アクプル?はて、冷たいデザートか。あれ冷やしたらコリコリして美味いんだよ~、と一人芝居していたら、韓国のネット用語と判明。
悪意あるコメント書きのことをさし、日本で言い換えれば荒しに相当するかな。自殺者がでるなど深刻な社会問題となっているよう。もともとあちらは攻撃性が高い国民性だから容易にアクプルに走りやすい土壌はあるのでしょうね。とはえい、日本も決して他人事ではない。何かって言えば炎上しているブログがあるぐらいだから。実際、学校裏サイトによる陰湿なイジメは大人の把握できない深刻な問題となっている。
このような事態が起こることは15年以上前から予測されていたことであった。が、これらを防ぐ有効な手段はいまだに実施されていないに思う。厳密には有効 な実施策のアイデアは常にあるが、それを行う膨大なカネと労力と相当数の反感が目にみえているから政府が旗を振らない限り無理な話なのだ。
最もリアリティーをもって叫ばれているのは、インターネット登録制だ。ただ、これでは爪が甘い。真剣に考えるなら全国民登録制にせざる終えないだろう。出 世時に国民IDキーを渡し、そのIDキーをもってのみインターネットに接続できる。しかも同時にそれはパソコンの起動にも使われるようにする。つまりID キーがないとネットはおろかパソコンを使うことすら出来ないようにする。恐らくそうなるだろう。
そうすればサイバー上の犯罪の多くは防ぐことが出来るし、アクプルを頻繁に行うアクプラーを特定するのも容易だ。ただ、便利さというのは同時に不便さを兼ね備えているもんで、このシステムは便利であると同時に、容易に犯罪にも転用されるということを意味する。
住基ネットが実施されるとき、おばかな役人は絶対安全を歌い文句に、TVでも連呼していたが、絶対安全なネットサービスなんぞ存在するはずがない。結局安全どころか何度も情報流出する始末。当時の責任者でてこいって話だ。
これらに立ち向かう方法は昔から3つしかない。
1.そのサービス一切を捨てるか、
2.そのサービスのために不便さ(ネット登録とキーによる起動)を享受するか、
3.悪意ある行動に毅然と立ち向かえるだけの教養と道徳そして意志力をもち、政府はそれらを支えるシステムを万全に整える。
これしかない。1を行える国民はいないだろう。いれば戦争なんて起こるはずがない。2.はいよいよ被害が深刻になり、3人に1人は毎日被害を受けるぐらいになれば皆諦めて享受せざるおえなくなるだろう。3.はこれほど被害が出るくらいだから逆説的に無理だろう。何せ教育が崩壊している。そして政府はそれほど国民のことを考えていない。ほんとは3が出来るくらい国民の質が高ければ言うこと無いのだが、やはり理想だ。
となると、結局は2.しかない。にも関わらず形ばかりの民主政治というのは厄介で、大衆の顔色みながら実施していくので社保庁問題のような自体になるわけだが、そうしたステップを通らないと当初の目的に到達することはない。つまりえらく時間がかかるのだ。その間にいる我々は膨大な被害者の一人となる。最初から肝をすえてやればいいのに、顔色みながら愛想ふりまいながら半端な意志と半端なシステムでやろうとするからああなる。恐らくこうした問題は一般の方が考えているより恐怖をもって深刻化するだろう。ヤレヤレだ。
個人が出来ることといえば、可能な範囲で防ぐ体制をとる。
そうした愚かな行為には加担しないということ。案外、自意識なく加担している人が多い。
悪意あるコメント書きのことをさし、日本で言い換えれば荒しに相当するかな。自殺者がでるなど深刻な社会問題となっているよう。もともとあちらは攻撃性が高い国民性だから容易にアクプルに走りやすい土壌はあるのでしょうね。とはえい、日本も決して他人事ではない。何かって言えば炎上しているブログがあるぐらいだから。実際、学校裏サイトによる陰湿なイジメは大人の把握できない深刻な問題となっている。
このような事態が起こることは15年以上前から予測されていたことであった。が、これらを防ぐ有効な手段はいまだに実施されていないに思う。厳密には有効 な実施策のアイデアは常にあるが、それを行う膨大なカネと労力と相当数の反感が目にみえているから政府が旗を振らない限り無理な話なのだ。
最もリアリティーをもって叫ばれているのは、インターネット登録制だ。ただ、これでは爪が甘い。真剣に考えるなら全国民登録制にせざる終えないだろう。出 世時に国民IDキーを渡し、そのIDキーをもってのみインターネットに接続できる。しかも同時にそれはパソコンの起動にも使われるようにする。つまりID キーがないとネットはおろかパソコンを使うことすら出来ないようにする。恐らくそうなるだろう。
そうすればサイバー上の犯罪の多くは防ぐことが出来るし、アクプルを頻繁に行うアクプラーを特定するのも容易だ。ただ、便利さというのは同時に不便さを兼ね備えているもんで、このシステムは便利であると同時に、容易に犯罪にも転用されるということを意味する。
住基ネットが実施されるとき、おばかな役人は絶対安全を歌い文句に、TVでも連呼していたが、絶対安全なネットサービスなんぞ存在するはずがない。結局安全どころか何度も情報流出する始末。当時の責任者でてこいって話だ。
これらに立ち向かう方法は昔から3つしかない。
1.そのサービス一切を捨てるか、
2.そのサービスのために不便さ(ネット登録とキーによる起動)を享受するか、
3.悪意ある行動に毅然と立ち向かえるだけの教養と道徳そして意志力をもち、政府はそれらを支えるシステムを万全に整える。
これしかない。1を行える国民はいないだろう。いれば戦争なんて起こるはずがない。2.はいよいよ被害が深刻になり、3人に1人は毎日被害を受けるぐらいになれば皆諦めて享受せざるおえなくなるだろう。3.はこれほど被害が出るくらいだから逆説的に無理だろう。何せ教育が崩壊している。そして政府はそれほど国民のことを考えていない。ほんとは3が出来るくらい国民の質が高ければ言うこと無いのだが、やはり理想だ。
となると、結局は2.しかない。にも関わらず形ばかりの民主政治というのは厄介で、大衆の顔色みながら実施していくので社保庁問題のような自体になるわけだが、そうしたステップを通らないと当初の目的に到達することはない。つまりえらく時間がかかるのだ。その間にいる我々は膨大な被害者の一人となる。最初から肝をすえてやればいいのに、顔色みながら愛想ふりまいながら半端な意志と半端なシステムでやろうとするからああなる。恐らくこうした問題は一般の方が考えているより恐怖をもって深刻化するだろう。ヤレヤレだ。
個人が出来ることといえば、可能な範囲で防ぐ体制をとる。
そうした愚かな行為には加担しないということ。案外、自意識なく加担している人が多い。
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