エンディングに向け色々と気配を感じる回。
今まで出てきた様々な登場人物かちょいと顔を見せ、新しい人物がそれに解説を加える。
本当にこのアニメは大好きだ。素晴らしい。情熱が込められた作品というのは何度見ても発見がある。
何年たっても忘れないだろうし、いつでも見直すと思う。
そして彼らの熱いメッセージを胸に、自分なりに咀嚼して生きていく。
それが視聴者から作者への回答になり、始めてつながった両者がつながった瞬間だと思う。
そして何時か言う。
「SHIROBAKOってアニメがあってね・・・」と。
そして名作は語り継がれる。
矢野と平岡
なるほど同級生だったのか。
そして「やっぱり!」といったところ。
彼女のあのセリフといい、一生懸命だった当時の彼が好きだったのだろう。
恋愛にこそ発展しなかったが平岡が申し出れば、もしくは少しでも彼女の思いを察すれば即OKが出そうな勢いだったに想像する。でも平岡は夢で頭が一杯で矢野のことは気にしつつもそこまでじゃなかったんだろう。男には実にありがちだ。男とはそういうものだ。だから器用な人間が矢野みたいな彼女をうまくかっさらう。鳶のように!幸い矢野は愚かじゃなかったし、純粋な思いがあったのだろう。だから矢野は自らが好きである同時に彼への残心がありアニメの道へ入ったのだと思う。女性はその生命の基礎において現実主義者なのでいつまでも夢は見れない。夢を見続けるとしたら必ず何かある。矢野を見ても思うが、矢野自身はとっくに夢から冷めていることからも伺える。彼女にあるのは残心だろう。実にあるあるだ。
私も心当たりがある。
「ドラちゃんは結婚とか考えないの?」って言われたことがある。「今はそれどころじゃないからねぇ・・」と言った時の「そっか・・」の彼女の辛そうな顔。多分そういうことを期待しているのだろうとは思ったが何せコッチは身体がぶっ壊れている。いつお亡くなりになるかわからないので無責任に言えなかった。でも悪いことしたなーオイ!身体のことは黙ってたからな。
後で別な女友達に怒られた。女性はそういう時に「自分て魅力ないんだ」とそっちへ解釈するようで、結構それはダメージがデカイらしい。だからちゃんと話す方が双方が納得した解決へは近道になるようだ。ま、そんな彼女も別な人と結婚したから良かったけど。彼女を見届けるまでは次の子には行けないなーと思っていたらこの年だよ。(;´∀`) その間にもアプローチかけてくれる方がおったのですが・・。なんか悪くて。当時は残心があるのに「はい、次!」ってタローみたいにはいかないんだよね。今はそれはそれでイカンなと構えが変わったけどさ。
出会いと別れ、縁
そう、人と人との出会いや恋愛感情なんてものはニアミスが多い。人生にはそうした縁のようなものがあり、ニアミスやちょっとした事象で交じりあったり、逆にすれ違うことが非常に多い。全てのご縁を拾うぐらいの構えが必要だったと今になると思う。だからタローみたいな素直な人間には割とそういう出会いを拾えるが、私や平岡みたいな考えこむタイプはかえって機会を逃しやすいとは感じる。感じたままに応じた方がいいと今は思う。考えると行動が遅れる。
そう考えると矢野が切せない!!夢に溢れていたのに絶望し、その上で未練タラタラで業界に残り、今なお毒素をまき散らしている平岡を見る。彼女が一番に辛いと思う。だからなんだろうなー・・・。矢野は口こそ悪いが腹蔵なくてエエ子やなぁ。。゚(゚´Д`゚)゚。うわーん
でも矢野と平岡は結婚したらかなり高い確率で離婚するタイプ。付き合っても99%破綻だろう。ま、それを知って尚付き合った方が人生の彩りが増すから、せずに諦めるより、して別れた方がいいと、今は思うけどさ。頭の世界で自得するのは何も生まないと、この年でようやく実感したよ。所詮、頭の世界は頭の世界。やったもんがちです。
カップル
平岡にとってはみゃー森がベストガールだろうな。少々では凹まないし、それでいて突っぱねて見放さない。会社談義でも彼女だけが平岡を見ていた。彼女がベストたる所以はそれだけじゃなく、泣き脅しに走らないからだ。女性はとかく泣き脅しで解決しようとする。男にとってはほとんどが逆効果なんだけどね。泣き脅しは弱者の脅迫だ。これほど卑怯なものはない。ま、女性がするならある程度は許されるけどさ。何せ女の涙は武器だから。それをある程度許容出来ないようじゃ男としては・・ねぇ。相手が男だった一切許さない。
ま、みゃー森は誰にとってもベストガールだろうけど、特に平岡みたいに猪突猛進の癖に豆腐メンタルな人には最高に思う。矢野は舞茸さんが無難。監督がベストかな。あくまでタイプ的には。でも矢野って監督タイプの人に対しては愛憎を抱くように思う。ま、そういう二律背反な正確しているところあるから。何より外見で結構人と選ぶタイプだから実際は一緒にはなりづらい。男が余程アタックしない限りあり得ないだろう。
美人だからアタックする人は多いだろう。自ずと世渡りする。その分、益々男に対して冷めていくだろうから・・一生独身かな!ひゃっはー
タイヤガール
チャンス来たね!
タイヤばっかりの人生に疑問を感じ転職した彼女。
彼女の転職は支持出来る。
「稼ぎは多きけど私がしたいのはコレじゃない」
まー女性には極めて稀なタイプ。
私は何組かの知り合いで
「夢の為に稼ぎを捨てた旦那」が理由で離婚したカップルを知っている。
彼女の友達だったので理由を聞いて愕然とした。
「女って・・・結局は金なのん?・・・」ってブルったね。
いや、お金が大事だってのは男だってわかってるけど、女性の思う金ってかなり無茶苦茶な人が多い。
その旦那は高給トリで当時20代で1000から1500万ぐらい稼いでいたんだけど、
仕事の内容に虚しくなり、その職業に就く前から描いていた仕事に就きたい言うたら
「離婚」(;´∀`)<オーノー!
まー年収にして150万からよくて250万ぐらいの職業だから1/10ですよ。
彼側からしたらおめでとう!!だけどね。
だってその方が後悔ない人生を送れる。
どんだけ金あったって「あー、あれやりたかったなー」って人生は虚しい。
ま、彼女は後で後悔してたけどね。
でも恐らく本当の意味で彼を理解していないと思った。彼女には支えきれない。
タイヤガールは仕事にさえ干渉しなければいい奥さんになるわw
男の夢を理解できるタイプ。この手の子は自分もあるから相手を理解出来る。応援出来る。
みゃー森型並に、ひょっとしたらそれ以上に希少な女性。
ま、元々女っ気ない方だからオシャレとか彼女自慢にはならないかもしれないけど、可愛いからね。全然問題ないね。ま、男には一定数、彼女をアクセサリーのように考えている人はいるから。私には理解できないが。彼女の少年のような無邪気な笑顔が印象的だわ。( ・∀・)イイ!!
声優ガール
飲み屋でのシーン(ザボーン社長)
いるいるwww
基本的に相手の名前を覚える気のないタイプ。他人の扱いが雑な人w
「お前とか」「おい」とか「そこの」とか名前で呼ばない人。
悪気があるわけじゃなく単に重要じゃない人の名前をいちいち覚えないだけ。
周辺部に蠢く人間が多くいちいち覚えてられない人に多い。
周囲に興味がないタイプ。
一方で劣等感が強い人にも多い。相手を常に貶めないと不安になるタイプだ。
社会的には凄く失礼に感じるが、実はこういう人が名前を覚える時に成長を実感できる。
何せこういう人が名前を覚える時は、自分にとってその人が非常に重要な人間になったことを意味するからだ。モノからヒトになった瞬間である。
私も当時、「おい」とか「それ」とか「くそ」とか「でぶ」(太っていなかったのに)とか「ごみ」「ぶた」「くず」とか、その他、ありとあらゆる考えうる限りの蔑視呼称で呼ばれ続けた。基本的に新人を蔑む言葉でしか呼ばない人だ。
最終的には「ドラ、俺の弟子になれ」と言われるに至った。モノから「このくそドラ!どこいった」と言われた瞬間に、「あ・・・認められたんだ」と実感したものだ。大概は蔑視呼称を接頭語につけるのだが、暫くするとそれも取れる。ザボーンの社長やこの演出のような人はこれらを無意識に行わうで寧ろ相手の本音が感じられる。
飲み屋でのシーン(ずかちゃん)
みゃー森がづかチャンが声優であること言おうとして止める。
これは海外の反応を見てなるほどと思った!
私は余りにも当然のように受け止めていたシーン。
西洋文化らしい解釈。彼らの文化圏はそうだろう。
西洋的考えに侵食された今の日本人にも多いだろう。
何かというと自己責任といって相手を切り離そうと考えるタイプもそう。
完全に西洋的思想に侵され日本人のスピリッツを忘れつつある人。自覚はないだろう。
今まで出てきた様々な登場人物かちょいと顔を見せ、新しい人物がそれに解説を加える。
本当にこのアニメは大好きだ。素晴らしい。情熱が込められた作品というのは何度見ても発見がある。
何年たっても忘れないだろうし、いつでも見直すと思う。
そして彼らの熱いメッセージを胸に、自分なりに咀嚼して生きていく。
それが視聴者から作者への回答になり、始めてつながった両者がつながった瞬間だと思う。
そして何時か言う。
「SHIROBAKOってアニメがあってね・・・」と。
そして名作は語り継がれる。
矢野と平岡
なるほど同級生だったのか。
そして「やっぱり!」といったところ。
彼女のあのセリフといい、一生懸命だった当時の彼が好きだったのだろう。
恋愛にこそ発展しなかったが平岡が申し出れば、もしくは少しでも彼女の思いを察すれば即OKが出そうな勢いだったに想像する。でも平岡は夢で頭が一杯で矢野のことは気にしつつもそこまでじゃなかったんだろう。男には実にありがちだ。男とはそういうものだ。だから器用な人間が矢野みたいな彼女をうまくかっさらう。鳶のように!幸い矢野は愚かじゃなかったし、純粋な思いがあったのだろう。だから矢野は自らが好きである同時に彼への残心がありアニメの道へ入ったのだと思う。女性はその生命の基礎において現実主義者なのでいつまでも夢は見れない。夢を見続けるとしたら必ず何かある。矢野を見ても思うが、矢野自身はとっくに夢から冷めていることからも伺える。彼女にあるのは残心だろう。実にあるあるだ。
私も心当たりがある。
「ドラちゃんは結婚とか考えないの?」って言われたことがある。「今はそれどころじゃないからねぇ・・」と言った時の「そっか・・」の彼女の辛そうな顔。多分そういうことを期待しているのだろうとは思ったが何せコッチは身体がぶっ壊れている。いつお亡くなりになるかわからないので無責任に言えなかった。でも悪いことしたなーオイ!身体のことは黙ってたからな。
後で別な女友達に怒られた。女性はそういう時に「自分て魅力ないんだ」とそっちへ解釈するようで、結構それはダメージがデカイらしい。だからちゃんと話す方が双方が納得した解決へは近道になるようだ。ま、そんな彼女も別な人と結婚したから良かったけど。彼女を見届けるまでは次の子には行けないなーと思っていたらこの年だよ。(;´∀`) その間にもアプローチかけてくれる方がおったのですが・・。なんか悪くて。当時は残心があるのに「はい、次!」ってタローみたいにはいかないんだよね。今はそれはそれでイカンなと構えが変わったけどさ。
出会いと別れ、縁
そう、人と人との出会いや恋愛感情なんてものはニアミスが多い。人生にはそうした縁のようなものがあり、ニアミスやちょっとした事象で交じりあったり、逆にすれ違うことが非常に多い。全てのご縁を拾うぐらいの構えが必要だったと今になると思う。だからタローみたいな素直な人間には割とそういう出会いを拾えるが、私や平岡みたいな考えこむタイプはかえって機会を逃しやすいとは感じる。感じたままに応じた方がいいと今は思う。考えると行動が遅れる。
そう考えると矢野が切せない!!夢に溢れていたのに絶望し、その上で未練タラタラで業界に残り、今なお毒素をまき散らしている平岡を見る。彼女が一番に辛いと思う。だからなんだろうなー・・・。矢野は口こそ悪いが腹蔵なくてエエ子やなぁ。。゚(゚´Д`゚)゚。うわーん
でも矢野と平岡は結婚したらかなり高い確率で離婚するタイプ。付き合っても99%破綻だろう。ま、それを知って尚付き合った方が人生の彩りが増すから、せずに諦めるより、して別れた方がいいと、今は思うけどさ。頭の世界で自得するのは何も生まないと、この年でようやく実感したよ。所詮、頭の世界は頭の世界。やったもんがちです。
カップル
平岡にとってはみゃー森がベストガールだろうな。少々では凹まないし、それでいて突っぱねて見放さない。会社談義でも彼女だけが平岡を見ていた。彼女がベストたる所以はそれだけじゃなく、泣き脅しに走らないからだ。女性はとかく泣き脅しで解決しようとする。男にとってはほとんどが逆効果なんだけどね。泣き脅しは弱者の脅迫だ。これほど卑怯なものはない。ま、女性がするならある程度は許されるけどさ。何せ女の涙は武器だから。それをある程度許容出来ないようじゃ男としては・・ねぇ。相手が男だった一切許さない。
ま、みゃー森は誰にとってもベストガールだろうけど、特に平岡みたいに猪突猛進の癖に豆腐メンタルな人には最高に思う。矢野は舞茸さんが無難。監督がベストかな。あくまでタイプ的には。でも矢野って監督タイプの人に対しては愛憎を抱くように思う。ま、そういう二律背反な正確しているところあるから。何より外見で結構人と選ぶタイプだから実際は一緒にはなりづらい。男が余程アタックしない限りあり得ないだろう。
美人だからアタックする人は多いだろう。自ずと世渡りする。その分、益々男に対して冷めていくだろうから・・一生独身かな!ひゃっはー
タイヤガール
チャンス来たね!
タイヤばっかりの人生に疑問を感じ転職した彼女。
彼女の転職は支持出来る。
「稼ぎは多きけど私がしたいのはコレじゃない」
まー女性には極めて稀なタイプ。
私は何組かの知り合いで
「夢の為に稼ぎを捨てた旦那」が理由で離婚したカップルを知っている。
彼女の友達だったので理由を聞いて愕然とした。
「女って・・・結局は金なのん?・・・」ってブルったね。
いや、お金が大事だってのは男だってわかってるけど、女性の思う金ってかなり無茶苦茶な人が多い。
その旦那は高給トリで当時20代で1000から1500万ぐらい稼いでいたんだけど、
仕事の内容に虚しくなり、その職業に就く前から描いていた仕事に就きたい言うたら
「離婚」(;´∀`)<オーノー!
まー年収にして150万からよくて250万ぐらいの職業だから1/10ですよ。
彼側からしたらおめでとう!!だけどね。
だってその方が後悔ない人生を送れる。
どんだけ金あったって「あー、あれやりたかったなー」って人生は虚しい。
ま、彼女は後で後悔してたけどね。
でも恐らく本当の意味で彼を理解していないと思った。彼女には支えきれない。
タイヤガールは仕事にさえ干渉しなければいい奥さんになるわw
男の夢を理解できるタイプ。この手の子は自分もあるから相手を理解出来る。応援出来る。
みゃー森型並に、ひょっとしたらそれ以上に希少な女性。
ま、元々女っ気ない方だからオシャレとか彼女自慢にはならないかもしれないけど、可愛いからね。全然問題ないね。ま、男には一定数、彼女をアクセサリーのように考えている人はいるから。私には理解できないが。彼女の少年のような無邪気な笑顔が印象的だわ。( ・∀・)イイ!!
声優ガール
飲み屋でのシーン(ザボーン社長)
いるいるwww
基本的に相手の名前を覚える気のないタイプ。他人の扱いが雑な人w
「お前とか」「おい」とか「そこの」とか名前で呼ばない人。
悪気があるわけじゃなく単に重要じゃない人の名前をいちいち覚えないだけ。
周辺部に蠢く人間が多くいちいち覚えてられない人に多い。
周囲に興味がないタイプ。
一方で劣等感が強い人にも多い。相手を常に貶めないと不安になるタイプだ。
社会的には凄く失礼に感じるが、実はこういう人が名前を覚える時に成長を実感できる。
何せこういう人が名前を覚える時は、自分にとってその人が非常に重要な人間になったことを意味するからだ。モノからヒトになった瞬間である。
私も当時、「おい」とか「それ」とか「くそ」とか「でぶ」(太っていなかったのに)とか「ごみ」「ぶた」「くず」とか、その他、ありとあらゆる考えうる限りの蔑視呼称で呼ばれ続けた。基本的に新人を蔑む言葉でしか呼ばない人だ。
最終的には「ドラ、俺の弟子になれ」と言われるに至った。モノから「このくそドラ!どこいった」と言われた瞬間に、「あ・・・認められたんだ」と実感したものだ。大概は蔑視呼称を接頭語につけるのだが、暫くするとそれも取れる。ザボーンの社長やこの演出のような人はこれらを無意識に行わうで寧ろ相手の本音が感じられる。
飲み屋でのシーン(ずかちゃん)
みゃー森がづかチャンが声優であること言おうとして止める。
これは海外の反応を見てなるほどと思った!
私は余りにも当然のように受け止めていたシーン。
西洋文化らしい解釈。彼らの文化圏はそうだろう。
西洋的考えに侵食された今の日本人にも多いだろう。
何かというと自己責任といって相手を切り離そうと考えるタイプもそう。
完全に西洋的思想に侵され日本人のスピリッツを忘れつつある人。自覚はないだろう。
海外の反応では彼女に対してある種の失望のような意見が多く感じた。
これは私からすると全く見当違いに見える。
これは良し悪しというより文化的背景の差だ。
覚悟のあるなし
私はズカちゃんの居酒屋での対応を見て心から胸が熱くなった。
これは私からすると全く見当違いに見える。
これは良し悪しというより文化的背景の差だ。
覚悟のあるなし
私はズカちゃんの居酒屋での対応を見て心から胸が熱くなった。
彼女は誇り高い。勿論、無自覚だ。
誇り高さというのは自覚した時点で何ら誇りがないことになるからだ。
しかも誇り高さが既に安っぽくない。それは凄いことである。
誇りというのは生半可じゃ仕上がらない。
普通はやせ我慢になるので惨めったらしくなるが彼女は違う。
彼女は我々が見ていない間に様々な経験を経て発酵しつつある!!
彼女の穏やかな表情やそっとみゃー森を止める態度からそうではないことが伝わってくる。
もしも仮にミャー森が言ってしまったとしたとしてもみゃー森を責めないだろう。
やせ我慢じゃない。
諦めたわけでもない。
あれは彼女の覚悟の証明になっている。
彼女はもう慌てて声優になろうとは考えていない。
以前には焦りがあった。はやく役が欲しい、はやく声をあてない、はやく、はやく。
これは今のアイドル志願者や、恐らく声優にも多いタイプだろう。
この手の人間には覚悟がない。
食えなくなったらすぐ頭を切り替えるタイプだ。
そもそも声優やアニメ、漫画制作で「食う」と考えている時点で相当におこがましいのだ。
そういう人はいい時期はいい。
でも悪い時期に人のせいにしたりして結局は辞める。
某アイドルになれなかった東大生
最近あったニュースで、某アイドルグループに入ろうとして東大に受かったがオーディションで落ちたことをプロデューサーに泣きついた人がいたのが話題になった。そういう人は「条件」が常にある。これをやったらこうなる。この手の人は頭がいいし回るのだが、世の中というのを知らない。ま、私も知らないけどさwwww ただ、これは実感する「世の中というのは思い通りにならない」である。
あの手の世界の人が、姓名判断や風水、占い、心霊にはまるのは、ある意味では「世の中とは得たいのしれない力学で成り立っている」と少なからず実感するからだと最近になり自得した。昔から日本にある「あやかりたい」という部分である。どんな才能があろうが、結果はなってみないとわからないのだ。素晴らしい欠点のない人が地獄のような人生を歩むこともしばしば聞く。その逆もしかりで、タローみたいな人が実に素晴らしい人生を歩むこともある。全ては結果でしか図りしれないのだ。
仕事をどう捉えるか
仕事を単に「稼ぎの為」と捉えた時(これが西洋的視点に思う)なんでもやったほうがいいと思う。コネだろうとなんであろうと何でも利用する。出来ることなら。普通そこまで出来ないものだが。出来る人はいる。マドンナだって身一つでニューヨークに行き、無理矢理ターゲットの敏腕プロデューサーの所に乗り込み「私を雇いな!」と言い放ったわけだ。そして後の成功(稼ぎという点においては)があると言われている。ただし結果論だ。稼ぎという視点において凄いの一言で、苔の一念岩をも通すである。裏を返せばタダそれだけとも言える。
コネの良し悪し
世の中というのは実に恐ろしいもので、真面目な話、風が吹けば桶屋が儲かるということはよくある。つまり逆バージョンもあるということだ。これはつまり、自分の動機で縁を結ぶとそれが良かれ悪しかれ付き纏うということを意味する。若い諸君はわからないだろう。人生の破滅すら容易に呼ぶ。
昔あっちの世界の人と接点があったことがある。先述した演出の知人だ。まーその手の人の就任披露祝賀会の手伝いを無償ですることになったのだが、後にその彼がお礼に訪れたのだ。
その前に演出が言った。「はいはいだけ言ってろ。具体的なことは何も言うな。人生後悔したくないならな、言ったらしらねーぞ」と。普段絶対にそういうこと言わない人だ。何せ人が事故っても手を叩いて笑う人だ。「お前ラッキーだな!!保険金たらふく絞りとれ」と言う類の人間だ。
怖い縁
後でその理由を教えてくれた。あの世界の人間と接点をもつと一生付き纏う。それから逃げることは出来ないと。言葉でもそうだし、お願いごとをしたなら尚更だし、ましてや1円でも関係性をもったら最後だと。
これと同じ経験を他所でもした。タクシーを手配してくれるというのに上司が執拗かつ丁寧に断るのだ。私が「あそこまで仰るのに悪いじゃないですか?」と問うと、「お前はバカか。あの会社のバックはアレだぞ。そんな会社の金銭関係で世話になったら何があるかわかったもんじゃない。常にこっちが相手に恩義をかしてようやくバランスのとれる相手。本当だったら、出された菓子にも手を出さない方がいいのに、お前ときたらバリバリと」と言われた。
「え?!あの茶菓子食べない方が良かったですか」と言う私に「ま、茶菓子ぐらいじゃ問題ないだろうが、具体的にタクシー代となったら話は別だ」と。それぐらい慎重に相手を見極めないと後悔すると言われた。別な人も言っていた。一生ついて周り、しばしば最悪の時に彼らは動き出すと。
ザボーンの社長と縁が出来て何が悪い?
ずかちゃんのケースでは何も悪いことはないと思う。短期的視点では。
縁故を使うということは良くも悪くも相手を巻き込む。これわかっていない若い子は本当に多いだろう。ギルドと人間関係に書いたように、誰かに紹介された場合、うまく回れば相手に良い影響を与えるが、逆に紹介してくれた人が何か悪く回った時「そういえばあの人が君を紹介したんだよね」とブーメランになり、自分は何も悪くないのに、そればかりか接点すら無いに等しくても容易に首をきられる。
昔の日本では割りと最近までそうだったように思うが、親族に人殺しが出たら一族皆死刑だった時期がある。親兄弟はおろか親族もだ。だから「親子の縁を切る」という発想も生まれる。じゃないと知らない親族の為に突然極刑なんてこともあり得た。最低でも村八分だろう。それだけに周囲の目が煩くなるのも当然の話である。
それと同じで縁故両成敗は今でも普通にある。自分は何一つ過失がなくとも降ろされることはごく当たり前である。モナが浮気しただけでタケシが非難されたりとか、そういったものも本質的には同じだ。基本的に社会における自己責任なんて言葉は相手からしたら単なる責任逃避であり逃げ口上でしかなく現実的には当然制裁を受ける。望むと望まざるとに関係なくついて回る。保険におけるリスク回避と同じだ。
だから日本人等はよくも悪くも身内への風当たりや地域への監視が強くなるのも当然のことであった。何せ下手すれば村ごと消滅しかねないのが普通だったからである。今でこそ知らない人も多いようだが世界大戦後のしばらく後まで日本では普通に奇形児等は産婆さんが処理していた。それを「流れた」とあたかも自然のように言った。貧しかったのだ。
縁とは良い時も悪い時もついて回る
つまり一時の縁で結んだ仕事先から思わぬ事態に陥ることは普通にある。だから基本的には自力が最も間違いない。それだと世界が狭くなる。ただし、どんなに自力で行きても縁がどうしても結ぶことはある。これが運命の縁だ。相手が勝手にやった場合などがそれ。そういう縁は避けられない縁なので、真摯に受け止めれば理想だ。当然、良いことも悪いことも巡ってくる。ただし、そういう運命の縁は人生を彩る。安易な動機で結んだ縁は長い目で見れば負荷の方が多いように思う。だから ずかちゃん の対応は実に素晴らしいものだった。
ずかちゃん
仕事があれば梅ブーだろうが、どんなちょい役だろうが、卑下せずに真摯に向き合う覚悟があるだろう。それは前回のスーツアクターぶりからも伺える。これは作画陣におけるクオリティと同じで感性に絶大なる影響を及ぼす。時間はかかるが。これをこしらえて生きるどうかで彼女の人生の豊かさを決定づけるだろう。
自らの職業や仕事を誇らしく自ら語る人間の滑稽さは客観視しない限りわからない。一見さんを前に、通り過ぎる人と思うか、一期一会と思うかで人は180度態度が変わる。彼女は何ら声優という仕事に対して急いでいないのだ。彼女の行動は辞めるとかそんな類ではなく、例え何年かかろうとも声優をやっていくという覚悟が既に備わっているということを意味するように思う。それはつまりライフワークである。
ライフワーク
つまり彼女はみゃー森らが「なぜこんなことしているんだろう」という問に対して自分の答えを既に獲得しているように感じる。ライフワークを掴めた人は幸せだ。たとえ収入や有名無名に関係なく。何せそれらは単なる結果でしかないから。既にこの物語で語られているように、優れた作品がヒットするわけではない、つまり、これは言い換えれば才能がある人が必ずしも稼げるとは限らない。タローや平岡みたいな人が心底クソかというとそうではないし、彼らが稼ぎという点だけにおいて成功するかどうかは実のところわからないものだ。
海外ではある日突然に100億とか当てちゃう人もいる。国内でもいきなり2億とかいう人は実際にいる。ま、簡単な話、人は金を稼ぎ消費する為に生きていると考えるか豊かに過ごす為に生きると考えているかの差である。それは全く交わることがない。
ライフワークを持ち、それを基軸に生きるかで天と地の開きが出る。金を目標に得た人間は結局は更に金が欲しくなり、欲しくなって得られた結果、慈善事業や逆に破壊的行動に出る。結局のところ、彼らにはライフワークはないのだ。極端な言い方をすれば暇潰しで人生を生きているようですらある。人はパンのみに生きるにあらずという言葉の意味が彼らにはわからないだろう。
その点、ライフワークを得られた人間は幸福だ。勿論、稼ぐことは大切である。お金がなければ近代国ほど生きてはいけない。ただ、稼ぐために生きるか、稼ぐこと、ライフワークを分けて考えるかは大違いである。その点において彼女はライフワークを得たのだ。現時点では。ま、彼女はそこまで深くはえてないように思うが。少なくとも今のライフワークだ。その点で他の彼女らと精神的構えがまるで違う。
稼ぐためだけなら仕事は仕事でしかないから何でも利用するというは間違っていないと思う。でも言い換えれば、仕事が終わればただの人だ。嘗て○○をやっていた人で終わり。会社をやめれば役職なんて意味を為さない、転職すれば終わり、退職すれば終わり。ぶつ切りの人生である。でもライフワークになった時それは一変する。ライフワークである以上は焦ってやる必要がない。だからみゃー森のくちぎきも必要ないのだ。彼女はその間に熟成し真に美味しくなる時期を待っている味噌のようだ。そうした人間は厚みをます。そして、厚みのある人間はわかる人がいる。そういう人と出会った時にこそ彼女が本当の意味で輝く瞬間となるだろう。
自分の子供が金さえ稼げればどんな仕事していても良いと思うか、例え貧しくとも心が豊かで幸福な人生であって欲しい願っているかの差ぐらい大きい。人はその人の精神の背景を常に見ている。ズカちゃんみたいな人の所には本当に素晴らしい人達が結果的に集まるのが今から見えるようだよ。
誇り高さというのは自覚した時点で何ら誇りがないことになるからだ。
しかも誇り高さが既に安っぽくない。それは凄いことである。
誇りというのは生半可じゃ仕上がらない。
普通はやせ我慢になるので惨めったらしくなるが彼女は違う。
彼女は我々が見ていない間に様々な経験を経て発酵しつつある!!
彼女の穏やかな表情やそっとみゃー森を止める態度からそうではないことが伝わってくる。
もしも仮にミャー森が言ってしまったとしたとしてもみゃー森を責めないだろう。
やせ我慢じゃない。
諦めたわけでもない。
あれは彼女の覚悟の証明になっている。
彼女はもう慌てて声優になろうとは考えていない。
以前には焦りがあった。はやく役が欲しい、はやく声をあてない、はやく、はやく。
これは今のアイドル志願者や、恐らく声優にも多いタイプだろう。
この手の人間には覚悟がない。
食えなくなったらすぐ頭を切り替えるタイプだ。
そもそも声優やアニメ、漫画制作で「食う」と考えている時点で相当におこがましいのだ。
そういう人はいい時期はいい。
でも悪い時期に人のせいにしたりして結局は辞める。
某アイドルになれなかった東大生
最近あったニュースで、某アイドルグループに入ろうとして東大に受かったがオーディションで落ちたことをプロデューサーに泣きついた人がいたのが話題になった。そういう人は「条件」が常にある。これをやったらこうなる。この手の人は頭がいいし回るのだが、世の中というのを知らない。ま、私も知らないけどさwwww ただ、これは実感する「世の中というのは思い通りにならない」である。
あの手の世界の人が、姓名判断や風水、占い、心霊にはまるのは、ある意味では「世の中とは得たいのしれない力学で成り立っている」と少なからず実感するからだと最近になり自得した。昔から日本にある「あやかりたい」という部分である。どんな才能があろうが、結果はなってみないとわからないのだ。素晴らしい欠点のない人が地獄のような人生を歩むこともしばしば聞く。その逆もしかりで、タローみたいな人が実に素晴らしい人生を歩むこともある。全ては結果でしか図りしれないのだ。
仕事をどう捉えるか
仕事を単に「稼ぎの為」と捉えた時(これが西洋的視点に思う)なんでもやったほうがいいと思う。コネだろうとなんであろうと何でも利用する。出来ることなら。普通そこまで出来ないものだが。出来る人はいる。マドンナだって身一つでニューヨークに行き、無理矢理ターゲットの敏腕プロデューサーの所に乗り込み「私を雇いな!」と言い放ったわけだ。そして後の成功(稼ぎという点においては)があると言われている。ただし結果論だ。稼ぎという視点において凄いの一言で、苔の一念岩をも通すである。裏を返せばタダそれだけとも言える。
コネの良し悪し
世の中というのは実に恐ろしいもので、真面目な話、風が吹けば桶屋が儲かるということはよくある。つまり逆バージョンもあるということだ。これはつまり、自分の動機で縁を結ぶとそれが良かれ悪しかれ付き纏うということを意味する。若い諸君はわからないだろう。人生の破滅すら容易に呼ぶ。
昔あっちの世界の人と接点があったことがある。先述した演出の知人だ。まーその手の人の就任披露祝賀会の手伝いを無償ですることになったのだが、後にその彼がお礼に訪れたのだ。
その前に演出が言った。「はいはいだけ言ってろ。具体的なことは何も言うな。人生後悔したくないならな、言ったらしらねーぞ」と。普段絶対にそういうこと言わない人だ。何せ人が事故っても手を叩いて笑う人だ。「お前ラッキーだな!!保険金たらふく絞りとれ」と言う類の人間だ。
怖い縁
後でその理由を教えてくれた。あの世界の人間と接点をもつと一生付き纏う。それから逃げることは出来ないと。言葉でもそうだし、お願いごとをしたなら尚更だし、ましてや1円でも関係性をもったら最後だと。
これと同じ経験を他所でもした。タクシーを手配してくれるというのに上司が執拗かつ丁寧に断るのだ。私が「あそこまで仰るのに悪いじゃないですか?」と問うと、「お前はバカか。あの会社のバックはアレだぞ。そんな会社の金銭関係で世話になったら何があるかわかったもんじゃない。常にこっちが相手に恩義をかしてようやくバランスのとれる相手。本当だったら、出された菓子にも手を出さない方がいいのに、お前ときたらバリバリと」と言われた。
「え?!あの茶菓子食べない方が良かったですか」と言う私に「ま、茶菓子ぐらいじゃ問題ないだろうが、具体的にタクシー代となったら話は別だ」と。それぐらい慎重に相手を見極めないと後悔すると言われた。別な人も言っていた。一生ついて周り、しばしば最悪の時に彼らは動き出すと。
ザボーンの社長と縁が出来て何が悪い?
ずかちゃんのケースでは何も悪いことはないと思う。短期的視点では。
縁故を使うということは良くも悪くも相手を巻き込む。これわかっていない若い子は本当に多いだろう。ギルドと人間関係に書いたように、誰かに紹介された場合、うまく回れば相手に良い影響を与えるが、逆に紹介してくれた人が何か悪く回った時「そういえばあの人が君を紹介したんだよね」とブーメランになり、自分は何も悪くないのに、そればかりか接点すら無いに等しくても容易に首をきられる。
昔の日本では割りと最近までそうだったように思うが、親族に人殺しが出たら一族皆死刑だった時期がある。親兄弟はおろか親族もだ。だから「親子の縁を切る」という発想も生まれる。じゃないと知らない親族の為に突然極刑なんてこともあり得た。最低でも村八分だろう。それだけに周囲の目が煩くなるのも当然の話である。
それと同じで縁故両成敗は今でも普通にある。自分は何一つ過失がなくとも降ろされることはごく当たり前である。モナが浮気しただけでタケシが非難されたりとか、そういったものも本質的には同じだ。基本的に社会における自己責任なんて言葉は相手からしたら単なる責任逃避であり逃げ口上でしかなく現実的には当然制裁を受ける。望むと望まざるとに関係なくついて回る。保険におけるリスク回避と同じだ。
だから日本人等はよくも悪くも身内への風当たりや地域への監視が強くなるのも当然のことであった。何せ下手すれば村ごと消滅しかねないのが普通だったからである。今でこそ知らない人も多いようだが世界大戦後のしばらく後まで日本では普通に奇形児等は産婆さんが処理していた。それを「流れた」とあたかも自然のように言った。貧しかったのだ。
縁とは良い時も悪い時もついて回る
つまり一時の縁で結んだ仕事先から思わぬ事態に陥ることは普通にある。だから基本的には自力が最も間違いない。それだと世界が狭くなる。ただし、どんなに自力で行きても縁がどうしても結ぶことはある。これが運命の縁だ。相手が勝手にやった場合などがそれ。そういう縁は避けられない縁なので、真摯に受け止めれば理想だ。当然、良いことも悪いことも巡ってくる。ただし、そういう運命の縁は人生を彩る。安易な動機で結んだ縁は長い目で見れば負荷の方が多いように思う。だから ずかちゃん の対応は実に素晴らしいものだった。
ずかちゃん
仕事があれば梅ブーだろうが、どんなちょい役だろうが、卑下せずに真摯に向き合う覚悟があるだろう。それは前回のスーツアクターぶりからも伺える。これは作画陣におけるクオリティと同じで感性に絶大なる影響を及ぼす。時間はかかるが。これをこしらえて生きるどうかで彼女の人生の豊かさを決定づけるだろう。
自らの職業や仕事を誇らしく自ら語る人間の滑稽さは客観視しない限りわからない。一見さんを前に、通り過ぎる人と思うか、一期一会と思うかで人は180度態度が変わる。彼女は何ら声優という仕事に対して急いでいないのだ。彼女の行動は辞めるとかそんな類ではなく、例え何年かかろうとも声優をやっていくという覚悟が既に備わっているということを意味するように思う。それはつまりライフワークである。
ライフワーク
つまり彼女はみゃー森らが「なぜこんなことしているんだろう」という問に対して自分の答えを既に獲得しているように感じる。ライフワークを掴めた人は幸せだ。たとえ収入や有名無名に関係なく。何せそれらは単なる結果でしかないから。既にこの物語で語られているように、優れた作品がヒットするわけではない、つまり、これは言い換えれば才能がある人が必ずしも稼げるとは限らない。タローや平岡みたいな人が心底クソかというとそうではないし、彼らが稼ぎという点だけにおいて成功するかどうかは実のところわからないものだ。
海外ではある日突然に100億とか当てちゃう人もいる。国内でもいきなり2億とかいう人は実際にいる。ま、簡単な話、人は金を稼ぎ消費する為に生きていると考えるか豊かに過ごす為に生きると考えているかの差である。それは全く交わることがない。
ライフワークを持ち、それを基軸に生きるかで天と地の開きが出る。金を目標に得た人間は結局は更に金が欲しくなり、欲しくなって得られた結果、慈善事業や逆に破壊的行動に出る。結局のところ、彼らにはライフワークはないのだ。極端な言い方をすれば暇潰しで人生を生きているようですらある。人はパンのみに生きるにあらずという言葉の意味が彼らにはわからないだろう。
その点、ライフワークを得られた人間は幸福だ。勿論、稼ぐことは大切である。お金がなければ近代国ほど生きてはいけない。ただ、稼ぐために生きるか、稼ぐこと、ライフワークを分けて考えるかは大違いである。その点において彼女はライフワークを得たのだ。現時点では。ま、彼女はそこまで深くはえてないように思うが。少なくとも今のライフワークだ。その点で他の彼女らと精神的構えがまるで違う。
稼ぐためだけなら仕事は仕事でしかないから何でも利用するというは間違っていないと思う。でも言い換えれば、仕事が終わればただの人だ。嘗て○○をやっていた人で終わり。会社をやめれば役職なんて意味を為さない、転職すれば終わり、退職すれば終わり。ぶつ切りの人生である。でもライフワークになった時それは一変する。ライフワークである以上は焦ってやる必要がない。だからみゃー森のくちぎきも必要ないのだ。彼女はその間に熟成し真に美味しくなる時期を待っている味噌のようだ。そうした人間は厚みをます。そして、厚みのある人間はわかる人がいる。そういう人と出会った時にこそ彼女が本当の意味で輝く瞬間となるだろう。
自分の子供が金さえ稼げればどんな仕事していても良いと思うか、例え貧しくとも心が豊かで幸福な人生であって欲しい願っているかの差ぐらい大きい。人はその人の精神の背景を常に見ている。ズカちゃんみたいな人の所には本当に素晴らしい人達が結果的に集まるのが今から見えるようだよ。
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