今の私のこと。
7、8月の暑気にやられ、当面の目標も2件終わったので屍のような私。
元々リーマン時代に体調を徹底的に破壊されて以来、とうの昔にヤル気という素因は失った。
まだあの頃は希望とか夢とか情熱があったが、それらは全て擦り切れるものだと後で実感した。
皆さん、大切にしましょう。
「減るもんじゃないし!」とよくいいますが、
間違いなく減ります!!
この感覚は経験者でないと理解できないだろう。
今、うちの師匠が肉体的に私と同じ状態。
「わーい仲間だー」と喜んではいません。この辛さは声が出ないほど理解している。
周囲の人間はやはり無理解のようだ。仕方ない。何せ見た目に変化らしい変化がない。私は一発でわかるのだが基本経験者だからってのは大きい。それに加え元から洞察力だけは鋭いらしい。ノー自覚で生きてきたが、師匠もその点だけは舌を巻いてくれる。
「テヘ!師匠を唸らせたポ!」
「ドラちゃんほど鋭い人間はそうはいない」と言われ続け、ようやく最近になって「うそん!そうだったの。だから皆気づかないんだ。ハフン」と孤独を味わう。なので、師匠がガルマシンドローム状態なのは速攻で私だけ理解した。本人すら理解していなかった。私は8年かけてコウなり、10年かけて概ね戻った。師匠は8ヶ月かけてアアなったので、師匠の肉体的ポテンシャルなら1年もあれば十分だろう。それにしても師匠はニュータイプのように鋭い方だ。2ヶ月が経ち、当初否定していたが、やはりただ事ではないと察したようだ。私は気づくのに6年ぐらいかかったwwwww さすが驚異的である。ニュータイプだ。
アノ味ってのが「絶望というのはこういう味なのか」と思わせる味だ。
ある意味では絶望より辛い。
何も無いのだ。
舐めてみても、無味乾燥。なのに何か不快な味がする。でも味わうと無いのだ。超不愉快だ。
最近はもっぱらあの感覚ともオサラバしつつある。
「馴染む!馴染むぞぉぉぉぉぉ!!!」
そんな私が久しぶりにwikiukiしたのが、パソコンの修復。友人から譲り受けた。感謝かんしゃ(-人-
ほとんど機械と一体化したかのように、10日ほど連日深夜まで一心同体少女隊であった。
健康な擬体が今でも欲しい私です。出来ればグラマラスで、ボン、キュ、ボーン!!「見よ男どもこの美しいボディーを!触りたいか触りたいのんかーヒョーホッホッホッホ by巨乳ハンター」的なことを言ってみたい。
負荷テストをかね、エイリアン・スワームをプレイしていたら噂のブラックアウト。このゲームはあの映画エイリアンを体感できるような感じ。シンプルで奥が深い。演出、音楽ともにハイクオリティ!!なのに無料だ。画面は昔懐かしい見下ろし型で超クール。やはりアクションゲームはこれだよ!!と熱くなる。ただ、何せ負荷が高い。CPUもGPUもHOT!HOT!目玉焼きができそうなぐらいヒートシンクが熱くなって30分もすると遂にブラックアウト。
PPM>鉄鬼>DN>AS と徐々にヘビーワークのソフトに切り替えつつ5時間ぐらいテストプレイやっていた。ASが一番負荷が高いようだ。負荷の高いソフトをやっていると逝ってしまう。症状的には熱暴走と診断できる。最初はありがちなGPUのクリティカルエラーかな?と思ったが、どうやらCPUもループしてい る。グラフィックドライバーにも問題がありそうな挙動だ。そういえば鉄鬼でも時折妙な動作をしていた。
PCをリセットして検査するも異常なし。GPUの最新ドライバーを調べると、つい一ヶ月ほど前にも最新Verがリリースされている。これは根が深そうだ。日本と違ってあちらのメーカーは走りながらバグフィックスが基本。結構な期間直し続けてくれる。何せ10年保証ってのも少なくない。今の日本のメーカーは初期段階で可能な限りきっちり作って、直ぐに開発は打ち切りだ。現代の特性を考えるとあちらのメーカーの考え方の方が現実にマッチしていると思う。
グラボのVerUPは怖いので、ロールバックポイントを作成した上で万全の体制を整えてからインストールした。失敗すれば映らなくなる。しかもこの手の失敗は非情に根が深い。ゲームや3D処理をするのでなければ下手にグラボはUPデートしない方がいいだろう。プルプルしながら見守るも無事終了。これでまた様子をみよう。いけるんちゃうかな?
近年のグラボは100度ぐらいの温度には耐えられると聞いている。単なる熱暴走はそうそう起こる筈もないのだが、この譲り受けたPCは見るからにエアフロー構造がなってない。素人の私が見てすら疑問を差し挟む余地がない。無理矢理すぎる。東芝「いやよいやよもイイのうち!セイッ!」PC「ヒギィ!」ってな感じ。まさに「こうしたい!」ありきの単発企画なのだろう。ただ、ハイパワー、ハイクオリティなのでゲームにはもってこいw ソレ以外に何より素晴らしいのがキーボードだ。さすが東芝。キーを叩いた瞬間に、「!!!・・・・はぁはぁ、えー・・・ええよぉ・・・凄い、凄いよ・・・チミ」と興奮。キーのセンスがピカイチである。長時間タイプする機会が多い私にとって、キーボードは最重要デバイスの一つ。今つかっているMSのナチュラルキーボードは基本外人仕様だから日本人の私にはイマイチなのだ。キーピッチが広いし、キーストロークが深すぎる。疲れるのだ。五指の第三関節が疲労で痛くなることもしばしば。ちなみに既に痛い。このままでは腱鞘炎になってしまう。
キーボードは他社のを機会がある度に叩いているが、本当にロクなもんだない。ただ、高いだけとか、安いだけとかゴミ同然である。キーボードの意味から考えなおしてもらいたい。全く!!それに比べてこの子は触れたくなるキーボードだ。東芝はデザインセンスは昔から皆無だが、この辺の作りの確かさときたら右にでるメーカーはないだろう。最も安定している。N社なんて未だに酷いもんだ。久しぶりに中身と外見を触り痛感した。燦然と輝くクソメーカー健在であった。官僚と同じで頭でっかちなだけでアッパラパー。物事がなにも見えていない。マクロはおろかミクロにすら見えていない。酷いものだ。東芝のようなメーカーに日本人による日本人のためのナチュラルタイプキーボードを作ってもらいたいものだ。富士通でもいい。今でもほそぼそと続けていると思ったが親指シフトキーボードは日本語入力において最高のデバイスである。あの軽快さときたら「か・い・か・ん by薬師丸ひろ子」 未だ嘗てあれほど入力し易いシステムは未だにない。出来れば、ナチュラルキーボードで作って欲しい。ま、難点は高すぎることとチャチ過ぎること。ユーザーを馬鹿にしすぎ。なんぼなんでも高すぎるだろう。それでいてキーボードとしてはなかなかクソである。手抜きも甚だしい。憤怒する。あのシステムと価格に相応しいデバイスにして欲しい。R社で言えばマイ○ールと同等の次元。胡座かくにも程がある。恥をしれ!!ってな具合だ。 ま、いずれにせよ儲かるデバイスじゃないから作らないだろう。弱小メーカーでもいいから作ってもらえないだろうか。
N社のもついでにUPしようかと調べると、Intel製だ。N社の公式にはグラボのUPデートの報告は一切ない。この時点でありえへん。組み込み型のIntel製品は正直怖い。何せ専門家集団ではない上に企業母体がでか過ぎてまず対応してくれないだろう。いちをらしきUPデートはあるが、何せN社PCだ。何をいじっているかわかったもんじゃない。公式にUPしたもの以外でのUPで何かあったら一切保証されない。N社製品はトラップが一杯なのだ。いちをダウンロードしたが、ゲームをするわけじゃないので止めにした。あまりに怖すぎる。ただコヤツのモニターは着荷当初から不安定だった。液晶のちらつきやバックライトの不安定さなど不具合が散見される。それでグラボもUPしておきたかったのだが、怖いのでやめよう。電源関係のトラブルかもしれない。公式になんかあった。該当するような内容ではなかったが、嘘こいてこっそりUPすることは日本メーカーの常套手段なので後でやっておくか。
PCをいじり倒していると和む。
ただ、何の生産性もないことなので虚しさも去来する。
単に飽きっぽいだけかも。
確かに私は飽きっぽい。
メガ秋!!てか、まだ真夏だし!!
奥底では生産性のあることをしたい。積み上がるものだ。
積み上がらなければ虚しい。
しかし本来人生とは虚無も組み込まれている。
賽の河原を思う。
死すれば全ては虚しいものだ。
どんな名声も、名誉も、金も、作品も、死すれば全てが関係なくなる
それは虚しく感じる。
そう考えると積み上げることすら虚しい。
ホリエモンの言う、
「だって退屈じゃん。人生長いんだから」
ってな感じの発言の言わんとこすることもわかる。ま、それを言っちゃーオシマイなのだが。そのオシマイを言っちゃうってことも大切な点かもしれない。タブーを設けた時点で自然は硬直化が始まる。
こっから先はアッチの世界の話なのだろう。ようは結論はない。
単に、生まれれば、いずれ死ぬってだけで、死ねば虚しさも何も関係がない。
浮浪者も、
富豪も、
馬鹿も、
天才も、
名誉も、
汚名も、
皆、最後はサヨウナラ。
歴史に名を残したいとよく聞くが。
残したところで、自分はいないのだからカタルシスを得ることもないわけなので無意味に思える。
名はいずれ消える。
文明の残り香は1000年を待たずして跡形もなく消え去る。
人類はいずれ滅びる。
滅びない種はないからだ。
姿形をかえ生きている過ぎず、そのそもが滅びと言えるほど変化している。
「城下の人」という江戸末期の武家の様子を描いた本を読むと、最早日本人は滅びていると言える。
気づいていないのは我が身ばかりなりだ。
「風の谷のナウシカ」なんか見事にそれを描いた。
最早、我々の願う人類は、我々とは全くことなる肉体であることを知った彼女の絶望感は深い。
しかしそれは絵空事ではない。自分たちもそうなのだと痛感した。
今日と同じ明日はなく、明日と同じ過去はない。
師匠の仰る「常ならむ」だ。
生きているとは常でない。
常でないから、無限の可能性がある。
思考の固定化は陳腐であり、
知識ですら虚しい。
未来なんてものはなく、
あるとしたら、今しかない。
そういう点で「我思う故に我あり」というのは自然観そのものである。
そう考えると虚しさすらなんの意味もない。
「これが虚しさってやつか!」って感覚も今の一部に過ぎない。
「ヒーハー!」な状態も今の一部に過ぎない。
共通しているのは、生きているといことだ。
そう考えると、他社に無謀と思われようと、悪鬼羅漢と蔑まれようと、
「人生せいぜい愉しむがいいさ!」ってところだな。
浮かれ気分も、陰々滅々たる気分も引っ括めて。
陰々滅々たる気分ですら動きがあるってことだ。
ムが動きがない。
それは死を意味している。
生物的死。
精神的死。
自然死。
少なくてもムではない。
そして生きている。
7、8月の暑気にやられ、当面の目標も2件終わったので屍のような私。
元々リーマン時代に体調を徹底的に破壊されて以来、とうの昔にヤル気という素因は失った。
まだあの頃は希望とか夢とか情熱があったが、それらは全て擦り切れるものだと後で実感した。
皆さん、大切にしましょう。
「減るもんじゃないし!」とよくいいますが、
間違いなく減ります!!
この感覚は経験者でないと理解できないだろう。
今、うちの師匠が肉体的に私と同じ状態。
「わーい仲間だー」と喜んではいません。この辛さは声が出ないほど理解している。
周囲の人間はやはり無理解のようだ。仕方ない。何せ見た目に変化らしい変化がない。私は一発でわかるのだが基本経験者だからってのは大きい。それに加え元から洞察力だけは鋭いらしい。ノー自覚で生きてきたが、師匠もその点だけは舌を巻いてくれる。
「テヘ!師匠を唸らせたポ!」
「ドラちゃんほど鋭い人間はそうはいない」と言われ続け、ようやく最近になって「うそん!そうだったの。だから皆気づかないんだ。ハフン」と孤独を味わう。なので、師匠がガルマシンドローム状態なのは速攻で私だけ理解した。本人すら理解していなかった。私は8年かけてコウなり、10年かけて概ね戻った。師匠は8ヶ月かけてアアなったので、師匠の肉体的ポテンシャルなら1年もあれば十分だろう。それにしても師匠はニュータイプのように鋭い方だ。2ヶ月が経ち、当初否定していたが、やはりただ事ではないと察したようだ。私は気づくのに6年ぐらいかかったwwwww さすが驚異的である。ニュータイプだ。
アノ味ってのが「絶望というのはこういう味なのか」と思わせる味だ。
ある意味では絶望より辛い。
何も無いのだ。
舐めてみても、無味乾燥。なのに何か不快な味がする。でも味わうと無いのだ。超不愉快だ。
最近はもっぱらあの感覚ともオサラバしつつある。
「馴染む!馴染むぞぉぉぉぉぉ!!!」
そんな私が久しぶりにwikiukiしたのが、パソコンの修復。友人から譲り受けた。感謝かんしゃ(-人-
ほとんど機械と一体化したかのように、10日ほど連日深夜まで一心同体少女隊であった。
健康な擬体が今でも欲しい私です。出来ればグラマラスで、ボン、キュ、ボーン!!「見よ男どもこの美しいボディーを!触りたいか触りたいのんかーヒョーホッホッホッホ by巨乳ハンター」的なことを言ってみたい。
負荷テストをかね、エイリアン・スワームをプレイしていたら噂のブラックアウト。このゲームはあの映画エイリアンを体感できるような感じ。シンプルで奥が深い。演出、音楽ともにハイクオリティ!!なのに無料だ。画面は昔懐かしい見下ろし型で超クール。やはりアクションゲームはこれだよ!!と熱くなる。ただ、何せ負荷が高い。CPUもGPUもHOT!HOT!目玉焼きができそうなぐらいヒートシンクが熱くなって30分もすると遂にブラックアウト。
PPM>鉄鬼>DN>AS と徐々にヘビーワークのソフトに切り替えつつ5時間ぐらいテストプレイやっていた。ASが一番負荷が高いようだ。負荷の高いソフトをやっていると逝ってしまう。症状的には熱暴走と診断できる。最初はありがちなGPUのクリティカルエラーかな?と思ったが、どうやらCPUもループしてい る。グラフィックドライバーにも問題がありそうな挙動だ。そういえば鉄鬼でも時折妙な動作をしていた。
PCをリセットして検査するも異常なし。GPUの最新ドライバーを調べると、つい一ヶ月ほど前にも最新Verがリリースされている。これは根が深そうだ。日本と違ってあちらのメーカーは走りながらバグフィックスが基本。結構な期間直し続けてくれる。何せ10年保証ってのも少なくない。今の日本のメーカーは初期段階で可能な限りきっちり作って、直ぐに開発は打ち切りだ。現代の特性を考えるとあちらのメーカーの考え方の方が現実にマッチしていると思う。
グラボのVerUPは怖いので、ロールバックポイントを作成した上で万全の体制を整えてからインストールした。失敗すれば映らなくなる。しかもこの手の失敗は非情に根が深い。ゲームや3D処理をするのでなければ下手にグラボはUPデートしない方がいいだろう。プルプルしながら見守るも無事終了。これでまた様子をみよう。いけるんちゃうかな?
近年のグラボは100度ぐらいの温度には耐えられると聞いている。単なる熱暴走はそうそう起こる筈もないのだが、この譲り受けたPCは見るからにエアフロー構造がなってない。素人の私が見てすら疑問を差し挟む余地がない。無理矢理すぎる。東芝「いやよいやよもイイのうち!セイッ!」PC「ヒギィ!」ってな感じ。まさに「こうしたい!」ありきの単発企画なのだろう。ただ、ハイパワー、ハイクオリティなのでゲームにはもってこいw ソレ以外に何より素晴らしいのがキーボードだ。さすが東芝。キーを叩いた瞬間に、「!!!・・・・はぁはぁ、えー・・・ええよぉ・・・凄い、凄いよ・・・チミ」と興奮。キーのセンスがピカイチである。長時間タイプする機会が多い私にとって、キーボードは最重要デバイスの一つ。今つかっているMSのナチュラルキーボードは基本外人仕様だから日本人の私にはイマイチなのだ。キーピッチが広いし、キーストロークが深すぎる。疲れるのだ。五指の第三関節が疲労で痛くなることもしばしば。ちなみに既に痛い。このままでは腱鞘炎になってしまう。
キーボードは他社のを機会がある度に叩いているが、本当にロクなもんだない。ただ、高いだけとか、安いだけとかゴミ同然である。キーボードの意味から考えなおしてもらいたい。全く!!それに比べてこの子は触れたくなるキーボードだ。東芝はデザインセンスは昔から皆無だが、この辺の作りの確かさときたら右にでるメーカーはないだろう。最も安定している。N社なんて未だに酷いもんだ。久しぶりに中身と外見を触り痛感した。燦然と輝くクソメーカー健在であった。官僚と同じで頭でっかちなだけでアッパラパー。物事がなにも見えていない。マクロはおろかミクロにすら見えていない。酷いものだ。東芝のようなメーカーに日本人による日本人のためのナチュラルタイプキーボードを作ってもらいたいものだ。富士通でもいい。今でもほそぼそと続けていると思ったが親指シフトキーボードは日本語入力において最高のデバイスである。あの軽快さときたら「か・い・か・ん by薬師丸ひろ子」 未だ嘗てあれほど入力し易いシステムは未だにない。出来れば、ナチュラルキーボードで作って欲しい。ま、難点は高すぎることとチャチ過ぎること。ユーザーを馬鹿にしすぎ。なんぼなんでも高すぎるだろう。それでいてキーボードとしてはなかなかクソである。手抜きも甚だしい。憤怒する。あのシステムと価格に相応しいデバイスにして欲しい。R社で言えばマイ○ールと同等の次元。胡座かくにも程がある。恥をしれ!!ってな具合だ。 ま、いずれにせよ儲かるデバイスじゃないから作らないだろう。弱小メーカーでもいいから作ってもらえないだろうか。
N社のもついでにUPしようかと調べると、Intel製だ。N社の公式にはグラボのUPデートの報告は一切ない。この時点でありえへん。組み込み型のIntel製品は正直怖い。何せ専門家集団ではない上に企業母体がでか過ぎてまず対応してくれないだろう。いちをらしきUPデートはあるが、何せN社PCだ。何をいじっているかわかったもんじゃない。公式にUPしたもの以外でのUPで何かあったら一切保証されない。N社製品はトラップが一杯なのだ。いちをダウンロードしたが、ゲームをするわけじゃないので止めにした。あまりに怖すぎる。ただコヤツのモニターは着荷当初から不安定だった。液晶のちらつきやバックライトの不安定さなど不具合が散見される。それでグラボもUPしておきたかったのだが、怖いのでやめよう。電源関係のトラブルかもしれない。公式になんかあった。該当するような内容ではなかったが、嘘こいてこっそりUPすることは日本メーカーの常套手段なので後でやっておくか。
PCをいじり倒していると和む。
ただ、何の生産性もないことなので虚しさも去来する。
単に飽きっぽいだけかも。
確かに私は飽きっぽい。
メガ秋!!てか、まだ真夏だし!!
奥底では生産性のあることをしたい。積み上がるものだ。
積み上がらなければ虚しい。
しかし本来人生とは虚無も組み込まれている。
賽の河原を思う。
死すれば全ては虚しいものだ。
どんな名声も、名誉も、金も、作品も、死すれば全てが関係なくなる
それは虚しく感じる。
そう考えると積み上げることすら虚しい。
ホリエモンの言う、
「だって退屈じゃん。人生長いんだから」
ってな感じの発言の言わんとこすることもわかる。ま、それを言っちゃーオシマイなのだが。そのオシマイを言っちゃうってことも大切な点かもしれない。タブーを設けた時点で自然は硬直化が始まる。
こっから先はアッチの世界の話なのだろう。ようは結論はない。
単に、生まれれば、いずれ死ぬってだけで、死ねば虚しさも何も関係がない。
浮浪者も、
富豪も、
馬鹿も、
天才も、
名誉も、
汚名も、
皆、最後はサヨウナラ。
歴史に名を残したいとよく聞くが。
残したところで、自分はいないのだからカタルシスを得ることもないわけなので無意味に思える。
名はいずれ消える。
文明の残り香は1000年を待たずして跡形もなく消え去る。
人類はいずれ滅びる。
滅びない種はないからだ。
姿形をかえ生きている過ぎず、そのそもが滅びと言えるほど変化している。
「城下の人」という江戸末期の武家の様子を描いた本を読むと、最早日本人は滅びていると言える。
気づいていないのは我が身ばかりなりだ。
「風の谷のナウシカ」なんか見事にそれを描いた。
最早、我々の願う人類は、我々とは全くことなる肉体であることを知った彼女の絶望感は深い。
しかしそれは絵空事ではない。自分たちもそうなのだと痛感した。
今日と同じ明日はなく、明日と同じ過去はない。
師匠の仰る「常ならむ」だ。
生きているとは常でない。
常でないから、無限の可能性がある。
思考の固定化は陳腐であり、
知識ですら虚しい。
未来なんてものはなく、
あるとしたら、今しかない。
そういう点で「我思う故に我あり」というのは自然観そのものである。
そう考えると虚しさすらなんの意味もない。
「これが虚しさってやつか!」って感覚も今の一部に過ぎない。
「ヒーハー!」な状態も今の一部に過ぎない。
共通しているのは、生きているといことだ。
そう考えると、他社に無謀と思われようと、悪鬼羅漢と蔑まれようと、
「人生せいぜい愉しむがいいさ!」ってところだな。
浮かれ気分も、陰々滅々たる気分も引っ括めて。
陰々滅々たる気分ですら動きがあるってことだ。
ムが動きがない。
それは死を意味している。
生物的死。
精神的死。
自然死。
少なくてもムではない。
そして生きている。
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