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ネット人生まっしぐら、アナログとデジタルの狭間にいきるドーラの雑記帳です。
11 / 27 Wed 13:30 ×
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08 / 21 Wed 17:03 #ドーラ ×
TVでは放映できない内容にも関わらず世界へ晒したわけですがw
ついに最終話までの3話がネットで放送されましたね。今日観ました。
長い間あきすぎてすっかり忘れてましたのでヤヴァかった。

黒猫☓京介に夢中になったのも今は昔w
期待はしてませんでしたが、8,9割観て最後みないなんてありえないので最後までお付き合いしようかなと。

ネタバレになりますので、未見の方はスルー推奨です。
それと他人の感想に心を揺さぶられる方もスルー推奨かもしれません。

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さて、3話分を総まとめにして書きます。

やっぱり置きにいったな。予定調和にもっていった。

というのが最初の感想です。
この作者は良く言えば 予定調和のスペシャリスト。
悪く言えば 予定調和しか書けない のだろうなーと思いました。
置きに行くとき、書く側としては普通迷いがありそうなものですが、一切迷いがない。これはある意味凄いなと。
ここまで躊躇がないと凄いです。

周辺の起こるであろう一切の事情をなかったことにして完全スルー。そのクセ、本編の流れとは関係なく、赤城妹と巨乳好きが付き合い始めたとか、もはやどうでもいい描く必要もな背景を入れちゃったりします。本来は入れてもいいのですが、主人公が最早絡む必要もなく、背景として二人が付き合っている雰囲気を醸し出している程度で済ませることも出来るのに、わざわざ主人公に絡ませます。これは視線誘導といいましょうか、視点を逸らすためにやっているのではと推測してます。
そうすることで、都合の悪い背景に意識をもっていかせない、一瞬忘れさせる効果があります。誤魔化しに入っているわけですね。そこに躊躇が感じられないのが凄い。

持論としては、恐らく作者はかなり俯瞰してドライに物語をみているので登場人物に対して思いいれも無いのだろうなと。もしくは、思い入れはあるんだけど、それはそれとして神の視点でもって物語を操作することに重きをおいているタイプなのではなかろうかと感じました。かなり頭がいいというか、IQが高いだろう作者かなと。IQの高い人はそういう傾向があるので。そういう人であれば、「愛着はあるんだけど構成上仕方ないよね」とバッサリ切ることが出来るでしょう。まー好き嫌いで言えば私は嫌いなタイプの作者ですけど、それそのものは否定しません。そういう才能、そういう資質をもっているわけですから、良し悪しじゃなくてね。だからこの物語を読んで嫌になった人は、この作者の作品とは相性が悪いでしょうね。私はもう観ないかな。

超ご都合展開)

麻奈美はいつから格闘技習ってたの?w 男でもあんな見事なパンチ出来ないっすw まーその辺は細かいアニメ的ご都合だからヨシとしても、彼女があの後、仮に誰にも言わなかったとしても、両親等が気づかないはずもありません。当然、母親あたりが「京ちゃん、何か知らない?」ってなりますのでバレないことは200%ないでしょう。何せ、他の連中ですらバレてますし。(;´∀`) ところがその辺を見事なまでの完全スルー。というより、スルーする意外に方法がないからです。これは自民党等もよくやるのですが、「TPP断固反対!ブレない!」とポスターをはって以前はキャンペーンはっていたのに、今回の参院では180度逆のことを言ってます。それは「大衆は物忘れが激しい」ということをわかってやっているわけです。これは東大話法そのものですが、突っ込まれても話を今の問題にすげ替えて話題を掘り下げさせず時間が切れを狙うという方法論そのもので、周辺部の話題に一切触れないことで「視聴者の白痴化タイム」を狙ってのことでしょう。まるっきり政治家がやっていた方法そのものを物語に持ち込み作者という圧倒的権力を行使し 「周囲なんて無かったw」 ということにしてます。ぶっちゃけ、そうしにと収集がつきませんからね!! つまり予定調和なんですが、ここまでシラをきった作品は今まで見たことも聞いたことまりません。 何より、作者が作品や登場人物に思い入れがあれば出来ないものです。つまり、この作者は頭で作るタイプの作家であるということを意味していると思います。宮崎駿氏が自らの作品である「カリオストロの城」が嫌い(といったら語弊がありますが)なのは出来レースであり、作家としての精神的燃焼がないからです。「出来レースは幾らでも書けるけど書いたら終わり。なのにやってしまった」といった内容もインタビューで昔答えてます。つまり作家の良心なんですね。じゃーこの作者は良心がないのか?と問われると、恐らく「それすらわかってない」のではないかな。と私は思います。つまりIQは高くて(仮定)、頭は回るんだけど、良心はない、というかわからない、イコールそうした才能はない。ということなのかなと。

京介は桐乃のカルマを背負った!!・・・違ったwwww)

私は話を通して、京介は口ではどうこういいながら基本的に妹に対して可愛い妹=保護本能としての という視点で共通して接していると感じていました。そこが揺らぐと、京介というキャラクターそのものが単に物語の都合で勝手に右に左にと、しかもホイホイと変わる人間であるということになってしまいます。これは人格が破綻していることを意味し、最も適切と思われる病名で言えば解離性人格障害ということになってしまいます。ホラーです。実は映画ではよくあります。タイトル忘れましたが、あれは怖かった。すげー良い奴で、未亡人と恋に落ちるんだけど、主人公が本来の姿を発揮しヒロインが真綿で首を締められていくような恐怖を味わいつつ最後にはブレイク。あれはガチで怖かった。つまり、ここからそういう展開になれば 「ココからそう来るか!!恋愛かと思ったら、ホラーじゃねーかよ!!SUGEEEEEEEEEEEEEEEE!!KOEEEEEEEEEE!!」となりますが、当然そうなるわけもなくwww

この物語は破綻してしまったのです。

桐乃はこのままいけばガチで病院へ行きかねない精神性に思います。お兄ちゃんと結ばれたくて正常な人間関係を形勢できず表と裏で全くは顔が全く違います。これは人格が解離する入口。しかもかなり深刻で、結ばれないと精神的に崩壊してしまいそうな勢いです。名医の精神科医でも一歩誤れば最悪の結論を迎えそうですらあります。彼女のそうした業とでも言うべきカルマを京介が背負ったのかな?と良い方に解釈しようとしてました。これまでの京介の行動は献身的で本当に妹を助けたいと誰よりも積極的でしたので、それは理解できます。綾瀬関係のトラブルでも常に彼女らが解消すべきカルマを彼が背負ってきました。だからこそ、ここで最大のカルマである桐乃「兄貴と結ばれたい」という願いを自らの人生を犠牲にして背負った!!! と思ったのです。そうした解釈が出来る要素は多分にありました。

んが・・・・

「え?本当に愛している自分に気づいちゃた?・・・というより誤解しちゃった」 という展開に。ある意味、無意識に桐乃のカルマを背負った形になるわけですが、この場合の最大の問題は、だとしたら「真の糞野郎」になったということです。彼女のカルマをわかってて「付き合ってやった」らとんでもない勇者です。そのせいで全て犠牲を自分に強いるわけですから。ところが、これ結果論で全くの無意識、本当に「妹が好きで」となったら「真の糞野郎」です。つまり自己の欲を満たす為に、彼女らにトラウマを植えつけたわけです。黒猫は自業自得として、最大の被害者は幼なじみの麻奈美です。まー麻奈美そのものは理論派で社会のルールの中で自分たちの関係を閉じ込めるタイプのようなので、女性のある種典型的な例そのものですから、「それは愛とは言えないな」とツッコミを入れたくなりますが、それはそれとして彼女の不幸ときたら近年稀にみる不幸キャラで最後を迎えてしまいましたことに、心中お察しいたします・・・。リアルなら死ぬまでトラウマになるでしょう。にも関わらず、本人達はケロっとしており「この辺にしようか、約束だったし」と想像通りの展開であり、キングオブ予定調和へ。もし京介が彼女の心的トラブルを気づいていてカルマを背負ったのならいずれわかることでしょう。桐乃も「お兄ちゃんと結婚したい」という欲求を果てて、正常な人間関係へと向っていくように思えます。「京介すげーよ!!くっそ尊敬する!!」んで「ちゃんちゃん」なのですが、彼の言っていることは「周囲なんて関係ねー!俺が、俺自身が欲を満たせれば、誰がトラウマを抱えようが、最悪自害しようが関係ねー!俺は満足だー!それが生きるってことだ!」ということです。これはつまり、作者がそう思っている。ということになります。これは作者そのものの主張に思いますね。

「心がおいてけぼりです」

そんな彼には愛なんてないわけで、愛を知らないわけで、いきなりそれまであった妹との対話ややりとりが全て「愛」から来るものではなく、「欲」から来るものだった。ということに逆転してしまいます。こっちとしては、「あーはいはい、北欧の某国にでも行って結婚でもセッ○スでも子供でも産んで楽しく過ごせよ。それで本当に楽しく過ごせると思うならな・・・」という気分です。また超ご都合展開には欠かせない周囲の賛同も違和感を感じました。まー賛同させないと暗くなっちゃうからね。
この物語の作者の主張は恐らくこうです 「周囲な気にせずてめーのやりたいことを押し通した人間が勝ちだぜ!」ということでしょうが、作者は肝心な読み違えをしているように思います。恐らく、ここまであ思ってないのでしょうがこの後こういうセリフがついてしまいます。 「例え多くの人を不幸にしても、そんなの関係ねー!!」 ってことになります。恐らくこれは「しもた」という点でしょう。誤算だった筈です。でも、だとしたらそんなに頭がいいってわけでもないのかな? その迷いというか、ご都合主義というかがあるせいでか、なぜか周囲の賛同が前提になってきます。赤城の妹に「お前どう思う?」って聞いたります。「ちょwまてよw気にしてるじゃねーかよwww そんな奴が突っ走れるわけねーだろw」 という矛盾を結果的に描いてしまいます。このセリフを工程すると単なる勢いだったとなってします。すると 「単なる勢いで人を傷つけんなよ!クソが!」となります。

物語そのものが破綻)

破綻した原因は恐らく担当編集者と作者の間で物語の展開を話しあいすぎた結果でしょう。そもそもの動機が「どこまで書けるのか」というところから来ているわけで核がない。その上で二人で話あって書いているうちに、実際に書いている側としかける側では当然ながら解離が生まれます。京介の性格が安定しないのも当然です。本来なら作者がそれを「俺の言うことをきけ!」というのが正解ですが、本来自分の中に無いものを担当編集者との話あいで抽出しているわけですがから、作家の中に消化不良がおきます。そこまで器用じゃないようで。これは柔軟な作家なら消化しながらも出来るのでしょうが、それは最早神ワザに等しいように思います。作家ってそこまで器用じゃないと思うんですよ、何より器用な作家は結局面白くない。

それはそうと、その消化不良を解消するためにまた話し合うことで次第に焦点がぼけていく。こうなると収集は不可能ですから、グダグダになるかぶった切るか、超展開にするかしかないように思います。恐らく作家も担当編集者も 「俺は悪くない」 と思っているでしょう。現代の政治家と同じです。「俺の意思じゃない、アイツが」という。今の企業、コンビニ等が年齢確認をさせるのも「買ったのはお前だし認証させたんだから俺は悪くない」というコンプライアンスを盾にした法律的な逃げを講じているに過ぎません。まさに一億総無責任時代を背景に作家もやっちまったといったものを感じてしまいます。まー深読みも大概ですがw

唯一よくやったと思えた点

色々書きましたが、それでもよくやったなーと思ったのは逃げなかった点です。ここまで無理くりだと10人いれば9人は逃げに走るでしょう。私なら逃げちゃいます!(;´∀`) 作家だって人間です。「やっちまったー!」と思えば逃げたくもなります。ですが読者からしたら本当に悲劇です。この作品は逃げずに完結させたという点は「凄いなー」と驚きます。まーそれだけ作者がドライな性格をしているのか、それとも頭で物語を全部構成するタイプの作家ということなのかもしれませんが。わかりません。逃げENDほど読者がフラストレーションを貯める終わり方は無いように思うので、賛否あれど逃げなかったのは「サムズアップ!」という点ですかね。とはいえ、私はこの作家の作品とは相性が悪いようなので評判がよくてももう観たくはないな・・・あれだけ登場人物をゴミのように扱える人とは仲良くなれないです。

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