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ネット人生まっしぐら、アナログとデジタルの狭間にいきるドーラの雑記帳です。
11 / 28 Thu 16:54 ×
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05 / 28 Tue 15:38 #ドーラ ×
そう来ちゃったか・・・そう来ちゃったわけね。
きしくも同じ感覚を味わった先週。
その一つが本作。

ああなっちゃうといくらでもやりようがある。
そうした作品が概ね残念な展開にしかならないのは過去の經驗からも明らかである。
本作がそうなるとは限らないが。
ただ、あれをやっちゃうと幾らでも出来るのだ。
書く側としては非常に楽である。
楽である分、安易に展開してしまう危険がはらむ。

「もののけ姫」で宮崎駿監督が
世の中の大きな事件とはいつの間にかことが進んでいるもの、
という視点を映像で示してくれた。
あれは何度もみると、要所要所で実に巧みちゃんと描いている。
画面の隅にチラ見させるとかそういうあざとい真似ではなくキチンと描いている。
その上で大崩壊がおき、視聴者が意外性に感じるわけだが、作る側の立場でみるとこれは非常に難しい。
出し過ぎれば意外性はないし、
チラ見に逃げれば視聴者へちゃんと要素を提供していないことになり、あんに不満が貯まる。
このさじ加減が非常に難しいのだと思う。

本作のように全くそうした要素を提供せず、いきなり「なんでもござい」という感じでやるのは楽だ。
ベルセルクの第一部ではそういうことをしなかった。あずみ でもそうであった。
提供した情報の枠内でのみ緊張感や恐怖、意外性を演出して見せていたに思う。
そういうことをやっていると作者も否が応でも作品に心身から向かわざる終えない、そこにある種の燃焼が生まれ、そこを読者は感じるようになるのではなかろうか?

ラストシーンを見て「またか」と思ってしまった。
あのシーンは本作が持っていたある種のリアリティを崩壊させてしまったように思う。
本作が過去のそうした作品が辿った路を歩むとは限らない。作品は終えてなんぼだし。
でも、ここまで話題になるのは意外だった。
マスコミのプッシュが大きいような気がする。
本来であれば、この手の話は万人向けではないと思う。

未だマスコミに意識が支配されている人は多いようだ。

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