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ネット人生まっしぐら、アナログとデジタルの狭間にいきるドーラの雑記帳です。
05 / 13 Mon 00:11 ×
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11 / 08 Sun 23:03 #ドーラ ×
知り合いのショップから仕事としてというより、
パソコンのことを教えてやってほしいと先日頼まれた。
そのお店は消耗品を買ったり、表装でお世話になっている。
そこの店長(社長)は、指1本からパソコンを始め、必死にくらいつき自分で顧客リストを構築した努力人だ。
私が声を大にして社長を褒め称えると、社長は嬉しそうだった。
出きる人からすると、「なんだそのくらい」と思うかもしれないが、社長のあの歳で指1本から始めるというのは若人が想像を絶するストレスとご苦労があったと容易に想像ができた。なので本心からだった。

私がいままで100人程度は教えてきたなかで、いやそれ以外でも指一本からはじめて数ヶ月でそこまで成しえた人なんどきいたことがない。それは容易ならずことである。

人間死ぬ気になれば何でも出きるんだなー・・・と私は本件に対して感動をおぼえたものだ。
昨日もその当時を思い出し「必死だったからねぇ」と社長はいっていた。
挫折している場合じゃない事態だったので、「出来ない」ことは考えていなかったようだ。
よく師匠に言われることに、
「皆出来ないことを前提に口を開く。だから当然できない。僕は出来ないことなんか考えないし。やらない。出来ないという言い訳が心の中にある以上、当然出来ない。出きるという前提に立ってものを考えなければ、結局は器の小さな人間にしかならないよ」

耳が痛いw

師匠はスーパーマンだ。
宇宙人といってもいい。
今やっている仕事も、人外魔境の仕事で、到底人間のなせる技じゃないのに、それを淡々と毎日毎日来る日も来る日もやっている。
「辛くないんですか?」
「楽しいよw」
「いやにならないんですか?」
「ならいね。目は疲れるし肩も凝るけどさ。やりたくて仕方がない」

普通人間というのは、楽しかろうが、辛かろうが、肉体は同じようにダメージを受けるものだ。
ダメージを受ければ辛さが出るが、それを絶妙に回避しているようだ。これが師匠の神業的心術である。
これと似たようなエピソードをある漫画家からも聞いたことがあるが、それを遥かに凌駕している。

まーパソコン講師いうても金はいただかんが。
パソコンを教えてきて随分勉強になった。
真剣に教えても相手がそれに答えられないことも少なくない。
「あー・・・そういう意味じゃないんだけどなー」 ってことが多い。視線がズレているのに、ズレたまま勝手に解釈して突っ走る生徒は伸びが悪い。以前はそうしたことに苛立ちを覚えていたが、今は仕方がないと思っている。敢えて黙ってみている。視線がズレているのは相手のキャパがその時点でオーバーしていることを意味する。それ以上入らないのだ。お腹一杯ということ。お腹一杯なのに、
「人の話きいとんのか!この腐れパゲ!何べん同じこと言わすねん!!」
と言ってもなーーーーーーんの解決にもならない。

出来ないものは出来ない!

仕方ない。誰だって出来ない時、出来ないことはある。
ただし、本気になれば誰だっていつでも出きることが世の中にあることの実態だ。
師匠のような天才と比較してはいけない。
肉体のキャパ、精神のキャパ、資質の向き不向きと人は百人といろだ。それが当然。
でもまー。。。本音言うともう人の教えるのはイヤなんだけどなー・・・。
それでも助けを呼ばれれば、助けたくなるのが人情である。
人は自分にない能力を誰かのために発動してこそ、社会に貢献できる。

人に教えると、イイ生徒とはどういう生徒か?というのがハッキリとわかる。
悪い生徒には目的がない。具体的な目的がないのだ。ものすっごーくボンヤリしていてケムのなかだ。
イイ生徒は目標が非常に具体的で、「コレが出来ればいい!」というピンスポットである。
具体的であるがゆえに、結果もわりと早く目にできるから喜びも大きくすんなりことが進む。
そういう生徒は必死に聞くし、いちいち先生の揚げ足をとったりチャチャを入れないで最後まで聞く。
わからないときは「え?言っている意味がわからない」とちゃんと言う。
私が教えた人の多くは具体的な仕事上の目的があるので、出来ないでは済まされないという緊張感が違う。

逆に言えば具体的な目標もなしにやることはなんの意味もないことだ。
私は教える前に必ず聞くことがある。
「何をやりたいのですか?」
と、動機を聞く。この答えの内容如何で、この講習が私にとっても相手にとっても地獄のものとなるか、楽しいものとなるか決定づけられる。

最悪の答えはこれだ・・・1・2・3!
「回りがやっているから」
これを聞いた日には私のブルーっぷりったらない。
ここからはパソコン講師というより、カウンセリングに近い問答が始まる。
まず相手が何に一番興味をもっているか?何にコダワリをもっているか?本当は何がしたいのか?というのをディスカッションにより引き出し、あまりにも動機が弱すぎる場合は、
「やめたほうがいいですよ。ストレスがたまるだですから」
と止めることを只管にすすめる。モニターから発せられる電磁波の恐ろしさやら混ぜつつ説得をする。それで止める人もいる。本当に切羽詰ればいずれまたくるので、その時がやり時である。

人間誰しも本音を言えば、
切羽つまらない限り必死にはやらないのだw
その時がやり時。遅いってことはない。
なので、
「パソコン教室とかどうですかね?」
と社長に聞かれたので
「払うだけ金と時間の無駄と断言できます」
といい、その理由をとうとうと説明したら激しく納得いただけたような。
本気になったら個人教授を雇うべきだ。例え高くても、むしろ高いから必死になって人は回収しようとする。
結果的に得るものがおおい。

知人でタダ同然で教えてもらおういう思いがかすかにでもあるならその時点でアウチ。
身内という油断があるので、だいたい右から左へすり抜けていく人が多い。
なので私は身内に教える場合は、敢えてビジネス口調で淡々といい馴れ合いでやってないことをアピールする。私が生徒へ要求することはいつも3つだ。

1.話を最後まで聞くこと。
2.言った操作を必ずやり、勝手な判断で操作をすすめないこと。
3.理由は聞かないこと。

これが実に出来ない人が多い。10人いたら8人は守れない。
特に3は厄介だ。そもそも理由を考えて理解できるならとうに出来ているはずなのに、何故から理由をしりたがる。これは単なる自己満足なのだ。自己満足は後で個人的にすればいい。出来ないのに理由だけ知ると、自分の中でコジツケになってしまい、往々にして根拠のない自信がついてしまう。この根拠のない自信ほど怖いものはない。

「この条件が守れないなら即辞めさせて頂きます」 としつこくいい相手に守ってもらう。
んが、実際何度も言うハメになるw
「1.最後まで話を聞くこと、っていいましたよねー」 とニッコリ笑う。
「あ、すいません、でも・・・・」 となりがちだ。
これは親しい仲ほどある。親しい人にパーフェクトに教えられれば他人様は遥かに楽なので、とても勉強になった。

身内ほど難敵はいない。
同時に超勉強になったことを思い出す。
これらを通して、

「あー俺って実に悪い生徒だったなーーーーーーっとw」

と痛感するのだ。
果たして教えることになるのかならないのか・・・ま、相手にまかせよう。
出きることなら面倒なのは避けたいものだ。


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