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ネット人生まっしぐら、アナログとデジタルの狭間にいきるドーラの雑記帳です。
05 / 10 Fri 11:03 ×
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02 / 19 Thu 19:26 #ドーラ ×
先日書いた件で改めて告知は難しいなーと実感する。
本人からすると地続きの変化であるからして、オオゴトには考えてない。というか、オオゴトであってもそれなりに体感があり受け入れているので、単に聞くがわとかなりのギャップがある。
生きているというのは常に変化しているので正直わからない。医者であれ、本人であれ。その上で最大限気をつけているのであれば後は委ねるしかないのだ。

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電話による精神的・肉体的負担

心配され電話がかかってくるわけだが、一人ひとりに状況を説明するのは本当にシンドイ。
これが逆にストレスになってくる。しかもこっちは頭が回らない状況で、相手の想いを汲み取りながら、それに対する答えを巡らせて言葉を発するというのは本当にストレスだ。
挙句に相手の心配事を聞かなければいかねいというコンボまで発生し、正直なところ、こっちは自分の頭のハエを追うので限界なんだから、そっちはそっちでやって欲しい (´・ω・`) と言いたいが、本当に弱り切ると、そういうやりとりをするエネルギーがないのだ。これは残念ながら健康に生まれた人はわからないようだが、やめてもらえるとありがたい。

電話で症状を聞くのなら

まず知ってそうな人に聞くべきだ。私はいつもそうしている。それで知らないのなら手当たり次第に知ってそうな人に聞いて誰も知らないようなら自分が聞いて質問は一切しない。ただ聞いて、その結果をさっきかけた人全員にかける。私はそうしてきた。というか、患者に負担をかけないのはそれが一番だと思う。

ただし、軽度な病なのに精神的に塞ぎこんでいる人の場合は別。特に女性に多いのだが。普段健康で来た人というのは逆に、軽微なくせ大袈裟に落ち込む人は少なくない。そういう人は寧ろ色々な人に自らの苦境を語りたいから別々に電話した方が喜ぶ。女性にとっては特に実際の病よりも精神的な落ち込みがかえって自らにダメージを与えていることの方が大きいので、女性が相手なら別個に書けたほうがいいかもしれない。

本当にダメなら気のない返事が返ってくるはずだ。心底ダメージを受けた人間はそんなこと出来ない。ただ健康に生まれた人ってのはこの感覚が全くわからないようだ。この溝は埋まらないものだと痛感する。

お見舞い

お見舞いの電話や実際に会う場合も考えた方がいい。よく女性で見舞いに言って、泣いたり、自らの苦境や、自分がいかに心配しているかアピールする人がいるが、患者からしたら迷惑以外のなんでもない。泣きたいのは患者だ。見舞う側が泣いたら患者はなけないのだ。ちょっとコンビニ行ってくる風な気軽な感じで来て、「どう?」で聞くだけ聞いて帰るのがいい。変に同情したり、根拠のない期待を仄めかしたり、未来を語るなのどは論外だ。

花と茶菓子

お見舞いに花や茶菓子は迷惑になることが多い。ゴミっていうのは捨てる必要があり、それを捨てるのは本人や家族、看護師になるのだが、これって結構負担なのだ。花も一輪挿しとまではいかないが、小さなものですぐポイっと捨てられるものにスべきだ。実際、病んでいると生きている花というのはかなり気晴らしになると感じる。でも、それを捨てるのが億劫で置いておくと無残に枯れ、今度は逆に精神的にアンダーになる。本来なら花を上げた本人が枯れる前に訪れ持って帰るのがベストだ。持って帰れないのなら辞めるべきだと思う。もしくは世話をしている人に一言添え「ゴミになって悪いけど」という配慮があるといい。

茶菓子もそうで、多くの場合 本人は医師に食べ物を管理されているので食べられないことも少なくない。なのに目の前に美味しそうな茶菓子がある。ハッキリいってこれは拷問だ。茶菓子は本人に上げるのであれば、食べられることを事前に確認することは最低限の思いやりであり、それが出来ないのなら何も持たない方がいい。むしろ、茶菓子は病人の世話をしてくれている担当の看護師やそのグループにコソっとするものだ。本人に「上げといたから」というのは無粋の極みで、また関係のない看護師にやるのも意味がない。担当看護師は変わるので今の看護師に渡し、過去の担当にもよろしくと添えるのがベストだろう。人間 気の問題で、たったコレだけでもかなり違う。

ただ、この際に安モノを上げると逆効果で、患者周辺の人間の裏側が見えてしまう。

「この程度のものでよろしく・・・( ゚д゚ )え?」

となるのも人間だ。値段があまり出せないのであれば普段は入手出来ないレア菓子等を労力を出して購入し行動で見せるだけでも違う。その際にも「これ入手するのた大変だったんだよね」とか自慢はやめよう。いやらしいだけである。

ようは花や茶菓子は下手にやるものじゃない。

本来、患者も看護師も何かをもらうためにそうなっているわけじゃないのだから。それよりむしろ身一つ様子みに行き、ただただ、話を聞き、相手が「これが欲しい」と言ったらそれを次回用意する。それだけで患者はどれだけ救われるか。そうした機会がある人は一度考えた方がいい。

普段通りが一番である

長い病の経験から言わせて貰えば、変に心配したり、変に戯けたり、変に励ましたりは害毒だ。昨日も電話で「落ち込んでいるようだね。そんなに心配しなくても大丈夫だよ。治そうって気概は大切だから」とこっちが草臥れて頭が回らなくてうまくいえないのを良いことに勝手にこっちの精神状態を決めつけて言われると「はぁ!?何いってんの、あんた神様かよ?」って心境になる。ま、心身に余裕がないのでイライラするのだ。

患者に電話をかける時は見舞いと同じで、「どう?」って聞いてから、後は相手に一方的に話させて、「うんうん、わかった。何か必要なものある?うん、うん、お大事に」で終わる方が負担がない。「こうすればいい」とか「ああすればいいとか」聞きかじった程度のことを披露するのは論外もいいところ。それは一段落し相手に余裕が出来てからの話だ。こういう場合、相手に聞いてもらえたという安心感と、少なからず自分の身を案じている人がいるという感覚だけが残り、いざという時にかなり違う。ストレスの発散にもなるし。

まーとにかく患者に負担をかける人が多いので、やめてって話ですw

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