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ネット人生まっしぐら、アナログとデジタルの狭間にいきるドーラの雑記帳です。
05 / 14 Tue 03:32 ×
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02 / 13 Fri 19:07 #ドーラ ×
改めて田村玲子という寄生獣像を見るとかなり自分と類似点が多いと気付かされる。
無意識に影響を受けたのだろうか?

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実際、原作当時ものすごいショックを受けた作品だ。
カナのシーンでは一ヶ月悶々とし、
(どうしてカナが死ななければいけなかったか受け入れられなかった。今思うと世の無常を感ていたのだろう。純粋とも若さゆえとも言える)

今回のシーンでも数ヶ月悶々としては、思い出すと不意に涙が出てしまい、裏に隠れては泣いていた。
当時の私は人間の行為で最も難解で看過し難い現象は戦争だった。
(原発もそうだったが後に人間は欲望の前では異常者になれると一定の理解はした)
それこそ眠れない日もあった。
田村じゃないが、「一つの疑問が解決すれば、また一つの疑問が生まれる」という状態で。
一つならいいが、疑問の方が鰻登りに増えていく。

そんな私に田村玲子の行動は更なる理解と混乱を生み出す。
彼女の行動は、わかるのだが、わからないのだ。
私は一人会議を連日続けては文献を読み。
「違うわ!フ○ック!」と頭を抱えた。

それとなく同級生や大人にも話を振った。
ところが相手は ( ゚д゚)←こんな顔で
「こりゃアカン、話す以前の状態だ」と諦めざるおえなかった。
田村玲子じゃないが、
こういう人間は結果的に精神的には孤立を深める。
理解者は早々いないのだ。
同級生といえば
毎日 誰が可愛いだパイオツカイデーとか言っている。
気分が悪い時は彼らがまるっきり猿のように見えた時もあった。(本当は寧ろそれが健全だがw)

方やこっちは
「人間とはなんだ?
 死とはなんだ?
 書物を読む人間がなぜ戦争するんだ?」

と悶々としてる。話が合うわけじゃない。

大人はといえば
「金、金、金」か
「仕事、仕事、仕事」
「勉強しろ、勉強しろ、勉強しろ」
と、まるで某新興宗教と変わりがない。
自分の頭の上のハエを追うので精一杯で、
二言目には「そんなことを考えて何になる?!それより勉強しろ」と吠える。

私にとって寄生獣を始めとした漫画は生きる教科書であり

一石を投じる叡智だったに思う。
田村玲子が赤さんや新一と共に生きたらどう落とし前つけるのか?
そう考えると夜も眠れなかった。
「頼む教えてくれ!疑問で俺の頭はバーンしてしまう」と一人悶えていた。

私はかなり冷静に見えるようで予てからそれを色々な人が指摘されてきた。

事故に巻き込まれたこともあったが外見上パニックになったことはなかったようで、
先輩や恩師からも「感情を表に出せ!!」と怒鳴られたことがある。
別な恩師には「己の弱さに頑なに閉じこもっている臆病者にし見えない」とホテルのラウンジで罵声を浴びせられたこともある。
「私は貴方ほど冷静にはいられない!」とも。
「頭だけで生きているわけじゃないでしょ」とか。
「ポーカーフェイスを気取りやがって!!」とか、ありとあらゆる罵声を受けた。

近年になってようやく理解したが動揺して見えないようだ。

自分の中ではキッチリ動揺している。(;´∀`)だって人間だもの
今思うと田村玲子の反応が実に的を射ている。
自分が「あ、死んだかも」と思う瞬間を事故等も含めて何度か経験した際も驚くほど何もなかったのを思い出した。
「ああ、そうか」
という感じであった。
ジリジリとなぶられるように病が侵食した時も、
「そろそろ遺書らしきモノを書いた方が良さそうだな」
ぐらいにしか思えず、それ以上でも以下でもなかった。
駄目なものは駄目。
パニックになっても解決はしない。
そういう感覚が小学生の頃からあった。
ただ、これは自分自身のことにのみ限られる。

他人は別だ。

自分ではどうにも出来ない。
床に臥せった人に対して健康な人がしてあげられることは実のところほとんどない。
倒れた人を前に泣く必要はない。
辛いのは本人だ。
テメーの辛さをもっと辛い人に押し付けて何になると私はずっと思ってきた。
だから深呼吸をし出来るだけ普通に普段通りに顔を見せるよう努力した。

兄弟が倒れた時、クソ忙しくて睡眠障害を患ってすらいたが、心配だった。
無力さを痛感した。「何故きづいて上げられなかったのか」と責めた。
「こんなクソ溜めみたいな仕事をしている間にもっと出来ることがあるはずだ」と営業中壊れかけた脳みそで考えた。毎週末に見舞いに行き、
「これがあると便利そうだ」とか、
「こういうことが好きだったから身近にあると安心するかも」と思っては、
毎週のように可能な限り届けた。

田村玲子じゃないが自分のことは「ああ、そうか」で済む。
でも他人事となるとそれでは済まない。
何をどうやっても悔いが残る。どう転んでも悔いしかない。
だから新一が泣けないのも、泣いたのも痛いほどわかる。
最後に出来ることは受け入れるしかない。
結局は自己防衛なのだ。
救われたいのは自分である。
幸いにも兄弟は生還し私は生かされた証として退社することにした。

理解を促せば遠ざかる

これまで生きてなるべく理解してもらった方が何かと面倒がないと思って生きてきた。
小学生の時は無口で感覚的に対話をする子だったが、
それだと何かと不自由があると悟り
なるべくない頭を総動員し喋るよう努力した。
更に、理論的じゃないと受け入れられないと知り、
理論的に話すように努力した。
感情がないと人は理論では受け入れらないと気づき、
感情をベースに話すようにした。
全ては相互理解のためだった。生きやすくする為であり、社会に受け入れてもらう為だったのだろう。
私は質問魔だがそれは理解するためには相手を知ることが大切であるとその過程で感じたからに由来している。
その結果、
「殻に閉じこもっている、ポーカーフェイス、心で対話せよ」と罵声をあらゆる人から受けた。
私はその都度、人に罵声を浴びせる前にテメーのことを考えろと思っていたが、一方では彼らの言うことはある意味では最もだとも理解していた。何故か自分でも違和感を感じていた。何かがおかしい。

何か私は決定的な人の道を踏み外している。

そういう心当たりがあった。
田村玲子の言動はよくわかる。
私は自らの人生において”テレパシスト”であると疑われたことがある。
彼女らは大真面目だった。
今思えば私はそういう人間だったのだろう。テレパシストではなく、ようは感性の機微を感じるある種の才能がある程度あった。そして、そうした人は驚くほど少ない。同類にあって初めて理解した。今にして思えば私は表現者の道へ進むべきだったのだ。

唯一に絶対の存在

私の中では唯一無二の存在がいる。
もう他界されたが。
彼女はけして崇高な存在ではなかった。
飛び抜けて優秀な存在でもない。
ただ、私をただ受け入れてくれた唯一の存在だ。
自分でも長く疑問だった。
何故 私はあそこまで彼女に固執するのか。
どうして2時間もかけ這ってでも彼女に会いに行くのか。

この年になり恩師との対話を通し理解する。

彼女はただ受けれいたからだ。
私が訪れることをただ喜び。
不安な目を向けることもなく、
心配することもなく、
やれ○○をヤレと指図することもなく、
ただ、
ただ、喜び、
受けれいた。
人はたったそれだけで、
救われ、
居場所を見いだせる。

だから、田村玲子が新一に「うらやましい・・・」と言ったのがよくわかる。
彼には受け入れてくれる人がいた。
母と父、そして彼女。
彼女は少なからずの抵抗をみせていたが彼女の本心が彼を許容しているのを新一は感じていたのだろうと推測する。それだけで人は生きていける。満たされる。そう思える相手がいるだけで。

だが、私に限らず誰しも思ったより残り時間は多くないかもしれない。

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