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ネット人生まっしぐら、アナログとデジタルの狭間にいきるドーラの雑記帳です。
05 / 21 Tue 00:14 ×
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09 / 29 Tue 15:36 #ドーラ ×
やっぱハングリーじゃねーのが根幹的問題なんだろうなぁ。
生きるって本来ハングリーなもんだから。
そういう意味では日本って本当に世界で稀にみる幸せな国だと思う。
そう考えると、究極的に幸せな国って、不幸せに通じるねー。
多分、俺って国よっては、既に死んでいる程度の肉体的ポテンシャルしかないし、精神的ポテンシャルもない。
世が世ならっていうけど、多分・・・一部の先進国以外で生まれたら、俺確実に死んでいるな。

昔はハングリーってのは当然で、でなければ死しかなかった。
食べる闘争があり、生きる闘争があり、余裕なんてほとんどの人がなく、ゆえにハングリーで、富裕層ですら僅かな油断が命の危険につながり、一瞬のミスが没落へつながり、1日で安全と食事がなくなる。

食べ物に困らないようになりたい、安全を確保したいがそもそもの始まりで、そこから余裕が欲しいに発展し、それ故に金が欲しい、住む場所が欲しい、地位が欲しい、名誉が欲しいと、これって全てに共通しているのはハングリーだからこそ起こる思いなんだと思う。
生きる上でのハングリーさがないんだよな俺って。
今、突然死んでも「まー・・・仕方ねーな。下らないなりに下る人生だった」と思えてしまうんだよ。
「お前は僧侶か仙人なのか?!いまどきの坊主のほうがもっと欲があるのに。欲がないにもほどがある!!もっと貪欲になりなさい。何が楽しいの!!」と親に言われたことがある。
まー至極もっともだが、実際問題として、満足しちゃっている自分がいるのも間違いない。緑を見れば感動するし、モンシロチョウが飛んでいれば奇跡だなーって思う。飯がうまければ「あーすげー幸せ」と思うし、疲れれば「ねよー」って寝る。どこをどうとってもハングリーさのカケラもない。

以前、究極の武道を学び、街に出て片っ端からボコボコにしてやろうと思ったことがあった。
ストファイのリュウじゃないけど、「俺ってマジでどの程度の強さまでいけるんだ?」ってのを体感したかったからというシンプルな理由からなんだが、究極まで自分の強さを体感するには、究極まで自分の体をイジメヌカないといけないわけで、その時点でそれをやるには動機に対する思いが弱すぎるw

昔極真の同僚がいて、実際に嘘みたいな元用心棒だった。映画のように倍ちかい外人さんをハイキック1撃で脳震盪かまし沈ませた話とか聞いて興奮したものだ。彼の辞めた理由がまた凄い説得力がある。「いつか死ぬ」と思って辞めたそうだ。永く続けるほどにリアルな敵が増えるわけで、狙われるわけですな。あまり有名になると「いつは殺される」ってことで数年で辞めたそうな。その彼の稽古内容を聞いた段階で、

「俺なら稽古中にシネそうだな」と冷静に思った。

実際に稽古中に体をブレイクしている人がいかに多いか。ステージに上がる以前の問題なんですな。戦う前に壊れちゃうんだから本末転倒だ。でも実際そうなるかならないかは運の要素もかなり含まれていて、本人の意思は外におかれていたりする。それでもある程度やってみたいと思い俺の性格からいって、かなりの武道を調べ、どうせやるなら究極がいいからね、それと俺の性格に合う武道で、しかもマジにやっている道場で、と調べていく最中に「こりゃアカンw」と思ってリサーチの段階でサクっと断念したわけですな。

やっぱりハングリーさなんだよね。
怪我しても骨おっても、事故にあっても、諦めないって人だけが、這い上がった人だけが、ある種の栄光を手にしているんだよねぇ。ある人は金であったり、地位であったり、名誉であったり、強さであったり、自分の限界を知りえることが出来たり、何かを獲得している。ほとんどの人はハングリーさよりも、痛みが上回ったり、ストレスが上回ったり恐怖であったり不安であったりが上回ることで止める。当然それはいけないことでない。頭がいいし、自分に正直な選択だ。バカの壁があるようにある種イカレチャッタ人だけが越えられる。逆に言うと越える必要すらない。

うちの師匠がある意味ではオオバカなんだよね。いや・・・ズヌケタ素直さといったほうがいい。バカじゃないからね。むしろ半端なく頭がいい。ハングリーなんだよね。これだけ誘惑が多い日本において、本質的に書しかやらないってのは半端ない。一人でできて、歳とってもできて、複雑な道具をようさない、究極に困難な芸術ってのが書であるから取り組んでいる。わけわかんないよね。なんでそこまで出きるのかわけわからんよ。ハングリーさが凄い。究極の天才に挑み、それを越えられる手ごたえをあり、未だ限界を知らず・・・ってのはなんつーハングリーさか。糖尿病になってピタリと食事を180度展開して、全くストレスもないとか、糖尿病を治しちゃって医者に「考えられない」と絶句させちゃうとか、それも書のためだってんだから、近くにいると時々頭がおかしくなりそうになるよw 言葉もない。あんだけ精力があって女性のほうにいかないってのも凄いし、「女性にあげる余裕がない」 ってほどに書に精力を使っているって・・・。その前にたまに生き抜きでHもしたいだろうにって思うのが人情なのにねー。究極的なハングリーさだよ。

やっぱ生きる上でのハングリーさって欲しい。俺マジでないもんなー。だから多分俺って凄い幸せなんだと思うね。どんな現状であれ常に幸せを見出してしまうから結果的にハングリーさが生まれない。ハングリーになって社長になったり、稼いだりしてもタカガしれていると、すぐ天上を見てしまい何もせずに満足してしまう。いい意味で作用するにはいいんだろうが、それって究極的には何もせんでも幸せってのに近いもんなー。ハングリーに生きた方が面白いっちゃー面白いはずだからね。最近肉体的苦痛を感じる度に発想の展開で、「こんだけ痛いっていうことは、俺ってすげー生きているなー、クー!」って思っているんだが、それと似たようなもんだな。

踊るあほうぅに見るあほぅ じゃないけどさ。どうせ、どう転んでも大したことないのは事実だと思うんだが、どうせならある意味で暴れまくってから死んでも悪くないと思う。ただなー、現時点でそれなりに満ち足りている人間ってハングリーさがないからここにいるわけで、なかなか出るのも難しい。居心地の良いヌルマ湯にいると長湯になるのと同じ原理だよな。実際そのほうが体には良かったりするし。でも良い時間ってのはあるはずなんだけど、永すぎるのはやっぱりマイナスなんだよねアレも。ヌルマ湯をいつ抜けて、いつ入りなおすかってのは非常に難しくって、ある部分では研ぎ澄ましていないと判断できない。これは幻想地獄に近いもんだね。

ハングリー・・・ハングリーだよ。

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