叔父さんが帰った。
色々考えさせれる。
私は歳差の離れている人と話すのが娯楽というほど好きである。
同程度の人と話しても感覚ズレが大差ないが、上と下、特に離れているほど落差があり面白い。
同じ日本に生きているとは思えないほど背景が違う。
私は3歳児並に好奇心だけは人一倍ある。
3歳児ぐらいといったら24時間「これナニ?」「それどういう意味?」と延々と質問してくる。
大概の大人ならブチギレたり、誤魔化しに入るが、私は他人の子であるし、幼児が何に興味をもっているか興味があるので丹念に答えてしまうほうだ。
「適当に相手して」
と奥さんに言われることもシバシバだが、何せこっちも興味があるのでついお付き合いしてしまう。肉体のエネルギーには限界があるため、ヘトヘトになることもしばしばだった。
上でも同じだ。聞きたいことは山ほどあり、体力さえ無尽蔵なら24時間ぐらい余裕で聞いていられる。実際は体力が数時間で尽きてしまうため断念する。相手も疲れてくるしね。
異性に対してもそうである。男の性は、当然男である以上は概ね感覚的に理解できるが、女性という存在は全くの異性人といってもいいだろう。分類として同じ人間であるというだけであって、実際相当な部分が異なる。嘗ては、赤裸々トーク大好きな友人がいたので、かなり質問しまくった。元来女性は男以上にコノ手の話が好きである。男の精力なんて、ぶっちゃけ女性の精力からしたから赤子の手を捻るほどのものでしかない。なかなか女性はそれを把握、理解出きる人は少ないが事実そうであろう。色々な医学本を読んでも話を聞いても明白な事実である。
私は3歳児並の好奇心をもって次から次へと知りたがる。自分でもなぜこうも好奇心だけは衰えないのか理解できない。コノ歳になり、どうやら自分にない感覚の切っ先を実感できたときの感動、喜びときたらそれはもーエクスタシーw だからなのだろう。事実、他人の体験談ほど最高の娯楽はないと思うw それが感覚的にビビっときたらもーキタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!みたいなものだ。故に私は他人の同じ話を何十回でも聞ける。これが興味なくなったら俺は墓場へ入るころだろうな。
さて、ディープな話なので
お嬢様方はご退席下さい。
え?
聞きたいの・・・・
あんたも好きねーw
いや、好きで結構メリケン粉である。
好きこそものの上手なれ。
好奇心こそ生きる原動力の一つ。
ささ、こちらへ。
話の流れで
「子供作らない?」
といわれたことがある。
「結婚はもう面倒だからしたくないけど、子供は可愛いわよ。産んであげようか」
というようなことを言われた。
「作ったら?」と友人の奥さんがたも悪乗り。
「結婚はほんとウンザリだけど、子供は絶対いたほうがいいよ」と笑顔ではやし立てる。
女とは恐ろしい生き物だ。
冗談でもそんなことは到底いえなないぞ・・・もとい。「いわせねーよ」(by我が家)
まるっきりAVのような会話に突然投入される俺w
これでいったらまるっきりAVそのものだが、そうならないのは現実である。
「もー冗談やめてくださいよ」
驚いたが、半ば冗談であるものの3割程度は本気だったようだ。
俺が精力絶倫男であれば、
タイガーのようにカップがあればヒーハー!なら昼ドラ状態な可能性もあったようだ。
ヒー!
その方は私にとって姉のような人なので到底そんな気おこしたこともない。
ぶっちゃけ、それほど俺は精力がないのだwww 起きているだけで精一杯。それが現実である。
叔父さんの話は実に興味深かった。
老いとはどういうことか、セカンドインパクトがイツ来るか、サードインパクトがいつ来るか理解、把握が出来て実に有意義であった。インパクトに備えて、俺のエバンゲリオン(肉体)を準備しておかねばならないだろう。それでも老いは確実にやってくるだろうが、準備があるかないかではその肉体的精神的衝撃は全く違うものとなるだろう。少年老い易く学成り難し!!ヒーハー!!昨年から歯茎マッサージをしだしたのもそれが理由である。
血はこえーぜマジで。
遺伝はこえーよ。
叔父さんや両親の話から震え上がるほどに実感した。
まるで今の俺はコピー君そのものの歩みである。過去の血縁の人生をブレンドしたらこうなったw 的なものであり全くもってブレがない。
血縁コエーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!
ベースの全ては過去の血縁者に全て当てはまるのだ。皆も血縁者、親戚の人が今どうなっているか、過去どーであったか根堀葉堀きくことはとても勉強になるぞい!!似て非なるものなので、悲観したり喜んだりする必要はない。ベースを知りそれをどういかせるかにかかっているのは自分なのだからね。ベースを知らずにやるのと知って対処するでは大違いである。
血縁者に、糖尿に亡くなった人がおったり糖尿の人が数人いたりと、まさにイッツア糖尿家系www ということが判明した。つまり親父が糖尿になったのはなんら不思議でなく、俺が糖尿になる可能性がない家系より高いのは間違いようがない。つまりそういう食嗜好があるというわけだ。思い当たる節ありまくりw 今でこそ肉体が肉体なもんだから自制しココまできたが、リミッターをきればそうなっていたであろう。こえーよママンw
精力に関してもそうだ。
うちの父、叔父さん、家系をみると、どう考えても精力がないwwwwww 明白である。疑いようがない。
俺がないのも当然だ。逆に俺に精力があったらと思うと。。。むーん。
というのも、師匠に「ドラちゃんは本質的にはかなりの女好きなんだよ」と言われ「へ?」となったことがある。俺ほどストイックな男はそうそういないぞ!と思っていたが、女好きとストイックは別物であるようだw
親に話をしたら・・・嘗て親戚にヒモのような生活を送る人がおり、そのまま幕と閉じていると聞かされ「ひーw」となった。やはり俺にはそういう部分がなくもないのだ。実際・・・わかるような気がする・・・。
何回も書いているが、女性は男の精を誤解している。誤解というか、敢えて理解しようとしていないとも思える。それが女性的とでもいいたげでさえある。まぁ、男ですらそうなのだから仕方がないとおも思えるが、ぶりっ子は心のブスである。さりとてスレた振りはもっと可愛いげがない。あるがままでいいのだ。あるがままが美を産む。自然が美であるように。作為は醜悪でしかない。
叔父さんと話すと、戦後までの日本人の男子がいかにやり捲くってたが伺えるw 逆に言えば、それだけヤレタのだ。いや、マジで。やれない自分を感じる。昨夜も「昔温泉いくっていったら、呼んでヤルのが当たり前だった」という話を聞いた。「ホーホーホー」と私。(梟かw)
80何がしの患者さんから聞いた話を語ってくれた。温泉で3人で行き、じゃんけんする。勝ったヤツから選択権があったようだw 昔は今みたいにキャンセルというシステムはないし、そんな失礼なことはしなかったらしい。その話の人は負けてしまい余りといっては失礼だが、選べなかった。相手は50代の女性。その辺は当時の日本人男性は諦めが凄い。「しゃーない」で済む。俺ならタタないだろうw 立つのだから、その時点で尊敬に値する。だが、彼は速かった。出るのが。ここからが凄い。
「あなた、そんなのでどうするの?!」
と50代の女性は彼をマッパダカのまま風呂場へ連れて行きナニを鍛錬させる。こうすれば精力が持続できる、こうすれば鍛えられると彼女に彼は教えてもらったようだ。感動した彼は、その後も毎週末足しげく彼女の元を通い、ナニの鍛錬と精力UPの方法を伝授され後に中小企業の社長となる。本人曰くなので誇張もたぶんにあるだろうが、給料の7割を注いだらしい。しかも・・・2、3年通い続けたそうな。かくして、彼は
「ギンギンだぜーべいべー!!」
となり、太鼓が叩けるほどになったそうな。彼のナニで太鼓を叩く・・・。客は大喜びだったそうで、それで随分仕事をとったといっていたそうな。
まるで日本昔話のようだw
だが、実際こういう話には枚挙に暇がないほどあるので事実なのだろう。彼はナニで太鼓を叩くのが目標ではなかったが、ナニを鍛え、精力を挙げることで仕事に打ち込み、まさに精を出し、アッチの生活も充実していったのだろうと予測される。昔の日本人ビジネスマンはそこまでして精力UPに勤めたようだ。実際老いてくるとわかるが、精力が著しくなくなると同時に、仕事にたいする能力も低下していく自分を肌で感じる。体力と精力は男にとって最も重要な糧であり、エネルギー源である。女性は身体にもともとソレがあるので意識しないだろうが、男は文字通り精を出してしまうので資源が自ずと枯渇するように出来ている。これは医学的にも根拠があることのようだ。女性が長生きなのは当然なのである。内燃機関をもっているわけだからね。男は外から栄養を取り込みつつナニを鍛錬しないとあっという間に枯渇してしまうのだ。
だからタイガーは凄い。
あれほどのゴルフをして、毎日鍛錬をかかさず数人とアレをしてナニをするわけだから精力が既に一流なのだ。これは事実過去の天才というのは往々にして精力家であった。湧き水がごとき精力を誇り、その湧き上がる精力で偉大な仕事をし、女性を転々とする。溢れすぎて制御できない人は頭おかしくなったり。いずれにせよ、男にとっての価値は今も昔も精力というのは大きいかもしれない。全てと言ってもいい。
俺なんかこの年齢で片足墓場に突っ込んだまま歩いているようなものなので切実に思う。
実に愉快な話であった。
色々考えさせれる。
私は歳差の離れている人と話すのが娯楽というほど好きである。
同程度の人と話しても感覚ズレが大差ないが、上と下、特に離れているほど落差があり面白い。
同じ日本に生きているとは思えないほど背景が違う。
私は3歳児並に好奇心だけは人一倍ある。
3歳児ぐらいといったら24時間「これナニ?」「それどういう意味?」と延々と質問してくる。
大概の大人ならブチギレたり、誤魔化しに入るが、私は他人の子であるし、幼児が何に興味をもっているか興味があるので丹念に答えてしまうほうだ。
「適当に相手して」
と奥さんに言われることもシバシバだが、何せこっちも興味があるのでついお付き合いしてしまう。肉体のエネルギーには限界があるため、ヘトヘトになることもしばしばだった。
上でも同じだ。聞きたいことは山ほどあり、体力さえ無尽蔵なら24時間ぐらい余裕で聞いていられる。実際は体力が数時間で尽きてしまうため断念する。相手も疲れてくるしね。
異性に対してもそうである。男の性は、当然男である以上は概ね感覚的に理解できるが、女性という存在は全くの異性人といってもいいだろう。分類として同じ人間であるというだけであって、実際相当な部分が異なる。嘗ては、赤裸々トーク大好きな友人がいたので、かなり質問しまくった。元来女性は男以上にコノ手の話が好きである。男の精力なんて、ぶっちゃけ女性の精力からしたから赤子の手を捻るほどのものでしかない。なかなか女性はそれを把握、理解出きる人は少ないが事実そうであろう。色々な医学本を読んでも話を聞いても明白な事実である。
私は3歳児並の好奇心をもって次から次へと知りたがる。自分でもなぜこうも好奇心だけは衰えないのか理解できない。コノ歳になり、どうやら自分にない感覚の切っ先を実感できたときの感動、喜びときたらそれはもーエクスタシーw だからなのだろう。事実、他人の体験談ほど最高の娯楽はないと思うw それが感覚的にビビっときたらもーキタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!みたいなものだ。故に私は他人の同じ話を何十回でも聞ける。これが興味なくなったら俺は墓場へ入るころだろうな。
さて、ディープな話なので
お嬢様方はご退席下さい。
え?
聞きたいの・・・・
あんたも好きねーw
いや、好きで結構メリケン粉である。
好きこそものの上手なれ。
好奇心こそ生きる原動力の一つ。
ささ、こちらへ。
話の流れで
「子供作らない?」
といわれたことがある。
「結婚はもう面倒だからしたくないけど、子供は可愛いわよ。産んであげようか」
というようなことを言われた。
「作ったら?」と友人の奥さんがたも悪乗り。
「結婚はほんとウンザリだけど、子供は絶対いたほうがいいよ」と笑顔ではやし立てる。
女とは恐ろしい生き物だ。
冗談でもそんなことは到底いえなないぞ・・・もとい。「いわせねーよ」(by我が家)
まるっきりAVのような会話に突然投入される俺w
これでいったらまるっきりAVそのものだが、そうならないのは現実である。
「もー冗談やめてくださいよ」
驚いたが、半ば冗談であるものの3割程度は本気だったようだ。
俺が精力絶倫男であれば、
タイガーのようにカップがあればヒーハー!なら昼ドラ状態な可能性もあったようだ。
ヒー!
その方は私にとって姉のような人なので到底そんな気おこしたこともない。
ぶっちゃけ、それほど俺は精力がないのだwww 起きているだけで精一杯。それが現実である。
叔父さんの話は実に興味深かった。
老いとはどういうことか、セカンドインパクトがイツ来るか、サードインパクトがいつ来るか理解、把握が出来て実に有意義であった。インパクトに備えて、俺のエバンゲリオン(肉体)を準備しておかねばならないだろう。それでも老いは確実にやってくるだろうが、準備があるかないかではその肉体的精神的衝撃は全く違うものとなるだろう。少年老い易く学成り難し!!ヒーハー!!昨年から歯茎マッサージをしだしたのもそれが理由である。
血はこえーぜマジで。
遺伝はこえーよ。
叔父さんや両親の話から震え上がるほどに実感した。
まるで今の俺はコピー君そのものの歩みである。過去の血縁の人生をブレンドしたらこうなったw 的なものであり全くもってブレがない。
血縁コエーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!
ベースの全ては過去の血縁者に全て当てはまるのだ。皆も血縁者、親戚の人が今どうなっているか、過去どーであったか根堀葉堀きくことはとても勉強になるぞい!!似て非なるものなので、悲観したり喜んだりする必要はない。ベースを知りそれをどういかせるかにかかっているのは自分なのだからね。ベースを知らずにやるのと知って対処するでは大違いである。
血縁者に、糖尿に亡くなった人がおったり糖尿の人が数人いたりと、まさにイッツア糖尿家系www ということが判明した。つまり親父が糖尿になったのはなんら不思議でなく、俺が糖尿になる可能性がない家系より高いのは間違いようがない。つまりそういう食嗜好があるというわけだ。思い当たる節ありまくりw 今でこそ肉体が肉体なもんだから自制しココまできたが、リミッターをきればそうなっていたであろう。こえーよママンw
精力に関してもそうだ。
うちの父、叔父さん、家系をみると、どう考えても精力がないwwwwww 明白である。疑いようがない。
俺がないのも当然だ。逆に俺に精力があったらと思うと。。。むーん。
というのも、師匠に「ドラちゃんは本質的にはかなりの女好きなんだよ」と言われ「へ?」となったことがある。俺ほどストイックな男はそうそういないぞ!と思っていたが、女好きとストイックは別物であるようだw
親に話をしたら・・・嘗て親戚にヒモのような生活を送る人がおり、そのまま幕と閉じていると聞かされ「ひーw」となった。やはり俺にはそういう部分がなくもないのだ。実際・・・わかるような気がする・・・。
何回も書いているが、女性は男の精を誤解している。誤解というか、敢えて理解しようとしていないとも思える。それが女性的とでもいいたげでさえある。まぁ、男ですらそうなのだから仕方がないとおも思えるが、ぶりっ子は心のブスである。さりとてスレた振りはもっと可愛いげがない。あるがままでいいのだ。あるがままが美を産む。自然が美であるように。作為は醜悪でしかない。
叔父さんと話すと、戦後までの日本人の男子がいかにやり捲くってたが伺えるw 逆に言えば、それだけヤレタのだ。いや、マジで。やれない自分を感じる。昨夜も「昔温泉いくっていったら、呼んでヤルのが当たり前だった」という話を聞いた。「ホーホーホー」と私。(梟かw)
80何がしの患者さんから聞いた話を語ってくれた。温泉で3人で行き、じゃんけんする。勝ったヤツから選択権があったようだw 昔は今みたいにキャンセルというシステムはないし、そんな失礼なことはしなかったらしい。その話の人は負けてしまい余りといっては失礼だが、選べなかった。相手は50代の女性。その辺は当時の日本人男性は諦めが凄い。「しゃーない」で済む。俺ならタタないだろうw 立つのだから、その時点で尊敬に値する。だが、彼は速かった。出るのが。ここからが凄い。
「あなた、そんなのでどうするの?!」
と50代の女性は彼をマッパダカのまま風呂場へ連れて行きナニを鍛錬させる。こうすれば精力が持続できる、こうすれば鍛えられると彼女に彼は教えてもらったようだ。感動した彼は、その後も毎週末足しげく彼女の元を通い、ナニの鍛錬と精力UPの方法を伝授され後に中小企業の社長となる。本人曰くなので誇張もたぶんにあるだろうが、給料の7割を注いだらしい。しかも・・・2、3年通い続けたそうな。かくして、彼は
「ギンギンだぜーべいべー!!」
となり、太鼓が叩けるほどになったそうな。彼のナニで太鼓を叩く・・・。客は大喜びだったそうで、それで随分仕事をとったといっていたそうな。
まるで日本昔話のようだw
だが、実際こういう話には枚挙に暇がないほどあるので事実なのだろう。彼はナニで太鼓を叩くのが目標ではなかったが、ナニを鍛え、精力を挙げることで仕事に打ち込み、まさに精を出し、アッチの生活も充実していったのだろうと予測される。昔の日本人ビジネスマンはそこまでして精力UPに勤めたようだ。実際老いてくるとわかるが、精力が著しくなくなると同時に、仕事にたいする能力も低下していく自分を肌で感じる。体力と精力は男にとって最も重要な糧であり、エネルギー源である。女性は身体にもともとソレがあるので意識しないだろうが、男は文字通り精を出してしまうので資源が自ずと枯渇するように出来ている。これは医学的にも根拠があることのようだ。女性が長生きなのは当然なのである。内燃機関をもっているわけだからね。男は外から栄養を取り込みつつナニを鍛錬しないとあっという間に枯渇してしまうのだ。
だからタイガーは凄い。
あれほどのゴルフをして、毎日鍛錬をかかさず数人とアレをしてナニをするわけだから精力が既に一流なのだ。これは事実過去の天才というのは往々にして精力家であった。湧き水がごとき精力を誇り、その湧き上がる精力で偉大な仕事をし、女性を転々とする。溢れすぎて制御できない人は頭おかしくなったり。いずれにせよ、男にとっての価値は今も昔も精力というのは大きいかもしれない。全てと言ってもいい。
俺なんかこの年齢で片足墓場に突っ込んだまま歩いているようなものなので切実に思う。
実に愉快な話であった。
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