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なんか月曜から徐々に体調が斜めってきてたんだけど、9月から丸3ヶ月、1日たりとも全快の日がないかもしれん。またしても喉がブレイク気味でちょっと辛い。炎症というほどでもないが、キレルよう痛い時がある。食後にがっつり痰がが出る。ストレッチして首を回したときに違和感があるので間違いがないようだ。首にフリースまいたりして冷やさないように注意したり、のど飴なめたりしているのだが、どうにもこうにも。んー・・・用心しつつも身体のことは肉体にまかすしかないかぁ。結構自分ではどうにも出来ないもんだねぇ。どうにかできることったら生活習慣をこのまま維持するだけだもんなー。筋トレするとパワーがないのがわかる。十中八九具合が悪いとわかるので便利だ。ストレッチして動きが緩慢になる。んが、全身を動かすと面白いように動く。本格的におかしくなる前の方が身体は動いたりするとわかった。そして、具合が悪いときほど身体動かした方が調子がいいね。夜もバッタリ眠れるし。身体がすっきりする。熱が本格的に出るまでは、むしろ身体は動かした方がいいようだ。でないとダラダラ長引く。去年までは只管用心療法だったが、過去8年の経験で用心はかえって毒にしかならないとわかった。用心して効果があるのは病気の2歩前。病気の1歩前にくると用心が仇になる。この見解は師匠とも一致した。むしろ一歩前は動いたほうがいい。今日の寝方からも明らかに具合が悪い時の寝方だ。どうして仕事が始まると具合が悪くなのか。嫌なのかね。今度はインドに挑戦のようだ。ヒンディー語だね。社長と私の予想はまるっきり外れた。盲点だったw またしても研究からはじめないと。他に年末は九州のディナーショーのアシスタントで呼ばれるかもしれない。オサーンADwまーわからんが。
生まれて初めて身体を動かす快感に目覚めつつある。だもんだから最近PCの前にいるとイライラするようになった。そういう意味ではちょっと元気になりつつあるのかもしれない。前がタレパンダ並な状態だったので身体なんて動かしたくもなかった。にしても喉どうにかならんかねぇ。師匠パパから教わった大根汁を啜りながら改善を待つ。
生まれて初めて身体を動かす快感に目覚めつつある。だもんだから最近PCの前にいるとイライラするようになった。そういう意味ではちょっと元気になりつつあるのかもしれない。前がタレパンダ並な状態だったので身体なんて動かしたくもなかった。にしても喉どうにかならんかねぇ。師匠パパから教わった大根汁を啜りながら改善を待つ。
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いやー展示会、大変でしたよ。色々な意味で。終わってみれば贅沢な時を過させてもらい、ほんと感謝感激です!!いやー凄いことになりそうですよ。これから3年、4年、14年が私の人生にとって最後の戦い3シーズンとなりそうです。命の限り戦いましょうよ!!おーさ!!
初日は正直アレがザワザワしちゃって大変だった。スタンドがさ、アレがナニで、そらーもーナンですよ。喉も痛いでしょ、引っかかるしさ、お客さんは来るし当然喋るから喉使うでしょ、痛いでしょ、腫れるでしょ、その度ごとに、
「オラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオ!!」
「無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄!!」
と誰に気づかれることもなく静かなる戦いが自分の中で繰り広げられ、ゲロンパしそうになりながらも、
「無駄ぁ!!!」と鎮圧してました。ガラスのハート、ガラスの肝臓、ガラスの喉をもつと大変ですなぁ。内臓器官のほとんど全てがガラス細工ですよ。なんやねん俺。長男長女はいいなーっと。4日もつのか俺・・・って人知れず思ってましたが、やはり心は強くもつものです。日に日に悪化するのは必定、覚悟を胸に秘め挑みました。
「僕わぁ、ちにましぇ~ん!!」
武田スピリッツですよ。
「あなたがぁ~ちゅきだからぁ~!!」
これはチャンドンゴンか・・・。しかも、古い!
「オムニー!!」
お母さんって意味だっけ?
まぁ、そんな感じです。
でもね、身体ってほんと凄いね。この3ヶ月で死の淵から一気に回復したよ!!日に日に悪化するどころか、逆に日に日に喉の調子はよくなり、それでも普通は疲れが僅かずつでもたまるはずなのに、ぜーんぜん疲れてませんよ。全く変わらず。昨日も事後整理やってたんだけど、余裕で1週間ぐらい出来る感じです。もー去年より全然身体が出来ている!!ここ15年で一番体調がいい。晩夏の4thインパクトで腹くくって、死ぬかヤルか、ってな中で今一度かけてみようと挑んだのがまさかここまで急速に好転するとは。身体って凄いねぇ。画いたとおりの完全な理想パターンにはまってます。反れたらサヨウナラ~だった。
(続きを読む?)
初日は正直アレがザワザワしちゃって大変だった。スタンドがさ、アレがナニで、そらーもーナンですよ。喉も痛いでしょ、引っかかるしさ、お客さんは来るし当然喋るから喉使うでしょ、痛いでしょ、腫れるでしょ、その度ごとに、
「オラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオ!!」
「無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄!!」
と誰に気づかれることもなく静かなる戦いが自分の中で繰り広げられ、ゲロンパしそうになりながらも、
「無駄ぁ!!!」と鎮圧してました。ガラスのハート、ガラスの肝臓、ガラスの喉をもつと大変ですなぁ。内臓器官のほとんど全てがガラス細工ですよ。なんやねん俺。長男長女はいいなーっと。4日もつのか俺・・・って人知れず思ってましたが、やはり心は強くもつものです。日に日に悪化するのは必定、覚悟を胸に秘め挑みました。
「僕わぁ、ちにましぇ~ん!!」
武田スピリッツですよ。
「あなたがぁ~ちゅきだからぁ~!!」
これはチャンドンゴンか・・・。しかも、古い!
「オムニー!!」
お母さんって意味だっけ?
まぁ、そんな感じです。
でもね、身体ってほんと凄いね。この3ヶ月で死の淵から一気に回復したよ!!日に日に悪化するどころか、逆に日に日に喉の調子はよくなり、それでも普通は疲れが僅かずつでもたまるはずなのに、ぜーんぜん疲れてませんよ。全く変わらず。昨日も事後整理やってたんだけど、余裕で1週間ぐらい出来る感じです。もー去年より全然身体が出来ている!!ここ15年で一番体調がいい。晩夏の4thインパクトで腹くくって、死ぬかヤルか、ってな中で今一度かけてみようと挑んだのがまさかここまで急速に好転するとは。身体って凄いねぇ。画いたとおりの完全な理想パターンにはまってます。反れたらサヨウナラ~だった。
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私は在職時から常々思っていたのですが、ゲームによる問題はアニメの宮崎監督も指摘にしているようにテレビや映画の観すぎと本質的には同じであることを自らの肉体を通し実感するにいたりました。
つまり、やり過ぎなんです。
肉体には思考を司る左脳部位と、肉体を制御する右脳部位以下原始脳に大雑把に分かれると思ってます。こうして書いている私や、明日どうなるとか、何食べるかなーなんて左脳の仕業です。右脳系全く無関係に働いています。肉体反応は本来現実に即した危機などに対して瞬間的に反応するようにできてますが、ゲームやテレビ、映画というのは実際の危機を感じたり、感動したりする対象や事象が現実に起きていません。空想です。しかし、右脳というやつは肉体そのものなので、空想であろうと反応しています。興奮すれば心拍数は上がり、血流は流れ、血圧が上がり、肉体は臨戦態勢を整えます。しかし、現実におきていない。つまり危機を右脳は察知しているにも関わらず、身体はいぜんとしてその危機を回避しようとはしません。ココで大きなギャップ、ズレが生じてきます。これらは自立神経も同じです。これらは寝ることで自然にリセット、調整されているのですが、過ぎると調整ができなくなります。疲れと同じでギャップやズレも徐々に大きくなるのです。
映画はいっても1日ずーーっと観っぱなしってことはありませんが、TV、特にゲームは興奮状態が本来ありえない長時間続くため肉体が臨界を突破し、報道にあるように極めて短期間で過労死することも可能となってしまうのです。「だったら戦争はどうなの?」と思うのでしょうが、経験者の話でもわかったのは、麻痺するんです。異常な状態が正常になり右脳と左脳のハードルがある意味下がることで正常をたもっているわけです。しかもあれはまさに現実なのでそういう調整が自然となされるわけですが、ゲームは左脳と右脳では捉えている現実にあまりに大きな隔たりがあります。そこが現代の弊を生んでいるな、と今になって得心しました。
右脳は肉体そのものなんです。左脳は肉体と乖離してます。ある天才脳神経学者が、「彼らには見えているんです。彼らにはまさに現実なんですよ。ただし!彼の脳が生み出した事象なので、我々には見えない」という1行を読んだのが凄く印象に残っていたのですが、そういうことなんです!映像を認識するのは脳なので、脳が見えていれば本人にとっては見えていることになる。ただ、ソコにはないんです。まさに左脳と右脳の乖離現象ですよ。肉体運動を通しておきていた過去の社会では調整できていたものが、まさかまさに左脳と右脳で見えているもの、感じている現象が全く異なることなんて想像もできない世界なのです。だから、ゲームは1日1時間ってのはあながち間違っていないんですよ。肉体を通さない事象は右脳は理解してませんから。どんどん左脳との乖離現象が深まるんです。特に子供は。TVとゲームの決定的違いは、興奮です。ゲームはとにかくどうあれ興奮させるためにやっているようなもんですから、その点TVはまだましです。ただ、本質的には同じなので、結局んところ長時間ってのがやはり害にしかならないわけなんですね。ゲームはそれが特筆すべき点であるってだけで。あー・・俺が天才だったら、この仮説をもとにネイチャーに論文提出するんだがなぁ。これ、相当いい線いってるよ。ノーベル平和賞いただきだよ!!くぅぅぅ・・・・。だからウィーのアレなんてまだマシ!って思ったら大違いです。人間の感覚器官の大多数は目と耳で90%以上しめてしまいます。つまり、ウィーのアレも結局はまだましって次元なだけで、程度の差こそあれよくはないのです。普通にフィットネスマシンで走れって話です。それか外走れって話です。どのみちアレは3時間とか4時間やらないだろうけどねぇ。とにかく、現実との乖離がまずいんですよ。右脳ってヤツは素直なので、ずーっと刷り込んでると間違うんですよ。それがマズイんです。すると、現実と妄想の区別がつかなくなるんですね。
まぁ、エエっか。せいぜい自分に活かすぐらいだな。長年の謎がこれで解決しました。ずーっと合点いかなかったのよねー。色々な書籍を読んだり、自らの仮説のもと実験したり体験したしても、どーも腑に落ちなかった。これで長年つっかえていたものがとれた気分です。
ただ、道具は使いようで、遊ばなくなって実感したのですが、ゲームはちょいと目先を換えるには非常に効果的です。なので、やはり短時間のプレイにはいいねぇ。でも、基本は肉と肉のお付き合いが脳にとっても、人間にとっても社会にとっても一番なんですよ。
肉と肉のね・・・ハァハァ・・・
肉の・・・ハァハァ
漢字ってエロイなぁ。
これが英語だと、
meet & meet・・・haahaa
略して
M&M・・・haahaa
・・・ハァハァならんなぁ。
口の中が甘くなるぐらいだ。
(続きを読む?)
つまり、やり過ぎなんです。
肉体には思考を司る左脳部位と、肉体を制御する右脳部位以下原始脳に大雑把に分かれると思ってます。こうして書いている私や、明日どうなるとか、何食べるかなーなんて左脳の仕業です。右脳系全く無関係に働いています。肉体反応は本来現実に即した危機などに対して瞬間的に反応するようにできてますが、ゲームやテレビ、映画というのは実際の危機を感じたり、感動したりする対象や事象が現実に起きていません。空想です。しかし、右脳というやつは肉体そのものなので、空想であろうと反応しています。興奮すれば心拍数は上がり、血流は流れ、血圧が上がり、肉体は臨戦態勢を整えます。しかし、現実におきていない。つまり危機を右脳は察知しているにも関わらず、身体はいぜんとしてその危機を回避しようとはしません。ココで大きなギャップ、ズレが生じてきます。これらは自立神経も同じです。これらは寝ることで自然にリセット、調整されているのですが、過ぎると調整ができなくなります。疲れと同じでギャップやズレも徐々に大きくなるのです。
映画はいっても1日ずーーっと観っぱなしってことはありませんが、TV、特にゲームは興奮状態が本来ありえない長時間続くため肉体が臨界を突破し、報道にあるように極めて短期間で過労死することも可能となってしまうのです。「だったら戦争はどうなの?」と思うのでしょうが、経験者の話でもわかったのは、麻痺するんです。異常な状態が正常になり右脳と左脳のハードルがある意味下がることで正常をたもっているわけです。しかもあれはまさに現実なのでそういう調整が自然となされるわけですが、ゲームは左脳と右脳では捉えている現実にあまりに大きな隔たりがあります。そこが現代の弊を生んでいるな、と今になって得心しました。
右脳は肉体そのものなんです。左脳は肉体と乖離してます。ある天才脳神経学者が、「彼らには見えているんです。彼らにはまさに現実なんですよ。ただし!彼の脳が生み出した事象なので、我々には見えない」という1行を読んだのが凄く印象に残っていたのですが、そういうことなんです!映像を認識するのは脳なので、脳が見えていれば本人にとっては見えていることになる。ただ、ソコにはないんです。まさに左脳と右脳の乖離現象ですよ。肉体運動を通しておきていた過去の社会では調整できていたものが、まさかまさに左脳と右脳で見えているもの、感じている現象が全く異なることなんて想像もできない世界なのです。だから、ゲームは1日1時間ってのはあながち間違っていないんですよ。肉体を通さない事象は右脳は理解してませんから。どんどん左脳との乖離現象が深まるんです。特に子供は。TVとゲームの決定的違いは、興奮です。ゲームはとにかくどうあれ興奮させるためにやっているようなもんですから、その点TVはまだましです。ただ、本質的には同じなので、結局んところ長時間ってのがやはり害にしかならないわけなんですね。ゲームはそれが特筆すべき点であるってだけで。あー・・俺が天才だったら、この仮説をもとにネイチャーに論文提出するんだがなぁ。これ、相当いい線いってるよ。ノーベル平和賞いただきだよ!!くぅぅぅ・・・・。だからウィーのアレなんてまだマシ!って思ったら大違いです。人間の感覚器官の大多数は目と耳で90%以上しめてしまいます。つまり、ウィーのアレも結局はまだましって次元なだけで、程度の差こそあれよくはないのです。普通にフィットネスマシンで走れって話です。それか外走れって話です。どのみちアレは3時間とか4時間やらないだろうけどねぇ。とにかく、現実との乖離がまずいんですよ。右脳ってヤツは素直なので、ずーっと刷り込んでると間違うんですよ。それがマズイんです。すると、現実と妄想の区別がつかなくなるんですね。
まぁ、エエっか。せいぜい自分に活かすぐらいだな。長年の謎がこれで解決しました。ずーっと合点いかなかったのよねー。色々な書籍を読んだり、自らの仮説のもと実験したり体験したしても、どーも腑に落ちなかった。これで長年つっかえていたものがとれた気分です。
ただ、道具は使いようで、遊ばなくなって実感したのですが、ゲームはちょいと目先を換えるには非常に効果的です。なので、やはり短時間のプレイにはいいねぇ。でも、基本は肉と肉のお付き合いが脳にとっても、人間にとっても社会にとっても一番なんですよ。
肉と肉のね・・・ハァハァ・・・
肉の・・・ハァハァ
漢字ってエロイなぁ。
これが英語だと、
meet & meet・・・haahaa
略して
M&M・・・haahaa
・・・ハァハァならんなぁ。
口の中が甘くなるぐらいだ。
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オナラのことを英語で言うとブレイクウィンドらしいです。
たしか、そう覚えている。あまりにインパクトがあり、1回聞いて忘れません。破る、風 ・・・ナイスゥ!!
いや・・・いかんね。事実に反している。オナラは屁でいいんですよ。屁ですよ。上品にいって放屁。放屁だよ!
「あらぁ~失礼あそばせ、放屁してしまいました」
ぐあはっはっはっ!全然に上品に聞こえねぇーでも、どっかこの感覚に淫靡さがスパイスとして聞いてていい。
素晴らしいね日本は。うんうん
すいません、全然関係ない入りです。
喉がパーフェクトになりかかったとたんに、気候が一気に崩れ5度下がりお寒い世の中です。
歳のせいで1、2日遅れで肉体に結果が訪れました。
喉軽くブレイクw
「あーもー・・・イケズ」
運命の悪戯でしょうか、気候が崩れるのは予報の通りだったので相当用心したいのです。完璧でした。が、所詮は人類の浅知恵。自然に適うわけがない。身体は騙せないようです。当然、肉体も徐々に斜めって来て一昨日の夜から昨日の夜までがピーク。やや熱を出し、買物中にスタンド出現しそうになる。スタンドが出そうになるということは結構ダメージメーターが上がっているようだ。
「ハイエロファントグリィィーーーーーーーーーン!!」
何度も出そうになるスタンドを制圧しつつ、せっせと準備。途中いよいよ制圧できなくなりそうになったので休憩し、黄昏てTVなんぞみて、回復してはせっせ準備をすると、気づけば予定通りこなしていた。あれから更にわかるようになってきたマイボディ。
食事1時間後から3時間の間が魔の時間のようだ。これは理屈としては凄くよくわかる。食後というのは肉体が消化吸収にむけてそれこそ全精力をそそぎ爆発的にパワーを使っているので、消化吸収中というのは疲れる。歳をとると食事が細くなるのは、沢山食べたものを処理するだけの能力が最早ないからである。当然のことなのだ。だから、大食いでいられる老人は素晴らしい。特に食後90分あたりから血糖値が大幅に上がる為、アレな人にとっては魔の時間である。同時に正常な人でも肉体に大きな負担を与える時間なのだ。健康だと気づかないだろうけどねぇ。私の場合は特に90分後から3時間までのこの90分は最も危険な時間で、生態能力が著しく消化吸収に向けられるため自律神経が勝手に乱れ、肉体疲労からスタンドが出現しやすい時間帯になる。具合が斜めっていると一発でザワザワっときて、
「マジシャンズレーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッド!!」
となりそうになる。そこで、「あ!やっぱそうなんだ」と調子が50%あたりを彷徨っていることに気づかされる。そういう意味では便利である。本当はそうなる前にセーブしないとあまり意味がないが・・。でも、最近わかったのはこれ以上のセーブはしようがないということw つまり、わかっていながら顛末を見守るしかない無力さといいますか。まーようやく丸3ヶ月にして身体が仕上がりつつあるから、見守るしかありませんねぇ。体重の時もそうだったけど、やっぱり肉体は最低3ヶ月は見守らないと好転しないねぇ。3ヶ月たって成果が出なければ間違っていることになるし、逆に3ヶ月たたずして諦めるのは速すぎる。これ不思議なもんで、体重が減っていくパターンもこれでした。逆に言うと、悪くなるパターンもこれ。
とにかく喉は交感神経と副交感神経をつなぐ唯一の気管なのでココがブレイクすると本当にスタンドが出やすくなる。そこで私が全幅の信頼をしている洋品店店主に靴下買うついでにご相談。私にとっての御爺ちゃんの知恵袋的存在です。
(続きを読む?)
たしか、そう覚えている。あまりにインパクトがあり、1回聞いて忘れません。破る、風 ・・・ナイスゥ!!
いや・・・いかんね。事実に反している。オナラは屁でいいんですよ。屁ですよ。上品にいって放屁。放屁だよ!
「あらぁ~失礼あそばせ、放屁してしまいました」
ぐあはっはっはっ!全然に上品に聞こえねぇーでも、どっかこの感覚に淫靡さがスパイスとして聞いてていい。
素晴らしいね日本は。うんうん
すいません、全然関係ない入りです。
喉がパーフェクトになりかかったとたんに、気候が一気に崩れ5度下がりお寒い世の中です。
歳のせいで1、2日遅れで肉体に結果が訪れました。
喉軽くブレイクw
「あーもー・・・イケズ」
運命の悪戯でしょうか、気候が崩れるのは予報の通りだったので相当用心したいのです。完璧でした。が、所詮は人類の浅知恵。自然に適うわけがない。身体は騙せないようです。当然、肉体も徐々に斜めって来て一昨日の夜から昨日の夜までがピーク。やや熱を出し、買物中にスタンド出現しそうになる。スタンドが出そうになるということは結構ダメージメーターが上がっているようだ。
「ハイエロファントグリィィーーーーーーーーーン!!」
何度も出そうになるスタンドを制圧しつつ、せっせと準備。途中いよいよ制圧できなくなりそうになったので休憩し、黄昏てTVなんぞみて、回復してはせっせ準備をすると、気づけば予定通りこなしていた。あれから更にわかるようになってきたマイボディ。
食事1時間後から3時間の間が魔の時間のようだ。これは理屈としては凄くよくわかる。食後というのは肉体が消化吸収にむけてそれこそ全精力をそそぎ爆発的にパワーを使っているので、消化吸収中というのは疲れる。歳をとると食事が細くなるのは、沢山食べたものを処理するだけの能力が最早ないからである。当然のことなのだ。だから、大食いでいられる老人は素晴らしい。特に食後90分あたりから血糖値が大幅に上がる為、アレな人にとっては魔の時間である。同時に正常な人でも肉体に大きな負担を与える時間なのだ。健康だと気づかないだろうけどねぇ。私の場合は特に90分後から3時間までのこの90分は最も危険な時間で、生態能力が著しく消化吸収に向けられるため自律神経が勝手に乱れ、肉体疲労からスタンドが出現しやすい時間帯になる。具合が斜めっていると一発でザワザワっときて、
「マジシャンズレーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッド!!」
となりそうになる。そこで、「あ!やっぱそうなんだ」と調子が50%あたりを彷徨っていることに気づかされる。そういう意味では便利である。本当はそうなる前にセーブしないとあまり意味がないが・・。でも、最近わかったのはこれ以上のセーブはしようがないということw つまり、わかっていながら顛末を見守るしかない無力さといいますか。まーようやく丸3ヶ月にして身体が仕上がりつつあるから、見守るしかありませんねぇ。体重の時もそうだったけど、やっぱり肉体は最低3ヶ月は見守らないと好転しないねぇ。3ヶ月たって成果が出なければ間違っていることになるし、逆に3ヶ月たたずして諦めるのは速すぎる。これ不思議なもんで、体重が減っていくパターンもこれでした。逆に言うと、悪くなるパターンもこれ。
とにかく喉は交感神経と副交感神経をつなぐ唯一の気管なのでココがブレイクすると本当にスタンドが出やすくなる。そこで私が全幅の信頼をしている洋品店店主に靴下買うついでにご相談。私にとっての御爺ちゃんの知恵袋的存在です。
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んー・・ここ1週間、いや2週間かな、夜6時半頃から9時の頃になると必ずスタンドとの戦いがおきる。
まーかなり余裕をもって戦っていたが、昨夜はザクの足を作っていたらスタンドが出現しそうになる。両足つくったのがいけなかった、やはり右足できた段階でやめるべきやったな。その後、別件で頭の痛い問題がおきた。すると、あっという間に少しおされぎみになり、ちょっとだけビビった。
「なにぃ!押されているだとぅ!!」
気を持ち直して、すぐ押し返したがやはりブレている時は難しい。ムーン
それにしてもなぜだ?
私にとって魔の時間帯である。
昼間どんなに元気でも100%この時間帯にさしかかると・・・。
むーん
旦那のブログを読んでふとおもった。
寒いと猫はかくも寝るものなのか・・・。
そういえば!!
夕方6時から9時というのは交感神経と副交感神経の優位バランスが入れ替わる時間帯だ。
つまり、もともとブレやすい時間帯なのだ。
だからヤツが出現する。
「ハイエロファントグリーーーーーーーーーーーーーーン!」
そういえば最近ウォーキングコースにいる犬もいつも寝てるな。
くるまって寝ている。ピクリとも動かない。
自然の摂理にかなった生き方をすると、冬は人間も寝たほうがいいかもしれない。
そういえば夕方6時を過ぎると唐突に身体が別人にのっとられたかのように変わってしまう。
やけに眠くなるし。集中力が完全にぶっ飛ぶ。そしてブレてくるのが自分でわかるのだ。
その時にヤツはやってくる。
「マジシャンズレーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッド!!」
昨日は少し危なかった。
10時には寝るように生活をシフトチェンジしよう。
7時を過ぎたらもう寝る準備だ!
俺は自然の摂理に従う!!
それって、まるでジーサマの生活サイクルだな・・・
そう!俺はジーサマだ!!
もたつく権利!よろしく!!byAC
まーかなり余裕をもって戦っていたが、昨夜はザクの足を作っていたらスタンドが出現しそうになる。両足つくったのがいけなかった、やはり右足できた段階でやめるべきやったな。その後、別件で頭の痛い問題がおきた。すると、あっという間に少しおされぎみになり、ちょっとだけビビった。
「なにぃ!押されているだとぅ!!」
気を持ち直して、すぐ押し返したがやはりブレている時は難しい。ムーン
それにしてもなぜだ?
私にとって魔の時間帯である。
昼間どんなに元気でも100%この時間帯にさしかかると・・・。
むーん
旦那のブログを読んでふとおもった。
寒いと猫はかくも寝るものなのか・・・。
そういえば!!
夕方6時から9時というのは交感神経と副交感神経の優位バランスが入れ替わる時間帯だ。
つまり、もともとブレやすい時間帯なのだ。
だからヤツが出現する。
「ハイエロファントグリーーーーーーーーーーーーーーン!」
そういえば最近ウォーキングコースにいる犬もいつも寝てるな。
くるまって寝ている。ピクリとも動かない。
自然の摂理にかなった生き方をすると、冬は人間も寝たほうがいいかもしれない。
そういえば夕方6時を過ぎると唐突に身体が別人にのっとられたかのように変わってしまう。
やけに眠くなるし。集中力が完全にぶっ飛ぶ。そしてブレてくるのが自分でわかるのだ。
その時にヤツはやってくる。
「マジシャンズレーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッド!!」
昨日は少し危なかった。
10時には寝るように生活をシフトチェンジしよう。
7時を過ぎたらもう寝る準備だ!
俺は自然の摂理に従う!!
それって、まるでジーサマの生活サイクルだな・・・
そう!俺はジーサマだ!!
もたつく権利!よろしく!!byAC
なんちゅーか昔の人は凄いね。
ロクな暖房器具もなく、極寒の地でしっかり繁殖していたり、元気だったりした。
「何でなんだ?ナニが違うんだ?」
ここ数年ずっと自らの身体をつかって実験したが、やはり耐えるだけでは強化されないようだ。耐える上に、工夫が必要なのだと気づく。現代は工夫しなくても捻れば温風や冷風は出てくる。それが、工夫をさせない。いよいよ寒くなったら捻ればいいという考えが頭の片隅に必ずある自分に気づいた。根本的に無い時代とはそこが違う。無い時代は、無い故に、工夫しないと命に関わる。ある時代は、あるが故に「捻ればいい」という逃げが念頭にあり工夫をしない。
例えば私の場合、夏はラ族に近い格好であるし、冬は「ここは南極かよ!」みたいな格好で家で過している。逆をいえばそれしかしてないのだ。夏はともかく冬はソレでは厳しいはずだ。脱ぐ限界は昔も今も同じだが、着る限界、性能は今の方が遥かに優れている。にも関わらず昔の人は冬もしっかりどうにか過していた。そう、考えるとやはりそこに工夫があったはずだ。火鉢というものを親に聞いたことがあるが、「全く暖かくない」といっておった。火鉢の半径30センチ程度ないだけが熱いのあって、空間は一切あたたまらないらしい。そこにせいぜい3枚がせねぐらいでトドメにドテラぐらしか着てないのだから驚異的だ。家の中が零下なのも当たり前。なのに今の日本人よりよほど元気だったのではなかろうかと思う。根本的に生活サイクルから違うのだろう。冬はやはり起きている時間を可能な限り短くし、寝ている時間を長くするとか、先日も書いたように乾布摩擦をしたり陽性の野菜を食べたりと色々工夫があったのだろう。そうした行為が肉体強化へと繋がったのではなかろうかと思うに到った。耐えているだけでは、なんか死を待つような行為に思えてきた。何かコツがあるはずだ。
とにかく気候は不安定になり、他の動植物は獰猛になるのに、人間ばかりかヌクヌクとしていたせいで只管弱体化しているように思えて仕方が無い。そこに楔を打ち込んで、どうにか我が肉体、オレンゲリオンをパワーアップさせたい。今年は一切暖房を使わない!!と覚悟を決めようかな。そうしないとやっぱり頭の片隅に、「いざとなったら暖房があるから」ってのが人間弱いもので必ず残る。すると必死さがないから結局工夫なんて生まれない。やっぱハングリーじゃないと生まれないんだよなー。んなこと大真面目にやってチンだりしてw まーそんときはそんときだが、一番困るのは客だろう。例外を認めると人間ハードルが下がるので認めたくないが・・・・。んー・・・とはいえ、減量と同じでコレだけ!って決めるとストレスがでかいから、やはり徐々に実行に移すのが寛容か。何事も柔軟でなければね。
とにかく肉体をパワーアップさせたい!!
ロクな暖房器具もなく、極寒の地でしっかり繁殖していたり、元気だったりした。
「何でなんだ?ナニが違うんだ?」
ここ数年ずっと自らの身体をつかって実験したが、やはり耐えるだけでは強化されないようだ。耐える上に、工夫が必要なのだと気づく。現代は工夫しなくても捻れば温風や冷風は出てくる。それが、工夫をさせない。いよいよ寒くなったら捻ればいいという考えが頭の片隅に必ずある自分に気づいた。根本的に無い時代とはそこが違う。無い時代は、無い故に、工夫しないと命に関わる。ある時代は、あるが故に「捻ればいい」という逃げが念頭にあり工夫をしない。
例えば私の場合、夏はラ族に近い格好であるし、冬は「ここは南極かよ!」みたいな格好で家で過している。逆をいえばそれしかしてないのだ。夏はともかく冬はソレでは厳しいはずだ。脱ぐ限界は昔も今も同じだが、着る限界、性能は今の方が遥かに優れている。にも関わらず昔の人は冬もしっかりどうにか過していた。そう、考えるとやはりそこに工夫があったはずだ。火鉢というものを親に聞いたことがあるが、「全く暖かくない」といっておった。火鉢の半径30センチ程度ないだけが熱いのあって、空間は一切あたたまらないらしい。そこにせいぜい3枚がせねぐらいでトドメにドテラぐらしか着てないのだから驚異的だ。家の中が零下なのも当たり前。なのに今の日本人よりよほど元気だったのではなかろうかと思う。根本的に生活サイクルから違うのだろう。冬はやはり起きている時間を可能な限り短くし、寝ている時間を長くするとか、先日も書いたように乾布摩擦をしたり陽性の野菜を食べたりと色々工夫があったのだろう。そうした行為が肉体強化へと繋がったのではなかろうかと思うに到った。耐えているだけでは、なんか死を待つような行為に思えてきた。何かコツがあるはずだ。
とにかく気候は不安定になり、他の動植物は獰猛になるのに、人間ばかりかヌクヌクとしていたせいで只管弱体化しているように思えて仕方が無い。そこに楔を打ち込んで、どうにか我が肉体、オレンゲリオンをパワーアップさせたい。今年は一切暖房を使わない!!と覚悟を決めようかな。そうしないとやっぱり頭の片隅に、「いざとなったら暖房があるから」ってのが人間弱いもので必ず残る。すると必死さがないから結局工夫なんて生まれない。やっぱハングリーじゃないと生まれないんだよなー。んなこと大真面目にやってチンだりしてw まーそんときはそんときだが、一番困るのは客だろう。例外を認めると人間ハードルが下がるので認めたくないが・・・・。んー・・・とはいえ、減量と同じでコレだけ!って決めるとストレスがでかいから、やはり徐々に実行に移すのが寛容か。何事も柔軟でなければね。
とにかく肉体をパワーアップさせたい!!
手タレが常時手袋をするように、
歌手が喉をあたためるためマフラーなどで喉を暖めるように、
やっぱり、ある程度暖めたらどうかなーと思い、
昨夜からフリースを首にまいてます。
コリャあ・・・いけるね。
どーも喉の違和感といがらっぽさが抜けず、常時飴を舐めるわけにもいかず、どうにか改善方向へ促す方法ないものかと思い手タレのことを思い出しました。テノール歌手とかもやるそうですね。フリースの筒状のやつを首にすっぽり通しているんだけど、すんごい楽になって効果覿面でした。そのまま就寝。随分違う。
やっぱり血行ってのは命なんだねぇ。
ただ、ちょっと判断に苦しむのは程度。ある一説では、肉体を過保護にしてもまた害になる、というものがあり、実際私も体感を通してそれは非情にうなずける。生命体にとって大事なのは、適度、中庸ってことであり、猛烈に過酷とか、猛烈にあまい環境というのは結局はダメージになってしまう。精神もそうだよね。幾つになってもダダッ子みたいやヤス○とかいうあ4タレントなんか典型例だと思う。見えてないんだよね自分が、ましてや周りや元旦那のことなんてまるっきり見えるはずがない。
一時、私なんぞアトピー治療についてもっと「痛めつけたらいいのでは?」という無責任な心無い提案されたことがあり、頭にきたのと、チャレンジャー精神から密かに実行してみたら悪化の一途を辿ったということがあります。「期間が短いから効果がないんじゃ?」とも言われ、もー長いことやってますが、やっぱり変わりませんな。私は寒いのが弱いのですが、それについても過保護になりすぎているのでは?(私が冬は凄い厚着だから)と言われているのですが、まーマイルームに来たことがある人はわかると思いますが、マイルームはむしろ常時寒いんです。夏は常時暑いしね。つまり、鍛えられている筈なんですよ。
んで、
肉体の動向をみるために8年ほどこんな生活をやってるんですが、やっぱりダメですね。ある程度の効果は確かになくはない。人より寒さに耐えられるし、暑さにも耐えられる。でもね、やっぱり冬はシモヤケに相変わらずなるし、夏の暑さでグッタリ疲れるんです。こりゃー何かが足りない。
昔の人はなんで平気だったんだろう?
と思いを馳せてみると、乾布摩擦や冷や水浴びとかやっていなたぁと思い出しました。やっぱり何かやってるんですね。1つエッセンスがあるんですよ。乾布摩擦は体表をはしる血管の血行をよくしますし、夏の水浴び広がりきった血管をキュッとしめる効果がある。とすると、やはりメリハリなんだな。そういえば、本にもこんなことが書いてありました。昔の人はとにかく冬は寒いから、じっと動かない。動く時は短時間に集中的に動き、パタっとやめる。後はずーっと包まっているそうです。メリハリなんですね。しかもただ延々くるまっているわけじゃなく、朝とか乾布摩擦をして血行促進を図ったりしている。夏なんか最も暑くなる昼に水浴びしたりね。やっぱり昔の人は凄いね!!全ては自然率のなかから答えを見出している。
そこから思うに、確かに常時あっためたり、常時寒かったりするのは身体に毒である。動く時はガッツリ動いて、止まった時はしっかりあっため、身体を動かさずに休ませる。んで、時々乾布摩擦なんぞしてズレた部分を調整し同時に身体も外から鍛えると。ということは、喉も常時あっためていたんでは逆に弱ってしまうので、時々は外すことも必要なんだな。やはり夕方3時半を過ぎると生態活動は徐々に落ちていき、6時を過ぎると確実に曲がり角にさしかかるから、5時ぐらいに装着するのがいいかもしれないね。それまでは外すと。5時ってもう真っ暗だよね。おし、まずはメリハリある生活からだな。
歌手が喉をあたためるためマフラーなどで喉を暖めるように、
やっぱり、ある程度暖めたらどうかなーと思い、
昨夜からフリースを首にまいてます。
コリャあ・・・いけるね。
どーも喉の違和感といがらっぽさが抜けず、常時飴を舐めるわけにもいかず、どうにか改善方向へ促す方法ないものかと思い手タレのことを思い出しました。テノール歌手とかもやるそうですね。フリースの筒状のやつを首にすっぽり通しているんだけど、すんごい楽になって効果覿面でした。そのまま就寝。随分違う。
やっぱり血行ってのは命なんだねぇ。
ただ、ちょっと判断に苦しむのは程度。ある一説では、肉体を過保護にしてもまた害になる、というものがあり、実際私も体感を通してそれは非情にうなずける。生命体にとって大事なのは、適度、中庸ってことであり、猛烈に過酷とか、猛烈にあまい環境というのは結局はダメージになってしまう。精神もそうだよね。幾つになってもダダッ子みたいやヤス○とかいうあ4タレントなんか典型例だと思う。見えてないんだよね自分が、ましてや周りや元旦那のことなんてまるっきり見えるはずがない。
一時、私なんぞアトピー治療についてもっと「痛めつけたらいいのでは?」という無責任な心無い提案されたことがあり、頭にきたのと、チャレンジャー精神から密かに実行してみたら悪化の一途を辿ったということがあります。「期間が短いから効果がないんじゃ?」とも言われ、もー長いことやってますが、やっぱり変わりませんな。私は寒いのが弱いのですが、それについても過保護になりすぎているのでは?(私が冬は凄い厚着だから)と言われているのですが、まーマイルームに来たことがある人はわかると思いますが、マイルームはむしろ常時寒いんです。夏は常時暑いしね。つまり、鍛えられている筈なんですよ。
んで、
肉体の動向をみるために8年ほどこんな生活をやってるんですが、やっぱりダメですね。ある程度の効果は確かになくはない。人より寒さに耐えられるし、暑さにも耐えられる。でもね、やっぱり冬はシモヤケに相変わらずなるし、夏の暑さでグッタリ疲れるんです。こりゃー何かが足りない。
昔の人はなんで平気だったんだろう?
と思いを馳せてみると、乾布摩擦や冷や水浴びとかやっていなたぁと思い出しました。やっぱり何かやってるんですね。1つエッセンスがあるんですよ。乾布摩擦は体表をはしる血管の血行をよくしますし、夏の水浴び広がりきった血管をキュッとしめる効果がある。とすると、やはりメリハリなんだな。そういえば、本にもこんなことが書いてありました。昔の人はとにかく冬は寒いから、じっと動かない。動く時は短時間に集中的に動き、パタっとやめる。後はずーっと包まっているそうです。メリハリなんですね。しかもただ延々くるまっているわけじゃなく、朝とか乾布摩擦をして血行促進を図ったりしている。夏なんか最も暑くなる昼に水浴びしたりね。やっぱり昔の人は凄いね!!全ては自然率のなかから答えを見出している。
そこから思うに、確かに常時あっためたり、常時寒かったりするのは身体に毒である。動く時はガッツリ動いて、止まった時はしっかりあっため、身体を動かさずに休ませる。んで、時々乾布摩擦なんぞしてズレた部分を調整し同時に身体も外から鍛えると。ということは、喉も常時あっためていたんでは逆に弱ってしまうので、時々は外すことも必要なんだな。やはり夕方3時半を過ぎると生態活動は徐々に落ちていき、6時を過ぎると確実に曲がり角にさしかかるから、5時ぐらいに装着するのがいいかもしれないね。それまでは外すと。5時ってもう真っ暗だよね。おし、まずはメリハリある生活からだな。
今年はほんと喉にくるねー。ラジオ聞いてもても、このパーソナリティここ1ヶ月ずっと咳こんでるなーとかおります。外でも結構咳き込んでいる人を見かけ、しかも軽い咳ではなく、結構深い咳なんですよ。先日、甥っ子もちょっといがらっぽそうにエヘンしてました。あの音聞いただけで、背筋がザワザワーって来ます。
旦那のブログよんだ感じだと、今年の花粉が喉に来るのかねぇ。たしかに猛烈に暑かった夏の後、花粉は猛烈に発生するので、その線か・・・。恐ろしくて知りたくもないが猛烈に飛んでいるのかもしれん。こわやこわや・・。喉にくるんですよぉ。
また、急速に寒くなってきたせいかココ一週間ほどはどうも体調が優れませんでした。まーここ数日でどうにか風邪を引くことも無く持ち越しましたが、またここで一段階寒くなってきたからねぇ。もっと下がるようですね。んで、また上がるという風邪っぴきパターンを天候は繰り返すようです。自然には適わないねぇ。
それでも全体としては上向いていますよ!精神的にも時々ザワついてスタンドが出現しそうになりますが、かなりコントロール出来るようになりましたね。また、スタンドの出現はどうやら疲労や神経バランスを如実に反映していることがわかり、ザワついたら休憩、もしくは身体を動かすことで引っ込めることが出来て、そうすることで体調を崩しきらないことがわかりました。ザワつくのも無駄ではないと気づきました。肉体からの疲労信号と思って活用できそうです。今までは意識に倒れてしまい、体調が全くコントロールできなかった。
実際相当よくなった感じです。先日甥っ子の家にいった日も、以前だったらもう心底疲れきる状況になったはずなのに全然肉体的にも余裕があり、それでいて夜もスコンと意識を失うように朝まで眠れるので身体のリフレッシュ具合が桁違いです。とはえい、過信すると足下すくわれるのでそこは刻々と変転する肉体に耳を傾けつつ歩んでいこうかなと思います。体重は焼け石に水でした。一旦2キロまで増やしたのですが、翌々日にはまた2キロ以上下がり今も下がりつつあるようです。ただ、全体的に食べられる量が増えてきたので食べられている上でこのペースならよいかなと思ってます。自然とおちつくでしょう。とにかく調子が上がってきました。
旦那のブログよんだ感じだと、今年の花粉が喉に来るのかねぇ。たしかに猛烈に暑かった夏の後、花粉は猛烈に発生するので、その線か・・・。恐ろしくて知りたくもないが猛烈に飛んでいるのかもしれん。こわやこわや・・。喉にくるんですよぉ。
また、急速に寒くなってきたせいかココ一週間ほどはどうも体調が優れませんでした。まーここ数日でどうにか風邪を引くことも無く持ち越しましたが、またここで一段階寒くなってきたからねぇ。もっと下がるようですね。んで、また上がるという風邪っぴきパターンを天候は繰り返すようです。自然には適わないねぇ。
それでも全体としては上向いていますよ!精神的にも時々ザワついてスタンドが出現しそうになりますが、かなりコントロール出来るようになりましたね。また、スタンドの出現はどうやら疲労や神経バランスを如実に反映していることがわかり、ザワついたら休憩、もしくは身体を動かすことで引っ込めることが出来て、そうすることで体調を崩しきらないことがわかりました。ザワつくのも無駄ではないと気づきました。肉体からの疲労信号と思って活用できそうです。今までは意識に倒れてしまい、体調が全くコントロールできなかった。
実際相当よくなった感じです。先日甥っ子の家にいった日も、以前だったらもう心底疲れきる状況になったはずなのに全然肉体的にも余裕があり、それでいて夜もスコンと意識を失うように朝まで眠れるので身体のリフレッシュ具合が桁違いです。とはえい、過信すると足下すくわれるのでそこは刻々と変転する肉体に耳を傾けつつ歩んでいこうかなと思います。体重は焼け石に水でした。一旦2キロまで増やしたのですが、翌々日にはまた2キロ以上下がり今も下がりつつあるようです。ただ、全体的に食べられる量が増えてきたので食べられている上でこのペースならよいかなと思ってます。自然とおちつくでしょう。とにかく調子が上がってきました。
最近の私は人が変わってしかったかのようだ。と、自分で思う。周りからみたら変わらないのだろうけどw
ことあるごとに、意識と無意識について思いを寄せ、茂木さんの本を読み出した。タイトル「意識とは何か」そのものズバリである。
逝ってしまったゴッホの気持ちが今は痛いほどわかる気がする。あの日以来私は自分の写真を撮り続けている。何で撮りだしたのは、撮ろうと思ったのか。自分ではなくなりそうな何かを感じ、恐ろしくなったからかもしれない。朝、まず顔と喉を撮る。喉はわかる。アトピーの関係で自分の経過をとっていた時期もあった。写真というのは客観性をえるのに優れた機械だ。自分でも過去のアトピー自分標本をみると驚くことが多々ある。しかし、顔を撮る必要はないはず。だが、それはやはり恐怖だったのだろう。わからない人はわからないが、人間豹変することがある。そこには兆しがあり、長い、もしくは短い兆しの果てに豹変する。それをよくわかっているので、自分の豹変する兆しを左脳で理解するよりも早く察知しなければ命に関わるのでは!?という恐れがあったのだと思う。
写真に写った自分というのは最早自分ではない。誰かである。撮った瞬間はまだ自分に近いものであるが時とともに薄れていく。それは書でも同じだ。書作品に取り組んでいる時は、「すげー!いいのできた!」と思っても翌日見上げて「誰だこのショボイの書いたのは」と思う自分がいる。時間が空くと客観性がでるのだ。その天に関しては全て同じだ。夢の中で笑いが止まらないことがあり、それを他人に話しているうちに 「どこが面白いんだ?」と自分で不思議に思ったことがないだろうか。全てにおいてそうである。渦中にいる時は自分ではわからないものだ。自分に近い存在が必ずしも有益とは限らないのに、近いが故に有益に無条件で感じたりするのと同じだ。「近い」もしくは「同一視」というのは事実とはことなる思い込みを生む。
この最たるものが自分である。ゴッホはその果てに自分を滅することになった。文学者にそういう人が多いのも今なら凄くよくわかる気がする。左脳によるその探求には限界がありそこに答えはない。答えがない答えをだそうとするとパソコンが簡単にフリーズするのと同じで、理屈には限界があるのだ。そう考えると、ゴッホは極めて知的な左脳人間だったのかもしれない。自分を探求するという意識は左脳そのものである。なぜなら右脳にとって、自分とは肉そのものでありある意味考えるという領域にはない。把握する領域である。だから文学者が自分を滅する選択しを選ぶのが実感をもってわかる。今ここに到って何故人間は究極的に説いていくと宗教学に入っていくのか凄く理解できる。そこへ通じてしまうのだ。逆にそこに通じないと自ら滅するという選択しをとりがちだ。
これもバランスなのだ。左脳と右脳のバランスが崩れるとそうなってしまう。人左脳のみで生きてはいけない。しかし右脳のみでは生きていける。文学者や芸術家というのは高い創造性、左脳を使う。それ故に陥ってしまうのだろう。解決のない深淵に捉えられてしまう。人は無条件に得たいの知れないものには恐怖を感じる。それは左脳がではなく、右脳が反応するのだと思う。自己の存在、そして生と死には理屈を越えたものがあり決して左脳では解決できない問題である。深淵に飲まれると探究心はいつしか恐怖に変わり、そもそも答えがないので恐怖は加速度的に左脳を飲み込む。
私は小学生の時にそれを感じた。
ほとんどの事象には理屈がつけられ、納得ができるのに、この生と死、(当時はさすがに自己という側面には幸いアプローチがいかなかった)には説明がつかない。「なぜ生きてるの?なんで生きているって思っているの?」「なんで死ぬの?なんで死ぬのに生まれたの?」 解決の糸口もない深淵に飲まれ、それは圧倒的な恐怖となり、虜になった。ある朝ふっと「今日死のう」と思った。そして朝礼の後、校歌を歌いながら 「あーこれで皆ともお別れだ」と思い一人涙ぐんだことが何度もあった。私の原点はそこである。決定的に今と違ったのは小学生だったことだ。そんな哲学的なことに思いをはせる私だったが、所詮は小学生。友人との遊びが楽しかったりすると、「ん・・・明日でいいか」と軽く考え、遊びに没頭する。しかし時間が出来ると恐怖再燃。そこでまた「さー死のう」と具体的なプランも実感もないまま出かけようとする。「もう暗いのにどこ行くの?」と母に声をかけられ、内心「母さんゴメンね、僕死ぬんだ」と喋りかけ、「ちょっとそこまで」と言い出かけようとする。「カレーもう出来るから冷めないうちにね」と言われると、「カレー!!」(今も昔も大好物だ)それだけで、「・・・カレー食べてからにしよう」と思ったりしたものだ。そんなことを気の遠くなるぐらいに繰り返した。
大人になると自らを滅する人が多いのはこの差だ。この子供の反応はまさに即物的で左脳ではなく右脳の反応である。大人の圧倒的大多数は左脳人間なので左脳で試行すると、リーマンショックであーだこーだ、世間は倒産に拍車がかかり未来があーだこーだ、日本は借金返済不可能だからあーだこーだ、と来てもいない、また、正確に捉えていない、捉えられない事象に左脳をフル回転させ、絶望する。これは短くまとめちゃうと、「妄想」である。妄想に支配され、支配された左脳は右脳に支持を出す。子供は違う。子供は左脳がまだ未発達なので、右脳を中心に生きている。先日もそう思わせることがあった。甥っ子がベトナムから帰って来た。色々お土産話が聞けるかなーと思っていたら、甥っ子は一切ベトナムの話はしない。質問しても「楽しかった」「良かった」とか超短い返事しか返ってこず、「あー興味ないんだな」ということを物語っていた。甥っ子はしきりに私と遊びたがり互いにつくったガンダムプラモを見せ合ったりガンダム談義で盛り上がったり、今流行っている携帯捜査官の説明をしてくれたりと大ハシャギだ。しかも目はトローンとして明らかに眠そうになっても「いや、まだオジサンと遊びたい」と行って帰ろうとしない。「眠いでしょ」と言っても「眠くない!」といった感じだ。大人の発想では、「せっかくベトナムにいったんだから・・・」とつい固定的に思ってしまうが、子供は常に今をダイナミックに生きているので大人とは逆に左脳を無視して右脳感覚優先で生きているからこうなるのだろう。彼からしたら、たとえ昨日のことであってもベトナム旅行は過去の話である。彼の中では終わっているのだ。今は、”オジサンと遊ぶ”ということが生きる意味そのものであり、それ以上でもそれ以下でもない。
感動だ。
子供の素晴らしさはここにある。そんな話を大人にすると大人はすぐ屁理屈で応酬する。「大人には社会がある。そうもいってられないでしょう」 私も実際、先生から全く同じ話をされ続けたが、そう言い返してきた。だが、今更ながら疑問符がつく。本当にそうなのか?そもそも「やってもいねーじゃん」そこだ。そもそもヤッテもいないのに妄想、推測、憶測だけで否定している。これは左脳の働きだ。つまりこの時点で右脳的要素は何一ついれていない。そこに改めて気がづいた。甥っ子には明日一緒にベトナムビデオ上映会の後、遊ぶということで帰ってもらったw
(続きを読む?)
ことあるごとに、意識と無意識について思いを寄せ、茂木さんの本を読み出した。タイトル「意識とは何か」そのものズバリである。
逝ってしまったゴッホの気持ちが今は痛いほどわかる気がする。あの日以来私は自分の写真を撮り続けている。何で撮りだしたのは、撮ろうと思ったのか。自分ではなくなりそうな何かを感じ、恐ろしくなったからかもしれない。朝、まず顔と喉を撮る。喉はわかる。アトピーの関係で自分の経過をとっていた時期もあった。写真というのは客観性をえるのに優れた機械だ。自分でも過去のアトピー自分標本をみると驚くことが多々ある。しかし、顔を撮る必要はないはず。だが、それはやはり恐怖だったのだろう。わからない人はわからないが、人間豹変することがある。そこには兆しがあり、長い、もしくは短い兆しの果てに豹変する。それをよくわかっているので、自分の豹変する兆しを左脳で理解するよりも早く察知しなければ命に関わるのでは!?という恐れがあったのだと思う。
写真に写った自分というのは最早自分ではない。誰かである。撮った瞬間はまだ自分に近いものであるが時とともに薄れていく。それは書でも同じだ。書作品に取り組んでいる時は、「すげー!いいのできた!」と思っても翌日見上げて「誰だこのショボイの書いたのは」と思う自分がいる。時間が空くと客観性がでるのだ。その天に関しては全て同じだ。夢の中で笑いが止まらないことがあり、それを他人に話しているうちに 「どこが面白いんだ?」と自分で不思議に思ったことがないだろうか。全てにおいてそうである。渦中にいる時は自分ではわからないものだ。自分に近い存在が必ずしも有益とは限らないのに、近いが故に有益に無条件で感じたりするのと同じだ。「近い」もしくは「同一視」というのは事実とはことなる思い込みを生む。
この最たるものが自分である。ゴッホはその果てに自分を滅することになった。文学者にそういう人が多いのも今なら凄くよくわかる気がする。左脳によるその探求には限界がありそこに答えはない。答えがない答えをだそうとするとパソコンが簡単にフリーズするのと同じで、理屈には限界があるのだ。そう考えると、ゴッホは極めて知的な左脳人間だったのかもしれない。自分を探求するという意識は左脳そのものである。なぜなら右脳にとって、自分とは肉そのものでありある意味考えるという領域にはない。把握する領域である。だから文学者が自分を滅する選択しを選ぶのが実感をもってわかる。今ここに到って何故人間は究極的に説いていくと宗教学に入っていくのか凄く理解できる。そこへ通じてしまうのだ。逆にそこに通じないと自ら滅するという選択しをとりがちだ。
これもバランスなのだ。左脳と右脳のバランスが崩れるとそうなってしまう。人左脳のみで生きてはいけない。しかし右脳のみでは生きていける。文学者や芸術家というのは高い創造性、左脳を使う。それ故に陥ってしまうのだろう。解決のない深淵に捉えられてしまう。人は無条件に得たいの知れないものには恐怖を感じる。それは左脳がではなく、右脳が反応するのだと思う。自己の存在、そして生と死には理屈を越えたものがあり決して左脳では解決できない問題である。深淵に飲まれると探究心はいつしか恐怖に変わり、そもそも答えがないので恐怖は加速度的に左脳を飲み込む。
私は小学生の時にそれを感じた。
ほとんどの事象には理屈がつけられ、納得ができるのに、この生と死、(当時はさすがに自己という側面には幸いアプローチがいかなかった)には説明がつかない。「なぜ生きてるの?なんで生きているって思っているの?」「なんで死ぬの?なんで死ぬのに生まれたの?」 解決の糸口もない深淵に飲まれ、それは圧倒的な恐怖となり、虜になった。ある朝ふっと「今日死のう」と思った。そして朝礼の後、校歌を歌いながら 「あーこれで皆ともお別れだ」と思い一人涙ぐんだことが何度もあった。私の原点はそこである。決定的に今と違ったのは小学生だったことだ。そんな哲学的なことに思いをはせる私だったが、所詮は小学生。友人との遊びが楽しかったりすると、「ん・・・明日でいいか」と軽く考え、遊びに没頭する。しかし時間が出来ると恐怖再燃。そこでまた「さー死のう」と具体的なプランも実感もないまま出かけようとする。「もう暗いのにどこ行くの?」と母に声をかけられ、内心「母さんゴメンね、僕死ぬんだ」と喋りかけ、「ちょっとそこまで」と言い出かけようとする。「カレーもう出来るから冷めないうちにね」と言われると、「カレー!!」(今も昔も大好物だ)それだけで、「・・・カレー食べてからにしよう」と思ったりしたものだ。そんなことを気の遠くなるぐらいに繰り返した。
大人になると自らを滅する人が多いのはこの差だ。この子供の反応はまさに即物的で左脳ではなく右脳の反応である。大人の圧倒的大多数は左脳人間なので左脳で試行すると、リーマンショックであーだこーだ、世間は倒産に拍車がかかり未来があーだこーだ、日本は借金返済不可能だからあーだこーだ、と来てもいない、また、正確に捉えていない、捉えられない事象に左脳をフル回転させ、絶望する。これは短くまとめちゃうと、「妄想」である。妄想に支配され、支配された左脳は右脳に支持を出す。子供は違う。子供は左脳がまだ未発達なので、右脳を中心に生きている。先日もそう思わせることがあった。甥っ子がベトナムから帰って来た。色々お土産話が聞けるかなーと思っていたら、甥っ子は一切ベトナムの話はしない。質問しても「楽しかった」「良かった」とか超短い返事しか返ってこず、「あー興味ないんだな」ということを物語っていた。甥っ子はしきりに私と遊びたがり互いにつくったガンダムプラモを見せ合ったりガンダム談義で盛り上がったり、今流行っている携帯捜査官の説明をしてくれたりと大ハシャギだ。しかも目はトローンとして明らかに眠そうになっても「いや、まだオジサンと遊びたい」と行って帰ろうとしない。「眠いでしょ」と言っても「眠くない!」といった感じだ。大人の発想では、「せっかくベトナムにいったんだから・・・」とつい固定的に思ってしまうが、子供は常に今をダイナミックに生きているので大人とは逆に左脳を無視して右脳感覚優先で生きているからこうなるのだろう。彼からしたら、たとえ昨日のことであってもベトナム旅行は過去の話である。彼の中では終わっているのだ。今は、”オジサンと遊ぶ”ということが生きる意味そのものであり、それ以上でもそれ以下でもない。
感動だ。
子供の素晴らしさはここにある。そんな話を大人にすると大人はすぐ屁理屈で応酬する。「大人には社会がある。そうもいってられないでしょう」 私も実際、先生から全く同じ話をされ続けたが、そう言い返してきた。だが、今更ながら疑問符がつく。本当にそうなのか?そもそも「やってもいねーじゃん」そこだ。そもそもヤッテもいないのに妄想、推測、憶測だけで否定している。これは左脳の働きだ。つまりこの時点で右脳的要素は何一ついれていない。そこに改めて気がづいた。甥っ子には明日一緒にベトナムビデオ上映会の後、遊ぶということで帰ってもらったw
(続きを読む?)
最近そんなことを考えてます。体調は劇的によくなった。喉はもうあと一押し。声はもう98%がた普通に出ますし、どこかへ消失し違和感があった喉仏もかなりいいです。異物感もほとんとありません。ただ、気温がガッっと下がったのでまたしても速攻で自律神経がガタつき、それにより精神的なアンバランスが一時的におきました。
一旦シナプスに強烈に刻まれた傷というのは早々に癒えないねぇ。面白いほどに自律神経が乱れるとアレがやってきます。凄いです。もー原因は消滅してるもん。元々は死にそうになったことから刻まれた深い傷ですが、その傷はとっくに癒えているし、傷を深めた現象ももうほとんど解消されているから根拠がない。にも関わらずスイッチが入ったように来るんですよ。アレが。もーね、降ってるんです。別人と生活しているようなものです。意識関係ないんです。スタンドに支配されそうになるんです。これは完璧に持病と同じ。持病だって免疫の過剰反応だとか、理屈はわかってても身体がかってに反応するからどうにも出来ない。深い精神的な傷も完全に制御不能だ。根拠がないのは自分が一番わかっている。でも、クルんですアレが。戦争経験者や犯罪被害者の心的外傷というのがこれほどのものとは・・・こんなに辛いとは・・・想像を絶していました。したくない経験をしてしまったものです。マイッチング。アレがクル度に、この2ヶ月に色々試行した自分なりの方法でその都度なんとかスタンドを制圧し引っ張りかえしてますが、相当な負担ですね。こんなことがその都度起きるのかと思うと凹みそうです。凹むとスタンドの思う壺なので凹んでられません。
んまぁ、幸か不幸か私は慢性鼻炎に、アトピーという癒えない持病と孤独に長年お付き合いしてきたので、過去の経験を心の傷Verに置き換えてなんとかやろうと思います。過去を悔いても仕方ありません、未来に恐れおののいてもまだ来てません。今しかないんです。今の連続。戦うのは今!ナウ!これは私のお師匠様が常に言っていることだったと思い、ハッとしました。ダイナミックに変化する今に対処できないのに、なんで来てない未来に対処できるの?それなのに現代人は自分の小さな器で未来を予測し、そしてのまれている自分に気がつかない。言ってたねぇ・・・こういうことだったんですね師匠。自分の発言に責任をもつなって師匠いってましたが、そういうことなんですね。だって、発言は過去だからねぇ。今なんですね。今どうするか!今!今!今!の連続。書と同じですね。つまりそこには左脳的発想は入り込む余地がない。ダイナミックに変化する事象に対応するのは右脳しかできないんです。
元から左脳思考的生活が長かったのでこれからは右脳人間に切り替えるべく日々修行ですよ。日々なんてもんじゃないな。次々修行です。書がかけるんだから出来るはずだ!アレと同じなんだ、左脳よりはやく右脳を働かせればいい。現代日本に心の病が多い理由もわかった気がします。ずーっと昔から師匠が私に言い続けていたように、今の人類は左脳使いすぎなんですよ。特に農耕民族だった我々がコレやったうと精神のバランスを崩すのは当たりませなんだと思いました。いやーわが師匠ながらほんと凄い!こういう意味だったのか、そういやずーっと言われていたなぁ。「ドラちゃんは凄い才能もってるんだから。自分を解放してハチキレタ方がいいよ。本来君はもっと凄い人なんだよ。制御不能なぐらいハチキレタ人なんだ。世間という小さな枠に自分を抑制し過ぎている。勿体無いよ」って言われてピンとこなかったけど、どこか本質を突かれているような気はしていた。ハチキレルかー!!いっちょ、ニュータイプとして覚醒するか!www そのキーワードはやはり右脳なんだろうねー。もっと原始的な感覚に素直に動いたほうがいいんだろうねぇ。ただ、痛烈な左脳生活だったからそこから脱するのもまた並大抵じゃないな。んま、何事も一歩からだ。どーせ同じ人生、ハッチャケて終わりたい。どう転んでも最後は死ぬんだから。
その大きなキーワードは自立神経だ。精神というのは肉体と別個に存在するという観念があったけど、今回のスタンド騒動で違うと体感した。精神も肉体からくる反応だ。魂はわからん。体感が無い。少なくても精神は肉体反応のひとつだ。だからギリシャの哲学者が言った、「人間は肉体の奴隷である」そういう意味だったのか!と今なら一段階理解できたと思う。自立神経と右脳左脳の問題が正常と非正常の鍵となっているのは明白なようだ。自然界を含め人間もバランスが許容範囲の中を揺らいでいるうちはいい。これを著しく逸脱すると壊れるのだ。身体が壊れるように精神という身体が。つまりより具体的な方法として、身体から強制する必要がある。右脳左脳の働きも肉体活動で抑制することは出来る。人間、速く正確に動こうとすると、左脳ではおっつかないので自動的に右脳に切り替わる。プロの動きが正確でいながら速いのはこの右脳をつかって仕事をしているからだ。だからプロは速くて正確じゃないといけないと言われる。遅いうちは左脳で動いているから無駄が多く、負担も大きいのだ。つまり、どんな事象も最終的には右脳へバトンを渡せてこそ完成と言える。この自立神経は運動を介して鍛えることが出来るので、運動で鍛える。そして最終的に自律神経のバランスを常に一定内におさめ、許容範囲を運動を通して強化し、左脳生活から脱し右脳人間化することで、ニュータイプ俺、厳密には本質的な俺へと覚醒できると行き着いた。スタンドに自らを寝食されるのではなく、スタンドを扱えるようになる。そして大往生で死ぬ。「くはーやりきったなー俺!」みたいな。もーね、こうなると社会なんて、他人なんて関係ないですよ。そんな余裕ないもん実際のところ。じゃないとスタンドがいつひょっこり顔だすかほんとわかねーもん。いきなり出るから。
精神とは自律神経に直結してます。自立神経の破綻は即ち精神の破綻。現代医学では自律神経は治療できない。精神とは海のものとは山のものとも知れないものじゃない。精神とは肉体反応そのものなんだと確信がもてました。そういう意味では健全な肉体に健全な精神が宿るというのは間違っていない!!社会的規範に当てはめようとするから嘘ってことになっちゃうのよ。社会的規範なんて自分からみたら外の話でしょ。んなの関係ねー!おぎゃーと生まれた時から戦いは始まっているんだ。あのオギャーだって、本読むと苦痛の雄たけびらしいから。酸素という猛毒との戦いを意味する苦痛と生への宣戦布告が「オギャー」なんだから。しかも戦う相手は他人じゃないない、まさに己なんですよ。己の戦いに比べたら外の戦いなんて屁のツッパリ。
今日も俺のスタンドとの戦いは始まっている。鬱になった嘗ての同僚のこと、この前まで心配したけど、関係ねーぜ!それどころじゃねー!俺は俺と戦わないといかん。外に目が向いている場合じゃねーぜ。彼は彼で己と戦っている。そして俺は俺と戦う。俺の向き合うべき相手は彼の病ではなく、俺自身だ。だから師匠は俺が倒れて息も絶え絶えだったときですら何一つ言わなかったんだなぇ。一切の同情の言葉なし。それはある意味では相手をこの上なく尊重していることと言えるんだなー。師匠は師匠で己と戦い、俺は俺で己と戦う。俺は戦いのステージにようやく足を下ろした。
一旦シナプスに強烈に刻まれた傷というのは早々に癒えないねぇ。面白いほどに自律神経が乱れるとアレがやってきます。凄いです。もー原因は消滅してるもん。元々は死にそうになったことから刻まれた深い傷ですが、その傷はとっくに癒えているし、傷を深めた現象ももうほとんど解消されているから根拠がない。にも関わらずスイッチが入ったように来るんですよ。アレが。もーね、降ってるんです。別人と生活しているようなものです。意識関係ないんです。スタンドに支配されそうになるんです。これは完璧に持病と同じ。持病だって免疫の過剰反応だとか、理屈はわかってても身体がかってに反応するからどうにも出来ない。深い精神的な傷も完全に制御不能だ。根拠がないのは自分が一番わかっている。でも、クルんですアレが。戦争経験者や犯罪被害者の心的外傷というのがこれほどのものとは・・・こんなに辛いとは・・・想像を絶していました。したくない経験をしてしまったものです。マイッチング。アレがクル度に、この2ヶ月に色々試行した自分なりの方法でその都度なんとかスタンドを制圧し引っ張りかえしてますが、相当な負担ですね。こんなことがその都度起きるのかと思うと凹みそうです。凹むとスタンドの思う壺なので凹んでられません。
んまぁ、幸か不幸か私は慢性鼻炎に、アトピーという癒えない持病と孤独に長年お付き合いしてきたので、過去の経験を心の傷Verに置き換えてなんとかやろうと思います。過去を悔いても仕方ありません、未来に恐れおののいてもまだ来てません。今しかないんです。今の連続。戦うのは今!ナウ!これは私のお師匠様が常に言っていることだったと思い、ハッとしました。ダイナミックに変化する今に対処できないのに、なんで来てない未来に対処できるの?それなのに現代人は自分の小さな器で未来を予測し、そしてのまれている自分に気がつかない。言ってたねぇ・・・こういうことだったんですね師匠。自分の発言に責任をもつなって師匠いってましたが、そういうことなんですね。だって、発言は過去だからねぇ。今なんですね。今どうするか!今!今!今!の連続。書と同じですね。つまりそこには左脳的発想は入り込む余地がない。ダイナミックに変化する事象に対応するのは右脳しかできないんです。
元から左脳思考的生活が長かったのでこれからは右脳人間に切り替えるべく日々修行ですよ。日々なんてもんじゃないな。次々修行です。書がかけるんだから出来るはずだ!アレと同じなんだ、左脳よりはやく右脳を働かせればいい。現代日本に心の病が多い理由もわかった気がします。ずーっと昔から師匠が私に言い続けていたように、今の人類は左脳使いすぎなんですよ。特に農耕民族だった我々がコレやったうと精神のバランスを崩すのは当たりませなんだと思いました。いやーわが師匠ながらほんと凄い!こういう意味だったのか、そういやずーっと言われていたなぁ。「ドラちゃんは凄い才能もってるんだから。自分を解放してハチキレタ方がいいよ。本来君はもっと凄い人なんだよ。制御不能なぐらいハチキレタ人なんだ。世間という小さな枠に自分を抑制し過ぎている。勿体無いよ」って言われてピンとこなかったけど、どこか本質を突かれているような気はしていた。ハチキレルかー!!いっちょ、ニュータイプとして覚醒するか!www そのキーワードはやはり右脳なんだろうねー。もっと原始的な感覚に素直に動いたほうがいいんだろうねぇ。ただ、痛烈な左脳生活だったからそこから脱するのもまた並大抵じゃないな。んま、何事も一歩からだ。どーせ同じ人生、ハッチャケて終わりたい。どう転んでも最後は死ぬんだから。
その大きなキーワードは自立神経だ。精神というのは肉体と別個に存在するという観念があったけど、今回のスタンド騒動で違うと体感した。精神も肉体からくる反応だ。魂はわからん。体感が無い。少なくても精神は肉体反応のひとつだ。だからギリシャの哲学者が言った、「人間は肉体の奴隷である」そういう意味だったのか!と今なら一段階理解できたと思う。自立神経と右脳左脳の問題が正常と非正常の鍵となっているのは明白なようだ。自然界を含め人間もバランスが許容範囲の中を揺らいでいるうちはいい。これを著しく逸脱すると壊れるのだ。身体が壊れるように精神という身体が。つまりより具体的な方法として、身体から強制する必要がある。右脳左脳の働きも肉体活動で抑制することは出来る。人間、速く正確に動こうとすると、左脳ではおっつかないので自動的に右脳に切り替わる。プロの動きが正確でいながら速いのはこの右脳をつかって仕事をしているからだ。だからプロは速くて正確じゃないといけないと言われる。遅いうちは左脳で動いているから無駄が多く、負担も大きいのだ。つまり、どんな事象も最終的には右脳へバトンを渡せてこそ完成と言える。この自立神経は運動を介して鍛えることが出来るので、運動で鍛える。そして最終的に自律神経のバランスを常に一定内におさめ、許容範囲を運動を通して強化し、左脳生活から脱し右脳人間化することで、ニュータイプ俺、厳密には本質的な俺へと覚醒できると行き着いた。スタンドに自らを寝食されるのではなく、スタンドを扱えるようになる。そして大往生で死ぬ。「くはーやりきったなー俺!」みたいな。もーね、こうなると社会なんて、他人なんて関係ないですよ。そんな余裕ないもん実際のところ。じゃないとスタンドがいつひょっこり顔だすかほんとわかねーもん。いきなり出るから。
精神とは自律神経に直結してます。自立神経の破綻は即ち精神の破綻。現代医学では自律神経は治療できない。精神とは海のものとは山のものとも知れないものじゃない。精神とは肉体反応そのものなんだと確信がもてました。そういう意味では健全な肉体に健全な精神が宿るというのは間違っていない!!社会的規範に当てはめようとするから嘘ってことになっちゃうのよ。社会的規範なんて自分からみたら外の話でしょ。んなの関係ねー!おぎゃーと生まれた時から戦いは始まっているんだ。あのオギャーだって、本読むと苦痛の雄たけびらしいから。酸素という猛毒との戦いを意味する苦痛と生への宣戦布告が「オギャー」なんだから。しかも戦う相手は他人じゃないない、まさに己なんですよ。己の戦いに比べたら外の戦いなんて屁のツッパリ。
今日も俺のスタンドとの戦いは始まっている。鬱になった嘗ての同僚のこと、この前まで心配したけど、関係ねーぜ!それどころじゃねー!俺は俺と戦わないといかん。外に目が向いている場合じゃねーぜ。彼は彼で己と戦っている。そして俺は俺と戦う。俺の向き合うべき相手は彼の病ではなく、俺自身だ。だから師匠は俺が倒れて息も絶え絶えだったときですら何一つ言わなかったんだなぇ。一切の同情の言葉なし。それはある意味では相手をこの上なく尊重していることと言えるんだなー。師匠は師匠で己と戦い、俺は俺で己と戦う。俺は戦いのステージにようやく足を下ろした。