携帯しか使わない人が圧倒的に増えてきた日本。先進国でみてもこれは日本だけの現象らしく、ここから様々な憶測がされている。その一つが”デジタルプア”。まず、この発想の導入部として金のない人は固定電話※やPCの維持に必要なコストを払えないから携帯に1本ですますという考えがある。貧乏だから携帯オンリーという発想。するとPCの操作技術が乏しくなりデジタルコンテンツや通信等からくる恩恵を生かせないことから貧しさが加速する。展開させて、携帯しか使わない人=下流スパイラルが叫ばれているわけです。私はこれには異論があります。
携帯電話は急速な進化で、ハイスペック化、高速通信化、コンテンツの充実、PCブラウザなどあり、昔からあった一般ユーザーのニーズはPCがなくても出来てしまう。その結果、自然淘汰的に携帯しか使わなくなっている状態が今の日本かと思いました。ここまで携帯におけるインフラが整っているは日本ぐらいだと思う。現に皆仕事ではパソコンの基本的操作や文章をうったりメールしたらブラウズしたりする。今では小学生低学年ですら出来る。故に普段携帯しか使わない=デジタルプアではないと考えます。普通の人がPCで使う能力はたかだかしれている。誰でも、いつでも、その気になれば出来るようなる。あとは専門職の領域であり、基本的には必要としない。Googleのような会社は特異点であって、常態化することはない。ゆえに、携帯オンリー=下流=下流スパイラルという図式は必ずしも当てはまらない。むしろ怖いのはその精神的背景だと感じます。
携帯電話しか使わない精神的背景にはメンドクサイからというのが大いにあると思う。実際、サラリーマンなら自宅になんらかのPCは所有しているケースがほとんどで、携帯がここまで来るまえまでメールとブラウザだけは使われていた。それが携帯で出来るようになると、PCを起動しその前に座って操作することそのものが必要でなくなる。それすらも面倒なのだ。PCはインテリアと化す。
少しそれるが、マックの日本シェアは凄まじいものがある。その理由を昔から不思議に思っていたが、結論として”使わないから”に帰結した。使われないPCはインテリアとしての価値が重要になる。日本でノートPCが売れるのはそれが理由だし、バイオが人気になったのもそれが理由だ。マックは実に絵になる。お客さんがきたら100%目にとまり、「おーマックだーイイナーカッコイイ!」と言われ、オーナーも気持ちがいい。まるっきりインテリア的感覚。仮に1年に数回しか使わなくても大満足であろう。事実、マッキントッシュクラッシクの故障品をインテリアとして日本人は買う。
両方使う私としてはとてもよくわかる。(中途半端なタイプなのでカッコよくないがw)デザインだけでなくマックの直感的な操作形態は日本人向きだし日々つかうならアッチがいいに決まっている。マックの問題は簡単だ、1.仕事でデータの共有化ができない 2.ソフトやハード、オプションが高価高い 3.対応している情報資源が少ない。ウィルスに感染しないという人もいるが、それは嘘だ。CMでもやっていたがあれは数字のマジックでしかない。使ってるユーザーが少ないOSに情熱を傾けてウィルスを開発する究極的暇人はほとんどいないってだけ。現にマック用ウィルスは存在しているし感染している人もいる。マックが開き直ってWindowsマシンを発売したら日本では圧倒的支持を得るだろう。今の構図はセガのDreamcastと同じだ。彼らは夢を捨てられない。
話しを戻そう。日本人の美徳は昔からコツコツとした努力と応用力、統率力にある。それは世界的にも支持されてきた。統率力は既に崩壊しかかっている。それに加え、コツコツさが無くなろうとしていることに背筋の寒いものを感じる。コツコツさを失ったら日本人には応用力しか残されていない。資源はない国だ。しかしこの応用力というのは、コツコツがあってこそ発現されるものだ。種をまかずに収穫することが不可能なように、コツコツさを失って応用力など発現するはずもない。もし生まれるとしたらそれはとても奇異なものでしかない。そして奇異なものはほんの一時注目を浴びることはあってもスグに忘れ去られる。これからの日本人は何で食べていけばいいのだろう。サラリーマンのあの膨大なストレスは何のためにあるのだろうか・・。
私も勤め人だった時はそれをいつも考えていました。誰のためのストレスなのか?自分のためだとしたら、自分は何が目的でこれほどのストレスを溜めているのか?昇進のため?違う。将来への独立のため?違う。親のため?違う。可愛い奥さんや子供を養うため我慢してる?いない。じゃ・・なんのため?いつもココで途切れ、意識を失うようにわずかな睡眠をとる。
ある日、ふともっと身近なモチベーションに気づく。給料分は最低限働かないと、というモチベーションであった。でないと会社は潰れる。(むしろ最低限では会社は潰れてしまうが)つまり、会社や誰かのお荷物にはなりたくなかった。更に言えば誰かの役に立ちたい。それは嬉しいことだ。そうか、俺は誰かの役に立ちたいのか。では、その為に人生破壊的なストレスをため死んでもいいのか。つまり、私は自らが望み今の今の仕事をし、今の状況になっている。それはつまり望むとおり、これで満足な死を迎えられるというわけだ。・・・そうなる。
満足?
この状況が?
この何一つ満たされない空虚な精神的肉体的状況がか?
ストレスと過労で悪化するアトピーに苦しみながら眠れずのたうっている私が?
満足なのか。
・・・いや、
それは違う。
その夜、
今の仕事が終わり、まだ立っていられたら会社を辞めようと決めた。
それまでは自分にとって胸をはれる仕事をしようと。それからの私は相変わらず酷くのたうっていたが、精神的にはやけに充実していた。上司や得意先からも「人が変わった」と評価された。心とは本当に不思議だ。身の内が充実していればそれは相手にもこうも伝わるのか・・。学ぶことが多い年となった。
他の皆は何のために膨大なストレスと戦っているのだろうか、そう頭をめぐらすことも多い。皆自分から選んで戦っている。何かのために。多くは気づいていない。意識している人は少なそうだ。私が知っている僅かな範疇でしかないが、他国の方々の考えは至極シンプルだ。より多くのお金のためか、成功のため、家族のため、この3つしかない。目を見張る給料を家族ためいとも簡単にすてる人もいれば、多くの家族を養うため命を削り意欲をもって働いている人もいる。そういった方たちを思うと今の我々はどうだろうか。なんとも漠然としている。漠然としていることは悪いことではないが、暗にマイナスイメージに支配された上で漠然としている。もう少し厳格にいえば漠然としていないということだ。マイナスイメージに支配されているのに、それに気づかない。今の日本は経済格差よりも精神格差の方が重大問題だと思う。一方では望む仕事をし、金銭、物、家族、肉体、精神にわたって充足している者と、真逆の層が広がっている気がする。半端に英米化された日本は今精神的にバランスを欠き、大きく揺れている。それに気づかない政府。そして国民。
そのせいか、最近バランスを欠いた日本人が多くなった気がする。明らかに収入より多い車を買う。払えるあてもないのに家を買う。借金まみれと泣きながら外食して高級食材に舌鼓をうつ。書道の世界でも同じだ。お金が充分あるわけでもないのに何十万もする硯を買おうとする。何万しかもっていないのに何万もする墨を買おうとする。ある中学生はiPodが欲しいと親にねだり4代目を買う。今の日本人は失った心のバランスや拠り所を今までの英米文化の方向性のまま物欲で補おうとしている。当然だ、それしか学んでこかなったから他の方法が思いつかない。
私が思うに日本人は極めて複雑で懐の深い精神性をもっていると思う。逆にいえば精神的満足度の高さが重要であること。それが結果的に日本人の応用力の高さであり鑑識眼であり一億総表現者につながる。日本の生活にかえれ!とうたう人は近年特に多い。だが、骨の髄まで甘い汁を知った我々が今更自ら英米文化を捨てることこれは出来ない。であれば、英米文化を取り込んだ上で日本人の文化的背景に根ざした生活を模索するしかない。もともと日本人は器用なのだ。過去もそうしてきた。当然ながら時間はかかる。その為にも一度充分に日本の文化や生活社会様式を見直す時代が来る。現にそうした動きが多く始まっている。そしてそれらが充分にこなれた時、真の日本再生が始まるのだろう。
混沌とした時間はまだまだかかる。だが今から振り返って大正時代が面白かったように、混沌とした時代には面白いネタがいたるところに転がっている。大いに楽しもうじゃないか。
※IP電話はNTTのダウンからもわかるようにライフラインとしてはとても危険なツール。携帯も同じ。最も適しているのは相変わらず固定電話なんですな。
携帯電話は急速な進化で、ハイスペック化、高速通信化、コンテンツの充実、PCブラウザなどあり、昔からあった一般ユーザーのニーズはPCがなくても出来てしまう。その結果、自然淘汰的に携帯しか使わなくなっている状態が今の日本かと思いました。ここまで携帯におけるインフラが整っているは日本ぐらいだと思う。現に皆仕事ではパソコンの基本的操作や文章をうったりメールしたらブラウズしたりする。今では小学生低学年ですら出来る。故に普段携帯しか使わない=デジタルプアではないと考えます。普通の人がPCで使う能力はたかだかしれている。誰でも、いつでも、その気になれば出来るようなる。あとは専門職の領域であり、基本的には必要としない。Googleのような会社は特異点であって、常態化することはない。ゆえに、携帯オンリー=下流=下流スパイラルという図式は必ずしも当てはまらない。むしろ怖いのはその精神的背景だと感じます。
携帯電話しか使わない精神的背景にはメンドクサイからというのが大いにあると思う。実際、サラリーマンなら自宅になんらかのPCは所有しているケースがほとんどで、携帯がここまで来るまえまでメールとブラウザだけは使われていた。それが携帯で出来るようになると、PCを起動しその前に座って操作することそのものが必要でなくなる。それすらも面倒なのだ。PCはインテリアと化す。
少しそれるが、マックの日本シェアは凄まじいものがある。その理由を昔から不思議に思っていたが、結論として”使わないから”に帰結した。使われないPCはインテリアとしての価値が重要になる。日本でノートPCが売れるのはそれが理由だし、バイオが人気になったのもそれが理由だ。マックは実に絵になる。お客さんがきたら100%目にとまり、「おーマックだーイイナーカッコイイ!」と言われ、オーナーも気持ちがいい。まるっきりインテリア的感覚。仮に1年に数回しか使わなくても大満足であろう。事実、マッキントッシュクラッシクの故障品をインテリアとして日本人は買う。
両方使う私としてはとてもよくわかる。(中途半端なタイプなのでカッコよくないがw)デザインだけでなくマックの直感的な操作形態は日本人向きだし日々つかうならアッチがいいに決まっている。マックの問題は簡単だ、1.仕事でデータの共有化ができない 2.ソフトやハード、オプションが高価高い 3.対応している情報資源が少ない。ウィルスに感染しないという人もいるが、それは嘘だ。CMでもやっていたがあれは数字のマジックでしかない。使ってるユーザーが少ないOSに情熱を傾けてウィルスを開発する究極的暇人はほとんどいないってだけ。現にマック用ウィルスは存在しているし感染している人もいる。マックが開き直ってWindowsマシンを発売したら日本では圧倒的支持を得るだろう。今の構図はセガのDreamcastと同じだ。彼らは夢を捨てられない。
話しを戻そう。日本人の美徳は昔からコツコツとした努力と応用力、統率力にある。それは世界的にも支持されてきた。統率力は既に崩壊しかかっている。それに加え、コツコツさが無くなろうとしていることに背筋の寒いものを感じる。コツコツさを失ったら日本人には応用力しか残されていない。資源はない国だ。しかしこの応用力というのは、コツコツがあってこそ発現されるものだ。種をまかずに収穫することが不可能なように、コツコツさを失って応用力など発現するはずもない。もし生まれるとしたらそれはとても奇異なものでしかない。そして奇異なものはほんの一時注目を浴びることはあってもスグに忘れ去られる。これからの日本人は何で食べていけばいいのだろう。サラリーマンのあの膨大なストレスは何のためにあるのだろうか・・。
私も勤め人だった時はそれをいつも考えていました。誰のためのストレスなのか?自分のためだとしたら、自分は何が目的でこれほどのストレスを溜めているのか?昇進のため?違う。将来への独立のため?違う。親のため?違う。可愛い奥さんや子供を養うため我慢してる?いない。じゃ・・なんのため?いつもココで途切れ、意識を失うようにわずかな睡眠をとる。
ある日、ふともっと身近なモチベーションに気づく。給料分は最低限働かないと、というモチベーションであった。でないと会社は潰れる。(むしろ最低限では会社は潰れてしまうが)つまり、会社や誰かのお荷物にはなりたくなかった。更に言えば誰かの役に立ちたい。それは嬉しいことだ。そうか、俺は誰かの役に立ちたいのか。では、その為に人生破壊的なストレスをため死んでもいいのか。つまり、私は自らが望み今の今の仕事をし、今の状況になっている。それはつまり望むとおり、これで満足な死を迎えられるというわけだ。・・・そうなる。
満足?
この状況が?
この何一つ満たされない空虚な精神的肉体的状況がか?
ストレスと過労で悪化するアトピーに苦しみながら眠れずのたうっている私が?
満足なのか。
・・・いや、
それは違う。
その夜、
今の仕事が終わり、まだ立っていられたら会社を辞めようと決めた。
それまでは自分にとって胸をはれる仕事をしようと。それからの私は相変わらず酷くのたうっていたが、精神的にはやけに充実していた。上司や得意先からも「人が変わった」と評価された。心とは本当に不思議だ。身の内が充実していればそれは相手にもこうも伝わるのか・・。学ぶことが多い年となった。
他の皆は何のために膨大なストレスと戦っているのだろうか、そう頭をめぐらすことも多い。皆自分から選んで戦っている。何かのために。多くは気づいていない。意識している人は少なそうだ。私が知っている僅かな範疇でしかないが、他国の方々の考えは至極シンプルだ。より多くのお金のためか、成功のため、家族のため、この3つしかない。目を見張る給料を家族ためいとも簡単にすてる人もいれば、多くの家族を養うため命を削り意欲をもって働いている人もいる。そういった方たちを思うと今の我々はどうだろうか。なんとも漠然としている。漠然としていることは悪いことではないが、暗にマイナスイメージに支配された上で漠然としている。もう少し厳格にいえば漠然としていないということだ。マイナスイメージに支配されているのに、それに気づかない。今の日本は経済格差よりも精神格差の方が重大問題だと思う。一方では望む仕事をし、金銭、物、家族、肉体、精神にわたって充足している者と、真逆の層が広がっている気がする。半端に英米化された日本は今精神的にバランスを欠き、大きく揺れている。それに気づかない政府。そして国民。
そのせいか、最近バランスを欠いた日本人が多くなった気がする。明らかに収入より多い車を買う。払えるあてもないのに家を買う。借金まみれと泣きながら外食して高級食材に舌鼓をうつ。書道の世界でも同じだ。お金が充分あるわけでもないのに何十万もする硯を買おうとする。何万しかもっていないのに何万もする墨を買おうとする。ある中学生はiPodが欲しいと親にねだり4代目を買う。今の日本人は失った心のバランスや拠り所を今までの英米文化の方向性のまま物欲で補おうとしている。当然だ、それしか学んでこかなったから他の方法が思いつかない。
私が思うに日本人は極めて複雑で懐の深い精神性をもっていると思う。逆にいえば精神的満足度の高さが重要であること。それが結果的に日本人の応用力の高さであり鑑識眼であり一億総表現者につながる。日本の生活にかえれ!とうたう人は近年特に多い。だが、骨の髄まで甘い汁を知った我々が今更自ら英米文化を捨てることこれは出来ない。であれば、英米文化を取り込んだ上で日本人の文化的背景に根ざした生活を模索するしかない。もともと日本人は器用なのだ。過去もそうしてきた。当然ながら時間はかかる。その為にも一度充分に日本の文化や生活社会様式を見直す時代が来る。現にそうした動きが多く始まっている。そしてそれらが充分にこなれた時、真の日本再生が始まるのだろう。
混沌とした時間はまだまだかかる。だが今から振り返って大正時代が面白かったように、混沌とした時代には面白いネタがいたるところに転がっている。大いに楽しもうじゃないか。
※IP電話はNTTのダウンからもわかるようにライフラインとしてはとても危険なツール。携帯も同じ。最も適しているのは相変わらず固定電話なんですな。
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