうないだろう。信じられないほど公共意識がない。自由な国だ。これほど自由なのにこれほどカッチリしている国ってのも奇跡の所業だろう。わがままが通ってる国なのだ。
しっかし・・すげー出来だ・・・。信じられない。
4200円もするのなぁw すげーよw グレートだぜw
しかし!
その値段も安いんじゃねーのか!?と思わせる精密なパーツ。
プラモもくせに尋常じゃない分厚い箱と持ったときの重量・・・やっぱ日本ってスゲー!!ニッポン最高!!
昨日仕事から夜帰宅すると、わざわざ制作途中の腕なし上半身ガンダムをもってきてくれた。
凄い・・すさまじい精密な造形に感動しきりである。
そこを母親が、
「そんなに凄いんですか?私はそういう世界は全然わかりません」と仰る。
内心、「それは違うだろ」 と思いながら聞いてた。
師匠ともこのテーマは以前より話していた。美とは共通なのか?私はずっと疑問であった、「○○はわかるけど、○○はわからない」という言葉には何か大きな誤解があるような気がしていた。だから「素人のくせに」とか「やったことないのに何がわかる」と言われることがあるが、それはおかしいと。勿論、素人ではわからない技術的な世界はある。それは当然やったことない素人や、少々やったことある程度の素人に毛が生えた人はわからない。書なんて特にそうだ。しかしそれは美とは異なる価値基準である。この点に関しても師匠とは即合点がいった。
美は共通である。と
感性鈍重で美含有量が少ない作品でも、その技術が極まっていれば美が備わる。それは、たとえ書であれ、油絵であれ、フレスコ画であれ、彫刻であれ、陶芸であれ、パッチワーク、刺繍、人形、プラモ、自動車、電車、工作機械・・・なんであれ同じだ。つまり、プラモをみて、その美がわからないのなら何であれ結局わからないのだ。油絵がわかって、書がわからないなんてのは嘘である。大概の大人で勘違いしている人は多いと思う。わからない筈はない。逆に本当にわからない人も早々はいない。単に真面目に見てないのだ。「わからない」という左脳フィルター、決め付け、思い込みで、感性を遮断してしまっている。ようは見てないのだ。こういう大人の行動が子供の感性を殺す。小手先が器用なだけの絵を上手と勘違いしたりして、本当に美的含有量の高い作品を落選させたりする。大人の罪だ。
「わからない」のではなく、
「わらろうとする気がない」「興味が無い」結果として「見ようとしていない」のだ。
目と同じで、感性も見ようとしなければモノは見えてこない。
目は全ての事象を見てはいるが、脳では瞬間的に取捨選択を行ない見たい情報しか頭に残さない。でないとパンクしてしまう。この真髄が修験道や忍者の隠れ身だったりする。実際に姿が消えるのではなく、限りなく存在を消すことで、実質見えないのと同じ状況を作り出す。学生時代に実験したことがあるが、本気でやると案外存在を消すことができたことに私はいささか驚いた。んが!プラスにもならんw 逆の弊害が出てくるのでおすすめしない。その後で苦労した。
本気で見ようとすれば、見えるはずだ。日本人は美的感受性の優れた国民だと思う。見える人が多い。
だから日本人は下々にわたって製品が優れているし、優れていない製品に対して猛烈に厳しいのだ。
海外の製品の出来栄えや、それに対する捉え方の違いをみると歴然だ。他の国民は平気な人が多い。また、文句をいっても相手が受け入れないとか。日本人は言うほうも、受け入れる方も理解しているのだ。そんな国民は早々いないのではないか。日本の携帯が世界的にトップクラスであるのに世界シェアが数パーセントにしか過ぎないのもそのせいである。
あの緻密さ、精巧さ、バランスが、他のHGやMGシリーズと比較して本気わからないとしたらどんだけ感性の目がチンでるんだ?って思える。んなーはずはない。興味をもってないのだ。子供のすること1つ1つに、真剣に興味をもてっていればそれがなんであれ美であるかいないかはわかる。なんであれ美を見ていないと、目は美を見失う。それは恐ろしいことだ。感性の鈍化は、耳、価値観、行動、全てに現れる。もっと親は子供に興味をもつべきだろう。変な話、AVだってそうだ。センスがあるものとないものは歴然としてる。センスのいいAVを観るべきだ。
ナニがセンスがいいか、
ナニが美なのか、
それを左脳で説いてはいけない。探ってはいけない。
探った時点で美ははるか彼方に遠ざかる。
過去の名品が美と思ってみてもいけない。
美とは自分が決めるものだ。
他の者が決めたものを、美と思って見た時点で、それは美ではなくなる。
さっきの見ていないのと同じことだ。
自分が美である。そう思うものを素直に信じればいい。
そして美だなぁと思うものを次々と観ればいい。
するといつの間にか、美には見えなくなる瞬間がある。
「あきがきたのだ」
飽きたということは、その美は自分の中で食い尽くしたのだ。そこに最早美はない。
次の美を探そう。そうしているうちに、美に対する感受性が養われ、全てにわたって自分が磨かれていることをいつしか気づかされる時がくる。師匠はそれが理由で書を教えている。美的含有量の高い作品は、なんであれ食べても食べても飽きが来ない。美を食べつくせないのだ。
美がわからないのを恥じる必要はない。私も師匠が美だねぇ、とわかるものに美には見えないことも多々あるが、「見えない」と正直に言うし、恥じては居ない。それは後でわかってきて恥ずかしくなることもあるし、いつまでたってもわからないこともある。まずは自分からだ。他人の価値観に振り回される必要はない。
それを甥の母親はわかってない。んが、他の親御さんみたいにギャーギャー言わないだけまだ100倍いい親だ。他の親御さんをみていると、無駄とか、所詮はプラモデルでしょ、とかわかりもしないで子供に言い放ったりする。残酷なはなしだ。子供は凄いもんで、自分の母親がわかってない場合、「言っても無駄だ」と即把握して、その件に関しては一切話しかけない。沈黙してしまうのだ。だから子供が話しかけない親というのは大概このパターンで、子供が悪いのでなく、親が聞く気が無いだけである。なのにうちの子は無口だとかわけわからんない勝手な勘違いをしていることがほとんどだ。言葉を使わずに会話をする子も少なくない、その言葉を交わさない会話を理解できなかったりする。理解しようとしていないのだ。それがわからないのだから今の親たちの罪深さたるや甚だしい。忙しくて余裕がなければ、ちゃんと向き合って「ゴメン、今凄く疲れて余裕がないんだ」と言えば子供は大人より我慢する。それがわかんないんだから一大人として「ヤレヤレだなぁ」と思う。
甥と私で美の感覚は異なるが、互いに互いを否定することしたことがない。違うということを理解しているので、美的談義が出来る。「僕はこういうポーズが好きだ」「おーそれいいね。オジサンはこういうのが好きだ」と「それもカッコイイねぇ」と互いの美を認め合い時には共有しあい、互いの美が刺激され磨きがかかったりする。「コレがいい、コレが一番だ」という決めつかはしたことがない。「僕はコレが一番だ」「私はコレが一番だ」という会話になる。そこで違いを認識し、「ほうほう、そうなんだ」と互いに理解が深まる。
美とは個々人の中にあり、
それでいて共通なのだ。
美的含有量が高いものは、なんであれ美しい。
そういう点で、日本は美に溢れている。
しかし一方で町並みのグロテスクさなどを見ると、公共意識は恐ろしく欠如していることがわかる。
世界どこ探しても日本ほど自由気ままにやって、それが許されている国もそうないだろう。信じられないほど公共意識がない。自由な国だ。これほど自由なのにこれほどカッチリしている国ってのも奇跡の所業だろう。わがままが通ってる国なのだ。
しっかし・・すげー出来だ・・・。信じられない。
テープを聴きまくってるが、
あー昔こんなの好きだったなんだぁ~ って感じである。
洋楽邦楽問わず瞬間風速的に気に入ったものも片っ端から買う人だったので一杯ある。
岡田ゆきこ?だか、なんだかという人の曲が1本だけやたらめったらはいっている。なのに、その前後にはサッパリない。聞いてみると凄い懐かしい。聞いたねぇ俺。すげーメルヘンなかんじで、若いなぁ~俺ってのがまた懐かしい。
でも、1回聞いて飽きている自分いる。
やっぱり当時も瞬時にブームが来て瞬時に飽きたようだ。
納得できる。
あー昔こんなの好きだったなんだぁ~ って感じである。
洋楽邦楽問わず瞬間風速的に気に入ったものも片っ端から買う人だったので一杯ある。
岡田ゆきこ?だか、なんだかという人の曲が1本だけやたらめったらはいっている。なのに、その前後にはサッパリない。聞いてみると凄い懐かしい。聞いたねぇ俺。すげーメルヘンなかんじで、若いなぁ~俺ってのがまた懐かしい。
でも、1回聞いて飽きている自分いる。
やっぱり当時も瞬時にブームが来て瞬時に飽きたようだ。
納得できる。
私は007が好きだった。
今の007は主役はともかく設定や物語あ4ぽくて嫌い。ロマンがない。
昔ライセンストゥキルまで入ったコンプリートディスクを買ってテープにとってあった。
もーイイ!!イイヨ!!
もう!泣いていいですか!!
エイドリアーーーン
今聞いてもほんとイイ。
特に昔のだ。
近年の主題歌になるほどにどれ聞いても同じ。
それに比べて昔のはイイ!
あーもー泣いちゃう!!
今の007は主役はともかく設定や物語あ4ぽくて嫌い。ロマンがない。
昔ライセンストゥキルまで入ったコンプリートディスクを買ってテープにとってあった。
もーイイ!!イイヨ!!
もう!泣いていいですか!!
エイドリアーーーン
今聞いてもほんとイイ。
特に昔のだ。
近年の主題歌になるほどにどれ聞いても同じ。
それに比べて昔のはイイ!
あーもー泣いちゃう!!
修理したデッキのリバースヘッドはしっかり逝ってましたw でも片面は生きているので使えます!ちゃん録音できました。グーーーーレイト!んで、整理マニアの私としては、消すカセットとそうでないカセットを整理していたのですが、カセットすげー!私が高校時代に録音したテープが半ば風化してあるのを発見したのですが、カビがはえていないので再生してみると・・・ちゃんと生きてる!!こうなったら止まらないのが俺www かたっぱしからチェックする。まー懐かしいなんてもんじゃない、聞きながら泣きそうになる。携帯MDを当時3万以上払って早々に導入した私はその頃からカセットとオサラバしたが、ギリギリまでカセットを聴いていた。その最後の頃、R時代の前半だが、私の中で最大の洋楽ブームが起きていた。その中でも私はウィルソンフィリップスの大ファンになり、数年後に日本でのブームも去り、自然消滅後に一人欠けた状態で再結成され1枚だけ(?)発売されたウィルソンズのテープが流れてきた日には5秒聞いただけで懐かしくて泣きそうになった。マライアのアレに明らかに対抗してきたタイミングだったがこっちはなかずとばずw でも、俺は二人の美麗な声に酔いしれ、同士もいないまま一人メルヘンな乙女のように浸っていたことを思い出した。綺麗なんだよ彼女らの声はほんと綺麗なの。特にハモらせたらほんとイイの。歌詞が幼稚すぎたのがちょっとねアレだけど、雑みのない綺麗な声が気持ちよくてずーっと人気のない頃から一気に人気が出て一気に廃れるまで聞いてました。ウィルソンズの頃になるとちょっと声に雑みが出てきたのと、片割れが激太りしたのにショックを受けて以後ノーチェックになったが、たしかあれが日本での最後のアルバムになったと思われる。
いやー懐かしいなーオイ!音楽ってやっぱええねぇ。最近は国内はもとより海外もノーチェックだからねぇ。今の費用対効果からいうと音楽1曲の値段ってつい高いなぁって感じちゃうのよねぇ。今や1年に1枚ぐらいしか買わない。今年は珍しく4枚かったけど、2枚は本名カズトさんだから、実質2枚かねぇ。先月はポニョのイメージアルバムですよ奥さんwww まーミュージシャン不景気なわけよ。しっかし懐かしいなぁ。
いやー懐かしいなーオイ!音楽ってやっぱええねぇ。最近は国内はもとより海外もノーチェックだからねぇ。今の費用対効果からいうと音楽1曲の値段ってつい高いなぁって感じちゃうのよねぇ。今や1年に1枚ぐらいしか買わない。今年は珍しく4枚かったけど、2枚は本名カズトさんだから、実質2枚かねぇ。先月はポニョのイメージアルバムですよ奥さんwww まーミュージシャン不景気なわけよ。しっかし懐かしいなぁ。
私の師匠がJ-WAVEの別所さんの枠に11/3出演するこが決まった。これから益々メディアに登場するようになるだろう。師匠も始めて乗り気だ。まさにこれは私が望んでいた姿。決まったのは数日前、しかもいつの間にか師匠はいつの間にかその会社のメンバーになっているという。
師匠はビジネスのグロさを知らないので、少し心配になりその会社を調べてみた。元社会人劇団員として肌で感じたのだが、あの世界は先生流に言えばゴロンボの世界だ。プロダクションなんかその典型で、ノリで会社が出来たり潰したりすることはザラである。
だけど調べて安心した。プロダクションじゃない。どうやらホテル関係のイベント企画制作運営から始まった会社のようでしかも地域密着企業として力をつけてきた上で東京に進出を果たした会社と思われる。社歴も長く事業内容も一貫性がありその脈絡なら納得ができる。社歴や事業内容の一貫性というのは極めて重要だ。地域密着というのも大きなポイントとなる。つまり、下手はことをすれば一気に会社が傾くほどの影響を受ける。下手なことが出来ない会社は下手なことはしない。ホテルのイベントから起業していればなお更信用は大きい。絶対だ。これなら安心して先生をまかせられる。
さて、問題は俺はどうするかだ。先生は皆が気づいていないだけで規格外の本当の意味での天才だ。だから運びとタイミングの問題だけでいずれ世界に知れ渡る存在であった。現に海外のほうで評価されだしているし。あまりに当然なので全く驚きはない。問題は俺だ。金魚の糞じゃこまる。お荷物でも困る。さりとてに何が出来るわけでもない。ビジョンとしては、チャップリンにとっての高野虎一だ。しかし、どう贔屓目にみても虎一のように頭は良くない。気も回らない。教養もない。さりとて努力するのも嫌いだw 虎一のように最高のパートナーになるには余りにも遠い。んー・・・。まぁ、先生が俺を必要だと言ってくれるのだからそれはそれで応えればいいか。虎一は余りに気が利きすぎる上、チャップリンと袂をわけた。時として、気は利かないほうがいいこともある。虎一のあの対応は痛いほどよくわかる。「私はもう必要ないようだ」そう痛感させられるのはパートナーとしてはハートブレイクに等しい。しかし、今の私ならそれはない。虎一はチャップリンから一言もいらないとは言われない。彼は自ら去ったのだ。「いらない」と言われてかれでも去るのは遅くはない。別に先生のために生きているわけじゃないからねぇ。
私には私の道がある。まー天才の作品みちゃうと自分の作品みても半笑いしか出てこないが、それは仕方がない。技術が天才に及ぶことは一生涯ありえない。だとしたら、人としての違いで味わいを出せられる程度の技術が見に着けばそれが最高かもしれないな。それとフォントも続けたい。さて、これからどう生きる?俺。
あるがまま、素直に生きるしかないか。
出来ることなら変幻自在に、適当にねぇ。
師匠はビジネスのグロさを知らないので、少し心配になりその会社を調べてみた。元社会人劇団員として肌で感じたのだが、あの世界は先生流に言えばゴロンボの世界だ。プロダクションなんかその典型で、ノリで会社が出来たり潰したりすることはザラである。
だけど調べて安心した。プロダクションじゃない。どうやらホテル関係のイベント企画制作運営から始まった会社のようでしかも地域密着企業として力をつけてきた上で東京に進出を果たした会社と思われる。社歴も長く事業内容も一貫性がありその脈絡なら納得ができる。社歴や事業内容の一貫性というのは極めて重要だ。地域密着というのも大きなポイントとなる。つまり、下手はことをすれば一気に会社が傾くほどの影響を受ける。下手なことが出来ない会社は下手なことはしない。ホテルのイベントから起業していればなお更信用は大きい。絶対だ。これなら安心して先生をまかせられる。
さて、問題は俺はどうするかだ。先生は皆が気づいていないだけで規格外の本当の意味での天才だ。だから運びとタイミングの問題だけでいずれ世界に知れ渡る存在であった。現に海外のほうで評価されだしているし。あまりに当然なので全く驚きはない。問題は俺だ。金魚の糞じゃこまる。お荷物でも困る。さりとてに何が出来るわけでもない。ビジョンとしては、チャップリンにとっての高野虎一だ。しかし、どう贔屓目にみても虎一のように頭は良くない。気も回らない。教養もない。さりとて努力するのも嫌いだw 虎一のように最高のパートナーになるには余りにも遠い。んー・・・。まぁ、先生が俺を必要だと言ってくれるのだからそれはそれで応えればいいか。虎一は余りに気が利きすぎる上、チャップリンと袂をわけた。時として、気は利かないほうがいいこともある。虎一のあの対応は痛いほどよくわかる。「私はもう必要ないようだ」そう痛感させられるのはパートナーとしてはハートブレイクに等しい。しかし、今の私ならそれはない。虎一はチャップリンから一言もいらないとは言われない。彼は自ら去ったのだ。「いらない」と言われてかれでも去るのは遅くはない。別に先生のために生きているわけじゃないからねぇ。
私には私の道がある。まー天才の作品みちゃうと自分の作品みても半笑いしか出てこないが、それは仕方がない。技術が天才に及ぶことは一生涯ありえない。だとしたら、人としての違いで味わいを出せられる程度の技術が見に着けばそれが最高かもしれないな。それとフォントも続けたい。さて、これからどう生きる?俺。
あるがまま、素直に生きるしかないか。
出来ることなら変幻自在に、適当にねぇ。
ないかねぇ。
なんかこーもっと食い入るような作品が観たい。
CGってさ、観れば観るほどにツマラナイのよね。
リアルアクションのってみればみるほどに凄い!って感じる。
マイナーな路線ではフランス映画はやっぱり内容濃いんだよね。
でも置いてないのよね。多分一杯あると思うんだけど。
知人から8リーズすすめられているんだけど、
あの走るゾンビシリーズよ。
ゾンビシリーズ好きみたいなのよ。いるんだねー。
是非!!ってすすめられているんだけど、薦めるポインツが常人と違うのよ。
グロさとか、キモさとか、エグさとか、そういうとこで評価するからw 感覚がちゃうの。
「ゾンビ」なんて今みても最高にとポップですよねーとか言うんだよ。今みてもキモイってwww
絶対面白い!!って言われているんだけど、もう観なくてもさエンディングが目に浮かぶんだよね。
あの手のは内容をみる映画じゃないから、いかにゾンビを楽しむかしかない。
「恒例の次々と主人公らがヤラレルんですけど、そのやられ方がイイんですよ!」
って、どんな見所やねん!!wwww
すごく普通の人なんだけどね。あの手の好きな人って、事件を起こしそうなタイプと、絶対起こさないタイプの2タイプに明確にわかれるけど、典型的におこなさない人。純粋にゾンビものが好きな人だよ。内(ピー)が(ピー)で(ピー)で(ピーーーーー)なんですよ!って放送禁止用語を嬉々として連発されてもねぇw 普通だったら引きますよ。
でも、ゾンビものが好きな人って作る側も見る側もそうだから、成立しているのが不思議だよ。
ゾンビものの解説とかみると、「はぁぁぁ??」ってな感じだもんな。さすがに大人になって「怖くて眠れない!」ってこともないけど、もー見る前に全てが見えているのを観るのはなぁ・・・。
私「んで、結局全員シヌんでしょ」
知人「当然ですよw」
私「・・・・テヘ」
当然なのかよ!ww
なんかこーもっと食い入るような作品が観たい。
CGってさ、観れば観るほどにツマラナイのよね。
リアルアクションのってみればみるほどに凄い!って感じる。
マイナーな路線ではフランス映画はやっぱり内容濃いんだよね。
でも置いてないのよね。多分一杯あると思うんだけど。
知人から8リーズすすめられているんだけど、
あの走るゾンビシリーズよ。
ゾンビシリーズ好きみたいなのよ。いるんだねー。
是非!!ってすすめられているんだけど、薦めるポインツが常人と違うのよ。
グロさとか、キモさとか、エグさとか、そういうとこで評価するからw 感覚がちゃうの。
「ゾンビ」なんて今みても最高にとポップですよねーとか言うんだよ。今みてもキモイってwww
絶対面白い!!って言われているんだけど、もう観なくてもさエンディングが目に浮かぶんだよね。
あの手のは内容をみる映画じゃないから、いかにゾンビを楽しむかしかない。
「恒例の次々と主人公らがヤラレルんですけど、そのやられ方がイイんですよ!」
って、どんな見所やねん!!wwww
すごく普通の人なんだけどね。あの手の好きな人って、事件を起こしそうなタイプと、絶対起こさないタイプの2タイプに明確にわかれるけど、典型的におこなさない人。純粋にゾンビものが好きな人だよ。内(ピー)が(ピー)で(ピー)で(ピーーーーー)なんですよ!って放送禁止用語を嬉々として連発されてもねぇw 普通だったら引きますよ。
でも、ゾンビものが好きな人って作る側も見る側もそうだから、成立しているのが不思議だよ。
ゾンビものの解説とかみると、「はぁぁぁ??」ってな感じだもんな。さすがに大人になって「怖くて眠れない!」ってこともないけど、もー見る前に全てが見えているのを観るのはなぁ・・・。
私「んで、結局全員シヌんでしょ」
知人「当然ですよw」
私「・・・・テヘ」
当然なのかよ!ww