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ネット人生まっしぐら、アナログとデジタルの狭間にいきるドーラの雑記帳です。
04 / 28 Sun 18:38 ×
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09 / 18 Sat 15:26 #ドーラ ×
久しぶりの仕事だ。
一時、某ショップ店員の話があったり、ロシア関連の輸入業者入りの話があったりしたが全て流れていた。
時代である。政府官僚どものどんくさい頭には理解できないだろうが実に世間は寒い。大変なことになっている。
だが、それでもアメリカを思えばスーパーましである。まだまだ豊かなものだ。アメリカは失業率が10%を超え、急速に貧民層が増え大変なことになっている。にも関わら、類にもれず共なんちゃら党とか協力せずに足の引っ張り合いが益々激化し、わけのわからない党が続々と出てくる始末だ。(日本も類にもれないが)
日本がまだ豊かであるから私は生きてこれた。でなければとっくに息絶えているだろう。

管直人が代表に選ばれた失望感は計り知れないが、一緒にあの代表選を見ていた得意先の社長と白熱した議論となりなるほどと思う。「小沢がなっても無理だよ。彼一人の力ではどうにもならない。もうそういう時代ではないんだよ。政府や仕組みに助けられる時代は終わり、個々人が生き抜く時代になっているんだよ。こういう時代では小沢みたいなタイプは機能しない!」と激こうする。
なるほど、と理解できた。確かにそうだ。現にオバマ大統領がそうである。あれほどのカリスマ性があり待望され就任されたのにアメリカの景気は下がる一方で失業率にも歯止めがきかない。にもかかわらず、足の引っ張り合いは激化ししている。

自由な時代が来ていたのだ。

これは実に恐ろしいことである。自由とは残酷なのだ。個々人の能力、人脈だけが頼りの時代である。国や社会システムや会社は何の役にも立たないのだ。何せ、先日のペイオフ発動のようにある日突然サクっと倒産してしまい、全てがパーになってしまう。そして、人脈のある人のみが事前に察知し難を逃れるのだ。それはつまり既得権益者であり権力である。アメリカでああなら、日本ならもっとばつがわるい。個人の能力といっても資格どーのではない。日本人が陥りやすい罠だ。今何ができるか?すぐに。ということだ。語学力なら何がどの程度しゃべれるか。とか、より具体的になるだろう。

「あなたは何がどうの程度できますか?」

と直球で聞かれる時代になったということだ。これに答えられなければ即お祓い箱になってしまうだろう。
過去なにをやってきたか、何の資格があるかは机上の空論になる。今何ができるか、何をしているかのみを問われる。つまり即戦力だ。営業なら、顧客はどの会社ですか?責任者とコンタクトが今もとれますか?となる。なんともシビアな世の中になるものだ。できる人にはどんどん人もお金も集まり余るほどになる。逆ならそれはそれは恐ろしいことだ。残念ながら今の私は明らかに後者であろう。人生で最も重要な10年を失ったダメージは計り知れないだろう。そのカルマをこれから背負う。何せ今の私は、客観的にみて書家としても中途半端、フォントデザインとしても中途半端、フォントエディターとしても中途半端、パソコンに強い言うても中途半端、物書きとしても中途半端、Web技術も中途半端、体力も中途半端、運転技術も中途半端、営業マンとしては顧客をもっていないので論外。何もかもが中途半端である。悲観しているわけではなく、これが現実である。全ては認識するところから始まる。

師匠はとにかく書家の道へ誘おうとしてくれるが、書家では飯は食えない。今、世間を騒がせている若い書家も所詮は消耗品だ。あの程度のレベルではあっという間に飽きられる。世界の目ははるかに肥えている。結局は弟子に寄生し財産を吸い上げるしか能がなくなるのは明白である。うちの師匠のように弟子に寄生しない書家は皆無に等しいだろう。書家の道は書家の道としてあるので、好き嫌い言わず進むことにしたが、とにかく稼がないと人は1日たりとも生きてはゆけない。ホリエモンいわく、「稼ぐこととと、やりたいことをごっちゃにするからいけない。稼ぐのは稼ぐことに専念し、稼いだ後にやりたいことを目指した方が早い」的な発言をしていたが一面の真理だと思う。自分の人生を逸脱しないように道を迎え入れるというのはなかなか辛抱がいる。さてさて、どうなることか。もともと稼ぐことに執着がないのでともすれば奈落の底だ。

今回の仕事は実にタイミングが良かった。周囲は誰も知らないし、信じてももらえないだろうが、発作が起きると自分でもどうにもならないのだ。仕事をしていると深刻化の一途をたどるのは明白なので、臨界まいで仕事をする気はなかった。なので仕事がなかったのは実に幸いであった。お陰でようやくここまで回復することができた。まだ7割程度の次元で安定しているぐらいだが、ここまでくれば働ける。その矢先であった。

以前つくった欧文フォントの固定ピッチが依頼である。これだけ聞くと一端のデザイナー状態だが、ロクなデザインなどしていない。ギリシャ、キリル等の基本的なものは全て含まれるので結構多いが、これまた幸いなことに納期が長い。これもラッキーであった。こやつのエディタがまた非常に問題を抱えているので実際の作業は見かけ以上に多いだろう。ゆるゆると始めよう。これが終わった後からが勝負どころだが、いまだ道は見えない。


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03 / 05 Fri 18:08 #ドーラ ×
まぁ、ブログを読んでくまさい。
http://d.hatena.ne.jp/tenten99/20100228/1267373500

遂に来たかという感じでしょうか。PS3が発売された時、SCEは終わったなと正直思った。
1台売るごとに唸るような赤字の増産は有名だったし、それは技術開発によるコストダウンでは補えないだろうと予想していた。あまりにも負債額が大きすぎるし、パソコン関連部品の技術的打ち止めや費用の下限限界に既に達していたと思えたからである。PS2の頃とは明らかに違う現状でありながら、同じ発想で攻勢にでるSCEはオゴリとしか思えなかった。

こうなると最後にものを言うのが金だ。マイクロソフトがXBOXの天文学的失敗をサクっと翻して学習し盛り返せたのは金があるからだ。しかしSCEは本体のソニーも減収減益の中ジリ貧で、最早、不良息子を生涯遊びほうけさせるほどの金はないだろう。マイクロソフトやN天のように唸るほどの金はないのだ。莫大な金があれば、その中で売る方法、収益を上げる方法を模索できる。N天だって売れに売れたWiiですら最早収益機体ではない。だがN社にはDSがある。収益液率が高い素材が売れに売れている。最早固定機では収益は得られないだろう。そのほかはブログの通りだと思う。

記事を読むと2009年は最後の戦いとも言えるものは壮絶なものだったのだろう。社員の労を思うと・・。
そして結果は出た。さらばSCE・・・赤坂見附にマスターディスクを届けにいったのが昨日ようだ。もう10年たつのか・・・。セガについで、SCE。ま、セガは論外だったので当然の結果だが、SCEのは少し違う。

ハードでは勝てないのだよ・・・。それは昔からゲーム回ではプレイヤーの中では常識である。SCEは何を学習していたのだろうか。
1.ソフトが面白いからソフトを買う。
2.買えるお金があるから金を払う。
3.遊びに興じれる時間があるから夢中になれる。

会社が自助努力で出来るのは1.だけである。2、3、は社会的動向で決定づけられる。それらが全て失われた時、当然ながら生きるのに必要のないゲームは全く売れなくなる。つまり1.は必達、最低限なのであって1.で完結しているわけではない。ましてや、今ほど無料で面白いゲームが出来る時代はない。しかも、それすら3が損なわれればやらなくなるだろう。今はそういう時代になりつつある。アメリカのゲーム事情を見ても驚くべきことだ。ユーザーが開発に間接的に関与する形で運営されている。しかもユーザーはそれに順応している。

祇園精舎の鐘の声  諸行無常の響きあり
沙羅双樹の花の色  盛者必衰の理をあらわす
おごれる人も久しからず ただ春の世の夢のごとし
たけき者も遂には滅びぬ  偏に風の前の塵に同じ

ああ・・・何もかも懐かしい。
あぁ・・・(-人-なむぅ

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01 / 31 Sun 21:36 #ドーラ ×
今日ちょっとトラブル発生。出かけなくて良かったw
行ってたらハチあわせていただろう。
そしてら、ちょっと疲れていた私もキレてたかもw
「口約束も契約やっちゅーの知らんとは、いわねせーよ!(by我が家)」 とね。
実際言ったし。忘れたとは言わせないが・・・
企業と戦ってもメリットなしw
無駄なエネルギー。ここはボンクラになりハイそうですかと素直にスルーする。

即対応しましたが正直想定内の出来事で、まー確信犯だったわけですなw
一方ではセイヤセイヤ!って言われる、
でも無理でしょw と私。
もう一方は確かに「いいよ」といっている。「○○と思って下されば」と・・・。

そこで、ジャブを打ってみた。
年末反応が無かったので、「あれ?いいのかな」 と思い、
「もう一歩進んで1パンチ」うってみる。

今日になり、いきなり相手キレてるしwwwww
間接的だったのでまだよかった。これでわかってくれただろう。
そういうことなんです。
だから、無理って言いましたよね。
でも、お陰で再確認できた。
にしても、単にチェックしてなかっただけのようでw
あの程度のジャブで大騒ぎするとは本当に閉鎖的だなー。

今の学校と同じだよ。
頭にポンと手を置いただけで、「叩いた」>「暴力」>「通報しまつ!」>「解雇w」とかリアルに危険あるそうだし。
今の社会はガッチガチやで!(byザブングル・・・カッチカチかw)
そこで思い出した。
「正義を行うと世界の大半を怒らせる」 的なキャッチフレーズだった映画「紅い眼鏡」。
その通りなんです。
結局は真っ当なことなんて世の中通らない。
最後は力なんだよねー悲しいけど。(カイっぽい台詞)

久しぶりにゴリゴリっとする感覚を味わった。
戦うなら勝たないとね。勝つ見込みがない戦いはしない。
今回の一件で彼らがどう化学反応するか楽しみだw

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01 / 30 Sat 15:20 #ドーラ ×
2月から書道関係のお店で働く予定になっていた。
まーあくまでつなぎですがw
それが今日連絡があり消えた。白紙撤回です。
ま、仕方ないでしょう。こういう時代ですので、初日を迎えるまでは無いものと思ってました。
また色々あたろう。帝国崩壊までまだ時間がある。
あくまでつなぎだから。とはいえ、最近はそのつなぎすらないがね。

十五年蝕まれた肉体と格闘してきた自分からすると、今の健康のほうが凄い奇跡だ。
健康になりつつある肉体を肌で感じる。もう一声だ。この凄さを思えばねんてこたーない。
肉体が長期にわたって蝕まれれば、気力のストックもいずれ尽きるものだ。
実際尽きそうだったし。なのでゲームをして目線を反らしていたってのもある。
中世の大戦争時、終わらない戦争、ない家、ない食料、流行る謎の疫病から人々が絶望し、
生き地獄を悲観せずにいるためにファンタジーという夢想を登場させ、生きる糧にしたように、
必要だったのだろう。

「拷問に耐えられる人間はいない」と、ある本で書いてあったがその通りだと思う。
体力減る>体力が尽きる>気力が減る>気力が尽きる。それが普通だ。
それぐらい体力というのは大切である。今の俺には体力がある!少しだけどw
どうになかなるさ!

故に硫黄島の栗林中将なんかは人間業じゃない。
気力も体力も希望も尽きている中、ルーズベルト大統領にあてた書簡の文字の鬼気迫るものと来たら。
あれは覚悟なんだと思う。
覚悟は突然ふってわくものではない。
日ごろの訓練だろう。
今のうちに訓練しておこう。
これからはもっと大変になるだろうから。
さ・・・
2月に入ったらまた探そうw


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01 / 08 Fri 12:08 #ドーラ ×
弟子の仕事には色々あるが、私の場合は更に色々ある。
根っからの不器用器用な私には昔からやたら仕事が振ってくる宿命を背負っているようだ。
不器用な故にコツコツやるしか能がない。でもその結果、器用な人には見えないものが見えてきて不器用故の気回しが自然と出きるようになる。その結果、上から便利屋として使い倒されるわけだw 私に向上心があれば、更に深い茂みに分け入ってそれなりのものを得てくるのだろうが、そこはアクエリアス。性格が水なのでひとっところにはいられない。モノになる前にその手を止めてしまうわけだ。

今は年明け早々から師匠の原稿入力をやっている。
師匠は「作家か!」と突っ込みたくなるほど、膨大な文章量を誇り、しかも速い。人間複数の才能をもつものはこれほどまでか・・・と思わせる。原稿用紙80枚なんて余裕なのだ。師匠はボールペンで書くのだが、間違いを直した箇所がなく、挙句に誤字脱字が皆無に等しい。オーマイガー・・・
誤字脱字の天才である私からすると驚きである。私の場合、手が勝手に動くので誤字脱字に気づかない。

さて、キーパンチするだけなら楽だが、パンチしながら読者が理解しやすいように、さりとて師匠の趣旨を踏み外さないように書き換えないといけない。そんなことをかれこれ10年やっている。昨夜数えたら退職して丁度10年になるようだ。1/5のTV会議の後、退職の意向を上司に伝えたのが昨日のようだ。今ではかなり慣れたが、それでも内容を理解しながら並行して書き換えるのはなかなかシンドイ。内容の取捨選択もやりながら書く上、師匠の文章は飛びまくるのでそれを脳内である程度ストックしておいて、「あー!さっきの結論がココにあった」と探り当てないといけない。調子がいい時はこれが楽しいが、歳のせいか昨年あたりからコノ手の作業がめっきりダメになった。

先日、パチパチうっていると窮屈になりWebをつらつら眺めたりする。
久しぶりに自分で書いた小説まがいのものを読んだ。
・・・感動した。
ちょwwww
自分で書いたものに自分で涙するなんて、恥さらしなw と思いながらも一方では「コイツ、全体像構成するの下手糞だけど面白いじゃん」と冷静に把握できた。そうなのだよ・・・全体の構成が下手なのだ。劇団時代も演出家から「竜頭蛇尾」とか「大山鳴動して鼠一匹」と台本を揶揄されたものだ。局地的には何かを期待させるものがあるのだが、「結局なんなんだよ!」という結論に至るwwwwww
理由は当時からわかっていた。
「飽きちゃうw」
私は山登りが嫌いだ。
なぜなら、ゴールが見えているのに登らないといけないからだ。
そのくせゴールまでの道のりの困難さときたら、まー大変!登りきっても「こんなのが楽しいなんて・・・ぜぇぜぇ、頭おかしいんじゃねーか?・・・ハァハァ」と山というほどのものでもない山に登らされた時思ったものだ。
小説は山に似ている。
ゴールありき。どう登るかで魅せるだけである。
書く側にゴールない小説ほどムカツクものはない。読む側が考えてください的な小説や漫画ほど腹が立つものはない。
「お前がまず考えてから書け!!」といいたくなる。
まともな職業小説家なら当然あったうえで、「どう解釈するかは読者次第」という意味で言っている場合がほとんどだが、中には素でわけわからず書いている人もいるから呆れてしまう。
エッセやブログにはゴールがない。
だから書ける。
ゴールの内小説は恐ろしい。こんな恐ろしい手法はない。最終的にゴールにはたどり着く、つかせるのだろうが、トータルで筋が通っていないといけない。アニメの宮崎監督がこの手法で物語を作る。尋常ならざるストレスだ。何せスケジュールは淡々と納期が来る。最後の最後でちゃんと筋を通さないといけないが、無理に通そうとすると空中分解、自己破綻してしまうのだ。私には到底無理だ。

エッセーのような小説を書いてみようかな。などと時々思い挑戦するがどうしてもゴールが気になり破綻してしまう。サクっとゴールを決めちゃうのだ。何せゴールがないと落ち着かない。ただ、私の性格からいってゴールが見えていたらハナっから無理なのはわかっている。ここがジレンマ。

私は典型的にゴーストライター向きの性格をしている。ゴーストライターはゴールが既に仕上がっているのをアレンジするだけでいいので楽だ。これもゴールは見えているが、重要なのは道も見えている点だ。道標がある。ポイントポイントさえ踏み外さずにいれば、その範囲内でド派手に遊べばいいのだ。なんて楽しいw ゴールを決めるのは得意なのだが、この道標を決めるのは異常に苦手なのだ。道はいくらでも選べるが、道標が選べない。道標を選んでいるうちにラビリンスに突入してゴールを見失ってしまう。その時点で投了w というパターンの小説になれなかった断片が一杯ある。読み返すと客観的に面白いと思えるのだが、読み通していくと破綻していっているのもわかる。辛いなーw まとめようとすると、その時点でダイナミックさを失い予定調和に向かっているのがわかるのでツマラナクなくなる。書いている人間がつまらないのだから、読んでいる人間はその何十倍もつまらないのは必定だろう。このバランスが難しい。小説家が天才的な人ですら自らの人生をゴールインしてしまう理由は凄くわかる。

PSO外伝はゴールありきで始まった。
非常に大きなゴールが1つ。
それぞれのゴールが2つ。
中途のゴールが2つある。
ゴールが5つもある。
ゴールと道標は違う。にもかかわらずゴールだけでも5つあるのだ。ブハw
バーン編で、3つのゴール。
ドーラ編で、3つのゴール。
計6個だが、最終ゴールは繋がるため5ケとなる。

俺にはオーバーフローw

改めて読んでみると、俺の小説は、小説というより脚本に近いようだ。
師匠にも「読者にもっと懐を預けたら?」といわれたことがあった。
なるほど!
これは私の原始体験に由来する。
私は早川文庫のSF好きである。
つまり海外のSF小説が好きで書きたくなったクチなので、こうなった。元々あった細かい性格のエッセンスがより誇張されたのもあると思う。海外のSF好きならわかるが、とにかく細かい。遺伝子学者やら天文学者といった、言わば専門家が優れた小説家になる場合が往々にしてあるのでとにかくバックボーンが尋常じゃないのだ。日本の薄っぺらいSFに小学生時代より疑問に感じていた私は当然ながらはまったものだ。一度あっちのを読んでしまうと到底日本のウスさには絶えられなかった。とにかく細かい。このまま映像に撮れてしまうのでは?と思うほど細かく、読んでいるうちに実際そうなのでは?と混同してしまうほどリアルである。逆に、ファンタジーになると途端にチープになる。私がファンタジーを好きになりきれないのはそこにある。100%想像で書かれているのであのように細かい設定、バックを基本とする欧米の書き方では世界が狭くなってしまうのだ。とても面白いのだが、明らかに世界の狭さを感じる。

これが私に現スタイルを産む要因となっているのは明白である。
日本の小説は全編に渡って非常に情緒的だ。細かい描写は全て読者まかせ。勿論、作者にはビジョンがあるのだがそれを敢えてツラツラ書かない。だから師匠に言われた自体になる。世界的に通じる小説になるには、欧米式が優れいている。何せ想像力というのは、知的レベル、文化背景、歴史背景、価値観などベースとなるものがあって働くため、全く違うものになってしまうからだ。欧米式なら事細かに描写されているのである程度想像の範囲が限定される。日本の作品が世界に出来れない理由がそこにある。が、それを越えた作家達もいる。昨年後半から話題の太宰しかり、三島しかり、今では村上春樹しかりである。細かい描写そのものが非常に情緒的であり、それでいてはしょっているのだ。神業だ。太宰は私は中学生ぐらいから好きだった。非常に退廃的なものとアンニュイなバックを感じる。彼の小説を読んでいると生きているのがどうでもよくなってしまうw 世のある種の残酷さに打ちのめされるのだ。
彼らに私がかぎ上げるためのヒントがあると思える。細かいようで情緒的。まさに私が最も望むところだ。勿論彼らの天才的センスと累々たるバックは私にないのであの次元には到達できないが、少なからず何らかのモノをまとめられる気がする。死ぬ前に1冊は「面白いじゃん俺w」と思えるような、人に「読んで」といえるようなものを書きたいと最近思っている。グレイトなシが少し見えかかっているため、切実に思うようになった。世が世なら@10年ぐらいで死んでもなんら不思議じゃないのだからねぇ。最近やたら先祖の墓が気になる。

村上春樹は正直1冊も読んでいないが、読もうと思っている。
流行にのるのが嫌いなのだw 何より、私が好きなタイプの内容じゃないのでノー眼中だったw でもやはり、神様スティーブンキングを読もうが欧米人には欧米人にしかない感覚で書いているはずだ。日本人である以上は、学ぶべきはまず日本人にあり。そういう意味ではノーベル文学賞を毎年とるんじゃないか!?と言われている氏の本は古本でもいいので読むべきだろう。ゲーム会社時代、興味ないのに仕方なくFFを遊んだように、仕事なら別と考えるべきだ。100円ぐらいで他人様が買ってくれるような価値のあるものを死ぬまでに1冊はどうにかしたいな。

その前にゴーストライティングに励むか。
これもまた仕事だったらかなり辛いだろうw
仕事じゃないからやれるもんだ。


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11 / 08 Sun 23:03 #ドーラ ×
知り合いのショップから仕事としてというより、
パソコンのことを教えてやってほしいと先日頼まれた。
そのお店は消耗品を買ったり、表装でお世話になっている。
そこの店長(社長)は、指1本からパソコンを始め、必死にくらいつき自分で顧客リストを構築した努力人だ。
私が声を大にして社長を褒め称えると、社長は嬉しそうだった。
出きる人からすると、「なんだそのくらい」と思うかもしれないが、社長のあの歳で指1本から始めるというのは若人が想像を絶するストレスとご苦労があったと容易に想像ができた。なので本心からだった。

私がいままで100人程度は教えてきたなかで、いやそれ以外でも指一本からはじめて数ヶ月でそこまで成しえた人なんどきいたことがない。それは容易ならずことである。

人間死ぬ気になれば何でも出きるんだなー・・・と私は本件に対して感動をおぼえたものだ。
昨日もその当時を思い出し「必死だったからねぇ」と社長はいっていた。
挫折している場合じゃない事態だったので、「出来ない」ことは考えていなかったようだ。
よく師匠に言われることに、
「皆出来ないことを前提に口を開く。だから当然できない。僕は出来ないことなんか考えないし。やらない。出来ないという言い訳が心の中にある以上、当然出来ない。出きるという前提に立ってものを考えなければ、結局は器の小さな人間にしかならないよ」

耳が痛いw

師匠はスーパーマンだ。
宇宙人といってもいい。
今やっている仕事も、人外魔境の仕事で、到底人間のなせる技じゃないのに、それを淡々と毎日毎日来る日も来る日もやっている。
「辛くないんですか?」
「楽しいよw」
「いやにならないんですか?」
「ならいね。目は疲れるし肩も凝るけどさ。やりたくて仕方がない」

普通人間というのは、楽しかろうが、辛かろうが、肉体は同じようにダメージを受けるものだ。
ダメージを受ければ辛さが出るが、それを絶妙に回避しているようだ。これが師匠の神業的心術である。
これと似たようなエピソードをある漫画家からも聞いたことがあるが、それを遥かに凌駕している。

まーパソコン講師いうても金はいただかんが。
パソコンを教えてきて随分勉強になった。
真剣に教えても相手がそれに答えられないことも少なくない。
「あー・・・そういう意味じゃないんだけどなー」 ってことが多い。視線がズレているのに、ズレたまま勝手に解釈して突っ走る生徒は伸びが悪い。以前はそうしたことに苛立ちを覚えていたが、今は仕方がないと思っている。敢えて黙ってみている。視線がズレているのは相手のキャパがその時点でオーバーしていることを意味する。それ以上入らないのだ。お腹一杯ということ。お腹一杯なのに、
「人の話きいとんのか!この腐れパゲ!何べん同じこと言わすねん!!」
と言ってもなーーーーーーんの解決にもならない。

出来ないものは出来ない!

仕方ない。誰だって出来ない時、出来ないことはある。
ただし、本気になれば誰だっていつでも出きることが世の中にあることの実態だ。
師匠のような天才と比較してはいけない。
肉体のキャパ、精神のキャパ、資質の向き不向きと人は百人といろだ。それが当然。
でもまー。。。本音言うともう人の教えるのはイヤなんだけどなー・・・。
それでも助けを呼ばれれば、助けたくなるのが人情である。
人は自分にない能力を誰かのために発動してこそ、社会に貢献できる。

人に教えると、イイ生徒とはどういう生徒か?というのがハッキリとわかる。
悪い生徒には目的がない。具体的な目的がないのだ。ものすっごーくボンヤリしていてケムのなかだ。
イイ生徒は目標が非常に具体的で、「コレが出来ればいい!」というピンスポットである。
具体的であるがゆえに、結果もわりと早く目にできるから喜びも大きくすんなりことが進む。
そういう生徒は必死に聞くし、いちいち先生の揚げ足をとったりチャチャを入れないで最後まで聞く。
わからないときは「え?言っている意味がわからない」とちゃんと言う。
私が教えた人の多くは具体的な仕事上の目的があるので、出来ないでは済まされないという緊張感が違う。

逆に言えば具体的な目標もなしにやることはなんの意味もないことだ。
私は教える前に必ず聞くことがある。
「何をやりたいのですか?」
と、動機を聞く。この答えの内容如何で、この講習が私にとっても相手にとっても地獄のものとなるか、楽しいものとなるか決定づけられる。

最悪の答えはこれだ・・・1・2・3!
「回りがやっているから」
これを聞いた日には私のブルーっぷりったらない。
ここからはパソコン講師というより、カウンセリングに近い問答が始まる。
まず相手が何に一番興味をもっているか?何にコダワリをもっているか?本当は何がしたいのか?というのをディスカッションにより引き出し、あまりにも動機が弱すぎる場合は、
「やめたほうがいいですよ。ストレスがたまるだですから」
と止めることを只管にすすめる。モニターから発せられる電磁波の恐ろしさやら混ぜつつ説得をする。それで止める人もいる。本当に切羽詰ればいずれまたくるので、その時がやり時である。

人間誰しも本音を言えば、
切羽つまらない限り必死にはやらないのだw
その時がやり時。遅いってことはない。
なので、
「パソコン教室とかどうですかね?」
と社長に聞かれたので
「払うだけ金と時間の無駄と断言できます」
といい、その理由をとうとうと説明したら激しく納得いただけたような。
本気になったら個人教授を雇うべきだ。例え高くても、むしろ高いから必死になって人は回収しようとする。
結果的に得るものがおおい。

知人でタダ同然で教えてもらおういう思いがかすかにでもあるならその時点でアウチ。
身内という油断があるので、だいたい右から左へすり抜けていく人が多い。
なので私は身内に教える場合は、敢えてビジネス口調で淡々といい馴れ合いでやってないことをアピールする。私が生徒へ要求することはいつも3つだ。

1.話を最後まで聞くこと。
2.言った操作を必ずやり、勝手な判断で操作をすすめないこと。
3.理由は聞かないこと。

これが実に出来ない人が多い。10人いたら8人は守れない。
特に3は厄介だ。そもそも理由を考えて理解できるならとうに出来ているはずなのに、何故から理由をしりたがる。これは単なる自己満足なのだ。自己満足は後で個人的にすればいい。出来ないのに理由だけ知ると、自分の中でコジツケになってしまい、往々にして根拠のない自信がついてしまう。この根拠のない自信ほど怖いものはない。

「この条件が守れないなら即辞めさせて頂きます」 としつこくいい相手に守ってもらう。
んが、実際何度も言うハメになるw
「1.最後まで話を聞くこと、っていいましたよねー」 とニッコリ笑う。
「あ、すいません、でも・・・・」 となりがちだ。
これは親しい仲ほどある。親しい人にパーフェクトに教えられれば他人様は遥かに楽なので、とても勉強になった。

身内ほど難敵はいない。
同時に超勉強になったことを思い出す。
これらを通して、

「あー俺って実に悪い生徒だったなーーーーーーっとw」

と痛感するのだ。
果たして教えることになるのかならないのか・・・ま、相手にまかせよう。
出きることなら面倒なのは避けたいものだ。


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08 / 21 Fri 12:49 #ドーラ ×
事務所引越しでした。
いやーさすが魔の月間。超慎重、堅実派の私が生まれてはじめて財布忘れたよw
あ、車の場合ねw 電車なら携帯があればどうとでもなるけど、車は無理w 駐車でけまへんがな。
思い出したのがまだ出発して10分ぐらいだったので、観念して逆戻り。
電車で堅実に行こうかと思ったけど、車なら道の具合によってはまだ間に合うかもしれなかったので(少し早めに出たので)観念して車で再出発!
んが、さすがに魔の月間どまんなかw 順当に渋滞ですw
諦めて大人しく運転していたら、超ドラドンピシャ(1分遅れ)で到着。

わっせわっせと城のような机を分解。
これは予想が外れてラッキーw 全然楽だった!IKEAで買った欧米サイズの巨大な城机なのだが、構造が非常によく出来ていて無駄なネジなどほとんど使わず構造的にガッチリ組みあがるように出来ている。作ったときは全体像が見えないということと、仕掛け木ネジなどを仕込むの非常に手間だった。それで4時間ぐらいかかった。だもんだから分解>組み上げ言うたら無理!と思ったのだが、ブロックごとに分解したら、それ以上分解する必要もないのでブロック状のまま移送。ネジも少ないので楽。最小限の分解で済むようにして、分解後の最組み上げ超楽でした!お陰で全然余裕で作業終了し、パソコンの移動やセットアップ、地デジTVやHDDのセットアップまでまかされ全部終わった!!ガンガンだぜ!ひゃーふー!!

そして、帰りに15万相当する漢字辞書預かって帰りました。「あげるよ」ってことでしたが、この辞書は早々全てそろえることは出来ないし今度一層入手は困難になるだろうから「預かります」ってことで持って帰りました。事務所が半分になったからほとんど入らないようで、余計なものは処分したいってことなのでしょう。当初は「売る、もしくは捨てる」って話をしていたのですが、「社長!w それ勿体無さすぎ。この事業やってればまた使うこともあるだろうから、家で預かりますよ」 といって「じゃー、あげるよ」に。値段が値段だけに貰うわけにもいかんと、まー半分所有権ってことでw 少し勿体無かったのは、デスクパソコン5台、ノート2台(ほぼ新品) を引越し回収業者にタダ同然で処分されていたこと。「くれーw」 言うかなー思ったけど、世代的に微妙なんだよねぇ。XPが出る直前のマシンばかりで、しかも当時のハイスペックマシンならいざしらずミドルスペックなので。
社長も面倒と思ったらはやいからw いままでずーっと置いておいたくせに「んー・・・邪魔w 捨てるw」 だもんなーw 社員さんも怒り&呆れで、険悪なムードですた。

そんな引越しの最中・・・
ここ2ケ月完全に音沙汰なしだったクライアントから超タイミング悪いことに電話。
そもそもこうなったのは、このクライアントが延々と態度保留したせいなのに!今頃、しかも引越し中に!!しかもNTTの業者が作業しにくる直前にだよ。しかも、結果を報告するのではなく・・・2ヶ月前の金にならない案件について今更あーだこーだと延々と電話を。社長はさすが大人ですから淡々と相談にのってましたが、社員さんが徐々に・・・・。
「今更どの面下げて、しかも最悪のタイミングで・・・イライライライライラ・・・・折り返しにして切りなさいよ!!」 
社長も 「人待たせているので」 って切りましたが。ほんと!最悪のタイミングだね。俺と同じで、多分そういう時期なんだろうなーこの会社も。
新しい事務所は小さくなったけど、凄いいいかんじ。特に狭くも感じないし、何よりクソ暑くないのがいい!!w 今までって夏は地獄、冬は激サムと、まー酷いところだったんよねー。良かったーw それだけは救いです。ま、また仕事が来ることを祈って。

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08 / 19 Wed 14:19 #ドーラ ×
私ではないのですが、お世話になってる仕事先で引越しです。
今までの半分の事務所になる感じですが、、まー全然やれる大きさでしょう。
打ち合わせには難ありですが、まーね、そんなのは外でやればいいはなしだし。
凄く気をつかっておるようですが、私は金より仁義を大切にしたい人なので全くきにしちょりませんがな。

ちょっくら力を使っていこうかと思います。
現代の暮らしってほんと肉体つかうことが少なく、意図も簡単に鈍るんですわ。
意識的に動かないといけないなんて、考えてみると贅沢な話ですなー。
さてと、あの巨大な城をバラするのは大変だから、ちゃっちゃとヤランとなー。
社員さんはナメてるけど、私の予想ではバラせても組みあがらないと思うw
大変なんですよ。それもまたたのしw ただ、時間には限りがあるからねぇ。

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07 / 31 Fri 22:14 #ドーラ ×
キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!! 
遂にというか思ったよりはやくその時がきたか。
契約解除ですよ。
最短でこのぐらいか・・・と、予測の鬼である私が最悪の事態を予測したのとほぼドンピシャリ。
最悪の事態になることはよっぽどないのですが、なりましたなー。なんか、世相の速度の変化を感じます。
遊撃隊勧告を受けました。回せる仕事が来たら再びって感じになります。
もともとフリーなのでリストラとは違いますが、多少なりとも固定的に入っていた収入がパッタリ止むことになります。某氏と同じでここ1ヶ月で事務所を移転し、スペースは半分に。不要なものは処分し半冬眠状態となる。

さすが社長!賢い選択だと思います。

9ヶ月前に@3年で・・・と言われ、ここ半年で一気にそれが2年になり、3ヶ月前に半年となり、更に縮んでこうなったわけです。なんつかかんつか言っても普通なら9月まではもつかなーと思っていましたが、今の世の中のを見事に反映してますなー。政治家のあ4どもに言いたいですよ。「遅い!!」ってね。あと「鈍い!!」ってさ。そういう意味では、余りにギリギリで動くより少しでも早い段階で多少なりとも余力がある状態で動いた方が良いのでは・・とも思っていたので英断だったのではないかな。エネルギー使いってからじゃ動けないからさ。なんでも余力があるうちですよ。

今日あったときにの社員さんの浮かない表情の理由がコレだったんだ。
いつにない浮かない顔だったんで、初見で
「何かあったな」 と気づいた。
その辺の勘はちょっと先天的に鋭いのでねー俺には嘘つけへんで。ムフーw
「あーコレか」 とホッとしましたが。
てっきり何か致命的な病気が見つかったとか、何かもっと救いようがない問題が起きたのかと思ったので。
やけに会話がブツギリに切れるのもコレが理由だったとはw なんかラシクないなーと感じていました。

組織が成り立たなくなって、ボロボロと解体していくのは当然のことであり、そこに何一つ怨み節も泣き節も私はないですよ。逆に言う人の気がしれません。覚悟がないんですな。途中、あまりにもこれみよがしに社員さんが途中退席するもんだから余程何かあったのかなーと思ってしまった。なんか気を使わせてしまってかえって申し訳ないなーって思ったよ。そこまで考えてくれたのかとねー。私はその辺は割り切っているから全然平気なんですよ。だって、しょうがないよ。仕事は仕事、お付き合いはお付き合いなのでその辺は混同しません。仕事の切れ目が縁の切れ目とは思ってない。本当に感謝かんしゃです。こっちは全然いつも通りなのに、社長ちょっぴり感極まったのか目にうっすらと涙すら浮かべていたな・・・。

事態は充分に予測していたので、最悪は6末か・・と思っていた。予測に狂いはなかったか。
これでタイマーは押されたわけだ。時計は動き出した。残タイムの予測もついているので、残タイム中にどう動くかだな。ただ、この仕事も完全に終わりなわけでないので、私の予想では最低でも@1山はある。それまでは仕事がないってだけで、問題はその先だ。その1山越えたら完全に解体する可能性が非常に高い。完全に解体するってことは完全に大得意先が消えるってことだから。残っていればなんだかんだで可能性はあるけどさ、ゼロはゼロだからねぇ。

大人になると変化を恐れるが、今の私は変化は恐れでないねぇ。恍惚と不安だ。子供みたいにワクワクするね。
子供と大人の違いをずっと考えていた。なんであんなにも時間の流れが違うのかと。
子供は未来を実感として予測できない。生活や環境に短期間に大きな変化がある。
これは決定的に違うことだ。大人であろうと同じような心境になれば日々が充実して変化にとんだ生を得られるだろうと。それがないから大人になると時間が短く変化に乏しく感じるのだと思う。変化を恐れ安定を望む。女性か口を開けば、将来が将来が・・とうわごとのように言い、家が家が、金が金が・・と言う。でも実際一寸先は闇なのが普通だ。ダレも1秒後の自分を知らない。

未来への恍惚と不安を楽しもうと思う。実際色々と種はまかれている。問題は俺に準備ができていないことだがw もう少し・・・身体どうにかならんかなーオイ。問題があるとしたらソコだよやっぱり。まーでもあれだ、走り出したら止まらんな。スターティンググリッドは遠くない。ローリングしているうちになんとせんと。なんとか出来なく始まったら全力でやるっきゃねーぜ。しびれるねーw


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06 / 28 Sun 22:22 #ドーラ ×
電車の中で、大きな楽器を背負っている人を見た

「あ、楽器型の狩猟笛だ」
と瞬間的に思ってしまった私はかなりの狩人である。しかも、
「て~レレ レレレ♪て~レレ レレレ♪」(速度UP)
「てれって~♪てれって~♪」(攻撃力UP大)
「て~レレ レレレ♪て~レレ レレレ♪」(はじけれ無効)
と心の中で演奏し、
「よし」
と思ってしまう私は立派な笛マニアに一員だろう。
「実際にゲネポスバルーンとか背負ったらあんなにデカイんだな・・」
と真剣に考えてしまうあたりも相当なもであろう。

今日は朝から何かと用事が多かった。。
体調はいまひとつ。
まー安全ラインにいさえすれば身体は動かせば動いていくものだ。
今日の抽選会は凄かった。人が多くてまさに運でしかあたらない感じ。
ただ、またしても当たりが見える。
一瞬迷ったが、最初の感を信じ、狙っていた札も残っていたので引いた。
引いた瞬間に、「これがやっぱ当たりだな」と思った。
見てみると当たりだった。どうにかこうにか年内恒例の場所で開催できそうだな。
これで別な会場を探さんで済むな。
その後もあちことちで一気に用事をかけもち。

久しぶりにまともに動いた。明日は愛車を引き取りにいこう。

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