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ネット人生まっしぐら、アナログとデジタルの狭間にいきるドーラの雑記帳です。
05 / 20 Mon 21:41 ×
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11 / 30 Mon 12:51 #ドーラ ×
師匠がパソ系の雑誌に載った。
あーらふてぶてしい顔w 随分印象が悪いね。
それにしても師匠はほんと真摯である。
嘘は言っていないが、これを読んだ人は明らかに誤解するだろう。
師匠とよく話し合うことに、言葉というのは何て不便なんだろう、というテーマがある。
真意を伝えようとするほどに伝わらなくなる。
結果として真意を伝えるには言葉数が少なくなる。どんなに説明を深めても真意から一層遠ざかるのだ。
私もそれをつくづく感じるようになった。
人それぞれ知識レベルや経験レベル、基本的に素地の違いがある。
なので完全に理解することは不可能であろう。往々にして誤解させたままのほうが特であることが多い。
私はやたら言葉が多いので余計に実感する。
今までは説明することに真摯だったが、説明するほどに遠ざかることを感じ最近喋っていることはどうでもいいことばかりだw どうでもいいことは、そもそもがどうでもいいので、伝わってもどうでもいい、誤解されてもどうでもいいから害がない。

私は比較的受け取る能力に長けている。相手の真意を掘り当てるのも得意だ。昔はそれを口に出して言ってしまい失敗することも多々あった。私が知る出会ってきた中で、非常に近い感覚をもった人は一人しかいなかった。師匠の奥さんである。お互い「こんちわー」と挨拶した瞬間に色々なことが見えてくるので、ほとんど喋る必要がなかった。一緒にいるだけで感覚が研ぎ澄まされ充実度を感じた。この手のタイプの人からすると「なんでわからないの?」ってのが長年わからなかった。しかし、肉体がブレイクしてこの感覚を誰一人として理解できないことを痛感すると、「仕方ないものだな」と思えるようになる。今更ながら、人間違うものだなーと思う。それぞれに特異な能力は異なる。経験もことなる。知識もことなるので理解できないのが普通だ。一時は伝えることの意味すらも失ったが、最近では伝わなくてもいいと思っている。ふと気づくと師匠がまさにそうであった。師匠は人の話を本質的な部分でしか聞いていなので、細かい話はほとんど覚えていない。事前に打ち合わせしても「なんで?」って3分後に聞かれることも多い。「さっき言いましたよね?」と私に対し「覚えてない。なんで?」と悪びれた風もなく当然のように聞き返す。

昔は凄いストレスを感じたものだが、最近は受け流している。師匠からそれを学んだ。気づいているので言いたいが、敢えて言わない。思った通りの結果になっても以前なら「ほらねー!!」って言っていたが、どうせ相手は言ったとおりには動かない、動けない(それが当たり前)ので寧ろ言わないほうが互いのためであることが多い。言っていないわけだから「ほらねー!」にはならない。内心「やっぱりそうなったか」と結果だけ見定め、「仕方ないよ」と口からは出る。師匠と子供をみていて学ばせてもらった。子供は真意を言わなくなる時期がくる。その変わり目をみた。それが成長である。周りが言わせて上げることが大切だが、周りに受け入れる土壌がないと真実の声は失われる。つまり、子供はいえないのではなく回りの大人達が聞けないのだ。聞けない状況を、子供は鋭いアンテナで察しいえなくなる。師匠もまさにそうだが、常に真意のきっかけは言っている。それ以上説明しないだけなのだ。聞ける土壌がないのなら、それ以上言わないのは正しい選択かもしれない。ただし、それが過剰にすすむと子供は別種の弊害をかかえるので、子供が歪んでいくのはやはり周囲の大人たちの責任が大きいだろう。

私はアンテナが広いので細かいことまで一々入ってくくる、別に好んでいないし、意識もしていない。当たり前のように引っかかってくるのだ。嫌なものである。自分に集中したい。だから師匠のように自分に集中できる人が本当に羨ましい。微細な変化をキャッチしすぎて本質を見失いそうになることも多い。枝葉末節に倒れる。自分がもう一人いたら、自分をこう評せる。感受性が制御不能にまで豊かで受容体と好奇心が強く、気が利いて頑固で、固まったと思ったらいきなり流れ出す。とにかく身体も精神も疲れやすく、精神は割りと丈夫だが肉体的ポテンシャルが非常に低くその結果精神も足を引っ張られる。その低さを把握調整できずに崩壊を起こしそうになり、建て直しに時間がかかる。何でもヤレば器用にこなせるが一つのことを深めようとすると裏腹に飽いてしまう。水のような変幻自在の自在さをもってこそうまくいくタイプなので、頑固さが顔をだした時は要警告。といったところだろうかw 以前はそんな自分を感じてはいたがココまで理解は出来なかった。まーやっぱさ、人間誰しも俺は違う!wって思いたいじゃないw 

メッサ話がそれたw 師匠は「自分と他人は違う」ということを徹底的に教えてくれた。だから教えるのではなく、学ぶのだという。書だけに限らずだ。それが結果的に書にフィードバックされる。自分は自分でしかない。自分率を活かし生きていくの人生なのだ。雑誌の真意を最も近く把握しているの私ぐらいなものだろう。あのコメントを読んだだけで、いかに真摯なのかが伺える。両方の側面で提示しているので、後は受け取る側にゆだねているのだ。私だったらああは言えない。適当なことが口から出るだけだ。あのコメントを読んで改めて「あー俺って適当だなーwwww」 とつくづく思った。でも、それが俺そのものなのだ。多分人生も適当に幕を閉じるのだろう。自在であることは手強い。囚われのない自分、死ぬまで一生の課題だろう。私はすぐ固まろうとする性質がある。




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