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ネット人生まっしぐら、アナログとデジタルの狭間にいきるドーラの雑記帳です。
11 / 27 Wed 00:34 ×
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03 / 07 Sat 16:42 #ドーラ ×
考えてみると何も感想らしきものを書いていなかった。
私にとっては原作時に全て終わっているので感想等頭になかった。
これぞ神展開だ!
しかも「そうか」と納得させられる。
アニメはやや描ききれていないが漫画で見ると彼の絶望や恐怖は実感する。
某ギャグマンガでこういうワタシ的名言がある。
「男の悩みのほとんどはいい女とのセックスで解決する」
「女の悩みのほとんど全て金で解決する」
というものだ。これは真理に思う。勿論、解決しえない崇高さもあるがそれは稀だ。
私がライトノベル作家なら、これを源流にエロ系のが書けそうだ。
バカバカしくて書かないけど。
このギャグは実にくだらなさそうだけど、それは脳構造の違いを覿面に表している言葉でもある。
なので仕方がないのだ。人間とは所詮そんな程度な存在であり、それでいいのだ。

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広川論争

海外のコメントを読むと実に面白い。
大半は広川発言に対する人類の意義に関するコメントに終始している。
広川に好意的な人間が多い。
しかし面白いのは、
「広川をもってしても結局は人間からの視点にすぎなかった」といったものだ。
なるほど!!と鼓を打った。
これを読むまでは全くそうした視点がなかった。
確かにそうだ。
広川の視点は結局のところ人間視点なのだ。目からウロコだ。

寄生獣と人間

ゴトーが「単なる野生生物だよ」と山岸にいったのが実に面白い。
ある意味では広川にしても人間は
「自分からの視点と、狭い視野、知能レベルで屁理屈を言っている程度に過ぎない」とも言える。
これは実際にそうで、人は所詮自分の才能と教養の高さでしか世界は見えないのだ。
これはどうしようもない。それは裏を返せば、人間そのものが所詮単なる一生物に過ぎないのだからおこがましいとも言える。いや、所詮は単なるお遊びなのだろう。
そういう意味ではゴトーが「俺にとって生きることとは今は戦いだ」というのは純粋だ。
そう考えると余計に田宮の存在が本当に悔やまれる。
彼女だけがその考えることの下らなさを知りつつも一方では面白がり俯瞰した視点で生命というものを見ていた。その存在は稀有だ!!しかし、稀有であるがゆえに、広川にも、新一にも、ミギーにも理解は出来ないだろう。そうした存在は生きていけないのだ。

結局は大衆が世界を作る

昔から言われていることに大衆が愚かだと国は滅びる。
今の日本にしてもそうだ。結局はああいう内閣を支持しているような人は後先なんて考えていない。今の自分にとって利益であれば死の灰がまかれようが関係ない程度の人が多いという点にある。だから国のとトップは古今東西とも国民を愚かにする努力は怠らない。ただし、結果的に国民が愚かになれば国は衰退するので自分の首をしめることになるのだが、国家元首というの存在も結局は自分の今の利益しか考えていないからそうなる。つまり周りまわって愚かといことになるのだ。

神の見えざる手

これは一握りの優れた人間で世界は変わらないとも言い換えられる。
どうあれ大衆が作るのだ。そしてそれはコントロール出来ない。海外のコメントで半分意外だったのは、リーマンショックや福島を経験したにも関わらず未だに「神の見えざる手」が働くと信じている点だ。ある意味では信仰心故の思考停止にも思える。

いやそれは私の誤解かもしれない。彼らが意図しているかはわからないが、本当の意味での 神の見えざる手 いうのは究極的には働くだろう。しかし、その前提に人間の幸福や人類の存続は含まれていないことを念頭に置く必要がある。宇宙からみたら地球すら太陽系すら小さい。ましてや人類などは赤子に等しい種であるだろう。

その点で言っているのなら働くだろうが、それを前提とするということは自暴自棄と同じに思える。働かないということを前提に人類が崩壊しないよう知恵を働かせ、結果的に働くのと、最初から「最終的にはどうにかなるな」的な部分で好き勝手にやるのでは崇高さにおいて大きく差がでる。

男と女

自分がちょっと死ぬかもしれないとなった時、なるほど一人ってのは色々な意味で人生を損している点はあるなと感じた。女性はその脳的役割から細かい所に気付くし、気づいたらほおっておけない。それが故に救われた命というのが案外多いことに気付かされた。村野みたいに本当に心を委ねた彼女や奥さんがいれば、彼女らが異変に気づき行動をうつしてくれただろう。男はその辺どうしても「寝てれば治る」とか「大したことない」で済ます傾向がある。私なんか典型だ。私は細かい人間だと思われがちだが、その根幹は楽観的で雑な人間であることは自覚するところだ。

こうして考えると田村の「あまりいじめるな」が胸にしみる。そうだ男と女も助けあう存在。自然の生命体も寄生獣も助けあう存在。ただ、一度直接的に牙をむいたら、その時に立ち向かえばいいだけであって、何も一掃したりする必要はないのだ。人間はつい頭で考え極端に走る。それが最も危険だ。あまりいじめるな・・・か・・・今考えると本当にしみる。少々のミスや言葉のやりとりでカッカすることもないのだ。でも感情は別だからwカッカしたらカッカしたでその瞬間はカッカしていいんだ。

アニメ化に感謝

どうあれ、ある意味では皆が好きなようにジタバタするしかないのだろう。自暴自棄にジタバタするのか、崇高さをもってジタバタするのかで色々変わってはくるだろうが。極論を言えば、大差ないのだ。おのが心の赴くままである。

寄生獣はそんなことをも考えさせてくれる。これは当時の自分には考えられなかった。私は当時、広川こそ人類に必要なんじゃなかろうか?いや待てよ何かそれは違う。と、長いこと自問自答していたように思う。だから私は当時としては異例の分別ゴミとかやり親に「あなた一人がこんなことをしても無駄だ」と言われた。その親が今では必死に分別しているから実に滑稽だ。そして今思うと分別ゴミすら俯瞰すると滑稽なのだ。傲慢ですらある。こうして改めて今の感性で考えさせてくれたのはアニメ化されネットよって海外のコメント等が閲覧出来る環境だからこそだろう。だから本当にこのアニメ化には感謝したい。

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