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母の携帯バッテリーが臨界に近いので、新しいのを購入するようだ。
携帯会社のセールスはキャッチみたいなもんなので、母のように機械音痴がいったらカモもいいところだ。
あ4みたいに高い機種、高いプランに無条件に放り込まれてしまうので、私が手配することにした。
母の携帯は私が昔つかっていたのだから、かれこれ7年も動いているw
よくもったねぇwほんとは後半年つかえば無料で交換できる機種があるのだが、後半年は無理そうだ。
何せ30分も喋ったらきれてしまうらしいので。12000円で新携帯にかえる。まー1機目が私のお下がりでタダだったから安いもんだ。それこそ1機目はお下がりじゃないと高くて買えたもんじゃない。
それにしても日本の携帯はなぜ世界に普及しないのか?こんなに凄いのに!!
デザインが気に入らないのか?文化の違いか?
と色々思いを馳せたが、実際は日本の携帯は潜在的には大人気らしい。カッコイイ、かわいい、おしゃれ、凄いと人気だそうだ。だったらなんで撤退するんだ?と思い、海外事情に詳しい社長に聞いたら、
「単純に高すぎるんだよ。欧米人は理論的だから、電話が出来てメールが出来ればそこまで投資する価値はないと考えているだけ。そういう意味では日本人の価値観は世界的にみたら異常だよね」
と説明された。
なるほど、凄いもっともな話だ。
今回調べてみて定価をみると普通に7万円を超える。
「グハw」
長期割引で4~5万さっぴかれ、更にポイントで、どうでこうでで2年使うと限りなく0円に近づくわけだが、伊達に定価はついていない。本来7万以上するものなのだ。
「アヒー」
異常な値段だ。miniノートで5万しないのに・・・。
同時にそうした意味不明な値下げシステムも日本ならではで、海外にはそうしたシステムがない、意味不明なので当然海外でやるとしたら、店頭に並ぶ価格は7万越えでそのまま出る。そらー買わないわw まーそうしたシステムのせいで収益を圧迫しているから通信費が海外に比べたらあ4みたいに高いし、24回払いとかわけわかんないプランが出てくるわけだ。破綻しているんだねぇ。ある意味日本人は幸せだw
「メールやネット使えるのにしてぇ」
と母は言う。
「わかったよ」
と言いながら、(逆にそれが使えない携帯はないw)と内心つぶやく。
「メール・・・できそう?」
「皆簡単って言うよ」
「・・・まぁ、そうかもね」
そもそも、
電話のかけ方をイマダニ間違う母だ。3アクションを覚えるのに30回は説明しただろう。1年が経過してようやく聞かずにかけられるようになったが、電話帳に自分で登録はできない。留守電を聞くのに1年半たった。なんでメールが出来ると思うねんw ましてやネットで調べてなんて神代の話だろうに・・・しかし
「まぁ、誰だって最初は素人だからねエエんじゃない」
と励ます。昔はあきらめさせることに情熱を注いだが、最近は180度考え方が変わった。
やる気があるなら、そのやる気を折るのは酷だ。いずれ現実を知る。それでファイトがなくなればなくなったでその人のトライは無駄ではなかった。やりもせずに折るのは間違っている。十中八九折れるだろうが、折れない母を見てみたい気もする。固定電話の留守電の仕方すら覚えなかった母だ。
「このボタン押すだけだよ」
「え?何これ初めてみよ。こんなボタンあったの?」
「誰がわざわざ後からつけるねんw」
「押すの?・・・・めんどくさいわねぇ」
「ぷっ、1回押すだけでしょwwww」
「押したらそのままでいいの」
「家に帰ってきたら、もう1回おして解除する」
「押し忘れたら?」
「留守の状態になったまま。電話はなるよ」
「・・・むずかしてく意味がわからない」
「・・・1回押すと留守、もう1回押すと解除。おk?」
「えー・・・覚えられないから、やっぱりいいわ」
「興味がないのね」
「違う、覚えられないの」
「・・・そっかぁ・・・・1回押すだけなんだけどねぇ・・・」
えー?w
興味がないことにトライしなくていいのにねぇ。
これでメールが出来たら奇蹟だな。
よっぽど興味があるんだろう。
人は好奇心がなければ何もしないから。
「覚えられないんじゃないの。興味がないだけ!!」
それでも母は譲らないw
携帯会社のセールスはキャッチみたいなもんなので、母のように機械音痴がいったらカモもいいところだ。
あ4みたいに高い機種、高いプランに無条件に放り込まれてしまうので、私が手配することにした。
母の携帯は私が昔つかっていたのだから、かれこれ7年も動いているw
よくもったねぇwほんとは後半年つかえば無料で交換できる機種があるのだが、後半年は無理そうだ。
何せ30分も喋ったらきれてしまうらしいので。12000円で新携帯にかえる。まー1機目が私のお下がりでタダだったから安いもんだ。それこそ1機目はお下がりじゃないと高くて買えたもんじゃない。
それにしても日本の携帯はなぜ世界に普及しないのか?こんなに凄いのに!!
デザインが気に入らないのか?文化の違いか?
と色々思いを馳せたが、実際は日本の携帯は潜在的には大人気らしい。カッコイイ、かわいい、おしゃれ、凄いと人気だそうだ。だったらなんで撤退するんだ?と思い、海外事情に詳しい社長に聞いたら、
「単純に高すぎるんだよ。欧米人は理論的だから、電話が出来てメールが出来ればそこまで投資する価値はないと考えているだけ。そういう意味では日本人の価値観は世界的にみたら異常だよね」
と説明された。
なるほど、凄いもっともな話だ。
今回調べてみて定価をみると普通に7万円を超える。
「グハw」
長期割引で4~5万さっぴかれ、更にポイントで、どうでこうでで2年使うと限りなく0円に近づくわけだが、伊達に定価はついていない。本来7万以上するものなのだ。
「アヒー」
異常な値段だ。miniノートで5万しないのに・・・。
同時にそうした意味不明な値下げシステムも日本ならではで、海外にはそうしたシステムがない、意味不明なので当然海外でやるとしたら、店頭に並ぶ価格は7万越えでそのまま出る。そらー買わないわw まーそうしたシステムのせいで収益を圧迫しているから通信費が海外に比べたらあ4みたいに高いし、24回払いとかわけわかんないプランが出てくるわけだ。破綻しているんだねぇ。ある意味日本人は幸せだw
「メールやネット使えるのにしてぇ」
と母は言う。
「わかったよ」
と言いながら、(逆にそれが使えない携帯はないw)と内心つぶやく。
「メール・・・できそう?」
「皆簡単って言うよ」
「・・・まぁ、そうかもね」
そもそも、
電話のかけ方をイマダニ間違う母だ。3アクションを覚えるのに30回は説明しただろう。1年が経過してようやく聞かずにかけられるようになったが、電話帳に自分で登録はできない。留守電を聞くのに1年半たった。なんでメールが出来ると思うねんw ましてやネットで調べてなんて神代の話だろうに・・・しかし
「まぁ、誰だって最初は素人だからねエエんじゃない」
と励ます。昔はあきらめさせることに情熱を注いだが、最近は180度考え方が変わった。
やる気があるなら、そのやる気を折るのは酷だ。いずれ現実を知る。それでファイトがなくなればなくなったでその人のトライは無駄ではなかった。やりもせずに折るのは間違っている。十中八九折れるだろうが、折れない母を見てみたい気もする。固定電話の留守電の仕方すら覚えなかった母だ。
「このボタン押すだけだよ」
「え?何これ初めてみよ。こんなボタンあったの?」
「誰がわざわざ後からつけるねんw」
「押すの?・・・・めんどくさいわねぇ」
「ぷっ、1回押すだけでしょwwww」
「押したらそのままでいいの」
「家に帰ってきたら、もう1回おして解除する」
「押し忘れたら?」
「留守の状態になったまま。電話はなるよ」
「・・・むずかしてく意味がわからない」
「・・・1回押すと留守、もう1回押すと解除。おk?」
「えー・・・覚えられないから、やっぱりいいわ」
「興味がないのね」
「違う、覚えられないの」
「・・・そっかぁ・・・・1回押すだけなんだけどねぇ・・・」
えー?w
興味がないことにトライしなくていいのにねぇ。
これでメールが出来たら奇蹟だな。
よっぽど興味があるんだろう。
人は好奇心がなければ何もしないから。
「覚えられないんじゃないの。興味がないだけ!!」
それでも母は譲らないw
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うちの近所には「ぬらりひょん」が出る。
「ぬらりひょん」ってのは昔の人が厚かましくて煩くて迷惑な人を妖怪に例えたのだと思う。
ぬらりひょんとはそういう意味がある。
顔もそっくりだし、まさに迷惑な人がおるのだ。
自分は近所にやたら注文つけたり、ブーたれるくせに、自分は全く筋を通さないばかりか迷惑ばかりかける。
地主さんだから働くこともなく、自分の物件をつらつら自転車で回るのだけが日課。
目だけがギラギラして顔が大きく、手足が蚊の様に細い。首を前にだしちょこんと自転車にのりユラユラと走るさまはまさに現代のヌラリヒョンだ。
ヌラリヒョンに仕業で朝かうっさくてしょうがなかった!せめててめーの敷地内でやりやがれ!
このヌラリヒョン、真冬以外は年中同じ格好をしているのだが、
必ず上っぺりは薄紫のシースルーのシャツを羽織っている。
なんでシースルーやねん!!!wwww
夏は下着をつけづにそれなので、日光に照らされてビーチクといいスケスケである。
やめれぇー!wwwwww
その格好で徒歩より辛うじて速い程度の速度で自転車にのっている。
乗ってる姿がまた・・・ウプププ。
目が会ってしまった後で必ず縁ガチョする私。
妖怪は間違いなくいる!!
「ぬらりひょん」ってのは昔の人が厚かましくて煩くて迷惑な人を妖怪に例えたのだと思う。
ぬらりひょんとはそういう意味がある。
顔もそっくりだし、まさに迷惑な人がおるのだ。
自分は近所にやたら注文つけたり、ブーたれるくせに、自分は全く筋を通さないばかりか迷惑ばかりかける。
地主さんだから働くこともなく、自分の物件をつらつら自転車で回るのだけが日課。
目だけがギラギラして顔が大きく、手足が蚊の様に細い。首を前にだしちょこんと自転車にのりユラユラと走るさまはまさに現代のヌラリヒョンだ。
ヌラリヒョンに仕業で朝かうっさくてしょうがなかった!せめててめーの敷地内でやりやがれ!
このヌラリヒョン、真冬以外は年中同じ格好をしているのだが、
必ず上っぺりは薄紫のシースルーのシャツを羽織っている。
なんでシースルーやねん!!!wwww
夏は下着をつけづにそれなので、日光に照らされてビーチクといいスケスケである。
やめれぇー!wwwwww
その格好で徒歩より辛うじて速い程度の速度で自転車にのっている。
乗ってる姿がまた・・・ウプププ。
目が会ってしまった後で必ず縁ガチョする私。
妖怪は間違いなくいる!!
そういえば先日お伺いした仕事先の人間関係が好転していたのでホッとした。
随分違う。納品が終わったのでとりあえず吹っ切れたのだろう。
もともとがサッパリした方々で遺恨は残さない性格なのが幸いしているに違いない。
普通、こうはいかない。
あそこまでいったらまず破綻だ。
夫婦だったら100%破綻してるだろう。
人間関係ってのは拗れたら是も非もなくなっちまう。
坊主憎けりゃなんとやらだ。
一時はもうダメかと思った。
覚悟していた。本来の二人に委ねたかたちをとった。
あまりさかしらな行動をせず黙って見守ることに徹して良かった。
それほど究極的に深刻だった。
普通、あそこで完全に破綻してしまう。
あそこで好転するのは双方の努力があったのだろう。
どうにか良い方向へむき出したようだ。
まだしこりはあるようだが、そこは私が間にいればなんとか緩衝できそうである。
お互いの言い分はよーくわかる。双方とも最もな話だ。どっちが悪いわけじゃない。
「自分とは違う」
ってだけの話だ。
互いの違いを認め合い、受容すれば破綻は絶対におきない。
認めないから破綻するのだ。押し付けるから破綻する。
ブッシュに言ってやりたい。
まー文化的に理解できんだろうが。
ひとまずホッとした。
仲が善いのがいい。それが幸せってものだ。
随分違う。納品が終わったのでとりあえず吹っ切れたのだろう。
もともとがサッパリした方々で遺恨は残さない性格なのが幸いしているに違いない。
普通、こうはいかない。
あそこまでいったらまず破綻だ。
夫婦だったら100%破綻してるだろう。
人間関係ってのは拗れたら是も非もなくなっちまう。
坊主憎けりゃなんとやらだ。
一時はもうダメかと思った。
覚悟していた。本来の二人に委ねたかたちをとった。
あまりさかしらな行動をせず黙って見守ることに徹して良かった。
それほど究極的に深刻だった。
普通、あそこで完全に破綻してしまう。
あそこで好転するのは双方の努力があったのだろう。
どうにか良い方向へむき出したようだ。
まだしこりはあるようだが、そこは私が間にいればなんとか緩衝できそうである。
お互いの言い分はよーくわかる。双方とも最もな話だ。どっちが悪いわけじゃない。
「自分とは違う」
ってだけの話だ。
互いの違いを認め合い、受容すれば破綻は絶対におきない。
認めないから破綻するのだ。押し付けるから破綻する。
ブッシュに言ってやりたい。
まー文化的に理解できんだろうが。
ひとまずホッとした。
仲が善いのがいい。それが幸せってものだ。
ここんところ自分の身辺が騒がしくなってきた。
いいことと、悪いことが一緒くたに起きている。
しかも極端だ。
去年までの私だったら、身体がついていかないだろうが、徐々にいけるようになりつつある。
まぁ、まだまだこれからだが瞬間的になら出力を上げられるようになったし、
以前と精神的な構えが全く違ってきた。
先日訪問した表具屋の社長の奥さんが末期で入院したと先生から聞いている。
その病院は師匠の奥さんが最後に入った病院だ。何の因果か・・・
先生が明日ラジオにでる。
その先生とやっている会社を調べてギョっとした。
なんたるご縁なのだろう・・・。
同時に安心した。
昨日自分からその話題は出さなかった。
出さずに別れた。
社長は元気だった。
笑顔だった。
疲れてはいるが、覇気があった。
向き合っていた。
「人間最後は気合いだよ」
そう言っていた。
間違ってない。
でも、気合にも限りがある。
人は肉体も精神も中庸でなければ、いずれ崩壊する。
気合をいれるには、右脳が納得していないと、左脳気合を続けると私みたいに身体を壊す。
身体は素直だ。無理をすれば確実に負債が身体にたまり、いつかそれを返す日が唐突にやってくる。
しかし、それもまた人生だ。
最近の私はちょっと変だ。スタンドとの融合が徐々に始まっているからかもしれない。
ここ2ヶ月は違和感ありまくりで頭が変になりそうだったが、最近はうまくなってきている。
まー言葉通りにとってもらうと困るのだがw
例えるならスタンドのとの融合だろう。
その果てに、人が変わったと思われるかもしれない。
それもいいだろう。
生きているとは、変化の連続である。
それを把握しているか、いないかの差でしかない。
変化した私は師匠みたいに言葉をはしょると思う。
口数も減るかもしれない。
自分を真摯に見つめると他人どころではなくなる。
まー口数が減っても、元が多いので気づかない人は気づかないかもしれない。
嫌いになる人も出てくるかもしれない。
逆に好きになる人も出てくるかもしれない。
それでいいのだ。
生きるとは変化するものだ。
しかしその変化は表面でしかない。
ものの本質が変わらないように、
私の本質もかわらない。
それが嫌いなら仕方が無い。
わからないなら仕方が無い。
今ほど自分自身に目が向いていることはなかった。
それもこれもあの日がきっかけだ。
2度と経験はしたくないが、
結果糧に出来れば悪くはなかったということだ。
今回はダメかとさすがに心の底から挫けそうになった。
心の底から挫けるということは、生きることの放棄に等しい。
絶望の絶望たる所以を味わってしまった。
嫌な経験だ。
まー
師匠に言わせれば、
「いい経験したねぇ」
で終わりだがw
「もーよくないっすよw」
さすが師匠だ。かっとんでる。
底の底に、もっと凄い底があったって感じだった。
今となっては底もココもない。
今を生きるだけだ。
舟が沈むなら四の五の言わず脱出するしかない。
後は神のみぞ知る。
結果生き残ろうが亡き者になろうが、遅かれ早かれ大差はない。
ただ、いなくなるのはやはり寂しい。
会えない、
声を聞けない、
というのはやはり寂しいのだ。
それもまた左脳人間ならではなのかもしれない。
子供の悲しむ時間は極めて短い。
子供はすぐ、現実に戻る。
それだけ今を生きているのだろう。
今、
自分のことでいっぱいいっぱいなのだ。
それは精一杯といえる。
精一杯生きよう。
今、この瞬間を。
最後には皆会えるよ。
会えるよねぇ。
会えないかなぁ。
それすらも飛んでいくかな。
まー今考えることではないな。
いいことと、悪いことが一緒くたに起きている。
しかも極端だ。
去年までの私だったら、身体がついていかないだろうが、徐々にいけるようになりつつある。
まぁ、まだまだこれからだが瞬間的になら出力を上げられるようになったし、
以前と精神的な構えが全く違ってきた。
先日訪問した表具屋の社長の奥さんが末期で入院したと先生から聞いている。
その病院は師匠の奥さんが最後に入った病院だ。何の因果か・・・
先生が明日ラジオにでる。
その先生とやっている会社を調べてギョっとした。
なんたるご縁なのだろう・・・。
同時に安心した。
昨日自分からその話題は出さなかった。
出さずに別れた。
社長は元気だった。
笑顔だった。
疲れてはいるが、覇気があった。
向き合っていた。
「人間最後は気合いだよ」
そう言っていた。
間違ってない。
でも、気合にも限りがある。
人は肉体も精神も中庸でなければ、いずれ崩壊する。
気合をいれるには、右脳が納得していないと、左脳気合を続けると私みたいに身体を壊す。
身体は素直だ。無理をすれば確実に負債が身体にたまり、いつかそれを返す日が唐突にやってくる。
しかし、それもまた人生だ。
最近の私はちょっと変だ。スタンドとの融合が徐々に始まっているからかもしれない。
ここ2ヶ月は違和感ありまくりで頭が変になりそうだったが、最近はうまくなってきている。
まー言葉通りにとってもらうと困るのだがw
例えるならスタンドのとの融合だろう。
その果てに、人が変わったと思われるかもしれない。
それもいいだろう。
生きているとは、変化の連続である。
それを把握しているか、いないかの差でしかない。
変化した私は師匠みたいに言葉をはしょると思う。
口数も減るかもしれない。
自分を真摯に見つめると他人どころではなくなる。
まー口数が減っても、元が多いので気づかない人は気づかないかもしれない。
嫌いになる人も出てくるかもしれない。
逆に好きになる人も出てくるかもしれない。
それでいいのだ。
生きるとは変化するものだ。
しかしその変化は表面でしかない。
ものの本質が変わらないように、
私の本質もかわらない。
それが嫌いなら仕方が無い。
わからないなら仕方が無い。
今ほど自分自身に目が向いていることはなかった。
それもこれもあの日がきっかけだ。
2度と経験はしたくないが、
結果糧に出来れば悪くはなかったということだ。
今回はダメかとさすがに心の底から挫けそうになった。
心の底から挫けるということは、生きることの放棄に等しい。
絶望の絶望たる所以を味わってしまった。
嫌な経験だ。
まー
師匠に言わせれば、
「いい経験したねぇ」
で終わりだがw
「もーよくないっすよw」
さすが師匠だ。かっとんでる。
底の底に、もっと凄い底があったって感じだった。
今となっては底もココもない。
今を生きるだけだ。
舟が沈むなら四の五の言わず脱出するしかない。
後は神のみぞ知る。
結果生き残ろうが亡き者になろうが、遅かれ早かれ大差はない。
ただ、いなくなるのはやはり寂しい。
会えない、
声を聞けない、
というのはやはり寂しいのだ。
それもまた左脳人間ならではなのかもしれない。
子供の悲しむ時間は極めて短い。
子供はすぐ、現実に戻る。
それだけ今を生きているのだろう。
今、
自分のことでいっぱいいっぱいなのだ。
それは精一杯といえる。
精一杯生きよう。
今、この瞬間を。
最後には皆会えるよ。
会えるよねぇ。
会えないかなぁ。
それすらも飛んでいくかな。
まー今考えることではないな。
逆バージョンだ。
数ヶ月前、60cmのビニ傘を拾った。
先月、70cmのジャンプ傘をパクられた。
昨日、60cmのビニ傘をパクられ、45cmの小さなビニ傘に化けた。
今、手元には俺が使うには小さすぎる45cmのビニ傘がある。
結局損をしている。
これは実験だった。昔から私は何故かそうなのだ。何かを拾う>必ず大切な何かを失い、追加コンポでその拾ったものも失う。今もそうなのかーと思い、そのビニ傘を拾ったのだ。全く変わってない。ここ10年、傘は1本も無くさなかったのに。心情としては面白くないが、実験としては面白い。どうでもいい傘はなくならないが、大切な傘はなくなる。これは誰しも当てはまりがち。私の場合はこのようにオマケも来る。
家に傘は腐るほどあるが、70cmの傘はあれしかなかった。良寛さんの展覧会を見た帰りに大雨だったので隣のショップで買ったヤツだった。2千円ぐらいの傘だ。リーマン当時外出して雨が降るたびに買っていたので凄まじく増えたのだがアレしかない。20本ぐらいあるかな?大きくて60cmである。70cmの傘に慣れると60cmはあまりに小さく、45cmは論外だ。
心の病と闘っている後輩が、当時一緒に働いていた時「ドラさん、傘は皆のものですよ」とほざいた。
私「そういうやからに限って傘かってねーんだよ」
後輩「う・・・w」
私「買ってねーだろ」
後輩「傘って・・・・買ったことないんですよね」
私「あ4かぁ!」
彼の黄門様目掛けて指浣腸してやったのは言うまでもない。
人間だいたいそんなもんだ。自己肯定の発言をするもんだから露呈する。面白いはソコじゃない。拾うやつは拾う。無くすやつは徹底的に無くす。これは不思議なものだ。単なるウッカリさんなら「だろうね」ってなもんだが、ウッカリじゃなくても無くす人は徹底的に無くすのだ。これにはやはりその人の持っている星というものを感じずにはおられん。特にをする人は徹底して得する。これが宿命というやつだろうか。
傘1本ごときで、ここまで考える俺がいる。
・・・・暇なのか俺?w
いやいやいや。
そういう人なのだろう。
基本的に、それほど真剣には考えてないw
マメなようで、マメじゃなく、
真面目なようで、真面目じゃない。
一方の側しか知らない人からすると、もう一方を知ってしまうと愕然とするらしい。
「そんな人だとは思わなかった」
何度言われただろうか。まるで悪党みたいな言い方だ。プンプン
じゃあ、どんな人なんだ?
師匠ぐらいだな、ソレがいいんだよ。というのは。
もっとソレを出したほうを見たい、らしい。
別に意識していない。勝手に出るのだ。
相手次第だ。
俺のスタンドがそうさせるのか。
どっちも弱そうだな。
ねー。・o)人(o・
・o)<あんた誰だ?
あんたこそ誰?>(o・
ねー。・o)人(o・
こうして書いている自分の文章は、本人が読んでもまるで別人のようだ。
書くということは左脳の行為だから、左脳の俺は右脳の俺、動物としての俺とは随分違うんだなー。
・o)<俺、左脳?
俺、右脳?>(o・
合体。・o)人(o・
まるで別人だなぁ。このブレが少ない方が幸せなような気がする。もう少し右脳優勢型の生活に根ざそう。
そういうことだから、少し休んどいて>(o・
・o)<えーだって俺ずっと今まで活躍してきたじゃん。支えてきたじゃん。
まぁまぁ>(o・
・o)<だって俺がいたからお前いい思いしてきたじゃん
おだまり!>(o・
・o)<ヒー
合体。・o)人(o・
「傘の話はどこへ行った?」
左脳はおだまり!>(o・
・o)<バレタか
右脳による右脳のための本能に根ざした行動を!>(o・[右脳の主張
・o)<その発言じたいが左脳的だね。
・・・>(o・;
ねー。・o)人(o・
数ヶ月前、60cmのビニ傘を拾った。
先月、70cmのジャンプ傘をパクられた。
昨日、60cmのビニ傘をパクられ、45cmの小さなビニ傘に化けた。
今、手元には俺が使うには小さすぎる45cmのビニ傘がある。
結局損をしている。
これは実験だった。昔から私は何故かそうなのだ。何かを拾う>必ず大切な何かを失い、追加コンポでその拾ったものも失う。今もそうなのかーと思い、そのビニ傘を拾ったのだ。全く変わってない。ここ10年、傘は1本も無くさなかったのに。心情としては面白くないが、実験としては面白い。どうでもいい傘はなくならないが、大切な傘はなくなる。これは誰しも当てはまりがち。私の場合はこのようにオマケも来る。
家に傘は腐るほどあるが、70cmの傘はあれしかなかった。良寛さんの展覧会を見た帰りに大雨だったので隣のショップで買ったヤツだった。2千円ぐらいの傘だ。リーマン当時外出して雨が降るたびに買っていたので凄まじく増えたのだがアレしかない。20本ぐらいあるかな?大きくて60cmである。70cmの傘に慣れると60cmはあまりに小さく、45cmは論外だ。
心の病と闘っている後輩が、当時一緒に働いていた時「ドラさん、傘は皆のものですよ」とほざいた。
私「そういうやからに限って傘かってねーんだよ」
後輩「う・・・w」
私「買ってねーだろ」
後輩「傘って・・・・買ったことないんですよね」
私「あ4かぁ!」
彼の黄門様目掛けて指浣腸してやったのは言うまでもない。
人間だいたいそんなもんだ。自己肯定の発言をするもんだから露呈する。面白いはソコじゃない。拾うやつは拾う。無くすやつは徹底的に無くす。これは不思議なものだ。単なるウッカリさんなら「だろうね」ってなもんだが、ウッカリじゃなくても無くす人は徹底的に無くすのだ。これにはやはりその人の持っている星というものを感じずにはおられん。特にをする人は徹底して得する。これが宿命というやつだろうか。
傘1本ごときで、ここまで考える俺がいる。
・・・・暇なのか俺?w
いやいやいや。
そういう人なのだろう。
基本的に、それほど真剣には考えてないw
マメなようで、マメじゃなく、
真面目なようで、真面目じゃない。
一方の側しか知らない人からすると、もう一方を知ってしまうと愕然とするらしい。
「そんな人だとは思わなかった」
何度言われただろうか。まるで悪党みたいな言い方だ。プンプン
じゃあ、どんな人なんだ?
師匠ぐらいだな、ソレがいいんだよ。というのは。
もっとソレを出したほうを見たい、らしい。
別に意識していない。勝手に出るのだ。
相手次第だ。
俺のスタンドがそうさせるのか。
どっちも弱そうだな。
ねー。・o)人(o・
・o)<あんた誰だ?
あんたこそ誰?>(o・
ねー。・o)人(o・
こうして書いている自分の文章は、本人が読んでもまるで別人のようだ。
書くということは左脳の行為だから、左脳の俺は右脳の俺、動物としての俺とは随分違うんだなー。
・o)<俺、左脳?
俺、右脳?>(o・
合体。・o)人(o・
まるで別人だなぁ。このブレが少ない方が幸せなような気がする。もう少し右脳優勢型の生活に根ざそう。
そういうことだから、少し休んどいて>(o・
・o)<えーだって俺ずっと今まで活躍してきたじゃん。支えてきたじゃん。
まぁまぁ>(o・
・o)<だって俺がいたからお前いい思いしてきたじゃん
おだまり!>(o・
・o)<ヒー
合体。・o)人(o・
「傘の話はどこへ行った?」
左脳はおだまり!>(o・
・o)<バレタか
右脳による右脳のための本能に根ざした行動を!>(o・[右脳の主張
・o)<その発言じたいが左脳的だね。
・・・>(o・;
ねー。・o)人(o・
相変わらずオジサンっ子で、何かあれば私を呼びに来てくれる。先日も秋祭りに発作が起きないかビビリながら1日動向した。夜は結構苦しくなってコーヒーすら喉を通らなくなってきたので、退席した。誕生会では手書きのカードを手渡ししてくれた。カードを入れる機械(ダンボール製)を玄関に用意する周到さ。(私だけの為に)大人になると大概こういうのを軽んじてカードを忘れたりカードを機械に入れることをしない人が多い。もしくはオーバーに驚いてみせたりするが逆効果だ。これらは子供にとってはとても大切なのことだ。私も覚えがある。ないがしろにしているか否かは態度ですぐわかる。言葉には出さないが、蔑ろにされた時は非常に切ないものだ。だから私はしない。甥にもらった手書きのカード類は全てとっておいてある。そして目立つところに貼ってある。そうすることで、甥は自分が大切にされていることを実感し、愛を感じるものだからとても大切だ。実際大切なものだと感じる。死ぬ時は一緒にお棺にいれて燃やしてもらいたい。愛に優る宝物はないからだ。手書きのカードはまさに純粋なる愛の具現化だ。何せ私は一度も自分からクレといったことはない。全て彼がすすんでくれたものだ。逆に祖父母が「私のはまだかーい」って言う始末。子供は素直だから、気が乗らなければ自ら進んであげようとしない。愛なのである。
私は彼に物や金をわざわざ用意して上げない。逆に、既にあるもので「これいいなぁ、欲しいなぁ」と言われれば、余程のモノでない限り「はいよ」と上げてしまう。モノを上げた段階からギブ&テイクが生まれ、愛ではなくなる。余程の愛が根底にない限り、年月とともに風化されてしまうだろう。まぁ、親だけは例外だ。親は育てる責任があるので金銭や物のやりとりは必要になる。ただ、周囲はものや金を上げるべきではない。だから誕生会でも1度も上げたことはないが、甥っ子はそれにつてい疑問を投げかけたことは一度もない。逆に、先日のお祭りみたいに、「オジサンもクジ引いたら?」と言われ、本心では「いらねw」と思っていても「じゃあ、代わりに引いてよ」と言って引いてもらう。その時、俺の回でいいのが当たったのだが、甥っ子は自分から「これ頂戴よぉ!」とは言わない。「オジサンこれー、良かったねぇ」と素直に渡してくれた。愛だねぇ~。ここで即、「上げるよ」とは敢えて言わない。受け取る。即効で渡しては「いらねw」と同一なので、いらないものを上げることになってしまう。祭りも終わりになり帰る時に、「これとソレ(ハズレのやつ)、交換しよう」「いいよ、だってそれオジサンのだよ」「そうだけど、引いてくれたから当たったんだし。楽しかったからお礼だよ」「・・・ありがとう」と嬉しそうに受け取った。自宅に帰り、息が苦しくなってきたのでそれとなく「夜も遅いから帰るよ」と言う私に彼は「これ大事にするよ!」と嬉しそうに声をかけた。愛だねぇ。
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私は彼に物や金をわざわざ用意して上げない。逆に、既にあるもので「これいいなぁ、欲しいなぁ」と言われれば、余程のモノでない限り「はいよ」と上げてしまう。モノを上げた段階からギブ&テイクが生まれ、愛ではなくなる。余程の愛が根底にない限り、年月とともに風化されてしまうだろう。まぁ、親だけは例外だ。親は育てる責任があるので金銭や物のやりとりは必要になる。ただ、周囲はものや金を上げるべきではない。だから誕生会でも1度も上げたことはないが、甥っ子はそれにつてい疑問を投げかけたことは一度もない。逆に、先日のお祭りみたいに、「オジサンもクジ引いたら?」と言われ、本心では「いらねw」と思っていても「じゃあ、代わりに引いてよ」と言って引いてもらう。その時、俺の回でいいのが当たったのだが、甥っ子は自分から「これ頂戴よぉ!」とは言わない。「オジサンこれー、良かったねぇ」と素直に渡してくれた。愛だねぇ~。ここで即、「上げるよ」とは敢えて言わない。受け取る。即効で渡しては「いらねw」と同一なので、いらないものを上げることになってしまう。祭りも終わりになり帰る時に、「これとソレ(ハズレのやつ)、交換しよう」「いいよ、だってそれオジサンのだよ」「そうだけど、引いてくれたから当たったんだし。楽しかったからお礼だよ」「・・・ありがとう」と嬉しそうに受け取った。自宅に帰り、息が苦しくなってきたのでそれとなく「夜も遅いから帰るよ」と言う私に彼は「これ大事にするよ!」と嬉しそうに声をかけた。愛だねぇ。
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あるビジネス書で世界のビシネスの基本的な違いを端的かつ明確に解説しているパートがあったのですが、
そのインド人のビジネスの欄を見ると、
「え?俺じゃんwww」
とすぐ思いました。どこをとってもインド人。
俺の前世とかやつがインド人なのかな?
まるっきりインド人。
典型が、全体から詳細全てを把握しないと気がすまないって点。インド人ってビジネスの世界でも稀にみる理屈人間、クドイらしいです。例えば、砂利運びをする仕事なのに、その砂利がどこへ行くか、何に使われるか、使われたモノは最終的に何になるか、そしてどこへ運ばれるかなど知らないと仕事に身が入らない。全体像が見ないと能率よく動けないんです。マクロとミクロを把握して初めて、自分の役割を明確に知り、能率よく、相手のニーズにそって動ける。
と言うと都合がいいですがw 単に気になるんです。「いいからやって!」ってなると、能率もモチベーションも正確性も凄く落ちるんです。聞きまくるんです。インド人がそうみたいですね。
まるっきり俺と同じw
そのインド人のビジネスの欄を見ると、
「え?俺じゃんwww」
とすぐ思いました。どこをとってもインド人。
俺の前世とかやつがインド人なのかな?
まるっきりインド人。
典型が、全体から詳細全てを把握しないと気がすまないって点。インド人ってビジネスの世界でも稀にみる理屈人間、クドイらしいです。例えば、砂利運びをする仕事なのに、その砂利がどこへ行くか、何に使われるか、使われたモノは最終的に何になるか、そしてどこへ運ばれるかなど知らないと仕事に身が入らない。全体像が見ないと能率よく動けないんです。マクロとミクロを把握して初めて、自分の役割を明確に知り、能率よく、相手のニーズにそって動ける。
と言うと都合がいいですがw 単に気になるんです。「いいからやって!」ってなると、能率もモチベーションも正確性も凄く落ちるんです。聞きまくるんです。インド人がそうみたいですね。
まるっきり俺と同じw
今日会議に行ってきました。オリンピック終わったら納品せなあかん仕事なので時間がありません。先月からずーっとやってます。あちらの国の政府がらみで第一報は音信不通。オリンピックやってるしね。それは社長の想定の範囲。んで、今後の方針や役割分担の会議をしたのですが、非常に流動的でぶっちゃけ社長以外誰も納期把握してませんでした。だから私も他の助っ人の方に聞かれても「さー?w」ってな感じなんですよ。ようやく全体像がつかめましたが、問題はそっちじゃない。
キーになる社員さんが社長におかんむりでかなりヤバイんです。超ヤバなんです。元々は仲がよく、だからこそ二人三脚でこれたのですが、我慢の限界を超えてしまい・・・最近かなりドライなんですよ。事務的にタンタンと返事するだけで前みたいに、「ソビエトなんてありませんよーだ。ロシアですからぁ」なんてちょっと茶目っ気いれながらいってたのが、全然口調が違うんですよ。切り捨てるような怒りもなくタンタンと返すんです。目を一切みないし。しかも、徐々に社長も限界がきているようで余計に二人の雰囲気は悪化の一途を辿ってます。コレなぁ・・・戻れなくなるんだよねぇ、このまま行くと。
いやー気持ちはわかるんですよ。決して社長はワンマンじゃないんだけど、話をはしょるタイプなんです。100%中なんぼなんでも50%は教えて欲しいのに結果だけしか言わなかったり、せいぜい10-30%ぐらいしか言わないとかね。その割りに本件とはかかわりのない話を2時間とかしたり、また直接担当とは関係のない外郭の話が凄く長くて情報量が多いから結局なんだったのか混乱することも多々ある。だから担当するほうは最低抑えておく情報を頭に画きながら、零から情報を収集&再構築しないといかんのですよね。まー本来仕事ってそういうことが多くて普通なんだけど、それはそういう知識がある程度あった上で、かつ経験をそれなりにした人じゃないと難しいのよねー。
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キーになる社員さんが社長におかんむりでかなりヤバイんです。超ヤバなんです。元々は仲がよく、だからこそ二人三脚でこれたのですが、我慢の限界を超えてしまい・・・最近かなりドライなんですよ。事務的にタンタンと返事するだけで前みたいに、「ソビエトなんてありませんよーだ。ロシアですからぁ」なんてちょっと茶目っ気いれながらいってたのが、全然口調が違うんですよ。切り捨てるような怒りもなくタンタンと返すんです。目を一切みないし。しかも、徐々に社長も限界がきているようで余計に二人の雰囲気は悪化の一途を辿ってます。コレなぁ・・・戻れなくなるんだよねぇ、このまま行くと。
いやー気持ちはわかるんですよ。決して社長はワンマンじゃないんだけど、話をはしょるタイプなんです。100%中なんぼなんでも50%は教えて欲しいのに結果だけしか言わなかったり、せいぜい10-30%ぐらいしか言わないとかね。その割りに本件とはかかわりのない話を2時間とかしたり、また直接担当とは関係のない外郭の話が凄く長くて情報量が多いから結局なんだったのか混乱することも多々ある。だから担当するほうは最低抑えておく情報を頭に画きながら、零から情報を収集&再構築しないといかんのですよね。まー本来仕事ってそういうことが多くて普通なんだけど、それはそういう知識がある程度あった上で、かつ経験をそれなりにした人じゃないと難しいのよねー。
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才能というのは妄想なのではなかろうか。最近そう思い出した。才能とは実に厄介だ。才能がある人がお金持ちになると昔は思っていた。とんでもない。現実はその逆だ。過去の天才たちの多くは貧乏なままこの世を去った。人は無責任に他人の才能に羨むものだが、本人は別にのぞんだわけでも気にしているわけでもない。凡才のほうがお金もちは多い。成功=お金もちとすると、人生とはなんとしょうもないゴールなんだろうと思う。それは大衆が悪い魔法使いたちに呪にかけられている証拠だ。私は以前こんなアイデアを小説にしようとしたけど、モチベーションがまったく上がらずにやめた。題して、「1000人の魔法使いと1人の農夫」 盛り上がらなかった理由はハメルーンの笛吹き男の逆バージョンから脱せられなかったからだ。
私は常々皆は誤解をしていると思っていた。笛吹き男はキッカケにすぎないのだ。ドイツの彼もそうだ。日本のアレもそうだ。あれは偶像でありキッカケに過ぎない。実際魔法をかけ洗脳しているのは、誰かではないく、皆なのである。それを聞いてはっとしないひとは例外なく陥りやすい人だろう。よく流行流行と言われるが、あれは結果的に仕上がったものではなく、仕上げるものだ。しかも自分がである。仕掛け人がTVにでて肩で風きったような風情でのたまうが、あのような人は吐いて捨てる程度の存在でしかない。それを奉るのは大衆である。つまり大衆が奉らなければただの人だ。ココなのだ!噂に翻弄されて魔法にかかっているのは大衆であり、魔法にかけるのも大衆である。これをテーマにした小説原案だった。郊外にいた農夫は最初から最後までただ農地と向き合い、家族と向き合い幸せに暮らしている。その外側では大衆が、城の王を崇めていたかと思えば、王は悪だと大騒ぎして内紛を起こし最終的には国家崩壊にまで陥る物語だ。ラストは農夫の幸せな絵で終わる。城下町は疫病が蔓延し地獄絵図とる。
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私は常々皆は誤解をしていると思っていた。笛吹き男はキッカケにすぎないのだ。ドイツの彼もそうだ。日本のアレもそうだ。あれは偶像でありキッカケに過ぎない。実際魔法をかけ洗脳しているのは、誰かではないく、皆なのである。それを聞いてはっとしないひとは例外なく陥りやすい人だろう。よく流行流行と言われるが、あれは結果的に仕上がったものではなく、仕上げるものだ。しかも自分がである。仕掛け人がTVにでて肩で風きったような風情でのたまうが、あのような人は吐いて捨てる程度の存在でしかない。それを奉るのは大衆である。つまり大衆が奉らなければただの人だ。ココなのだ!噂に翻弄されて魔法にかかっているのは大衆であり、魔法にかけるのも大衆である。これをテーマにした小説原案だった。郊外にいた農夫は最初から最後までただ農地と向き合い、家族と向き合い幸せに暮らしている。その外側では大衆が、城の王を崇めていたかと思えば、王は悪だと大騒ぎして内紛を起こし最終的には国家崩壊にまで陥る物語だ。ラストは農夫の幸せな絵で終わる。城下町は疫病が蔓延し地獄絵図とる。
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今日心身ともに夏ばてで横になっている間に甥っ子が暇で遊びにきたようだ。
甥っ子が心配して親に言ったようで、今度は親(兄弟)がきたようだ。
その時に遠くで声が聞こえるなぁーと夢見心地で聞いていて思った。
「子供ってのはほんと愛だぇ・・愛の塊だねぇ・・・」
バテテバテテ、ヘトヘトだけど愛には愛でこたえねば。明日か明後日一緒に遊ぼう。愛は栄養を与えないと枯れてしまう。愛が栄養無しに咲き誇るにも限界があるのだ。
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その時に遠くで声が聞こえるなぁーと夢見心地で聞いていて思った。
「子供ってのはほんと愛だぇ・・愛の塊だねぇ・・・」
バテテバテテ、ヘトヘトだけど愛には愛でこたえねば。明日か明後日一緒に遊ぼう。愛は栄養を与えないと枯れてしまう。愛が栄養無しに咲き誇るにも限界があるのだ。
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