( ゚д゚)ポカーン・・・・
( ゚д゚)・・・・
( ゚д゚)ハッ!
いやー何この打ち切り回w
ドイヒーw
100年の恋も冷めるとはことのこと。
そんな回でした。打ち切りアニメの典型的な猛烈に詰め込んだ本回。
ここ2話でで、「原作読んでみようかな・・・」と思い、
9月に発売されるゲームも・・・本体も買って・・・とさえ思い込んでおりました我が身を反省しました。
( ゚д゚) いやー気の迷い!気の迷い!怖いわー
冷めたわー。見ながらケラケラ大笑いしちゃったw
そもそも、なんで 黙ってる必要があるよ? おかしかろw 言うのが辛いだろうがその描写一切ない。
それと あそこで会った時、目を腫らしているなり、酷く落ち込んでいるなりして黒猫は自然である筈だが、彼女は全くの素だった。そればかりから、「あなたたち何やってるの?」のセリフ。これは酷い。
作者からの視点に立つと、これはご都合展開には必要なものだ。ココで心理描写を描くと当然ながら話が長くなるからだ。一定の話数で課題をクリアするなら「何事もなかったようなセリフ」で端折る必要性が出てくる。ただし文学がそうであったように、そこにいかに心情を短く入れ込むかが表情であり表現であり作者の燃焼であり才能であり人生なのだが、それを一切放棄し、意図も簡単に処理している。これは完全な逃げだ。
彼女としても 理想 として儀式を掲げていたいたとはいえ、それまでの展開からするに京介と別れたことは相当なショックであったはずだ。これで堪えていないとしたら心が死んでいるというこだ。全ては京介をからかっていた。そういう人間である。というなら納得できるが、そうではないらしい。だから全く前後の脈絡とは不自然に 気絶 させた。あれは京介の表情から「桐乃」を選ぶことを理解したからであり、ショックのあまり気絶したという描写を描いているに思う。それほどまでに好きなのだということを無理矢理ぶっこんでいる。これが余計におかしくしている。浮気した男女の言い訳と同じぐらい単に見苦しいだけの表示だ。
気絶 そのものは前回、前々回の話で描かれているので本来なら頷けるものだ。ただ、その前後が壊滅的に矛盾しているため完全に構造破壊している。この時点でこの物語はガラガラと音をたてて崩れ終了した。この際の京介の表情も明らかにおかしい。このアニメは一貫して京介の表情がおかしいのだが、その極めつけが本回だった。これは原画マンのスキルが深刻に不足している可能性も否めない。その後のご都合主義展開は極めて質の悪いコメディですらある。なんとも支離滅裂だ。私は完全に作者が白旗を上げているように見えた。
「俺には処理出来ないっすw」
そういう感じである。わからないでもない。才能と燃焼の限界をこすと、「もーあかーーーん!!俺には無理!!許して!!」と逃げたくなるのだ。でも、逃げるということは読者や視聴者に対して失礼であり最低である。そこをグッとこらえ胃を痛くしながらも悶絶することで新たな地平も開けると思うのだが、意図もあっさりと白旗を上げていることに空いた口塞がらない。この回で主要登場人物は私の中で完全に死亡した。あとは劇中話を見るような感じで見るしかなさそうだ。私にとっての「俺妹」は第8話の「京介と別れる」の一歩前で 「京介、黒猫・・・お幸せに!!」って気分で 「終」 となった。
(・∀・) いやーいい話だったなー
何がそうせたんだろ?
これが原作通りだとしたら、前回の感想に書いたとおり登場人物の心理を無視した原作者のご都合展開がそもそもの根幹に思う。結局、ユーザーを裏切る、意外性、インパクトといった部分にのみ焦点が当てられ登場人物の心理を無視した結果だ。挙句それらの欠陥をせっかくビジュアルで補完できるのに、アニメではそれが一切なされていない。本来なら登場人物の心情をカット割りや演出、表情で描くことで多少なりとも補完できる。しかし不幸にしてアニメ製作者側はそれが出来なかった。よって無様な姿を視聴者の前に晒すことになる。
結果、延々とセリフだけで最低のネタばらし。
「もう時間ありませんので省略してこうなりました」的な展開。
打ち切り作品が止む終えずやってしまいがちな方法に思います。
酷いのは、打ち切り作品じゃないのにこれをやってしまうという点。
本来なら黒猫のように本音を言えないで本音の表層だけをキツイ言葉だけでツラツラ並べるタイプは表情で補完しないと真意は伝わらない。単に酷い人間になる。ポーカーフェイスで本音を伝えないような人物像ならいいが必ずしもそうではない。実に表情が豊かなキャラクターだ。そもそもポーカーフェイスにも表情はあるし。逆に桐乃のように本音が表情でバレバレなキャラはやりやすい。
圧倒的な情報不足。
実は打ち明けられていた。とか、後から説明するのは実に安直で作者も楽である。アニメ「進撃の巨人」も第8話でこの手法を用いた。読者や視聴者にはそられしい情報を一切開示せず 「後からネタばらし」 これは先の展開を下手に予測サせず意外性を演出するために実に単純な方法であり、「いかようにでも出来る」ので楽なのだ。その典型的なのが昔からある 「夢オチ」 である。読者は ( ゚д゚)ポカーン となる。裏切られた気持ちになる。この方法がありがちなのは作者が楽だからだ。収集がつかなくなっても、「夢だった」で解決である。作者の完敗を意味する。読者側からすると卑劣な手段とすら思える。やり方が汚いということもさることながら、何よりその動機そのものが推測に過ぎないがゲスなものと思える。単に才能がなくてそうなったのならまだわかる。それは仕方のないことである。だが、悪質なのはこれは恐らく意図であろうと思えることだ。
ただ非常に参考になった点も
作者にこういうことをされたら受容者側がいかに心を傷つけられるかしみじみと理解できた。これはいいおもしにしたい。
ここまで酷い作品には出会ったことがないのでそうした経験はなかった。前半なら速攻で見ないでスルーしたいものだ。後半なら乗りかかった船として最後まで見るけど(それも自分への責任だ) 黒猫のセリフにあるように 「徹頭徹尾クソだった。 作者にシネと言っといて」表示されるものになるかもしれない。これだけはやるまい・・・やるまいよ・・・と非常にいい重しである。良い機会を得られて良かった!!本当に良かったと思います。
なぜ突然面白くなったのか
不思議だったが、軽く調べた程度の情報によると原作途中でどうやら読者応募した結果としてこのエピソードが代入されたような節がある。だから面白かったのか!!と納得した。つまり読者が道を照らし、作者がそれに従ったことで登場人物が生き生きと輝きだした。物語が動いたのだ。しかし、もともとこの作者にはなかった道程でありあくまで一つの企画に過ぎなかったため、結局頭で考えられた道筋に一定の話数で戻すという柔軟性のない愚行が行われる。これは恐らく出版社側都合だろう。そこで作者に才能があればいかにようでも処理できたのだろうが、この作者はそれが出来なかったように思う。それは才能だから止む負えない。結果、当然ながら歪が出てくる。作者は読者が照らした光に対して柔軟に対応できず消化不良をおこし、とってくっつけたような「打ち切り展開」が発生してしまったのではなかろうか。
登場人物に愛があればこうならないように思う。
愛が強いとこの軋轢に作者は苦しむことになるが、どちからかというと 予定調和 にもっていった感を受けるので、それほどの愛もないように感じる。やはり予定調和ほど見る価値のないものはないと改めて痛感する。そこを避けると作者は非常に七転八倒するわけだが、そこに燃焼が生まれ色合いになる。やはり作品はどうあれ七転八倒してなんぼなんだな。諦めたら最後だ。生みの苦しみというやつなのだろう。苦しんだ分、また愛も深くなるというもの。
とはいえ、ここ数週間はワクワクさせてもらった!!
それだけでもありがたい。
久しぶりに、「来週どーなるのかなー!!来週まてねー!!」とワクワクさせてもらった。
それだけでも作者や製作者の皆様には感謝したい。
本当にありがとうございました!!
( ゚д゚)・・・・
( ゚д゚)ハッ!
いやー何この打ち切り回w
ドイヒーw
100年の恋も冷めるとはことのこと。
そんな回でした。打ち切りアニメの典型的な猛烈に詰め込んだ本回。
ここ2話でで、「原作読んでみようかな・・・」と思い、
9月に発売されるゲームも・・・本体も買って・・・とさえ思い込んでおりました我が身を反省しました。
( ゚д゚) いやー気の迷い!気の迷い!怖いわー
冷めたわー。見ながらケラケラ大笑いしちゃったw
そもそも、なんで 黙ってる必要があるよ? おかしかろw 言うのが辛いだろうがその描写一切ない。
それと あそこで会った時、目を腫らしているなり、酷く落ち込んでいるなりして黒猫は自然である筈だが、彼女は全くの素だった。そればかりから、「あなたたち何やってるの?」のセリフ。これは酷い。
作者からの視点に立つと、これはご都合展開には必要なものだ。ココで心理描写を描くと当然ながら話が長くなるからだ。一定の話数で課題をクリアするなら「何事もなかったようなセリフ」で端折る必要性が出てくる。ただし文学がそうであったように、そこにいかに心情を短く入れ込むかが表情であり表現であり作者の燃焼であり才能であり人生なのだが、それを一切放棄し、意図も簡単に処理している。これは完全な逃げだ。
彼女としても 理想 として儀式を掲げていたいたとはいえ、それまでの展開からするに京介と別れたことは相当なショックであったはずだ。これで堪えていないとしたら心が死んでいるというこだ。全ては京介をからかっていた。そういう人間である。というなら納得できるが、そうではないらしい。だから全く前後の脈絡とは不自然に 気絶 させた。あれは京介の表情から「桐乃」を選ぶことを理解したからであり、ショックのあまり気絶したという描写を描いているに思う。それほどまでに好きなのだということを無理矢理ぶっこんでいる。これが余計におかしくしている。浮気した男女の言い訳と同じぐらい単に見苦しいだけの表示だ。
気絶 そのものは前回、前々回の話で描かれているので本来なら頷けるものだ。ただ、その前後が壊滅的に矛盾しているため完全に構造破壊している。この時点でこの物語はガラガラと音をたてて崩れ終了した。この際の京介の表情も明らかにおかしい。このアニメは一貫して京介の表情がおかしいのだが、その極めつけが本回だった。これは原画マンのスキルが深刻に不足している可能性も否めない。その後のご都合主義展開は極めて質の悪いコメディですらある。なんとも支離滅裂だ。私は完全に作者が白旗を上げているように見えた。
「俺には処理出来ないっすw」
そういう感じである。わからないでもない。才能と燃焼の限界をこすと、「もーあかーーーん!!俺には無理!!許して!!」と逃げたくなるのだ。でも、逃げるということは読者や視聴者に対して失礼であり最低である。そこをグッとこらえ胃を痛くしながらも悶絶することで新たな地平も開けると思うのだが、意図もあっさりと白旗を上げていることに空いた口塞がらない。この回で主要登場人物は私の中で完全に死亡した。あとは劇中話を見るような感じで見るしかなさそうだ。私にとっての「俺妹」は第8話の「京介と別れる」の一歩前で 「京介、黒猫・・・お幸せに!!」って気分で 「終」 となった。
(・∀・) いやーいい話だったなー
何がそうせたんだろ?
これが原作通りだとしたら、前回の感想に書いたとおり登場人物の心理を無視した原作者のご都合展開がそもそもの根幹に思う。結局、ユーザーを裏切る、意外性、インパクトといった部分にのみ焦点が当てられ登場人物の心理を無視した結果だ。挙句それらの欠陥をせっかくビジュアルで補完できるのに、アニメではそれが一切なされていない。本来なら登場人物の心情をカット割りや演出、表情で描くことで多少なりとも補完できる。しかし不幸にしてアニメ製作者側はそれが出来なかった。よって無様な姿を視聴者の前に晒すことになる。
結果、延々とセリフだけで最低のネタばらし。
「もう時間ありませんので省略してこうなりました」的な展開。
打ち切り作品が止む終えずやってしまいがちな方法に思います。
酷いのは、打ち切り作品じゃないのにこれをやってしまうという点。
本来なら黒猫のように本音を言えないで本音の表層だけをキツイ言葉だけでツラツラ並べるタイプは表情で補完しないと真意は伝わらない。単に酷い人間になる。ポーカーフェイスで本音を伝えないような人物像ならいいが必ずしもそうではない。実に表情が豊かなキャラクターだ。そもそもポーカーフェイスにも表情はあるし。逆に桐乃のように本音が表情でバレバレなキャラはやりやすい。
圧倒的な情報不足。
実は打ち明けられていた。とか、後から説明するのは実に安直で作者も楽である。アニメ「進撃の巨人」も第8話でこの手法を用いた。読者や視聴者にはそられしい情報を一切開示せず 「後からネタばらし」 これは先の展開を下手に予測サせず意外性を演出するために実に単純な方法であり、「いかようにでも出来る」ので楽なのだ。その典型的なのが昔からある 「夢オチ」 である。読者は ( ゚д゚)ポカーン となる。裏切られた気持ちになる。この方法がありがちなのは作者が楽だからだ。収集がつかなくなっても、「夢だった」で解決である。作者の完敗を意味する。読者側からすると卑劣な手段とすら思える。やり方が汚いということもさることながら、何よりその動機そのものが推測に過ぎないがゲスなものと思える。単に才能がなくてそうなったのならまだわかる。それは仕方のないことである。だが、悪質なのはこれは恐らく意図であろうと思えることだ。
ただ非常に参考になった点も
作者にこういうことをされたら受容者側がいかに心を傷つけられるかしみじみと理解できた。これはいいおもしにしたい。
ここまで酷い作品には出会ったことがないのでそうした経験はなかった。前半なら速攻で見ないでスルーしたいものだ。後半なら乗りかかった船として最後まで見るけど(それも自分への責任だ) 黒猫のセリフにあるように 「徹頭徹尾クソだった。 作者にシネと言っといて」表示されるものになるかもしれない。これだけはやるまい・・・やるまいよ・・・と非常にいい重しである。良い機会を得られて良かった!!本当に良かったと思います。
なぜ突然面白くなったのか
不思議だったが、軽く調べた程度の情報によると原作途中でどうやら読者応募した結果としてこのエピソードが代入されたような節がある。だから面白かったのか!!と納得した。つまり読者が道を照らし、作者がそれに従ったことで登場人物が生き生きと輝きだした。物語が動いたのだ。しかし、もともとこの作者にはなかった道程でありあくまで一つの企画に過ぎなかったため、結局頭で考えられた道筋に一定の話数で戻すという柔軟性のない愚行が行われる。これは恐らく出版社側都合だろう。そこで作者に才能があればいかにようでも処理できたのだろうが、この作者はそれが出来なかったように思う。それは才能だから止む負えない。結果、当然ながら歪が出てくる。作者は読者が照らした光に対して柔軟に対応できず消化不良をおこし、とってくっつけたような「打ち切り展開」が発生してしまったのではなかろうか。
登場人物に愛があればこうならないように思う。
愛が強いとこの軋轢に作者は苦しむことになるが、どちからかというと 予定調和 にもっていった感を受けるので、それほどの愛もないように感じる。やはり予定調和ほど見る価値のないものはないと改めて痛感する。そこを避けると作者は非常に七転八倒するわけだが、そこに燃焼が生まれ色合いになる。やはり作品はどうあれ七転八倒してなんぼなんだな。諦めたら最後だ。生みの苦しみというやつなのだろう。苦しんだ分、また愛も深くなるというもの。
とはいえ、ここ数週間はワクワクさせてもらった!!
それだけでもありがたい。
久しぶりに、「来週どーなるのかなー!!来週まてねー!!」とワクワクさせてもらった。
それだけでも作者や製作者の皆様には感謝したい。
本当にありがとうございました!!
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